魔境のアルカトラズ
俺の名前は如月せつな。
二十八歳。元傭兵の私立探偵だ。
魔都ノイエ・タマベルクの罪なき人々を、悪党どもから守る街の『顔』でもある。
十年前の第五次昆虫戦争、惑星P奪還作戦で失った右腕は、死んだ相棒の忘れ形見、高機能イマジノス体で代替している。
生まれ持った金色の左目『イーブル・アイボールセンサー』の真の力を知る者は、俺以外には誰もいない。
知った者は全て死ぬからだ。
さっき俺を追いまわした女は、ノイエタマ署の刑事、嵐堂鳴亜。
まだ二十代の若さだが警視庁公安零課の精鋭。なぜタマ署に出向してきているのか、俺にもよくわからない。
スレンダーな長身に凜々しい黒髪ショート。切れ長の目が印象的なちょっと目を瞠るような美人だが、こいつこそは真正のサディスト。
俺も何度も捜査の邪魔をされたり、言い掛かりでしょっ引かれたり。煮え湯を飲まされて続けている。
憎むべき官憲の犬め! でもなんだ……この気持ちは……? いかんいかん! しっかりしろ俺!
なんだか顔が火照ってきた俺は、あわてて首を振りながら、スピナーのハンドルを切った。
俺がクマガヤバルト拘置所に向かうのは、かつて俺が捕えた連続殺人犯、大月教授に面会するためだ。
男女を問わず四十八人を殺して回った最悪の狂人。おまけに小中学生をつけまわすのが趣味のクソ野郎だ。
だが、その脳内データベース『宮殿』に記録された犯罪者リストと、驚異のプロファイル能力には、警察も一目置いている。
奴の情報が必要だ。だが……俺の右腕の古傷が微かに疼く。奴は俺の相棒、時城コータを殺した宿敵でもあるのだ。
虎視眈眈と脱獄の機会を窺っているようだが、出てきた時には今度こそ、この俺が引導を渡してやる!
#
そうこうしている内に……
「う~ん、コータくん……」
俺の傍らから少女の声。まずいな、彼女が目を覚ましかけているのだ。
「うぬー!」
俺は呻吟する。狭いスピナーのコクピットで二人きり。少女は全裸、手足には拘束具。
なんとも言い訳のしがたい状況だ。目を覚ました彼女に、どう言って事態を納得してもらおうか?
それに、まずは服を調達しないと、どこで? やっぱユニクロか?
俺が首を捻って色々と思案していると、
「コータくん……」
少女が目を開けて、誰かの名前を呼びながら、呆然とした表情で俺を見上げた。
「コータだって?」
俺は首を傾げた。今は亡い俺の相棒の名前と、同じだったからだ。
腕の古傷が微かに疼く。少女の知り合いの誰かなのだろう。それにしても……
「……!」
改めて彼女の貌を見た俺は、不覚にも、胸の鼓動が高まるのを押さえきれなかった。
白磁の頬。整った目鼻立ち。つぶらな瞳は、青や緑のネオンに彩られた夜の闇の中で、なぜだかボンヤリと紅い光を放ちながら、俺の顔を、じっと見つめているのだ。
……綺麗だった。俺は一瞬、いろいろな雑事を忘れて、少女の貌を見入った。だが、次の瞬間。
「どわー! なによこれ!」
少女の悲鳴。今、我に返って周囲の状況と、自分の格好に気づいたのだ。
「変態! 誘拐魔! こっから出せーー!」
拘束された手足をジタバタさせて、必死で俺から距離を取ろうとする少女。
「まて! 違うって! これには理由が……! ちょっとおとなしくしててくれ!」
俺はスピナーのハンドルを取られないように注意しながら、必死で彼女をなだめる。
幸いにも、というか何というか。彼女の手足につながれた手錠足錠のおかげで、抵抗にも限度がある。
とにかく辛抱強く言い聞かせて、おとなしくしてもらうしかないか。
だが、その時……
ぶちぶちぶちっ!
「嘘だろ!」
俺は目を見張った。
少女が手足を広げると、両手両足をつないでいた拘束具の鋼鉄製の鎖が、まるで古くなった輪ゴムか何かのように、ブツブツと千切れていったのだ。
なんて力だ! 唖然とする俺の目の前で、
「こっから、出せーー!」
身体の自由を取り戻した少女は、再びそう言うと、コクピットから立ち上がり、スピナーの風防に手をかけた。
がこん。 信じられない! 少女が、スピナーのキャノピーを片手で無理矢理こじ開けると、猛風のたたきつける、ボンネットに飛び出したのだ。
「ばか! 危ないーー!」
たたきつける風に目をしばたたかせながら、必死でそう叫ぶ俺に背を向けて……
ふわり。
少女の身体が、宙に舞った。
スピナーのボンネットから、夜空にその身を投げたのだ。
「やめろーーーー!」
目の前の惨事に悲鳴を上げる俺。
ところが……次の瞬間!
しゅん。
少女の身体が、緑色の光に包まれると、一瞬で、俺の目の前から、消えた。
「ななな……!」
あまりのことに声も出ずに夜空を見上げる俺。
ケバケバしいネオンの夜空に、緑色の光の粒子が立ち上ると、どこかに向かって、ゆらゆら流れていき、やがて消えていく。
俺は、呆然としながら、スピナーのキャノピーを下ろして、再びハンドルに手を添えた。
「あのパワー……! そして、信じられんが、『テレポート能力』……! 間違いない、やはり『YOG』の副作用だ!」
そう確信した俺は、暗澹とした気持ちになった。
#
禁断の魔導薬物『YOG』。
惑星Pで発見された原始的な昆虫生物の外骨格に含まれる麻薬物質をベースにしたこの薬物は、その効能が発見された当初、奇跡の新薬として世界的な注目を集めた。
その死因が何であれ、死後24時間以内であり、脳髄の損傷さえなければ、『YOG』を投与された遺体は、完全な健康体を維持した生者としてこの世に蘇るのだ。
この世から、事故死や病死がなくなる! 世間は熱狂した。
だが、治験段階になって、開発者たちは徐々に恐ろしい事象に気づき始めた。
『YOG』の被験者達に、おかしな症状が現れ始めたのだ。
ある被験者は、病室のベッドで突然アラビア語と思しきおかしな詠唱を喚きだしたかと思うと、いきなり空中から現れた刃物に頭部を切断されて死亡。頭部はそのまま空中に消え去り二度と戻ってこなかった。
ある被験者は急に旺盛な食欲を示しだしたかと思うと、スーパーで倉庫買いした冷凍ピザ1トンを三日三晩食べ続けながら膨れていき、四日目、風船のように全身が弾けて死亡した。
ある被験者は触るもの全てが灰になりはじめ、彼が飢えて倒れるまで、ノイエカワサキの全建築物の二割が灰燼に帰した。
ある被験者は突如悲鳴を上げて閃光を放ちながら爆発し、彼の周囲の半径3㎞、ノイエシブヤの全土が焦土と化した。
それが、『YOG』の副作用だった。
症状の種類。対処法、そして『被害規模』。いつ、どこで、何を契機に発症するのか、全てのケースが全てバラバラ。統計をとることすら出来なかった。
製薬会社の上層も、世間も、おぼろげながらわかってきた。
『YOG』は、何かこの世の理の外にあるものにアクセスするための、恐ろしい『触媒』なのだ。
以後、『YOG』は世界政府が指定する最悪の禁止薬物、および非人道兵器に指定された。
それでも、不死への欲求飽くことのない一部の富裕層や、先だった家族や恋人への思いを断ちがたい、悲しい人間達の間で、この薬物はなお強力な希求力を放ち続け、惑星Pを牛耳り不法な薬物合成を繰り返していた麻薬王達は地下に潜伏し薬物の生産に拘泥、惨劇は続いた。
悲劇の連鎖にようやく一つの収束が訪れたのは、十年前の掃討戦、惑星P奪還作戦だった。
地下に潜んだシンジケートは完膚無きまでに叩きつぶされ、麻薬王達は絶命し、同時に、薬物の原料であった昆虫生物達も焼き尽くされ、地表からその姿を消した。
「悲劇の根は絶たれたはずだった。だのに、なぜ……!?」
俺はスピナーから夜空を仰いで、消えた少女の事を思った。
彼女を放っておくわけにはいかない。このままでは被害がどこまで広がるか、まだ見当もつかない。
できれば彼女を救いたい。だがどうすれば……。
やはり、まずは情報だ。今の俺に出来るのは、情報収集と足での捜査しかない。
そう決めた俺は、一路、クマガヤバルト目指してスピナーのアクセルを踏んだ。
#
「ギャオース!」
霧の中から姿を現わした黒い影。巨大な赤色大蝙蝠の羽が、スピナーの脇をかすめていく。
霧が、濃くなってきた。
「気をつけて、気をつけて……」
俺は、灰色の空を飛び回る大蝙蝠や原蜻蛉、月まで伸び上がった吸血蔓植物などに衝突しないよう、スピナーを減速しながら慎重にハンドルを切っていく。もしも空路を失ったら、もう生きてここから出ることは不可能なのだ。
ずしん、ずしん。地響きをたてながら鬱蒼とした原生林の間を悠然と歩いて行くのは、全長50メートルはあるだろう首長竜だ。
「クマガヤ……何度来ても、慣れるもんじゃないな……!」
俺は怪物たちがひしめく森をスピナーから見下ろしながら、全身に気持ちの悪い汗が伝うのを感じた。
暗黒の森、クマガヤバルトにやってきたのだ。
ノイエ・サイタマ。殺人事件や性犯罪の発生率は、隣接するノイエ・トーキョーの実に35倍。
徒党を組んでバイクや武装車両で暴走するならず者どもと、軍需産業が違法に放棄した廃棄生物兵器が跋扈する『超』危険地域だ。自衛のためライフルで武装した気の荒い県民たちも、余所者に気を許すことは決してない。
そんなヒリヒリするような無法地帯のさらに深奥。犯罪者や県民たちでさえ、恐れをなして決して近づかないのが、今、俺が飛ぶこの土地、クマガヤバルトなのだ。
いつの頃からか、いかなる理由かは誰にも解らないが、この地には正体も出自も解らない怪獣や妖怪たちが、どこからともなく湧き上がってくるのだ。
サイタマ県警や自衛隊までが乗り出して、何度も掃討作戦が行われたが、結果は無残なものだった。
今ではこの土地は、一度足を踏み入れたら二度と生きては戻れない日本最後の魔境として、世界中にその悪名をはせているのだ。
そしてそれが、この地にクマガヤ拘置所が建立された理由でもあった。
『S級犯罪者』。死刑を免れない重罪を犯しながらも、政治的な理由から刑の執行が困難だったり、受刑者の肉体に施された超科学的処置によって、現在の科学力では滅殺が難しい、まさに始末におえないクズを永久に閉じ込めておくのが、この施設の役目なのだ。ちょうど大月教授のようなクズを。
切り立った崖の上に作られた中世の古城のような不吉なシルエット。完全無人制御のこの巨大拘置所に、どうにか辿り着いた俺は、拘置所の城門に立つと、ブレイン・アクセサを電子キーに変形させ城門のロックを解除、施設内に足を踏み入れた。
#
「やあ如月君。そろそろ来る頃だと思っていたよ……」
拘置所の地下13階、魔導薬物のジャンキーや人体改造中毒者、廃棄生物兵器たちの血も凍るような叫び声が響き渡る舎房を脇に通り抜け、俺は大月教授の収監された第666独居房の前に立っていた。
鉄格子の向こう、電磁結界で幾重もの封印が施されたその舎房の片隅に、大月教授はいた。
全身を拘束服に包まれて全く身動きがとれないのに、それでもその卑猥な顔には余裕の笑み。その目は不敵に光って俺を睨んでいるのだ。
「黒のトレンチコートにグラサン、山高帽か。あいかわらず、いろいろと拗れた身なりだなあ……それに……」
教授は俺を一瞥するなり馬鹿にしたようにそう言う。そして、卑猥な禿頭を傾けて俺の右腕に目を向けた。
「君の『相棒』も元気そうじゃないか。なによりなことだな……」
ぐ……! 俺は一瞬、怒りに我を忘れかける。グズグズと湧き上がってくるドス黒い気分で胃袋が裏返りそうだ。
いや、落ち着け、あれはヤツの挑発だ。必要なのはヤツの情報。脳内データベース『宮殿』の犯罪者リストだ。
「教授、あんたに聞きたいことがある」
俺は平静を装って、教授にそう言った。
「ご禁制の魔導薬物『YOG』が、今再び世間に出回り始めている。原料となる昆虫生物は十年前に駆逐し尽くしたはずだ。一体どうやって薬物を合成しているんだ? それと……」
俺は今際の際のモグロの言葉を思い出していた。
「『トワイライト・サイン』、『イズモ』……この言葉に心当たりは?」
「………!!!!」
教授の目が怪しく輝いた。
「なるほどなるほど如月君。そういうことか! 」
教授が禿頭を揺らして謎めいた笑みを浮かべる。
「再び『やつ』が動き始めたということか……これは面倒なことになるぞ……!」
わけの解らないことを一人ブツブツと呟く教授。
「おい、人の質問に答えろよ!」
俺がそう言いかけた時、
「わかった如月君、昔のよしみだ。ヒントをやろう」
教授が俺を向いてそう言った。
「ノイエタマに戻って、今年になって失踪した少年少女の足跡を辿るのだ。いずれ『やつら』と出会う事になるだろう!」
それだけ聞けば十分だ。教授の性格からして、これ以上の情報を引き出すのはもう無理だろう。
「邪魔したな! 教授」
俺はそう言って教授に背を向け、独居房から立ち去ろうとした。
「待ちたまえ!」
背後から教授の声。俺はヤツに振り向いた。
くんかくんか……
教授が、目を閉じながら鼻孔を広げて、あたりの空気を嗅いでいるのだ。
「『女』の匂いだ……珍しいじゃないか、喪男のきみが、女と一緒なんて……」
教授の得意技、臭気プロファイルか……。俺の身体の匂いから、外部の情報を探っているな。焦るな、ハッタリに過ぎない。
「衣服は身につけていない。手足には擦り傷……拘束されていたのか? それと……君の残留フェロモンレベルから察するに、年の頃は、そう、JCといったところかな?」
「うぐ……!」
俺は改めて息をのんだ。俺に付着した臭気だけで、そこまで探り当てるとは! 相変わらず、底の知れない男だ。
「忠告しよう如月君。その女、厄介だぞ。どこまでも君の周りをかきまわして、いずれは君を破滅させるかもな……」
教授が俺を見て嗤う。
「如月君。今回の事件、きみの手には余るぞ。全てのカタがつくまで、田舎町で便利屋でもしていた方がいいんじゃないか?」
全てを知っている、といった顔でヤツは俺にそう言った。
「余計なお世話だ! 教授! 今にその減らず口、叩けないようにしてやるぞ!」
そう吐き捨てて俺は独居房を後にする。
「それと如月君、きみにもう一つ、プレゼントを進呈しておいたから、楽しみにしていたまえ!」
地上向かって歩いて行く俺の背中から、楽しげな教授の声が響いてきた。
「何を訳のわからんことを……!」
俺は苛立たしく頭を振りながら、地上に出ると、クマガヤ拘置所の城門をくぐって、断崖にフロートさせていたスピナーに飛び乗った。




