背徳の城
新西暦2014年。
俺はある男を追って、背徳と欲望の街、ノイエ・タマベルクに降り立った。
御禁制の死者蘇生ドラッグ『YOG』。
裏世界を牛耳るボス達の間でも、こいつにだけは『手出し無用』。そう暗黙の了解がかわされている。
それほどまでにヤバい、魔導薬物の中でも最も危険なこのドラッグが、ここ数日、タマ市中に出回っていると言うのだ。
あいつだ……! 俺は直感した。
金の為ならどんなに外道なモノでも平気で調達するあの男……。
『YOG』の流通ルートを探るため、バイヤーのモグロに接触する必要がある。
俺はそう確信して愛車のアクセルを踏む。個人用に払い下げられた航宙支援戦闘機『スピナー』が、煌々たるネオンに彩られた街並みを疾走していく。やがてスピナーのキャノピー越しに見えてきたのはギリシャ神殿を模した、巨大な金色の多層構造建築だ。
市民ランク『ノーブル』以上だけが入ることを許される総合賭博施設『パルテノン』に到着したのだ。
カジノの入り口で訝しげな目で俺を見るガードマンにランク『SSS』の市民証を呈示して、俺は首尾よく『パルテノン』に潜入した。情報屋からのリークでモグロの居場所は既に突き止めている。あとは、ヤツが一人になったところをとっ捕まえて、締め上げるとしよう。
「あーあ、今日もスッテンテンか……。まあいい、またいくらでも『アレ』を捌けばいい……」
VIPルームでカードにうつつを抜かしていたモグロが、ようやく勝負を降りて一人、地上20Fのパーキング・フロアまでやってきたのは、ヤツを探し当ててから五時間後。深夜二時を回った頃だった。
着込んでいるのはイタリア製の高級スーツ。手首には悪趣味な金時計。ノイエタマのチンピラ、暗黒街のゴキブリ風情が、なんとも立派になったものだ。
「随分と羽振りがいいな。モグロ!」
俺は、車の物陰から薄暗いパーキングの通路に飛び出すと、ヤツの前に立ってそう言った。
「デ、デバステイター!」
モグロの顔が恐怖で歪む。ヤツは俺の顔を見るなり、慌てて気取ったスーツの内ポケットに自分の右手を突っ込んだ。
「おっと、おとなしくしていてもらおうか! 一応言っとくが、俺には拳銃は効かないぞ!」
右手の人差指で、自分の『銃口』の照準をモグロに合わせながら、俺はヤツに釘を刺した。だが……
「銃が効かない? ならば、こいつはどうかな!」
モグロは、捨て鉢な様子で口の端をゆがめてヒクヒクと笑うと、内ポケットから何かを取り出した。
あ……! 『それ』の正体が何なのか、コンマ一秒で判別した俺は、驚きのあまり、思わず銃口の照準が乱れた。
その隙を逃さず、グサリ! モグロは、先端から生体端子を露出させた小さなスティック状の『ドライブ』を、いきなり自分のこめかみにブチこんだ。
むくむくむく……
途端、高価なスーツを内側から引き裂いて、もとのサイズの何倍にも膨れあがっていくヤツの肉体。
剥き出しになった身体からは、みるみる内に真っ黒な剛毛が生えて全身を覆っていく。
手足から飛び出した鋭い爪。その口は耳まで裂けて牙が生え揃い、鼻先は伸び、頭部から飛び出した大きな耳!
「ぐお~~~~!」
モグロの咆吼が、パーキングフロア一面に響き渡った。
……『ワーウルフ・ドライブ』か! 人間をやめてまで、この俺に立ち向かうつもりか!?
「ちっ!」
俺は小さく舌打ちすると、右手のフィンガーマズルをヤツに構え直し、指先に『トリガー』をイメージアウトした。
びつ! びつ! びつ!
指先から発射された、9mmクリスタル・バレットが、緑の燐光を撒き散らしながら次々とヤツの胸板に命中する。
だがヤツは全く動じる様子がない。ダメージも受けていないようだ。
ゴワゴワと針金のような剛毛と分厚い筋肉が障壁になって、弾丸を……はじいている!?
「グワオォ……! どうした、その程度か? 『探偵』!」
醜いケダモノに変身したモグロが真っ赤な舌を出しながら不気味に笑う。
モグロは、両手に生えた鋭い爪をギシギシと擦り合わせながら、俺に向かって、のっそりと迫ってきた。
「死ね!!」
俺の前に立ったヤツは右手を振り上げると、鋭い爪先を俺の頭めがけて打ち下ろしてきた。
びゅん。狼の爪先が風を切る音。死のブロウウィンド。
だが……
がし!
俺は右腕を頭上にかざして、ヤツの爪先を下腕で受け止めた。
「なに!」
驚愕に息をのむモグロ。
狼の爪で引き裂かれたスーツの袖の間から、黒銀色の液状金属装甲に覆われた、俺の『右手』が、その真の姿を現わした。
「パンプ・アップ!」
すかさずモグロの手首を掴みあげながら、俺は自分の右手に、解体形態をイメージアウトする。
ヤツに狙撃手形態が通じなかったのには少し驚いたが、それならこいつでカタを付けるだけの話だ。
ずずずず……。メタリック・マッスルファイバーが増殖し、俺の右手が、これまでの倍の太さに膨れあがる。
ぐちゃっ!
常人の300倍の筋力にチューンされた右手が、ワーウルフの手首を握りつぶした。
「ぐぎゃ~~~!!!!」
たまらずモグロは、苦悶の声を上げながら、必死で俺を振り払おうとする。
……だが、逃がさない。
ドカッ!
俺はパンプアップした右腕でヤツの鼻先にストレートを打ち込むと、悲鳴を上げるヤツに飛びかかって、その身体を床に組み伏せた。
ガコッ! 耳まで裂けた狼の口に両手をかけると、情けない悲鳴を上げるヤツの顎を引き裂く。
ゴキッ! 次いで、狼の頸椎をへし折る鈍い音がフロアに響く。
「ふう……」
俺はスーツの埃を払いながら床から立ち上がると、昏倒してだらしなく転がったモグロの体を見下ろした。
『ドライブ』服用者の凶暴性と馬鹿げた生命力は俺もよく知っているが、ここまでやればしばらくは動けないだろう。
『壊し屋』……俺の『通り名』を知っていながら、近接戦闘を挑んでくるなんて。馬鹿な野郎だ。
予期せぬ大立ち回りになってしまったが、のんびりしている暇はない。
俺は引き裂かれたモグロのスーツからヤツのエア・カーのカードキーを探し当てる。
『YOG』の入手先を知るための手がかりが見つかるかも知れない。そう思った俺は、カードキーでヤツのエア・カーのロックを解除した。
ガタン、エア・カーのオートドアを開けた俺の目の前に転がっていたのは、
……なんてことだ。
車の後部座席に無残な姿をさらして横たわっていたのは、一人の、少女だった。
両手足にかけられているのは禍々しく銀色に輝いた手錠、足錠。口にかまされた猿轡。そして、いたましいことに、それ以外は、一糸も纏っていなかった。
ツインテールにゆわえられた艶やかな黒髪を乱して、白くか細い裸身を暗い車内に、ただ、横たえているのだ。
端正なその貌は、何かとても恐ろしいものを見てしまったかのように恐怖に引き攣っている。
「助けなければ!」
俺は咄嗟に少女に手を伸ばそうとする。
だが、残酷な現実をコンマ一秒で認識した俺の理性が、俺の本能に冷や水を浴びせた。
心肺機能は停止している。呼吸もなし、脈拍もヒアリングできない。
……手遅れだ。もう、死んでいるのだ。
「……野郎!!!!!」
俺はエア・カーに背を向けて床に転がるモグロを睨んだ。
ヤツがクズのバイニンなのは重々承知していたが、まさか殺人まで……それも、こんな子供を!
こいつを締め上げて、一刻も早く薬の販売経路と殺しの真相を探り出す必要がある!
だが、ヤツがこの状態では拷問も尋問も無理か。仕方ない、『情報』は奴の脳から直接収集するとしよう。
俺は液状金属装甲に覆われた右腕、『イマジノス・アーム』にむかって、走査者形態をイメージアウトした。
ぴつん。ぴつん。
俺の指先が、か細く軋んだ音を立てながら、ゆっくりと「解けて」いく。指先は銀色に輝く幾筋もの微細な糸に変わると、モグロの頭部に向かって、空中を泳いでいく。
『イマジノス・アーム』を金属繊維製の疑似神経組織『ブレイン・アクセサ』に変形させたのだ。こいつをヤツの側頭連合野に接続させれば、何か掴めるはずだ。
だが待て……様子がおかしい!
俺は『何か』を感じて、ブレイン・アクセサをイマジノス・アームの内部に引っ込めた。
俺は耳を澄ます。間違いない。このエンジン音、そしてドロイドどもの駆動音。
いつの間にか『パルテノン』の周囲をエアバイクを駆る何十体ものロボマッポどもが取り囲んでいる!
「如月せつな! 『炎浄院エナ』の略取、監禁容疑で貴様を逮捕する!」
フロアの向こうから聞き覚えのある、いまいましい声がこだました。
「なんてことだ!」
俺は頭を抱えた。ノイエタマ署の、嵐堂刑事だ。
馬鹿野郎は俺の方だったらしい……はめられたのだ!
「くくく……もう手遅れだ。『トワイライト・サイン』が始まった……」
俺の足元から苦しげなモグロの声。早くも意識を取り戻したらしい。
「てめえ! 一体何を企んで……!」
モグロに詰め寄ろうとした俺は、息を飲んだ。
ヤツの体がガクガクと痙攣し、口から漏れているは、とめどない血泡だ。
……毒を飲んだのか!? そうまでして、俺から隠さねばならない『秘密』とは……?
「何をしても無駄だ、探偵。太古の魔法帝国『イズモ』……。そう、『あの御方』が蘇るのだ……もう、誰にも……止められない!」
モグロが、そう捨て台詞を吐いて、事切れた。
ヤツの体がシュウシュウと白い煙を上げながら、溶けて、蒸発していく。証拠は残さないというわけか……。自分の死体まで!
「う……う~ん……」
突如、聞き覚えのない声を耳にして振り向いた俺は、愕然とした。
モグロがエア・カーの車内に放置していた一糸纏わぬ少女の死体が、苦悶の声を上げながら、今、起き上がろうとしているのだ!
「馬鹿な……生命活動は停止していた……まさかこいつ、『YOG』の献体!? ……うおお!!!」
いきなり、俺の左眼に激痛が走った。
信じられない……。俺は左眼をおさえて呻く。
この俺の『イーブル・アイボールセンサー』が、彼女の発する『パワー』に呼応している!
だがここでグズグズしている暇は無い。
おれはエア・カーから少女の身体を抱え上げると非常階段に向かって全力で走り出した。
「待てー!」
フロアの向こうから響く嵐堂刑事の怒声。
待てと言われて待つヤツがいるか!
バキュン! バキュン! 背後から銃声。
俺の頬をかすめていく弾丸。
嵐堂刑事だ。あの女! 本当に警察官か? 最初っから殺る気マンマンじゃねーか!
刑事の弾丸を必死で躱しながら、俺は非常階段に飛び出し、『パルテノン』の19Fでフロートしていた『スピナー』に飛び乗る。
「目標ヲ発見! 確保! 確保!」
建物の周囲で俺を待ち構えていたロボマッポどもが、発車したスピナーめがけて、一斉にエアバイクで飛びかかってくる。
「ニトロチャージ!」
俺は咄嗟にスピナーのコクピットの右端にある、ブーストポッドの作動レバーを引く。
びゅん!
次の瞬間、フロントガラス越しに見えるタマ市の夜景が、グニャリと歪んだ。
瞬時にしてマッハ0.5まで加速したスピナーの機体が、エアバイクを遙か後方に引き離して夜空に舞い上がる。
「どうにか捲けたか。それにしても……」
狭いコクピットで少女を肩に抱きながら、俺はスピナーのハンドルを切る。
「この事件……やはり何かある。『あいつ』に直接会って、『網』を広げるしかないか……!」
俺は七色のネオンにケバケバしく彩られたタマの町並みを後にしながら、一人呟く。『あいつ』に会うのは、十年ぶりだ。
行先は決まった。日本最後の魔境、クマガヤバルトだ。




