勘違い恋
甘々の中の甘々を目指してみました。
当社比で、甘々です。
鈍感、という訳ではない。
どちらかというと鋭い方だ。
ありえない。ただそう思っているだけだ。ありえないから、意識なんてこれっぽっちもしてない。
「アレン様」
穏やかな声が僕を呼ぶ。
瞳を開けると彼女の姿がある。
うちの屋敷の制服であるメイド服を着ている彼女は、いつも通り長くて綺麗なチョコレート色の髪をポニーテールとしていた。
「…ディゼア」
ディゼア・フェリス。
僕、アレン・ファラスの家でメイドとして働いてくれている少女だ。彼女の家は代々ファラス家で使用人をしてくれているところで、彼女もそのしきたりのようなものに従ってこの家で使用人として働いてくれている。
まだ小さかった頃は遊び相手となってくれて、いつも一緒だった。
「…ディゼア、今日も綺麗だね」
「そろそろお昼寝の終了の時間ですので、起こしにまいりました。眠気覚ましに紅茶でもいかがでしょうか?」
「うん、華麗なスルーお見事」
ニッコリとしたスマイルで紅茶を勧めてくる彼女に、僕は思わず半目になりながら起き上がる。
紅茶をお願いと頼むと、彼女はテキパキとした動作で紅茶をそそぎ、僕にカップを渡してくれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
…彼女のお茶は昔から美味しい。
飲むたびにその美味しさに頬がゆるむ。そしてその度に彼女以上に紅茶を美味しく淹れられる人はいないんじゃないかと思う。
事実、今までかなりの人の紅茶を飲んだけれど彼女よりも美味しい紅茶を淹れた人は知らない。
飲み終わったカップを彼女に渡し、立ち上がって伸びを一つ。
「あ、アレン様。寝癖がついておられます」
「え?どこ?」
キョトンとする僕に、彼女は失礼と一言。そして背伸びして寝癖を直してくれる。
…。
「はい、これで大丈夫ですよ。……アレン様?いかがなされましたか?ボーっとして…」
「いや…ただ…」
「ただ?」
「なんだかこれって夫婦のやり取りみたいだなあって」
「………子と親の間違いではありません?」
「そうかな?」
「そうです」
彼女は淡々とした物言いで答える。
…おかしいなあ。
普通の女の子なら今の夫婦みたい発言で少なからずドキッとするはずなんだけど…ディゼアはなんともなさそうだ。うん、やっぱり彼女は手ごわい。
…それにしても。
「ディゼア、なんか全体的に暗いけど、大丈夫?」
「え?」
僕の指摘に途端に目を丸くするディゼア。
「何かあったら言ってよ?君は僕の…大切な人なん」
「大丈夫です!ちょっと昨日夜遅くまで読書をしてて寝不足なだけなので!」
押し切るようにそう言ったディゼアに、僕は勢いに押されて思わず「そ、そう…」と頷いてしまう。
ディゼアはそれを見て露骨にホッとした顔をし、
「それでは、私は引き続き仕事がありますので、また」
「うん。お茶の時間になったら紅茶淹れに来てね。…その時は一緒におしゃべりしよう?」
彼女は穏やかに、どこかしょうがないなといった笑顔で返し部屋を出て行く。
彼女が部屋を出た途端、口からは溜め息が出てしまう。
「…意識されてないなー…」
最近…いや、幼い頃からの悩みだ。
再び溜め息を吐き出すと、コンコンとノックされる音が部屋に響く。…窓から。
「…開いてる」
窓から入って来る人物なんて一人しか思い付かない僕は、そちらの方を見もせずに返事する。
窓越しでも聞こえたらしく、ガラリという窓を開ける音ともに若い男のよっという声。そして着地音。
「よっ兄弟。またシケた顔してんなー?」
「シケた顔というのは余計だ。ブライ」
ブライ・シルバー。僕の家と親しい分類に入る家の次男で、一応親友のくくりに入る男だ。
貴族にしては珍しい、地位とか名誉とかに一切興味がない男で楽しく生きられらばそれでいいという考えの男だ。
「ブライ、いつも言ってるだろ。窓から入ってくるな。ここは二階だ。お前に怪我されたら困る」
「大丈夫大丈夫!俺、怪我慣れてるからさ。いつものこととして済ませられる」
「僕が!困るんだ!」
見た目は社交界の女性にとどまらず下町とかの女性たちにも黄色い悲鳴をあびるほどの美男子なのに、その変わり者として名高いため声をかける人は少ない。時々勇気があったり変わり者だと知らない女性が声をかけるが、彼は恋愛自体興味がないので、すぐに女性は別の男のところへ行ってしまう。
見た目は良いのに勿体ないとよく思う。
「そんなことよりアレン、お前の暗い顔の理由ってまたディゼア嬢が原因か?」
「…僕は時々お前の察しの良さが怖くなるよ」
「正解か。またアプローチをかけたんだけどまったくもって意識してくれないっていうパターンか?っていうか、そのパターンしかねえよな」
「…」
「っと!?おい無言で殴りかかってくるな!」
「すまない。手が勝手に動いた」
色恋の経験がまったくもってないはずなのに、どうしてこいつは僕の恋路になるとそんなに頭の回転が早くなるのか甚だ疑問だ。
僕の拳をヒラリと避けたブライは、少し離れた位置から僕を下から上へとじっくりと見つめる。
「…なんだ。ものすごく気持ち悪い気分なんだが」
「ひでえなお前。いや、ただあの社交界の貴公子と呼ばれるほどの美男子が屋敷のメイドの女の子に恋してるなんて言ったら、みんな大騒ぎだろうなって思ってよ」
「バラすなよ?っていうか、その社交界の貴公子ってなんだ貴公子って…」
人付き合いのために社交界にはそこそこの頻度で顔を出す方だ。
色々な人と会ってある程度親しくなった方が家のためにもなるので、嫌だが行っている。…時期当主っていうのも辛い。
「いやだってお前、その容姿で外面は紳士の中の紳士。優しすぎてそれでいて頭も良い時期当主っていったら、女性たちからの憧れの的となるのも当然だろ。んで、その女性たちがお前に変な二つ名をつけても、別におかしくはねえだろ?」
「たしかにそうだが…」
そう言われても納得できない。
というか、親しくもない人たちにそんな二つ名をつけられても全然嬉しくない。…もしディゼアにそうつけられたら、嬉しいだろうが。うん、我ながら分かり易い奴だ。
「で、話を戻すがディゼア嬢へのアプローチ失敗か。こりねえなお前も」
「うるさい。…元々ダメ元だったからな、別にいいさ」
投げやりに答えると、ブライは何かを考え込むように顎に手を当てた。
それから、迷ったような顔をしながら口を開く。…いつもハッキリしている彼にしては珍しい表情だ。
「…ディゼア嬢といえば、アレン」
「どうした?」
何かを決意しようとしながらどこか迷っている声に、思わず僕の声が怪訝なものへと変わる。
ブライは視線をしばらく右往左往させ、やがて覚悟を決めたような真剣な顔をして話す。
「実はな、今日ここに来たのは目的があったからなんだ」
「目的?」
「ああ。…実は、ちょっと小耳に挟んだんだが…」
一歩僕に近づき、内緒話するかのように声を落とす彼。
その真剣な雰囲気に、僕はただ黙って彼の言葉を待ち―――やがて、絶句した。
「な…!?」
「残念ながら、信憑性は高い。でもまあとりあえず落ちつ――アレン!?」
ブライの言葉を聞く前に僕は部屋を飛び出していた。
アレンの焦った声が聞こえたが、そんなことを気にしている暇はない。
その後の、部屋に残ったブライの独り言なんて、当然聞いていなかった。
「本当、ディゼア嬢が好きだなあいつ…。嘘でも、効果は絶大っぽいか?
ディゼア嬢がどこかの誰かと結婚するらしい
なんて」
だから、元気がなかったのだろうか。
彼女の姿を必死に探しながら、僕は頭の片隅でそう考えていた。
誰かと結婚する、というのはこの屋敷から出て行くということだ。よっぽどの物好きか貧乏人ではないかぎり、結婚してからも働くという人はいない。
彼女の家にはあと兄と弟もおり、どちらとも我が家で働いてもらっているので、別に彼女が一人辞めたとしても問題はまったくもってない。
というか、僕は彼女に会ってどうするんだ?
別に僕は彼女の婚約者でもなんでもない。ただの、幼馴染。ただの、主人と使用人。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。ただ僕が一方的に好意を寄せているだけ。
ただ、それだけだ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
広い屋敷を全力疾走すれば、息が途切れ途切れになるのも当然。
最後に僕が行き着いたのは、敷地内にある湖のほとりだった。
息が落ち着くのを待って、僕は彼女の姿を探す。…ここにもいない。
どこか買い物にでも行ってしまってるのだろうか。…そっちの方がよかったかもしれない。もし彼女に会っても、結婚のことなんて口に出せるわけがない。
もし、そこで彼女が結婚するなんて言ったら…言ってしまったら…。
「はは…何するか分からないや…」
嫉妬の嵐に襲われることはたしかだろう。だがそうなった後がどうなるかが分からない。表情に出さないのだろうか。それとも…。
「…はあ…」
草原に腰を下ろして、大きな溜め息を一つ。
彼女は使用人。僕は主人。うちの家族が自由恋愛主義で僕とディゼアの仲を祝福してくれたって、周りの貴族から何を言われるか。
貴族に色仕掛けした、財産が目当て…きっと、悪いことしか言われないだろう。とりあえず、祝福の言葉を心からかけてくれる人なんて片手で数えれるくらいだろう。
もしそうなったら、彼女はどうなるだろうか。ひどい言葉を聞いて、平気でいられるだろうか。もしそれが原因で彼女が病気になってしまったりしたら…。
そう考えると、彼女はどこかの誰かと結婚した方がいいのかもしれない。彼女のためにも。
きっとそうだ。そっちの方が彼女のためになる。
バカだな。僕。今更、この年になってから彼女にとってそれが一番の選択肢だって気づくなんて。
「本当…かっこ悪い…」
「どうしてですか?」
!!
驚いて振り向くと、ずっと探していた想い人がそこにいた。
目を丸くして彼女を見ていると、ふと彼女の手に箒が握られていることに気がつく。…もしかして、外を掃除していたのかな。
「アレン様、何がかっこ悪いんですか?」
「え?あー…いや、なんでもない。それよりもディゼア、…聞いたよ」
何が、とは言わなかった。きっと彼女はすぐに分かると思ったからだ。
案の定、彼女は目を丸くして箒を握る力をわずかに強めた。
「知って…しまったんです、か…」
「ああ。すまない。君は隠したかったのかもしれないのに…」
「い、いえ!別に問題はないのです!…問題は、ないのです…」
語尾は溶けるように小さい。
彼女の頬は鮮やかなピンク色に染まっており、どんなに甘い言葉をかけても赤面どころか眉一本動かさなかった彼女なのに。珍しい。そして、こんな反応するということは、アレンの話は本当なのか…。
「…おめでとう」
「……………………え?」
「君が幸せになってくれるなんて、嬉しいよ。ディゼアとは幼少の頃からの付き合いだからね」
「…………………んん?」
彼女がキョトンとした表情をする。
…もしかして、彼女は僕の好意に気づいたから祝福の言葉なんて僕の口から出ないと思ったんだろうか。
そっか、それなら僕に結婚のことを言わなかったのも頷ける。
っていうか、そうだよね。あんなにさり気にドキッとするようなことを何回も言われたら、そうなんじゃないかって思うよね。…ちょっと恥ずかしいな。うん。
「ま、まあ、とにかく、君が幸せになってくれて嬉しいよ。どこの誰が相手か知らないけど、お幸せに」
僕はなぜか固まっている彼女の横を通り屋敷に戻ろうとする。
が、通る瞬間服のそでを強い力で掴まれる。
「お待ちください!」
「!」
驚いて振り返ると、頬をわずかにピンク色にした彼女が僕を上目遣いで睨んでいた。
そんな彼女の様子に、僕はただ目をまるくして彼女を見ることしかできない。
「アレン様、何か誤解をしておりませんか!?」
「誤解…?」
「アレン様、お幸せにってなんですか!?何故私にお幸せになんて、結婚する女性に対する第三者の言葉をかけるのです!」
「え…?」
どういうことだろうか。
僕は戸惑いながら、ディゼアに確認の意をこめて問う。
「だって君…結婚するんだろう…?」
「結婚…!?」
今度は彼女が目を丸くする番だった。
「ど、どなたがそんなことを言ったのですか!?てっきり私勘違いしてしまったではありませんか!」
「勘違い?」
「ええ!私がアレン様が好きだということが人から聞いてバレてしまったのかと思ったんです!!」
「………え?」
一瞬、自分の耳を疑った。
それから、自分が今本当に起きているかどうかも疑った。
空耳じゃない?夢じゃない?
今、彼女は今…
僕のことが好きだと、言った?
「ディゼア…」
「あっ…!」
ディゼアがしまったという顔をする。ちょっと赤くなった頬が、再びさらに赤くなっていく。
それを本人も自覚しているのだろうか。慌てて僕の服から手を離し自分の顔を手で隠そうとする。
けれど、それは許させない。
「あっ…アレン様…!?」
「ねえディゼア、今の本当?」
僕はディゼアの両手を握って、自分の胸元へと引き寄せる。
自然と、ディゼアと僕の距離が一気に縮まる。
真っ赤になった顔でディゼアが戸惑った声を出すが、そんなことは気にせずに僕は彼女とできるかぎり目線が合うように少しかがむ。
「君は、今たしかに僕のことを好きだと言った?」
「~~~!」
これ以上赤くならないんじゃないかと思ったディゼアの顔が、更に赤くなっていく。
ああ――可愛い。
だけどデレデレした顔は締まりないので、あくまで涼し気な顔を保つようにする。
ディゼアは僕の視線から逃れるように、しばらく視線を右往左往させていたが、やがて諦めた顔をして僕を見つめ返してくれる。
「私は…アレン様、貴方様のことを慕っております」
途端に、うっとりするような甘美な想いが胸を満たす。
「私とアレン様じゃ身分も何もかも違いますが、それでも私は―――きゃ!?」
「ディゼア」
最後まで言わない内に、ディゼアを腕の中に閉じ込める。
そして、戸惑った様子の彼女の耳に、そっと口元を寄せる。
「好きだよ」
「っ!」
腕の中で彼女が息を飲んだ。
それを気にせず、僕は言葉を続ける。
「ずっと、小さい頃から好きだった。君だけがずっと…」
「アレン…様…」
「たしかに君と僕とじゃ身分が違う。けれどうちは自由恋愛主義だし父上も母親も君なら反対しないで受け入れると思う。けれど…」
僕はそこで一旦言葉を切り、腕の中に閉じ込めたまま少しだけ隙間をあけて彼女の顔が見えるようにする。
ディゼアは、僕の言おうとしていることが分かっているのか分かっていないのか、真っ直ぐ僕を見つめていた。
「君は、周りの女性たちから色々言われるかもしれない。君自身にまったく身に覚えのないこととか、君自身が傷つくようなことをたくさん。それでもいいなら…僕と…」
結婚、してくれませんか?
さすがに早急すぎたかな、と言ってすぐに思う。
彼女の幸せ幸せってさっき言ったのに、彼女が僕のことを慕ってくれると分かった途端言葉が止まらなかった。
「…!」
彼女は驚きの色で染めた瞳で僕を見上げる。
うん、そうだよね。急にこんなことを言われても困るだろうし…。
「…アレン様」
次に彼女が発したのは、イエスともノーでもなく、僕の名前。
ディゼアを見つめていると、彼女は穏やかで優しい笑みを浮かべながら僕を見つめていた。
「アレン様、私はどこかの貴族のご令嬢のように礼儀作法ができたりもしませんし、綺麗じゃありません」
「礼儀作法くらいこれから覚えればいいし、君はとても綺麗だ。少なくとも、僕は君より綺麗な人は見たことないな」
「それに私はきらびやかなドレスも、おしゃれな女の子の道具だって持っておりませんしお化粧だって上手くできません」
「これから買えばいい。これから練習すればいい」
「それに、私は使用人です。そうしましたらアレン様は庶民の女にたぶらかされた男と呼ばれてしまうかもしれません」
「それでもいい。というか、君にたぶらかされるんだったら別にかまわないな」
ジワリと、彼女の瞳に涙がたまりやがて零れ落ちる。
思わずぎょっとしてしまう。
「え?ディゼア?どうしたの?もしかして僕との結婚ってそんなに嫌だった?」
「違います!違うんです…!これは、ただの嬉し泣きです!」
力いっぱいに否定した彼女の声は涙ぐんでいる。
そして、僕がハンカチを渡す時間もなく彼女は大声で言った。
「私を貴方の花嫁にしてください!貴方につりあうような綺麗で頭の良い女性に、貴方を支えれるような妻にさせてください!大好きな貴方様の傍にいることを許してください―――っ!」
言い終わるのと同時に、なんだか恥ずかしくなって彼女の唇を自分のそれで塞ぐ。
温かくって、もっとずっとこうしていたくなるような感触。
角度を変えてなんども味わって、名残おしい気持ちになりながら離して耳元で囁く。
「あんまり可愛いこと言わないで。我慢、できなくなる…」
「~~~!!」
真っ赤になりながら僕を見る彼女に、僕はもう一度口付けを送る。
今度は短めに。
「…ディゼア、僕と結婚してください」
「……はい!」
彼女は今までで見たこともないような幸せな笑みを浮かべる。
それがあんまりにも可愛いので、僕はもう一度キスを送った。
ああ、幸せだなぁ…。
後日
「ブライ、君は僕に嘘を教えたよね?」
「え、ああ。だってお前らいつまで経ってもお互いの気持ちに気づかないからさあ。アレンは普通に鈍感だし、ディゼア嬢は意識しながらからかってるだけだって思ってるだけっていうのでさ。まあおかげでくっついたんだから、結果オーライってことで!」
「…そうだな。君のおかげで僕は君より先に脱独り身をできたんだからな」
「…なんか、思いっきりバカにされてる気がするわ」
「というか、してますね。思いっきり」