第二章
やはり一応響は守護霊としての力はあるらしい、とカリルは海上を漂流しながら思った。
今いるのは海のど真ん中だ。村から使えそうな小さな舟を持ってきて使っている。古びた木の匂いの中、カリルは寝転がっていた。
何しろ自分は地理に疎い。島から一歩も出たことがないのだから当然だが、正直響がいなければ海上で遭難していただろう。
響はというと、カリルの枕元にちょこんと正座をしていた。彼の本体である石版は布袋に入れて、カリルの首から下げてある。
「あ?なんだって?」
『ですから、ぼくたち守護霊は単体では存在できないんですよ。主という宿代がいないと、消えてしまうんです』
「おまえは?消えてないじゃん」
『ぼくは今、カリルさんが仮主なんですよ』
カリルは眉をしかめた。
「王族しか主にできないんじゃなかったか?」
『はい。でも守護の島はどこの国にも属していない中立地帯ですから、そこの生まれのカリルさんなら仮主にできるんですよ。もちろん正当な主でなければ封印は解けないし、守護と言っても些細なことしかできないんですけど』
「ふーん」
カリルは身体を起こして外を見た。舟は順調に流されている。響の力で潮を操っているらしいが、これが些細なことなのだろうか。人間の感覚ではよく分からない。
カリルは横に置いておいた櫂を手に取った。
「響、交代」
『え?まだ交代の時間じゃないですよ?』
「寝てるだけって飽きんだよ。いいから代われ。どっちに向かえばいいんだ?」
『こっちですけど・・・』
と響は太陽と反対方向を指さし、それからくすぐったそうに、ふふっと笑った。
『カリルさんって実は優しいですよね!』
「魚って石の破片とか食うのかな。まずそうだけど。試してみるか?」
『わぁー!すいませんごめんなさい!お願いですから割らないでくださいぃ!!』
泣きついてくる響を無視して、カリルは舟を漕ぎはじめた。船体が、先ほどとは違って一定のリズムで進みはじめる。
『カリルさん漕ぐの上手いですよね。このペースならあと二日でつきますよ!』
「はぁ!?二日!?」
『何言ってるんですか。トランドなら一週間はかかりますからね!』
「どれだけ遠いんだよ・・・」
カリルは思わず息をついて空を仰いだ。憎らしいほど青すぎる空。鳥が海に影を落としていく。
筋雲が流れていって・・・。
カリルは固まった。
――――――また視界に変なものがいる。
鳥と一緒に空を飛んでいた<それ>は、こちらに気づいて空中で停止した。
「! 響?もしかして、そこにいるの響かい?」
降ってきた声に響は顔を上げ、あっと声を張り上げた。
『汐さん?汐さんじゃないですか!!』
「やっぱり響だ」
驚いたようにつぶやいた人物は、急降下して舟の縁に降り立った。
響や刃と同じように長い耳に、おかしな格好。しかし女らしく、長い髪を綺麗に結い上げいた。
これは、あれか。響のお仲間という奴か。
カリルは隣の響に尋ねた。
「知り合いか?」
『はい!守護霊仲間の汐さんです!とぉっても美人さんなんですよ!』
いや、そんなこと聞いてねぇ。つっこもうとしたカリルだったが、不意に汐が動いた。手を伸ばして響をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
やはり霊体同士だと触れるらしく、響は苦しそうにしていた。
『あの、汐さん?苦しいです。窒息します』
「ばか。あたしたちがそんなんで死ぬもんか」
『それはそうですけど。あの、どうかしたんですか?』
「どうかしたもなにも。あんた、無事だったんだね。守護の島が壊滅したって聞いてたから、てっきりもう・・・」
さらに腕がしまったのか、響はぐぇっ、と変な声を出した。
『汐さん、ギブです!ギーブー!!!』
「なんだいこれくらいで。人がせっかく心配してやってるのに!」
最後に背中を思い切り叩くと、汐は響を解放した。せき込む響をよそに、カリルの方を向く。
「ごめんよ、変なところ見せて。響、こっちのお嬢ちゃんは?」
『カ、カリルさんです・・・。ぼくの今の仮主をしてくださってます』
「仮主?」
汐は驚いたように目を丸くすると、じっとカリルを見つめた。あまりじろじろ見られるのは気持ちのいいものじゃない。
思わず渋面したカリルにふっと笑みをこぼすと、汐は舟の縁に腰を下ろした。
「何があったか説明してくれるよね?」
ひととおり説明を聞き終えた汐は、何かを考え込むように黙っていた。
『あの、汐さん?』
「・・・うん、こうしちゃいられないね。すぐに報告しておかないと」
独り言をつぶやいたかと思うと、急に立ち上がる。
「悪かったね、響。時間とらせて。あたしは急用ができたから行くよ。気をつけてティティンまでおいで」
『あっ、はい!汐さんもお気をつけて!』
汐はカリルに視線を向け、微笑みかける。
「じゃお嬢ちゃん、こいつのことよろしくね。バカだから苦労すると思うけど、見捨てないでやってよ」
守護霊とは思えないまともな発言に、思わず感心したカリルを前に、汐はふわりと浮かび上がった。軽く手を振ると、鳥のように飛んでいってしまう。
それを見送ってから、カリルはとてつもなく重大なことに気がついた。
「ちょっ、待て!こいつと代われッ!アンタのほうがまともだ!」
けれど汐はすでに飛んでいってしまった後だった。もう姿が見えない。
「くそっ、チャンスだったのに・・・!」
『汐さんお久しぶりにお会いしました!嬉しいなぁ』
「おい」
『はい?』
「今のどこの奴だ?」
『汐さんの守護国ですか。あのですねえー』
にこにこ笑っていた響だったが、次第に不思議そうに頭をひねりだした。
『・・・えーと、どこでしたっけ?』
「やっぱ馬鹿だ。てめえ」
これで本当に大丈夫なのだろうか。今更ながらカリルはそんなことを思った。
城は、戦場から勝利と共に帰還した軍隊で溢れかえっていた。
独特の血臭が蔓延していたが、勝ち戦だったせいか雰囲気は明るかった。興奮状態が続いているといってもいい。
シルバは人混みの間を縫って、主君の側へ向かった。フォリオは壁際で壮年の将軍と話をおえたところだった。
「フォリオさま」
「ああ、シルバ」
振り返ったフォリオの表情に、ほかの兵士のような歓喜はない。むしろどちらかというと・・・。
「ただいま、シルバ」
「・・・おかえりなさいませ、フォリオさま。ご無事でなによりです」
「おれがついてるんだ、怪我なんかさせるかよ」
刃が横から顔を出して笑った。シルバは呆れたように言う。
「それがあなたの仕事なんですから、当然でしょう」
「労いの言葉ぐらいくれてもいいだろ?」
「お疲れさまでした、刃。これからも気を抜かないよう、日々精進してください」
刃は「うわ、可愛くないなー」と肩をすくめている。シルバは無視をして、フォリオに話しかけた。
「ところでフォリオさま、王がお呼びなのですが・・・」
「父上が?分かった。報告もあるし、すぐに着替えて行くよ。そう伝えてくれ」
「かしこまりました」
フォリオはうなずくと、きびすを返して歩きだした。
主君の背中を姿勢を正したまま見守っていたシルバは、ふと目を横に向けた。刃が珍しく神妙な顔つきでフォリオを見ている。もどかしさが滲んだような表情。
シルバは大きくため息をついた。
「・・・守護霊というのも大したものではないんですね」
「なんだよ、いきなり」
「なんだよ、じゃありません」
シルバは刃をにらみつけた。
「守護霊というのは身体だけでなく、精神は守れないのですか?」
「・・・無茶言うなよ」
刃は苦笑しようとして失敗した。舌打ちする。
「おれたちができるのは物理的なものからの守護だけだ。人の内面にまで干渉はできねーよ」
「役立たずですね」
「自分ができないことを、人のせいにして押しつけるのはどうかと思うけど?」
「・・・」
反論しようとして、口を閉ざした。今の状況をもどかしく思っているのは、互いに同じなのだ。きっと。
シルバは話を変えた。
「・・・遠征はどうでしたか」
「どうもこうも。この国はいつの間にこんなに物騒になったんだか。まぁ、おかげで戦闘は長引かないんだけどさ」
「無事に傘下に組み込めたそうですね。あちらの王は納得したのですか」
「納得もなにも死んじまったからなぁ」
あっけらかんとした言葉に、シルバは無表情のまま、目を伏せた。
「・・・そうですか」
やってらんねーよな、と刃は小さくつぶやくと、片手をあげて言った。
「ま、詳しいことが知りたかったらフォリオに聞いてくれ。んじゃ俺行くから」
「・・・ええ」
ひらひらと手を振ると、刃は壁を通り抜けていった。シルバはその壁にもたれかかり、集まった兵たちをながめた。
勝利した喜び。無事に帰れた喜び。大切な人とまた会える喜び。自分が生きているという喜び。
そういったものが溢れかえっているのに、他人事のように感じるのはどうしてなのか。
自室に戻ったフォリオは父王のもとへ赴く為、汚れた軍服を着替えた。そういえば顔や手も汚れていると思い当たり、汲み置きされている水と器で洗う。小さな水音が室内に響く。
顔の汚れを取り、フォリオは水に手を入れたままぼんやりと揺れる水面を見ていた。ゆらゆらと自分の顔が映っている。
不意に、水の色が赤く染まった。
「・・・!」
目を見開いて、凝視する。
器の水は、透明なままだ。
フォリオは顔をゆがめた。音を立てて手を執拗に洗う。気持ちが悪い。まだ血が。
ついているような気がして。
「・・・・・・」
フォリオは握りしめた拳を、瞼に押しつけた。
もちろん気のせいだと分かってはいるのだけど。




