第一章
すべての遺体を埋葬し終えるには、何回もの夜を過ごさなければならなかった。それは気の遠くなるような作業だったが、カリルは淡々とこなした。
浜辺に落ちていた、握り拳ほどの大きさの石を拾い、ふたつ並んだ墓に供える。ひとつは祖父のもの、もうひとつはシロのものだった。
手を合わせて目を閉じる。
長い間そうしていた後、カリルはようやく目を開けた。
カリルは砂浜の上で、仰向けに寝転がっていた。見上げる空は、目に痛いほど青く澄んでいる。
生き残っている村人がいないか、何日も探したが一人も見つからなかった。薄々感づいてはいたが、残ったのは自分一人らしい。おじじも、シロもいない。
「・・・あーもーくそったれ」
毒づいてみても返事はなかった。静かだ。波の音さえささやかだった。
カリルはゆっくりと視線を動かして、横に置いていた石版を見つめた。手を伸ばして取ってみる。
おじじが守るように抱えていた物。。これはいったい何なんだろうか。
「どう見てもただの石の板だよなー?」
石版を掲げると、首をひねりながら表面をなでた。裏返してみて、初めてそこに文字があることに気づく。
「なんだこれ」
身体を起こして、文字を太陽の光に当てる。古い形の文字だが、読めないことはない。
「あ?ティーテン?違うか。ティティン、でいいのか?」
指でなぞりながらつぶやいて、どこかで聞き覚えのある単語だなと思った。どこだったか。まだ最近聞いたばかりのような。
「・・・あ!?」
唐突に思い出した。確かリオの国と戦争している国が、そんなような名前だった気がする。
カリルは石版を凝視した。そうしているうちに、下の方にも文字が彫ってあることに気づく。
「えーっと?読みづれーな。ひ・・・び、き?」
所々欠けた文字を指でなぞりながら、カリルはつぶやいた。そこにはヒビキと彫ってある。いったいどういう意味があるのだろうか。
「全っ然わかんねー・・・」
『あの、何がですか?』
「何がって、この石版のことに決まって・・・は?」
突如聞こえた中性的な声に、びっくりして顔を勢いよくあげる。何だ、今のは。周りを見るが、誰もいない。
「・・・気のせいか?」
『あのー気のせいじゃありませんよー』
やっぱり声がした。誰か生きてる奴が他にいるのか?カリルは石版を横に置き、慌てて立ち上がった。
「おまえ、無事なのか? どこにいるんだよ?」
『ここですよ、ここー』
「だからどこだよ」
どれだけ目を凝らしても、視界の中に動くものはない。だんだん苛々してきた。
「目印とかねぇのか!」
『うー、目印とか言われてもー。あっ何か動いた。何だろう、人間さん?』
「人間・・・?まだ他に誰かいんのか?」
『今きょろきょろって・・・』
「・・・」
『あっ止まった』
「・・・それってカッコイイ?」
『はい。カッコイイ人間さんです』
「おれだろーが!それ!!」
ええっと声は大げさに驚いた。
『あっ本当だ。声と口の動きがあっています。びっくりです!』
「うっぜぇ」
『ひ・・・ひどいっ・・・』
「で、結局のところお前どこにいんだよ?」
『え、えーと』
口を濁し、声は言った。
『あなたの足元です』
「・・・」
カリルは足元を凝視した。しかし見えないものは見えない。
「・・・もしかして透明人間か何か?」
『わぁー無視しないでください!今ばっちり目ぇ合ってますっ!!』
「・・・」
カリルは眉をひそめた。目があってるとか言われても、足元には砂と祖父の抱えていた石版しかない。
まさか。
『そう!それですっ!』
「・・・砂か?」
『そっちじゃないです!』
「だよな。じゃ、まさかこれか・・・?」
しゃがみこんで、石版をつついてみる。うひゃひゃっ、と変な笑い声が聞こえた。
『くすぐったいですー!!』
「うるせぇ。おまえ・・・まさか守護霊か?」
守護霊が眠る霊殿に、おじじが守った石版。その上、明らかな人外生物とくれば、可能性はひとつしかない。
胡散臭げに尋ねると、自信満々な返事があった。
『そうですよ。ぼくは響って言います。よろしくお願いします!』
どうやら響というのはこの守護霊の名前らしい。
「刃と全然違う・・・」
『はい?何ですか悪口ですか?』
「悪口に決まってんだろ。つかおまえ、人みたいな姿になれねーのかよ?」
『なれますよもちろん。封印を解いてくだされば』
「封印?どうやって」
『ズバリ血です』
はぁ?とカリルは顔をしかめた。
『そんな嫌そーな顔しないでくださいよ。傷つくなぁ。あなたの血を石版に落としてくれればいいんです』
「なんでおまえのために怪我しなきゃいけないんだよ?」
『・・・・・・・・・・そんなこと言われたの、生まれて初めてです』
「良かったな」
『傷つきます、っていうかさっきから傷つきまくりです!ひどいです鬼畜です!いいじゃないですか、血の一滴くらい!』
「あーわかった。分かったから大声出すな。鼓膜が破れるっつの」
カリルはため息をつくと、腰に差していたナイフを抜き取った。指先を浅く切ると、滲んできた血を石版にこすりつけた。
その瞬間、石版から光が走る。
目を焼くような白い光に、カリルは思わす目を閉じた。
しばらくしてそっとまぶたを開けると、ひとりの青年が石版の上に正座をしていた。正座というか、正確には拳ひとつ分ほど浮いていたのだが。
「・・・」
カリルは半目になってそいつを見た。似たようなものなら前に見たことがある。
お人好しそうな双眸。長く尖った耳に、おかしな格好。
しかし刃とは違って体は半分透けている。
「・・・お前その体」
『改めまして初めまして。ティティンの守護霊、響です。よろしくお願いしますね、ご主人様!』
なにも考えずにカリルは拳を突き出していた。しかし刃と同様、触れることはできない。
『な、な、いきなり何するんですかぁっ!』
「うるせぇ。次ご主人様とか言ったらまじで埋めるからな!」
『ご主人様をご主人様と呼んで何がいけないんですか!?』
「誰がご主人様だ!」
『あなたです。違うんですか?』
「んなわけねーだろ!」
『えっ・・・ティティンの王族の方じゃないんですか!?』
「だから、さっきからそう言ってんだろーが!」
『じゃあ何で封印が解けて・・・』
「・・・」
カリルは響の足元の石板に目をやり、指差した。
「石版、残ってっぞ」
『えっ!!』
「しかもなんか体が透けてるし。刃は透けてなかった」
『ええっ、あっ本当だ』
自分の両手を見て驚く響。最初に気付けよとカリルは舌打ちをした。
『じゃあ、これはただの精神体ですね』
「精神体?」
『はい。あなたは守護の島の方でしょう?ここは中立地帯ですから、その血だと中途半端に封印が解けるというか』
「はぁ?守護霊の精神体って、ややっこしい・・・」
苦々しくごちると、あれ?と響が首を傾げた。
『そういえばさっき刃って言いませんでしたか?』
「・・・ああ」
思い出しても腹が立つ。くそ。
『もしかしてトランドの刃さんですかっ?お知り合いなんですか!?うわーうわーぼくファンなんですよ、あの人の!!』
「・・・お前殴りてえ、マジ殴りてえ。つーかいなくなれ。お前」
殺気だった目でにらみつけるが、あいにく相手は聞いていない。
『ぼくもお話してみたいですー』などとふざけたことを言っているが、そもそもこいつは自分の立場を分かっているのだろうか。
ひとりはしゃぐ姿を見ていると、絶対分かっていないような気がしてきた。
「・・・なぁ」
『はい?』
「お前の国と刃の国、今戦争してるらしいぞ」
歯に衣きせず率直に言うと、響が目に見えて固まった。
『・・・・・・はいっ?』
「だーかーらー戦争だって。殺し合いしてんだよ」
ぱちぱちと大きな目をまばたきさせた後、響は『ええええええええええーーーっっ!!?』と絶叫した。
「うわ。今きーんってきた」
耳の穴に指を突っ込んだカリルに、響が詰め寄る。
『じょ、じょ、冗談ですよね?』
「本人が言ってたんだから本当だろ。つか離れろ近い」
『だって戦争してるなら、すぐにでもぼくを迎えにくるはずじゃないですか!』
「おまえのとこの事情なんて知るかよ」
『・・・』
ばっさり切り捨てると、響はくちびるを引き結んでうつむいた。急に静かになる。静かになったらなったで、なんだか居心地が悪い。いったいなんなんだ。
「おい・・・」
『・・・それって』
「あ?」
『それって刃さんと会えるチャンス大ってことですよねっっ』
いきなり顔をあげて響がうれしそうに叫んだ。その目はきらきらと輝いている。
『しかもライバルって事ですよねっ。刃さんとライバル?刃さんのライバル?こ、光栄だけど怖いです・・・』
「・・・おまえ、やっぱ頭おかしいだろ」
『失礼な。ぼくはいつもこうなんです!』
「うわ最悪」
カリルは顔をしかめてうなった。刃は刃でうっとうしかったが、こいつは更に面倒くさそうだ。誰か連れていってくれないだろうか。
うなるカリルをよそに、響はきょろきょろと周りを見渡している。
『あのう、ところで聞いていいですか?』
「ああ?」
『ここ霊殿ですよね?何でこんなに見晴らしよくなってるんですか?眠ってる他の仲間は?』
「・・・」
響は心底不思議そうに首を傾げている。それもそうか、いきなり起こされたのだ。
何も知るはずがない。
カリルは目前の守護霊を見つめた。彼はきょとんと子供のような顔でこちらを見ている。
どう、説明すればいいのか。
「・・・あのな」
カリルはぽつりぽつりと話し始めた。
もしかしたら、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
そのとき、初めてそう思った。
説明を大体終えたときの響の反応を見て、カリルはぎょっとした。
響の大きな目から、大きな涙がほろほろと落ちている。
「な、何泣いてんだよっ!!??」
『・・・』
「黙って泣くなっ!うわ誰か何とかしろ、この馬鹿」
涙を両袖で拭って、充血した目で響はぽつんと小さくつぶやいた。
『・・・悲しいです』
「・・・・・・なんで、お前が」
『悲しいです。皆きっと悲しいです。フォリオさんも刃さんも。・・・あなたも』
「ちょっとおい、誰かコイツ何とかしろよっ。誰だよ、こいつ育てたの!むちゃくちゃ性格悪いぞっ!!」
『そこで強がるあなたが・・・・』
「うわっ!ぜってー喧嘩売ってやがる、コイツ。殴りてえっ!」
『どうぞ、殴ってください。それで気が晴れるのならば、いくらでも。殴れるのならですけど』
「・・・何が悲しくてこいつと二人きりなんだ、おれ」
カリルは肩を落としてぼやいた。正直、殴りたくても殴れないのがこれほど辛いとは思わなかった。
守護霊というものは皆こうも面倒くさい性格をしているのだろうかうっとうしい、などと考えていると、響が声をかけてきた。
『あの・・・』
「なんだよ」
『これから、どうされるつもりなんですか?』
「・・・」
カリルは横目で相手を一瞥すると、視線を逸らした。
「おまえに関係ねーだろ」
『では、会いにいきませんか?フォリオさんに』
あまりに突飛な提案に、カリルは耳を疑った。
「・・・なんでそうなるんだよ」
『会いたくないんですか?』
「だからなんでそうなる」
にらみつけると、響は咳払いをした。
『では言い方をかえます。・・・殴りたくはありませんか?』
「殴りてーに決まってんだろ!」
思わず怒鳴り返していた。
『どうしてですか?フォリオさんにも理由があったとは思いませんか?』
「理由?」
カリルは低く笑った。
リオに何があったかなんて知らない。ただ自分の知っている友人は、決して殺戮を好むような人間ではなかった。
あの日、あの夜、リオが語ってくれた言葉が彼の本心だと、そんなことは分かっている。
分かっているけれど。
「あいつの事情なんて知らねぇ。知ってても関係ない。一発殴ってやらねーと気がすまねぇ!」
にこっと響が笑った。
『じゃ、やっぱり会いに行きましょう?』
「・・・おまえ」
『はい?』
「相当うざい」
『うっ、なんでそうストレートなんですか・・・傷つきます』
カリルは舌打ちした。
なんだか上手く乗せられた気もしたが・・・まぁいい。あのバカを一発殴ってやらないと気が済まないことも確かだ。このままでは前に進めない。
「で、どうやって会えってんだよ?」
『そうですねぇ、とりあえずティティンに行きませんか?』
はぁ?とカリルは聞き返した。
「リオがいるのはトランドだぞ?」
『だってフォリオさんは皇子さまでしょう?トランドに行っても簡単に会えませんよ。ティティンの王族なら、ぼく面識ありますし、戦争してるのなら会うチャンスもあるかもしれません』
「どこでだよ」
『その場合はたぶん戦場で』
「おい」
『いいじゃないですか、この際どこでも!!』
「いや別に。おれも殴れるんならどこでもいいけどさ」
じゃ決定ですね、と響が微笑んだ。
『ぼくがティティンの王様に頼んでみます。それなりの地位につけるように』
「地位?会うだけなのにそんなの関係あるのか?」
短い沈黙を作って、響は頷いた。
『残酷だけど大いに関係します。お二人が最初にご友人になられたのだって、かーなり奇跡に近いと思いますよ?』
「どうにかしておまえ殴れる方法ねーかな」
『それは諦めてくださいね』
笑顔のまま、響は首を傾げた。その仕草がまた頭にくる。
『ところでですね。今更なんですけど、あなたのお名前は?』
「カリル」
『カリル様、頑張りましょう!!』
「様付けすんなっ!!口きかねえぞ!!」
カリルがそう言うと、響はさあっと青くなった。
『無視ですか。シカトですか。それはいけません。分かりました、カリルさん』
「さん付けもやめろ」
『では、カリル殿?カリル君?でも女性ですもんね・・・。じゃあカリルちゃん?』
「・・・」
『ちなみに呼び捨てはできない性分ですから』
「・・・カリルさんで手を打とう」
渋々譲歩すると、響は満面の笑顔になった。
『はい、カリルさん!!あ、それから石板はカリルさんが持って運んでくださいね』
「はぁ?置いてけばいいだろ」
『だめですよ。封印が解けていない以上、ぼくの本体はまだこちらなんですから。大っ事にしてくださいね!』
「へーえ?」
石版を拾い上げ、カリルはにやりと意地悪な笑みを浮かべた。
割ろうとすると、その度響の表情が百面相の如く変化して、カリルは久しぶりに腹を抱えて笑った。




