第六章
目を開けたとき、真っ先に映ったのは青い空だった。それがいつもどおりすぎて、カリルは一瞬混乱した。
「・・・っ」
我に返って飛び起きる。みぞおちに鈍い痛みが走り、思わず呻く。どうやら気を失っていたらしい。
「くそったれ・・・」
周りを見渡しても、フォリオと刃はいなかった。
「っ、シロ」
木陰に横たえたシロに向かって、這いつくばって進み、おそるおそる手を伸ばす。
冷たい。
くちびるをかんだ。痛みと共に血の味がした。
なんで。
「そうだ、村・・・!!」
無事なのだろうか。みんなは。
カリルは上着を脱いでシロの身体にかけると、おぼつかない足取りで村に向かった。
近づくにつれ、煤けた強烈な臭いが鼻につく。
そこには何もなかった。
建物はすべて燃やされ、残り火が燻っている。炭化した家、人。切り殺されて倒れている村人。動いているものといえば、ゆらゆらとあがっていく煙くらいだった。
「・・・」
カリルは呆然とそれを眺めた。足が動かない。
嘘だろ、という声が、音にならずに喉に溶けていく。のみこんで、喉が上下した。
まばたきをして、ゆっくりと視線を動かす。右から左。
のろのろと足を踏み出した。村の中はどこも同じような状態だった。つい昨日まで、笑って会話していた仲間たちが、今はただの骸になっている。
「・・・」
カリルはふと足を止めた。目の前には自分の家だった物がある。もちろん、今は跡形もないけれど。
この家でフォリオと一緒にいたときが嘘のようだった。そんなに前ではなかったはずなのに、すごく昔に感じる。
「・・・くそっ」
言葉がこぼれた。自分の声が震えているに気づき、びっくりして息をのみこむ。なんとか押さえようとしたけど、できなかった。
感情のまま、力任せに地面を蹴り飛ばす。
「くそったれ!何でだよ!? なんで・・・」
唇を強くかみしめ、カリルは顔をあげた。
周りを見渡す。
何もない。
誰もいない。
村も。
おじじも。シロも。
何も。
「ふざけんなっ・・・何で、こんな・・・!!なんでだよ、リオ!!」
怒号のような、悲鳴のような叫び声が喉から飛び出した。
頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられなかった。
ただ、おじじとか、村の奴らとか、シロの顔が脳裏に浮かんでは消える。親しくしていた奴らはもちろん、どうしてか嫌いだったはずの村人の顔まで出てきた。
最後に浮かんだのは、新しくできたばかりの友人の顔だったけど。
「・・・」
つい今し方向かい合っていたはずの、友人の顔を思い出す。思い出して、自嘲してしまった。あれは『友人』ではなかった。『友人』として知っていたフォリオの顔ではなかった。
あれが、トランドの『皇子』の顔か。
なんてことのない顔をして、何もかもを奪っていった。
あれが。
「リオ、おまえ・・・」
カリルは消えそうな声でつぶやいた。
手の払ったときの感触と、フォリオの表情が焼きついて離れない。あの瞬間だけは、自分の知っている『リオ』の顔だった。
「なんであんな、顔すんだよ。卑怯だろ」乾いた笑いがこぼれた。
「泣きたいのはこっちだっつの・・・卑怯だ。おまえ」
震える息をゆっくりとのみこむ。激情とともに。
「卑怯だ」
冷たくなった遺体をひとつひとつ確認する。うつ伏せになっている身体を起こし、てのひらを胸の前で組ませ、目を閉じさせる。延々とそれの繰り返し。
日が落ちる頃、カリルは最後の子供の亡骸に手を合わせ、目を閉じた。
ゆっくりと目を開けて立ち上がると、周りを見渡した。無残な村の残骸。その中に、カリルの祖父の姿はなかった。
「おじじ、どこ行ったんだよ」
もしかしたらどこかに隠れているのだろうか、という期待はなぜか生まれなかった。なんとなく、祖父もすでにいないような気がしてならない。
村の中はすべて探した。残るは森か、それか・・・。
「あそこか」
カリルは顔をあげて、遠くに見える霊殿に視線を向けた。
生まれて初めて足を踏み入れる霊殿だが、やはり中は悲惨なものだった。
元は立派だったであろう柱は切り崩され、壁もところどころ大きく割れている。中には何人も村人が死んでいた。 逃げてきたのか、あるいは霊殿を守ろうとしたのか・・・彼らがどうしてここに来たのかは分からないけど。
「あとでちゃんと家族のところ連れてってやるからな」とつぶやいて、奥に進む。
やがてカリルは視界の開けた場所に出た。ぎくりとして足が止まる。
充満した血の臭い。
折り重なって人が死んでいる。おそるおそる近づいて、思わず顔をゆがめた。やはり村人たちだった。
吐き気がして、手の甲で口を強く押さえた。
「ひでぇ・・・」
気力を奮い立たせて、周りを見渡した。円状になった壁は、執拗に穴が開けられ、割れた石の破片のような物が床に散らばっている。
ゆっくりと目を動かしたカリルは、ある一転で動きを止めた。目を見開く。
「おじじ!」
壁の端っこで、うずくまった体勢で倒れている祖父がいた。慌てて駆け寄って抱き起こすが、反応はない。身体ももう冷たかった。
「おじじ・・・」
カリルは祖父が何かを大切に抱えているのに気づいた。
固まってしまった腕をそっとほどいていくと、それは一枚の石版だった。どこも欠けていない。
祖父が、守ったのだろうか?
「・・バッカじゃねぇの。こんなん守ったって、自分が死んでんじゃ意味ないだろうが・・・!」
なんで。
くちびるを強くかむ。
祖父の身体を抱きしめて、カリルはその場にうずくまった。
シルバと刃を従え、月二回行われるトランド大会議にフォリオは出席した。
クライスをはじめ、宰相、大臣らも出席する大規模なもので、ここで軍や政府の方針が決められる。
「わが息子フォリオが刃を連れて帰ることにより、トランドは守護を得た」
フォリオは目を閉じて父の声を聞いていた。隣にいる刃は腕を組み、目を細めてクライスを見ている。
「機は熟したと?」
「今が勢力を延ばす時と仰られるか」
クライスはうっすら笑んだ。
「世界には守護を得ぬままの国が多数ある。まずそこに圧力をかける」
「しかし、ティティンが黙っているかどうか・・・」
「そうです。他を攻めている間にティティンに攻められたらどうなさるのです」
「なんのために同盟国があると思う。奴らに任せるさ。・・・フォリオ」
クライスに呼ばれ、フォリオは目を開けた。まっすぐ父に向ける。
「はい、父上」
「この策の全ての指揮、お前がやってみる気はないか?良い勉強となろう」
「・・・」
刃は複雑そうに、シルバは相変わらず無表情にフォリオを注視した。フォリオは感情を表に出さないまま、目を伏せた。
「分かりました。お任せください」




