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プロスト  作者: ガル
第八部
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第三章




 誰かに名前を繰り返し呼ばれ、フォリオは目を覚ました。まだ夜明け前らしく、明かり取りの格子窓からは白み始めた空がのぞいている。

「フォリオさん、起きましたか?」

 そう言って格子ごしに声をかけてきたのは、時折牢内を見回っている看守の男だ。

 フォリオは当惑した。何度か見かけたことはあるが、こんな風に親しげに話しかけられたのは初めてだ。しかも時間が時間である。

 そんなフォリオの様子に気づいたのか、ああ、と男が笑った。

「フォリオさん、ぼくですよ。響です」

「響?」

 言われてみれば彼の口調だ。すぐに納得したが、それでも疑問は浮かんでくる。

「どうしてここに?」

「フォリオさん、ここから今すぐ逃げてください。鍵ならほら、ここにありますから」

 と、看守の身体に入った響は、懐から鍵束を取り出した。フォリオは息をのみこむと、その鍵束をまじまじと見つめた。

「・・・なぜ」

「なぜって・・・このままここにいたら、フォリオさんは処刑されちゃうんですよ?」

「それは、知ってる」

「だからその前に逃げてください」

 フォリオは視線を鍵束から響に移した。響は真摯な目をしていた。慎重に言葉を選ぶ。

「それは、きみ個人の意志なのか?」

「・・・サガさんやウィリアムさんが賛同してくださるなら、そもそもこんな真似はしません」

 拗ねたように響は口を尖らせている。確かにそうだろう。しかし彼のそれは、主への裏切り行為ではないのだろうか?

 フォリオはそっと息をついた。

「ありがとう。でも、おれは逃げるつもりはないよ」

「な、なんでですか?」

「おれたちは負けたんだ。それに、今までしてきたことを償わないといけない。きみの気持ちは嬉しいけど・・・」

「だめですよ!」

 響が突然声を上げた。必死の様子だった。

「負けたから死ぬ?償うために死ぬ?そんなのはおかしいです。認めません」

「響」

「カリルさんがなんて言ってたか知ってますか?フォリオさんは殺さない。足掻いてでも生きさせるって、それでおれはざまぁみろって笑ってやるんだって、そう言ってたんですよ?」

「・・・カリルが?」

 唖然と問い返したフォリオに、響は力強くうなずいた。

「カリルさんは諦めなかった。だから、あなただけ諦めて楽になるなんて認めません。あなたには生きてもらわないと」

 そう言うと、響は格子を閉ざす鍵穴に、鍵を差し込んだ。何の抵抗もなく扉が開く様子を、フォリオは言葉もなく見つめていた。

「さ、フォリオさん。早く」

「・・・」

 フォリオは顔をしかめただけで動かなかった。響は大きなため息をつくと、決意を込めた目でフォリオをまっすぐ見据えた。

「フォリオさん。ぼくはフォリオさんの身体をのっとって、ここから逃げることもできます」

「・・・おれの意志とは関係なしに?」

 苦笑まじりに尋ねると、響は「そうです」と真顔でうなずいた。

「でも、できればそれはしたくありません。ぼくはフォリオさんには自分の足でここから出ていって欲しいんです。自分で生きることを選択して欲しいんです。そうじゃないと意味がないと思うから」

「・・・ずいぶん無理を言う」

「む、失礼ですね。フォリオさんが言わせてるんですよ?」

 にっこりと笑って響は促した。

「さ、どうしますか?ぼくに身体を明け渡すか、ここから自分で逃げるか。ふたつにひとつですよ」

「・・・どちらにしろ逃げるんだね」

「もちろんです」

 答える響に迷いはない。おそらく本気だろう。羨ましいほど真っ直ぐな目をしている。

 フォリオは無意識に右肩に触れていた。

 もちろん死にたいわけじゃない。だからといって貪欲に生きたいと言えるほど、愚かにはなれなかった。

 自分には王族という立場があり、他国を蹂躙してきた過去があり、そして敗北したという事実がある。

 それらを全て捨て去ることは容易ではない。それが許されることなのかすら分からなかった。

 響が何か言いかけた、その時だった。

「面白そうな話をしておるの」

 突然聞こえた女の声にハッと顔を上げると、そこには紅が立っていた。ゆっくりとふたりに近づいてくる。

 響はびっくりしたようにまばたきをした後、どこか警戒するような表情になった。紅が笑う。

「心配せずとも、おぬしを止めるつもりはないし、誰にも告げ口するつもりもないぞ。安心するがよい」

「・・・なら、どうしてここに?」

「皇子と話をするためじゃ。すぐに終わる」

 そう言うと、紅は格子越しにフォリオを見た。彼女と会うのはレイアが目覚めなくなって以来、初めてだ。

「久しぶりじゃな、皇子。変わらぬようで安心した、と言いたいところじゃが、そういうわけにもいかぬか」

 紅は見つめているのはフォリオの右肩だ。フォリオは苦笑するしかない。

「・・・レイアが見たら、嘆くじゃろうな」

「姫?」

「そうじゃ。そのことを伝えておこうと思ってな。・・・レイアが、目を覚ましたのじゃ」

「!」

 フォリオは目を見開いた。

「本当ですか?」

「ああ。といっても意識が戻ったのはもう三日ほど前じゃがな。おぬしは寝込んでおったし、なかなかレイアから離れることもできんかったから遅くなった。すまんかったな」

 フォリオは深く安堵の息をついた。よかった。全身の力が抜けるほどほっとする。

「それで、姫は今どこに?」

「おぬしと状況は変わらぬよ。牢ではないが、この王宮に軟禁されておる。じゃが、すぐにそれも終わるじゃろう。安心せよ」

 フォリオはゆっくりとうなずいた。

 できれば一目、元気な姿を見れればと思ったが、それは状況からして無理だろう。いや、その前にもう自分とは関わらないほうが彼女のためになるのは間違いなかった。

「それから皇子。もう一つ言っておかねばならんことがある」

「何ですか?」

「刃のことじゃ」

「!」

 まさか紅の口からその名前を聞くことになるとは思わず、フォリオは目をみはった。じっと紅を見つめると、彼女も視線を返してから話し始めた。

「・・・あの日、奴とわたしは一緒におったのじゃ」

「紅と・・・刃が?」

 紅は目を伏せてうなずいた。

「そうじゃ。・・・わたしはクライスを殺すつもりじゃった。それを止めたのはあやつじゃ」

「・・・」

 フォリオはまばたきもせずに真っ直ぐ紅を見つめた。紅も反らさずに視線を返している。その目が、何を伝えようとしているのか分かった気がした。

 震えそうになる息を何とか飲み込んで、言葉にする。

「・・・刃が、・・・父上を、殺したんですか」

「・・・・・・そうじゃ」

 静かな肯定に、フォリオは顔をこわばらせた。

 何となくそんな気がしていたのは事実だ。守護霊の消滅には条件があると教えてくれたのは他でもない刃だった。

 クライスの死と結びつければ、否応にもその可能性が浮上してくる。そして、できるならそれを信じたくなかった自分自身にも、フォリオは気づいていた。

「奴は自分に責任があると言っておった」

 紅がぽつりとつぶやいた。

「責任?」

「そうじゃ。長い間見てきたのに、変わっていくクライスを止められんかったと」

「・・・」

 フォリオはうつむき、強く左手を握りしめた。くちびるを噛む。

 刃を恨む気持ちは驚くほど沸いてこなかった。それどころか自分がひどく情けなくなる。

 刃がクライスを止められなかったと言うのなら、それは自分だって同じだ。それなのに刃ひとりに全て背負わせてしまった。

 彼がひとりで決意したときに、話を聞くこともできなかった。あんなに長い間一緒にいたのに。

 そんなフォリオの様子を一瞥して、紅が言った。

「皇子、刃から言伝てを預かっておる」

「・・・言伝て?おれに?」

「そうじゃ。悪かった、と伝えてくれとーーーそれからもうひとつ」

 一度言葉を切ると、紅は静かにつぶやいた。

「いい加減、さっさと幸せになれと奴は言っておったよ。笑いながらな」

「・・・」

 言葉が出てこなかった。

 なにも考えられなくなる。

 刃が。

 そんな。

「フォリオさん・・・」

 戸惑ったような響の声に、我に返る。まばたきをした拍子に、涙が一粒こぼれた。あ、と思う。

「ごめん。おかしいな。なんで・・・」

 慌てて手の甲で拭った。びっくりした。涙なんて何年ぶりだろうか。なんでこんな時に。

「ごめん」

「・・・すぐ泣くような男に、やはりレイアはやれぬな。うむ」

 紅はわざとらしくため息をつくと、不意におどけた口調で言った。

「一応レイアからの伝言も伝えておこう。『あんたとの婚約なんてこっちから願い下げだから!せいせいしたわ。さっさとどっか行って、二度と顔見せないでよね!』だそうじゃ」

 そう宣言するレイアの姿が簡単に目に浮かび、フォリオは思わず笑ってしまった。彼女らしい。

「では、そろそろわたしは戻る。・・・皇子」

 紅は最後にフォリオを一瞥すると、ふっと微笑んだ。いつもはレイアにしか見せないような、優しい表情だった。

「息災でな」



 紅が出ていった後も、フォリオはしばらく動かなかった。何かを考え込んでいるかのように目を伏せている。

 響は明かり取りに目を向けた。空は大分明るくなってきている。もう時間がない。明るくなればそれだけ逃げきれる可能性は低くなる。

 こうなったら本気でフォリオの身体を乗っ取るしかないのだろうか。でも。でも。

 悶々と考えていた響は、ふと聞こえた足音で我に返った。

「・・・フォリオさん」

 我ながらかなり間抜け面だったのではないだろうか。ポカンと口を開けたまま、響は牢の扉の前まできたフォリオを見つめた。

 彼の足が、ゆっくりと一歩踏み出した。

 牢の扉を抜け、響の隣に並ぶ。

「行こうか」

 そうフォリオはつぶやき、穏やかに微笑んだ。見る見る間に顔が紅潮してくるのが自分でも分かった。

 嬉しい気持ちを抑えきれないまま「はい!」と響は返事をした。



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