第五章
その日は朝から曇り空で、午後からは細い雨が降り始めていた。
カリルは雨避けに頭からマントをかぶり、肩にまきつけていた。雨が音を吸い込んでいるのか、森の中は静かだ。
夕食用の果物などを採りに来ていたカリルは、ふと呼ばれたような気がして後ろを振り返った。もちろん誰もいない。
「そういや、シロはどこに行ったんだ?」
いつもはカリルが森に入ると、どこからともなく現れてまとわりついてくるのに、今日は姿を見せなかった。
シロだけではない。なぜか他の動物の姿もなかった。
「なんだ・・・?」
小さな違和感を感じて、カリルは周囲を見渡すが、しんとした静けさが広がっているだけだ。
早めに切り上げるか、とカリルが果物の入った籠を抱えあげた時だった。
遠くで、遠吠えが聞こえた。長くて大きい。
反応するように、森のあちこちで同じ声が上がる。狼たちの警戒する声。
「シロ・・・?」
肌が粟立った。重なり合う遠吠えに耳を澄まそうと顔をあげる。そうして、ようやくそれに気づいた。
村の方向。雨の向こうから、煙が上がっていた。薄暗いはずの空が、そこだけ赤く浮かび上がっている。
「なんだ、あれ・・・」
当然ながら答えてくれる者はいない。無性に嫌な予感におそわれる。
カリルは籠を放り出し、駆け出した。
森から村に近づくにつれ、その光景は鮮明になっていった。
喧騒。怒鳴り声。悲鳴が遠くから聞こえてくる。
空が赤い。
村が燃えているのだと気づいたのは、そこから放たれている熱のせいだ。
カリルは村の手前で、足を止めた。何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「!!」
すぐ近くで聞こえた悲鳴に、カリルは何も考えずに村に飛び込んだ。
目を疑う。
「なんだ、これ・・・」
村の中はそれこそ見たこともない戦場となっていた。
鎧をつけた兵士たちが、手当たり次第に火をつけ、剣を振るっている。
一方的な虐殺。
「っ!!やめろっっ!!」
視界の端。家の中から兵士に引きずり出されて出てきたのは、カリルも親しくしていた村の女性だ。泣き叫んでいる。
それを目にした瞬間、頭が真っ白になった。腰に下げていたナイフを抜き放ち、兵士に飛び掛る。
兵士に体当たりをして、自分も一緒に地面に転がる。鎧をつけていない分、カリルのほうが圧倒的に身軽だった。 兵士が起き上がる前に、馬乗りになり押さえつける。
「カ、カリルっ・・・」
「逃げろ!」
女性に怒鳴りつけ、カリルはナイフを振りさげた。鎧の合間、胴と足の境目に突き刺すと、悲鳴と共に鮮血が顔に降りかかった。強烈な血の臭い。
「カリル!」
女性の狼狽した声。まだいたのか、と舌打ちをして振り返ったカリルは、その女性が他の兵士に切り殺されるところを見た。
「!」
返り血を浴びた兵士が、カリルに視線を向ける。とっさに構えようとして、後ろから腕をつかまれる。ぎょっとした。先ほどカリルが刺した兵士だった。
まずい。
とっさの判断が鈍る。
近づいてきた兵士が剣を振り上げたその時、大きな影が兵士に飛び掛った。
「シロ!」
兵士を突き飛ばしたのは、大きな狼だった。真っ白な身体は腹の辺りが真っ赤に染まっている。
「っ」
カリルはつかまれている腕を引くと、横にひねってそれを外した。手を伸ばして、腰に刺したままのナイフをわざと抉って抜いてやると、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が聞こえた。これでしばらくは動けないだろう。
大きく息をついたカリルの身体が、不意に浮き上がった。下を見ると、シロの背中だ。シロはカリルを乗せたまま、村を飛び出した。
「ちょ、ちょっと待て!シロ、どこ行くんだよ!もどらねーと、みんなが!!」
カリルは慌てて抗議するが、シロは走る速度を落とさない。村を避けるように外側から回りこむと、海岸のほうへ向かっていく。
カリルは後ろを振り返った。血の跡が出来ている。
「シロ、おまえ怪我してんだろっ!止まれ!」
怒鳴りつけても止まる様子はない。カリルは舌打ちして、重心をずらした。自分から砂浜に落ちる。
砂の上に倒れたカリルを、シロが振り返って止まった。
その腹の血はどんどん広がっている。カリルは息をのんだ。すごい出血だ。
「シロ、その怪我・・・」
シロはカリルの目をじっと見返すと、再び前に歩き出した。大量の血が砂に染みていく。
村に戻らなければ。
でも、シロが。
そのとき「カリル」と呼ぶ声がした。
びっくりして顔をあげる。木の陰から、誰かが出てくるのが分かった。シロがふらふらとそちらに近寄っていく。見覚えがある姿。
「リオ・・・か?」
驚きのあまり上ずった声で確認すると、フォリオは少し目を細めた。間違いない。窮屈そうな軍服を着ていたが、フォリオ本人だ。
「おまえ、どうしてここに?」
「カリル、・・・怪我してるのか?」
神妙な表情でフォリオが尋ねた。そういえば顔中血まみれのはずだ。カリルは袖でぐいぐいと顔を拭った。
「ああこれ、おれのじゃねーから」
答えてから、そういえば呑気に会話している場合じゃないことに思い当たる。
「リオ、わりーけど話してる暇ねぇんだ。村に変な奴らが・・・」
慌てて振り返る。村の方角からは黒い煙が上がってるのが見えた。息をのむ。みんなが。
「おれ、行かねーと。シロ、見ててくれよ。怪我してんだ」
「カリル」
「何だよ? 話なら後で聞くって」
焦りながら振り返ったカリルは、フォリオを見てまばたきをした。
彼は見たこともないような顔をしていた。感情を抑えた無機質な表情。
「リオ・・・?」
「あれはトランドの軍隊なんだ」
突然言われた言葉の意味が分からなかった。トランドの軍隊?頭の中で反芻し、ようやくのみ込めた。
トランド。
リオの国、か?
カリルは目の前の少年を、穴が開くほど凝視した。
「は・・・?」
「おれたちは、この島に残る石版を壊しに来た」
「リオ? 何言ってんだ?」
「村を襲っている兵士たちは、おれの部下なんだ」
カリルの脳裏に、村で見た鎧の兵士の姿が浮かんだ。その兵士が村人を切り殺した場面も。
目の前が一瞬真っ白になった。
「・・・おい」
絞り出した声が震えた。
「なに?」
「何言ってんだてめぇ・・・っ! ぜっんぜん意味分かんねぇよ!!」
「分かってるはずだよ。おれが」
「リオ!!」
聞きたくない。出せる限りの声で名前を呼んだ。
フォリオを睨みつける。
彼は顔色ひとつ変えなかった。
爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
「・・・お前が命令したのか」
「そうだよ」
「村を襲えって?」
「ああ」
「歯向かう奴は殺せって?」
「・・・ああ」
「おまえが?」
「そうだよ」
自分の喉が変な音を立てた。
「っざけんなっ・・・!!」
目の前の冷静な顔を殴りつけようと、カリルは拳を振り上げたが、それがフォリオに当たることはなかった。寸前に強い光が走り、目がくらむ。
「っ・・・」
まぶたを擦りながら、目を凝らす。
次第に戻ってきた視界に映ったのは、シロの身体から出てきた刃の姿だった。
目を見開く。
刃が現れると同時に、シロの身体が地面に倒れた。
「シロ・・・? おい、シロ!!っ、刃てめぇ何した!」
フォリオの隣に降り立った刃は、シロに目を向けて少しだけ目を細めた。
「村の手前で倒れてたんだ。カリルを助けに行くっつーから、身体を借りた。おれもカリルに用があったからな」
「身体って・・・」
では、あの大怪我で動いていたのは刃が憑いていたからなのか。
カリルはシロの傍らにひざまずいた。血が止まる様子はない。呼吸も浅い。
「シロ・・・?」
血で汚れた身体を抱え、カリルは毛に顔を埋めた。
胸の奥が気持ち悪い。
なんで。
目の奥が。
刃は、自分の主とカリルを交互に見比べ、大きくため息をついた。カリルの前に片膝をついて話しかける。
「カリル、村はもう駄目だ。悪いことは言わねぇから、俺たちと来い。な?」
「・・・・」
「カリル?」
カリルは黙ったまま答えなかった。
色々なものが頭の中に浮かんで消えていく。おじじのしかめっ面、シロのよく響く遠吠え、村人たちの陽気な会話、自分を取り巻いていた、色々なものが。浮かんで消えていく。
不意に笑い出したくなるような強い凶暴な衝動が沸き起こった。俺たちと来い、だと?
小さくくぐもった声で、ざけんな、とカリルが吐き捨てた。
顔を上げ、カリルは二人をにらみつける。
この怒りを一体どうすればいい?
「俺たちと来いだと?ふざけんな!!」
「カリル・・・」
「なんでおれだけ助ける?なんで他の奴らは見殺しにしたんだよ!?やること中途半端なんだよ!!おれも殺せばいいだろーが!!」
「・・・」
フォリオの表情が翳ったのにカリルは気づいた。だからといって、どうする気にもならなかったけれど。
カリルはシロの身体を抱き上げると、ひきずるようにして木陰に連れて行った。そっと地面に寝かせると、「すぐ戻るからな」とささやく。気のせいか、シロの尻尾がかすかに揺れた。
立ち上がって踵を返したカリルに、慌てて刃が声をかける。
「おい、どこ行くんだ」
「決まってんだろ。村に戻る」
「やめとけ、死ぬぞ」
止めようとした刃に、カリルは鋭い目を向けた。
「てめーらと一緒に行くくらいなら、死んだほうがマシだ!」
言い捨てて村に戻ろうとしたカリルの腕を、フォリオがつかんだ。目が合う。カリルはじっとフォリオの目をにらみ返した後、思い切り腕を払いのけた。
その瞬間のフォリオの表情が、カリルの脳裏に焼きついた。思わず息をのむ。ひるんだその一瞬に、みぞおちに強い衝撃がきた。
視界が歪んで、消えた。
艦内に戻ったフォリオに、刃は良かったのか、と尋ねた。
「カリル、置いてきて」
「・・・」
「フォリオ?」
視線を落としていたフォリオは、はっとしたようにまばたきをすると、「すまない」と小さくつぶやいた。 少し青ざめている。
「疲れたみたいだ。少し休むよ」
「・・・おお」
おやすみー、と茶化してみるものの反応はない。上階にある個室に上がっていくフォリオを見送ると、なぜかため息がこぼれた。最近ため息ばかりついている気がする。
何とも言えず後味が悪い。
フォリオは出兵を承諾した理由を刃に話さなかったし、刃もあえて聞かなかった。そんなことは考えなくても分かる。
たとえ自分が行かなくても、クライスが他の誰かに命じることは明白だった。そうなればカリルを逃がすどころの話ではない。
そういうことなのだと思う。
「刃」
声をかけられて振り返る。そこにいたのは軍服を着た女性士官だった。フォリオの副官で、名前をシルバという。 刃が見える数少ない人物のひとりだ。
「おー、シルバ」
「フォリオ様は?」
「上。休みに行った」
「では後で水でも運びましょう。それで?」
「それでって?」
「フォリオ様が助けようとした少年は誰だったのです?」
「・・・見てたのかよ」
渋面した刃に、シルバはあっさりと答える。
「副官である以上、フォリオ様の様子には気を配らなければなりませんから。それで?」
「あー」
目線を宙にさまよわせ、刃は頭をかいた。まっすぐに突き刺ってくる視線に、肩をすくめてみせる。
「・・・フォリオのオトモダチ」
「友人?あの少年が?」
露骨にシルバは顔をしかめた。明らかに釣り合わないと言いたげだ。
「ああ。ちなみに男じゃなくて、女らしいぞ。あの子」
「なお悪いではないですか」
と、シルバは更に眉間にしわを刻んだ。刃はそんな様子を見て、くつくつと笑う。
「そうか? カリルはいい奴だぞ。そんなに長い間一緒にいたわけじゃないが、フォリオが信頼するのも分かる。さっぱりしてるし、何より表裏ないからな」
「だったら連れてこればよかったではないですか。フォリオ様が必要としているのなら、城に置いておけばよかったものを」
「カリルが嫌だって言ったんだ」
「だったら今からでも戻って、始末しておくべきでは?」
世間話のように言われた言葉に、刃は眉をひそめた。
「・・・そういう冗談はやめろ」
「わたしは本気で言っているのですが」
シルバは表情も変えずに淡々としている。
「あの人間を残して何の得になるのです? それに、あの島にたった一人で残すよりは、ましだと思いますが」
「やめろ!」
声を上げて制止すると、シルバは不思議そうな顔をした。
「言っていいことと悪いことがあるぞ。フォリオにはそういうこと、絶対に言うな」
まっすぐに見据えると、シルバは呆れたように少しだけ首を傾げて言った。
「言われなくても。わたしはフォリオ様に意見できる立場ではありませんから」




