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プロスト  作者: ガル
第一部
6/65

第五章

 その日は朝から曇り空で、午後からは細い雨が降り始めていた。

 カリルは雨避けに頭からマントをかぶり、肩にまきつけていた。雨が音を吸い込んでいるのか、森の中は静かだ。

 夕食用の果物などを採りに来ていたカリルは、ふと呼ばれたような気がして後ろを振り返った。もちろん誰もいない。

「そういや、シロはどこに行ったんだ?」

 いつもはカリルが森に入ると、どこからともなく現れてまとわりついてくるのに、今日は姿を見せなかった。

 シロだけではない。なぜか他の動物の姿もなかった。

「なんだ・・・?」

 小さな違和感を感じて、カリルは周囲を見渡すが、しんとした静けさが広がっているだけだ。

 早めに切り上げるか、とカリルが果物の入った籠を抱えあげた時だった。

 遠くで、遠吠えが聞こえた。長くて大きい。

 反応するように、森のあちこちで同じ声が上がる。狼たちの警戒する声。

「シロ・・・?」

 肌が粟立った。重なり合う遠吠えに耳を澄まそうと顔をあげる。そうして、ようやくそれに気づいた。

 村の方向。雨の向こうから、煙が上がっていた。薄暗いはずの空が、そこだけ赤く浮かび上がっている。

「なんだ、あれ・・・」

 当然ながら答えてくれる者はいない。無性に嫌な予感におそわれる。

 カリルは籠を放り出し、駆け出した。



 森から村に近づくにつれ、その光景は鮮明になっていった。

 喧騒。怒鳴り声。悲鳴が遠くから聞こえてくる。

 空が赤い。

 村が燃えているのだと気づいたのは、そこから放たれている熱のせいだ。

 カリルは村の手前で、足を止めた。何が起こっているのか、さっぱり分からない。

「!!」

 すぐ近くで聞こえた悲鳴に、カリルは何も考えずに村に飛び込んだ。

 目を疑う。

「なんだ、これ・・・」

 村の中はそれこそ見たこともない戦場となっていた。

 鎧をつけた兵士たちが、手当たり次第に火をつけ、剣を振るっている。

 一方的な虐殺。

「っ!!やめろっっ!!」

 視界の端。家の中から兵士に引きずり出されて出てきたのは、カリルも親しくしていた村の女性だ。泣き叫んでいる。

 それを目にした瞬間、頭が真っ白になった。腰に下げていたナイフを抜き放ち、兵士に飛び掛る。

 兵士に体当たりをして、自分も一緒に地面に転がる。鎧をつけていない分、カリルのほうが圧倒的に身軽だった。 兵士が起き上がる前に、馬乗りになり押さえつける。

「カ、カリルっ・・・」

「逃げろ!」

 女性に怒鳴りつけ、カリルはナイフを振りさげた。鎧の合間、胴と足の境目に突き刺すと、悲鳴と共に鮮血が顔に降りかかった。強烈な血の臭い。

「カリル!」

 女性の狼狽した声。まだいたのか、と舌打ちをして振り返ったカリルは、その女性が他の兵士に切り殺されるところを見た。

「!」

 返り血を浴びた兵士が、カリルに視線を向ける。とっさに構えようとして、後ろから腕をつかまれる。ぎょっとした。先ほどカリルが刺した兵士だった。

 まずい。

 とっさの判断が鈍る。

 近づいてきた兵士が剣を振り上げたその時、大きな影が兵士に飛び掛った。

「シロ!」

 兵士を突き飛ばしたのは、大きな狼だった。真っ白な身体は腹の辺りが真っ赤に染まっている。

「っ」

 カリルはつかまれている腕を引くと、横にひねってそれを外した。手を伸ばして、腰に刺したままのナイフをわざと抉って抜いてやると、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が聞こえた。これでしばらくは動けないだろう。

 大きく息をついたカリルの身体が、不意に浮き上がった。下を見ると、シロの背中だ。シロはカリルを乗せたまま、村を飛び出した。

「ちょ、ちょっと待て!シロ、どこ行くんだよ!もどらねーと、みんなが!!」

 カリルは慌てて抗議するが、シロは走る速度を落とさない。村を避けるように外側から回りこむと、海岸のほうへ向かっていく。

 カリルは後ろを振り返った。血の跡が出来ている。

「シロ、おまえ怪我してんだろっ!止まれ!」

 怒鳴りつけても止まる様子はない。カリルは舌打ちして、重心をずらした。自分から砂浜に落ちる。

 砂の上に倒れたカリルを、シロが振り返って止まった。

 その腹の血はどんどん広がっている。カリルは息をのんだ。すごい出血だ。

「シロ、その怪我・・・」

 シロはカリルの目をじっと見返すと、再び前に歩き出した。大量の血が砂に染みていく。

 村に戻らなければ。

 でも、シロが。

 そのとき「カリル」と呼ぶ声がした。

 びっくりして顔をあげる。木の陰から、誰かが出てくるのが分かった。シロがふらふらとそちらに近寄っていく。見覚えがある姿。

「リオ・・・か?」

 驚きのあまり上ずった声で確認すると、フォリオは少し目を細めた。間違いない。窮屈そうな軍服を着ていたが、フォリオ本人だ。

「おまえ、どうしてここに?」

「カリル、・・・怪我してるのか?」

 神妙な表情でフォリオが尋ねた。そういえば顔中血まみれのはずだ。カリルは袖でぐいぐいと顔を拭った。

「ああこれ、おれのじゃねーから」

 答えてから、そういえば呑気に会話している場合じゃないことに思い当たる。

「リオ、わりーけど話してる暇ねぇんだ。村に変な奴らが・・・」

 慌てて振り返る。村の方角からは黒い煙が上がってるのが見えた。息をのむ。みんなが。

「おれ、行かねーと。シロ、見ててくれよ。怪我してんだ」

「カリル」

「何だよ? 話なら後で聞くって」

 焦りながら振り返ったカリルは、フォリオを見てまばたきをした。

 彼は見たこともないような顔をしていた。感情を抑えた無機質な表情。

「リオ・・・?」

「あれはトランドの軍隊なんだ」

 突然言われた言葉の意味が分からなかった。トランドの軍隊?頭の中で反芻し、ようやくのみ込めた。

 トランド。

 リオの国、か?

 カリルは目の前の少年を、穴が開くほど凝視した。

「は・・・?」

「おれたちは、この島に残る石版を壊しに来た」

「リオ? 何言ってんだ?」

「村を襲っている兵士たちは、おれの部下なんだ」

 カリルの脳裏に、村で見た鎧の兵士の姿が浮かんだ。その兵士が村人を切り殺した場面も。

 目の前が一瞬真っ白になった。

「・・・おい」

 絞り出した声が震えた。

「なに?」

「何言ってんだてめぇ・・・っ! ぜっんぜん意味分かんねぇよ!!」

「分かってるはずだよ。おれが」

「リオ!!」

 聞きたくない。出せる限りの声で名前を呼んだ。

 フォリオを睨みつける。

 彼は顔色ひとつ変えなかった。

 爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。

「・・・お前が命令したのか」

「そうだよ」

「村を襲えって?」

「ああ」

「歯向かう奴は殺せって?」

「・・・ああ」

「おまえが?」

「そうだよ」

 自分の喉が変な音を立てた。

「っざけんなっ・・・!!」

 目の前の冷静な顔を殴りつけようと、カリルは拳を振り上げたが、それがフォリオに当たることはなかった。寸前に強い光が走り、目がくらむ。

「っ・・・」

 まぶたを擦りながら、目を凝らす。

 次第に戻ってきた視界に映ったのは、シロの身体から出てきた刃の姿だった。

 目を見開く。

 刃が現れると同時に、シロの身体が地面に倒れた。

「シロ・・・? おい、シロ!!っ、刃てめぇ何した!」

 フォリオの隣に降り立った刃は、シロに目を向けて少しだけ目を細めた。

「村の手前で倒れてたんだ。カリルを助けに行くっつーから、身体を借りた。おれもカリルに用があったからな」

「身体って・・・」

 では、あの大怪我で動いていたのは刃が憑いていたからなのか。

 カリルはシロの傍らにひざまずいた。血が止まる様子はない。呼吸も浅い。

「シロ・・・?」

 血で汚れた身体を抱え、カリルは毛に顔を埋めた。

 胸の奥が気持ち悪い。

 なんで。

 目の奥が。

 刃は、自分の主とカリルを交互に見比べ、大きくため息をついた。カリルの前に片膝をついて話しかける。

「カリル、村はもう駄目だ。悪いことは言わねぇから、俺たちと来い。な?」

「・・・・」

「カリル?」

 カリルは黙ったまま答えなかった。

 色々なものが頭の中に浮かんで消えていく。おじじのしかめっ面、シロのよく響く遠吠え、村人たちの陽気な会話、自分を取り巻いていた、色々なものが。浮かんで消えていく。

 不意に笑い出したくなるような強い凶暴な衝動が沸き起こった。俺たちと来い、だと?

 小さくくぐもった声で、ざけんな、とカリルが吐き捨てた。

 顔を上げ、カリルは二人をにらみつける。

 この怒りを一体どうすればいい?

「俺たちと来いだと?ふざけんな!!」

「カリル・・・」

「なんでおれだけ助ける?なんで他の奴らは見殺しにしたんだよ!?やること中途半端なんだよ!!おれも殺せばいいだろーが!!」

「・・・」

 フォリオの表情が翳ったのにカリルは気づいた。だからといって、どうする気にもならなかったけれど。

 カリルはシロの身体を抱き上げると、ひきずるようにして木陰に連れて行った。そっと地面に寝かせると、「すぐ戻るからな」とささやく。気のせいか、シロの尻尾がかすかに揺れた。

 立ち上がって踵を返したカリルに、慌てて刃が声をかける。

「おい、どこ行くんだ」

「決まってんだろ。村に戻る」

「やめとけ、死ぬぞ」

 止めようとした刃に、カリルは鋭い目を向けた。

「てめーらと一緒に行くくらいなら、死んだほうがマシだ!」

 言い捨てて村に戻ろうとしたカリルの腕を、フォリオがつかんだ。目が合う。カリルはじっとフォリオの目をにらみ返した後、思い切り腕を払いのけた。

 その瞬間のフォリオの表情が、カリルの脳裏に焼きついた。思わず息をのむ。ひるんだその一瞬に、みぞおちに強い衝撃がきた。

 視界が歪んで、消えた。





 艦内に戻ったフォリオに、刃は良かったのか、と尋ねた。

「カリル、置いてきて」

「・・・」

「フォリオ?」

 視線を落としていたフォリオは、はっとしたようにまばたきをすると、「すまない」と小さくつぶやいた。 少し青ざめている。

「疲れたみたいだ。少し休むよ」

「・・・おお」

 おやすみー、と茶化してみるものの反応はない。上階にある個室に上がっていくフォリオを見送ると、なぜかため息がこぼれた。最近ため息ばかりついている気がする。

 何とも言えず後味が悪い。

 フォリオは出兵を承諾した理由を刃に話さなかったし、刃もあえて聞かなかった。そんなことは考えなくても分かる。

 たとえ自分が行かなくても、クライスが他の誰かに命じることは明白だった。そうなればカリルを逃がすどころの話ではない。

 そういうことなのだと思う。

「刃」

 声をかけられて振り返る。そこにいたのは軍服を着た女性士官だった。フォリオの副官で、名前をシルバという。 刃が見える数少ない人物のひとりだ。

「おー、シルバ」

「フォリオ様は?」

「上。休みに行った」

「では後で水でも運びましょう。それで?」

「それでって?」

「フォリオ様が助けようとした少年は誰だったのです?」

「・・・見てたのかよ」

 渋面した刃に、シルバはあっさりと答える。

「副官である以上、フォリオ様の様子には気を配らなければなりませんから。それで?」

「あー」

 目線を宙にさまよわせ、刃は頭をかいた。まっすぐに突き刺ってくる視線に、肩をすくめてみせる。

「・・・フォリオのオトモダチ」

「友人?あの少年が?」

 露骨にシルバは顔をしかめた。明らかに釣り合わないと言いたげだ。

「ああ。ちなみに男じゃなくて、女らしいぞ。あの子」

「なお悪いではないですか」

 と、シルバは更に眉間にしわを刻んだ。刃はそんな様子を見て、くつくつと笑う。

「そうか? カリルはいい奴だぞ。そんなに長い間一緒にいたわけじゃないが、フォリオが信頼するのも分かる。さっぱりしてるし、何より表裏ないからな」

「だったら連れてこればよかったではないですか。フォリオ様が必要としているのなら、城に置いておけばよかったものを」

「カリルが嫌だって言ったんだ」

「だったら今からでも戻って、始末しておくべきでは?」

 世間話のように言われた言葉に、刃は眉をひそめた。

「・・・そういう冗談はやめろ」

「わたしは本気で言っているのですが」

 シルバは表情も変えずに淡々としている。

「あの人間を残して何の得になるのです? それに、あの島にたった一人で残すよりは、ましだと思いますが」

「やめろ!」

 声を上げて制止すると、シルバは不思議そうな顔をした。

「言っていいことと悪いことがあるぞ。フォリオにはそういうこと、絶対に言うな」

 まっすぐに見据えると、シルバは呆れたように少しだけ首を傾げて言った。

「言われなくても。わたしはフォリオ様に意見できる立場ではありませんから」


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