第十二章
フォリオが玉座に足を踏み入れると、そこは血のにおいで溢れ返っていた。
倒れたまま動かないトランドの兵士。その前に一人立っていたのは、黒い髪をした少年だった。ティティンの軍服と、持っている剣が返り血で真っ赤になっている。
少年は入ってきたフォリオにゆっくりと視線を向けた。瞳も髪と同じように黒く、鋭い。
フォリオは、ちらっと彼の傍らにいる青年に目を向けた。これがティティンの守護霊なのだろう。刃と同じ格好をしていた。
「フォリオさん・・・」
震える声で守護霊に名前を呼ばれ、フォリオは眉をひそめた。彼とは初対面のはずだ。名前なら知っていてもおかしくないが、それだけではないような呼び方だった。
ティティンの皇子が、こちらに向き直った。
「おまえがフォリオ皇子か?」
「そうだ。きみは・・・」
「ウィリアム・クーレ・ティティン。こっちは響だ」
響という名前の守護霊が、どこか焦った様子で口を開いた。
「フォリオさん。カリルさんは?カリルさんは、どうしたんですか?」
「・・・どうしてカリルのことを」
つい問い返してしまってから、すぐに理由に思い至る。
カリルはティティンの軍にいるのだから、彼らは仲間なのだ。そう思うと、どうしてか少しだけ胸が苦しくなった。
「カリルさんはぼくたちの仲間です!フォリオさんに会いに行ったはずです。ちゃんと会えましたか?」
「・・・うん、会ったよ」
答えると、響は安心したように「良かった・・・」と胸をなで下ろしている。少しだけ笑いたくなった。とても敵を相手にしたような態度ではない。
隣にいたウィリアムが再び口を開いた。
「それで、カリルはどうしたんだ?」
「置いてきた」
「置いてきた?」
「ああ」
別れ際のカリルの声を思い出し、フォリオはきつく目を閉じた。忘れろ。少なくとも今は。
息をついて、ゆっくりと目を開けると、目の前のふたりを見据えた。
「前置きはもういいでしょう。どういうつもりなのか聞かせてもらいますか、ウィリアム皇子」
「クライスの首をとりにきた。王はどこにいる?」
フォリオは視線を玉座に走らせた。血で塗れたそこは空っぽだ。刃がうまく逃がしてくれたのか。
「残念ですが、それを見過ごすわけにはいかない」
フォリオは帯びていた剣を抜いた。
響は戸惑ったような顔をしていたが、ウィリアムはじっとフォリオを見つめた後、くちびるをあげた。
「ひとりか?守護霊はどうしたんだ?」
あいにくそれに答える義理なんてない。フォリオはウィリアムに向かっていった。
甲高い音がして、剣が弾かれる。一度、相手の間合いから逃れてから、ウィリアムは舌打ちをした。
どうやらトランドの皇子が剣に長けているという噂は、誇張ではなく事実らしい。
カリルは大雑把な剣筋を早さで補う動き方をするが、フォリオはまるで違った。驚くほど隙がない。攻撃、防御の切り替えが早く、見極めが巧みだ。
ウィリアムはくちびるをかんだ。言い訳などしたくないが、つくづく島で何もせずに過ごしていた時間が悔やまれた。二年の代償は、大きい。
「考えごとですか?」
フォリオの声に、ハッとした。鋭い突きが胸元をまっすぐ狙ってくる。その瞬間、大きな静電気のような音がした。響の結界だ。
顔をしかめたフォリオの一瞬をついて斬りつけるが、簡単に交わされてしまった。嫌になるほど隙がない。
少し上にいる響はおろおろしたようにふたりを見ていたが、口出しはしてこなかった。正直、彼の守護がなければ危なかったはずだ。釈然としないが、カリルには感謝しなければならない。
少し離れたフォリオは、かすかに苦笑した。
「・・・やっぱり守護がある人とは戦いづらいですね」
それはそうだろう。結界がある限り、攻撃が当たることは決してないのだから。そういう意味では決着がつきにくいのは確かだ。
けれど、とウィリアムは目の前の相手を見つめた。フォリオの傍らには守護霊はいない。今の彼に守護があるのかどうかも分からないーーーそこまで考えて、また顔をしかめた。
攻撃を当てれば結界があるかどうか分かるのに、それすらもまだできない状態なのだ。
ふっと影が動いた。フォリオが踏み出してくる。突いてくる動きは避けられたものの、すぐに横から斬る動きに切り替わった。刀身を盾にして受け止める。
間近にある冷静な顔を見て、ウィリアムは低く笑った。
「・・・やっぱりあいつの言うことはアテにならないな」
そのつぶやきに、フォリオは怪訝そうな表情を浮かべた。
「あいつ?」
「カリルのことだよ」
答えてやると、フォリオはわずかに目元をゆがめた。
「・・・」
「あいつがあんたのことを何て言ったと思う?お人好しで優柔不断の平和主義者だとさ。バカバカしい。あんたのどこを見てそんなことが言えるんだろうな」
フォリオの顔が強ばったのが、はっきりと分かった。
ウィリアムが見たフォリオの印象は、カリルとはまるで違う。正反対だと言ってもいい。まさかとは思うが、こいつに騙されてるんじゃないかと疑うほどだ。
「あんたはお人好しでも優柔不断でもない。戦いが好きかどうかはともかく、平和主義者でもない。感情に流されず大局を見てる。人の命を駒として置き換えられる」
「・・・黙れ」
「誉めてるんだ。おれたち王族はそうじゃないとやってやれない。だからクールを見捨てた。そうだろ?」
「黙れ!」
それまであまり感情を動かさなかったフォリオが、声を荒げた。
ウィリアムはその隙をついて、無防備な銅まわりに蹴りを叩き込む。バチッという音がして、結界が揺さぶられた衝撃が伝わってきた。フォリオがハッとしたように剣を引き、後ずさる。
「なるほど、守護はあるみたいだな」
「・・・」
フォリオはにらむように鋭い目をこちらに向けている。
どうやらカリルの話題には触れられたくないらしい。かといってそっとしておくほど、ウィリアムはお人好しではない。利用できるものは利用させてもらおう。
にらみつけてくるフォリオに、笑みを浮かべてみせる。
「どうせそういう顔も、あいつには見せないんだろ。それはちょっと卑怯なんじゃないのか?」
「・・・」
フォリオは露骨に顔を歪めた後、不意にゆっくりと息をついた。感情を吐き出すように。
「・・・挑発するのが上手いんだな、きみは」
「そうか?」
「そういうのも充分卑怯だと思うよ」
つぶやくフォリオはすでに冷静さを取り戻しているようだった。切り替えが早いな、と感心した直後だった。大きな足音をたてて、一人の兵士が玉座に飛び込んできたのは。
「フォリオさま!大変です!」
兵士は中の状況にぎょっとしたように目を見開いていた。フォリオは目を向けないまま尋ねる。
「どうした?」
「は・・・あの・・・クライスさまが」
「父上?」
はい、とうなずいた後、兵士は思いもよらぬことを言った。
「クライスさまがどこにもおりません。それからレイアさまも」
「!」
ウィリアムはもちろん、フォリオも耳を疑った。どういうことだ?父上と姫がいない?
フォリオは躊躇った末、低く問いただした。
「詳しく説明してくれ」
「は。厩舎長の話だと、クライスさまがレイアさまを連れて馬を出したと・・・」
頭が真っ白になった。
クライスがレイアを連れていった?どこに?
問いかけても答えが出るはずもない。混乱する中、それでも表面上は落ち着いて対応した。恐縮する兵士に指示を出したところまでは覚えている。
ふとウィリアムの笑い声が聞こえた。
「ずいぶん立派な王だな。息子や兵たちを置き去りにして、女と逃げるなんて」
「・・・」
だめだ。落ち着け。フォリオはまっすぐウィリアムを見据えた。彼は悠然と微笑んでいる。
「いいのか?クライス王を探さなくても」
「・・・今は、あなたのほうが先です」
焦る気持ちを押さえつけながら、フォリオは答えた。そうだ。目の前のことに集中しなければならない。
分かってはいるのに、ひどく動揺している自分に気づいていた。なぜ。どうして。
笑みを浮かべていたウィリアムの目が、ふと哀れむような色に変わった。
「もう諦めたらどうだ?臣下を見捨てて逃げる王なんて、正気の沙汰じゃない」
「あなただって知っているはずです。王族は生き残ってこそ。違いますか?」
冷ややかに切り返すと、ウィリアムはかなり不愉快そうな顔をした。そういえば彼もひとり生き残った王族なのだと、今更気づく。
「自分が生き残ろうとは考えないのか?」
「父上がいますから」
ウィリアムは顔をさらにしかめ、何か言おうとした。言葉にならなかったのは、爆音と共に床が大きく揺れたためだ。
何とか踏みとどまったウィリアムのその一瞬をついて、フォリオは間合いに飛び込んだ。惜しげもなく剣を捨てると、ウィリアムはかなり驚いた顔をした。
すかさずその腕をつかみ、素早く背中に回り込む。腕をひねり上げと、ウィリアムが息をのんだのが伝わってきた。
守護霊がいる限り負傷させるとこはできないが、捕まえることならできる。
背中からフォリオは声をかけた。
「投降するよう、ティティンの兵に命じてください。ウィリアム皇子」
「・・・無理だ」
「皇子」
拘束する力を強めた、その時だった。
言い表せない感覚がフォリオを襲った。




