第十章
クライスは苛立ちを隠そうともせず、足早に廊下を歩いていた。
真下から轟音が響いて、足下が揺れる。自力で立つこともできずに、壁につかまった。壁が崩れる音が小さくなっていくと同時に、緩やかに揺れも引いていく。
だけど城のあちこちから聞こえる悲鳴や爆音はまだ絶えないままだ。
クライスは舌打ちした。忌々しいティティンの賊どもが。口の中で吐き捨てる。全くとんでもないことをしてくれた。
「クライスさま、大丈夫ですか?」
駆け寄ってきた兵士をにらみつけると、クライスは短く命じた。
「レイアを連れてこい」
「は?あの・・・」
「レイアを厩舎に連れてこい。おれは先に行く」
「し、しかしレイアさまはまだ・・・」
躊躇する兵士に心底辟易した。この役たたずめ。鋭い目でねめつける。
「命令だ。聞こえなかったか?」
「・・・は、はい!」
背筋を伸ばして礼をとると、兵士は慌てて走っていった。それを冷ややかに一瞥すると、背後から名前を呼ばれた。
「クライス」
この城の人間で、クライスを呼び捨てにする相手は限られている。いや、それどころかたったひとりしかいないだろう。
振り返ると、案の定そのたったひとりがこちらをじっと見つめていた。
「刃か」
「・・・」
刃はゆっくりと歩み寄ってくると、クライスを見下ろした。どこか怒ったような表情をしている。
「刃。なぜおまえがここにいる?フォリオはどうした?」
「おまえのところに行けってさ。・・・それよりクライス、おまえ」
「そうか。では丁度良いな。おまえも来るといい」
「クライス!」
歩きだしたクライスを止めるように、刃は声を上げた。
「姫さんを連れてきてどうするつもりだ?」
「どうするも何も、連れていくに決まってる」
「連れていくって、どこに」
クライスは構わずに歩きだした。刃は舌打ちしてついてくる。
「おい、クライス!」
「うるさい奴だな。外に出るだけだ」
「外?・・・って、おまえ。こんな状況の時に何言って・・・」
驚いたように目をしばたたかせた刃だが、すぐにその意味に気づいたらしい。顔を強ばらせた後、ゆっくりと表情を消していった。
低い声で確認してくる。
「クライス、おまえ・・・逃げる気か?」
「人聞きが悪いな」
クライスは薄く笑った。
「せめて避難と言え。忌々しいが、ティティンの奴らにくれてやるものなど何一つない。おれの首も、命もな」
クライスは足を止めた。
刃が前を塞いでいる。その目はまっすぐにクライスを見ていた。感情を完全に殺した無表情だった。
「姫さんを盾にするつもりか?」
「言葉を選べ。あれにはまだ利用価値がある。取引にも使える。それだけだ」
「フォリオはどうなる。城に残ったほかの奴らは?そいつら全員見捨てて、おまえひとりで逃げるのか?」
「フォリオはおれの息子だ。頭のいい優秀な、な。王族の義務をあいつは理解している」
クライスはまっすぐ目を見返して答えた。
「他の奴らなど知ったことか。民がいくら生き延びようが、王族が生き残らなければ話にならんのだ」
「・・・」
刃は拳を握りしめている。それを見てから、クライスは刃の横を通り過ぎた。
しばらくして後ろから低い笑い声が聞こえてきた。思わず振り返る。刃が、笑っていた。
哄笑に、クライスはつい眉をひそめていた。
「おまえは・・・やっぱりそういう奴だ。クライス」
「刃」
「昔のおまえをおれは知ってる。わがままで自信家で、でも少なくとも、今よりはまともだった。ちゃんと覚えてる。だからおれは・・・」
一瞬だけ顔を歪めた後、刃は再び表情を消し去った。
「・・・だからおれは、信じたかったんだな。きっと」
諦観がにじむ声に、クライスは何とか笑みを返した。
「信じたかった?過去形だな。守護霊が主を信じるのは、当然のことだろうが」
「おれの今の主は、フォリオだ」
冷ややかに言い捨てられ、気がつけばクライスは後ずさっていた。喉が奇妙な音を立てて上下する。
刃は無感情だった目元を細め、ゆっくりと告げた。逃げを許さない声音だった。
「おまえは最低だよ、クライス。おれが見てきた中で、最低の王だ」




