第八章
颯爽と駆けていくカリルの後ろ姿を見送りながら、響は焦ったように主に向き直った。
「ウィリアムさん!止めなくていいんですか?」
ウィリアムは興味なさそうな声音で言った。
「トランド皇子と話をさせろと、あいつが言ったんだ。そういう約束もした」
「でも・・・」
響はうつむいた。
正直に言えば、ひとりで行かせるなんて不安で仕方がない。
けれど、そのためにカリルはここまで来たのだ。そして、ウィリアムもウィリアムの目的のためにここにいる。
だったら自分に出来ることは、信じること。そして、自分の役目を果たすことだ。
そう思い直し、響は自分の主を見つめた。ウィリアムは小さく肩をすくめ「行くぞ」と告げた。
ふたりと別れ、カリルは刃を見かけた廊下に戻ってきていた。
周りを注意深く確認するが、刃らしき姿はどこにもない。いったいどこに行ったのだろうか。
ドーン、という地響きのような音がして、再び床が大きく揺れた。細かな石の欠片が天井から落ちてくる。
それらを払って、カリルは進み始めた。
無駄に広すぎるとはいえ、同じ城内にはいるはずなのだが・・・こんなにも会えないものなのだろうか。
けれど、ようやくここまで来た。長かったようにも、短かったようも感じ、カリルは小さく笑った。
おじじ、シロ、村のみんな。脳裏を、楽しかった日々と、無数の墓標がよぎっていった。
そして、リオ。争いは嫌だと言った友人の声を、村を壊滅させた皇子の顔を、思い出す。ようやくだと思った。
あいつに会って、一発殴る。それができて、ようやく自分も前に進めるのだ。
「待ってろよ、リオ」
つぶやいたカリルの耳に、不意に悲鳴が聞こえてきた。
神経を尖らせ、剣の柄を握り直す。足音をできるだけたてないようにして、悲鳴が聞こえてきたほうへ向かう。
そこは、廊下にしては開けた場所だった。足元は充満し始めた煙が、藻のようにゆらゆらと揺れている。
慎重に様子をうかがったカリルが見たものは、鮮血が床に飛び散った瞬間だった。
「!」
向かい合っていたのは、ふたりの人間だった。鮮血が飛び散り、ティティンの兵士が床に倒れる。
無情にそれを見下ろしていたのは、トランドの人間だろう。その剣を持つ腕が、再び持ちあがるのを見て、頭がかっと熱くなった。止めを刺す気だ。
「やめろッ!」
大声で怒鳴り、トランドの兵士に体当たりを食らわせる。
不意をついたはずだったが、相手はよろめいただけだった。すぐに体勢を整えて距離をとり、今度は剣をこちらに向けてくる。
カリルは剣を構えながら、倒れた仲間を一瞥した。かすかに胸は上下しているが、呼吸音は濁り、口から血の泡を吹いている。
ふつふつと沸き上がる怒りをこめて、対峙する相手をにらみつけた。トランドの兵士は隙を見せないまま、こちらを無表情に見つめている。
その顔を見て、それまで感じていた怒りが、ゆっくり驚愕へと変化した。身体が強ばっていく。
「おまえ・・・」
無意識に下がっていったカリルの両腕を、相手は訝るように見つめている。その顔が記憶の中の物と重なり、そして奇妙な違和感だけを残した。
間違いない。あいつだ。でもこんな顔をしていただろうか。
こんな冷ややかな表情をしていただろうか。
島で出会った、穏やかな面持ちの少年と目の前の相手が重ならない。なんの感情も表さない目が、こちらを見ている。
これは、誰だ。
「おまえ、リオか?」
鋭く尋ねると、相手は一瞬凍り付いたように固まった。それからゆっくりと、戸惑うような表情を浮かべていく。
それの変化をまばたきもせずに見つめ、カリルは少しだけ安堵した。その顔は間違いなく、自分の知っているフォリオの顔だった。




