第四章
島を出発してから5日、フォリオの乗った艦は母国へと辿り着いた。
城に入ると、出迎えてくれた兵士や使用人たちに一斉に囲まれた。相変わらずの仰々しさに苦笑しながら、場内を歩く。
刃はフォリオの隣にずっといたが、周りの人間の様子を見る限り、それに気づいたものはいないようだった。
トランドは広大な土地を有した軍事国家だった。蒸気を利用した艦や機関車をはじめ、銃器や大砲などの機械製造に精通している。武器保有国としてトランドに匹敵する国はいない。
その反面、この国は資源が枯渇していた。もともとの土地柄に加え、度重なる内乱で際限ある資源は失われていった。軍備の発達を優先させてきたツケでもある。
部屋で湯を浴び、正装に着替えた後、フォリオは刃と共に父王の元へと向かった。
トランド現国王の名はクライスという。フォリオの父であり、トランドを巨大な軍事国家にした立役者だった。
「ただいま戻りました、父上」
「フォリオか。よく無事で戻った」
クライスは玉座に座り、鷹揚にうなずいた。フォリオの隣にいる刃に気付き、目を細めて笑う。
「ティティンの襲撃にあったと報告があったが・・・まあいい。お前が刃を連れ、無事に戻ってきたならば」
「・・・あの」
控えめにフォリオは切り出した。
「何だ?」
「あの襲撃の、生存者は他にいないのですか?」
ずっと気になっていたことだった。ティティンに襲撃されたあの夜、フォリオはひとり海に投げ出され島に流れついたが、もしかしたら他にも生存者がいたのではないかと。
「おらんな。艦は跡形もなかったそうだ。もしかしたら生き延びた者もおるかもしれんが、報告はきておらん」
「・・・そうですか」
表情を曇らせたフォリオにクライスは言った。
「目的は果たされたのだから、まぁ良しとしよう。要はフォリオが刃を連れて戻れば良かっただけのことだ」
「しかし」
「そうだな。こうなることが分かっておれば、あの船には捨て駒しか乗せんかったものを。そこそこ使える奴がいた。それだけが口惜しい」
「・・・」
フォリオは目元を強張らせ、父王を見つめた。
クライスは昔からそうだった。兵をただの駒としか思っていない。兵だけではない。息子である自分のこともそうだろう。
国家を強大な物にするための一駒。
そういう関係なのだ。血と名しか繋がりがない親子。
今現在行われているティティンとの戦争にしろ、元々はクライスが仕掛けたものだ。ティティンには豊かな水源と、金が採掘できる鉱山がある。
クライスはそれが欲しいのだ。
結果、双方ダメージを負っているというのに。
税は当然のように重くなり、民は兵へと駆り立てられた。働き手を失ってつぶれた村がいくつもあることを、フォリオは知っている。
どうにかしてくれと泣きついてきた者達は、容赦なく処刑された。フォリオは何度も進言したが、聞き入れられることはなかった。
それは今も同じだ。自分の言葉が父に届いたことは一度もない。
クライスを無遠慮に眺めていた刃が、にやりと笑った。
「久しぶりだな、クライス」
「そうだな。お前の守護を失くしてからというもの、俺はいろいろと不便な思いをしたぞ。これからまた存分に利用させてもらおう」
「アンタ、変わんねえな。変わったのは図体だけか。中年太りしやがって」
「国が豊かな証拠だろう?」
どこがだよ、と刃が毒づいたのが聞こえた。
ここに来るまでの道中、村はいくつもあったが、村人は一様に痩せ細っていた。食料すら満足に行きわたっていない証拠だ。刃もそれに気づいているだろう。
クライスは愉快そうにくつくつと笑っているだけだ。フォリオは刃を一瞥し、無駄だと言うように首を振った。
刃が呆れたようにため息をついた。
「言っとくがな、俺はフォリオの命令しかきかねえからな。アンタが頭を下げて土下座をしても、だ」
「それはないな」
うっすらクライスが笑んだ。
「俺がフォリオに命令する。フォリオは刃に命令する。そういう循環も分からんのか。相変わらず馬鹿のようだな」
刃は苛々したように腕を組んだ。
「よくもまあ、あんたからフォリオみたいな跡継ぎが生まれたよな。俺はびっくりだ」
「フォリオとて、俺の息子だ。跡継ぎとして俺のやり方を体で覚えさせるさ」
「最悪だ、お前」
刃はうんざりとした表情だった。クライスは低く笑った。
「父上」
フォリオが沈黙を破った。
「母上は、いかがお過ごしですか」
「リナか。あいつも変わらんぞ。宮におる。顔を出すといい。愛しの息子のご帰還だ、とな」
「冗談はよして下さい」
「まんざらそうでもないだろう?」
フォリオはそれ以上反論しなかった。
正妃や側室が住んでいる離れを宮という。
クライスは正妃であるリナのほかに、十人ほどの側室がいたが、子供をもうけたのはリナだけだった。
宮に出入りできる人間は限られていて、特に男は特例がない限りは許可されない。自由に出入りできるのは、クライスとフォリオだけだ。
刃は皆に見えない事をいいことについて来ていたが。
母の部屋の前には、いつも使用人がふたりついている。彼女たちはフォリオを見て頭を下げると、言われるより先に扉を開けた。
フォリオは礼を言って、中に入る。
「母上」
部屋の中には、ひとり椅子に座って編み物をしていた女性がいた。フォリオと同じ金髪を結い上げ、水色のドレスを着ている。
彼女はフォリオを見て顔を輝かせた。
「フォリオ!」
「ただいま戻りました。母上」
微笑む息子に駆け寄ると、リナは子供のような笑顔を向けた。
「どこへ行ってたの?皆教えてくれないんだもの。ふふ。でもリナ、ちゃんと一人でお留守番できたのよ。偉いでしょ」
「ええ」
何か言いたげな刃を視線で制する。
リナは白すぎる手を伸ばし、フォリオを抱きしめた。
「会いたかった。しばらくは城にいられるんでしょう?リナの傍にいてね」
フォリオは優しく母の背を撫でた。
「すみません母上、これから会議があるんです」
「でも」
リナは目を伏せた。親しくしている使用人がいるとはいえ、寂しかったのだろうか。
「またすぐに来ますから」
「・・・分かったわ。約束よ」
はい、とフォリオは優しく答えた。
早々に退室して廊下を歩く。宮の廊下はリナの趣向で、あちこちに花や木が飾られている。
殺風景な石壁に添えられたそれらを見ると、出てきたばかりの島のことを思い出した。あそこはトランドでは考えられないほど自然が豊かだったな、とフォリオは小さく笑った。
「フォリオ」
呼ばれて振り返ると、刃が微妙な顔つきでついてきている。何が言いたいのかは何となく分かったが。
「驚いた?」
「ああ・・・。つーかびびったな。引いたぞ、俺」
素直な感想に、フォリオは苦笑した。刃は頭をかいている。
「聞いてもいいわけ?」
「別に構わないよ」
「リナ、一体どうしたんだ? おれが最後に会ったときはあんなんじゃなかったぞ」
フォリオは思わず刃を見返した。
「そうか・・・。父上が結婚したころ、刃はまだいたんだな」
「まぁな。可愛い子だったぞ。ちょっと大人しかったけど。でもあんな風じゃなかった」
「・・・」
どう説明すればいいのか迷い、フォリオは足を止めた。
「父上の暴力がひどくて・・・おれが物心ついたときからああだったんだ。自分を小さな子供だと思い込んでる。医師では治せないらしい」
「・・・ふーん」
刃はそれだけつぶやいた。それ以上聞いてこないのが、なんとなくありがたかった。
清潔なクロスで整えられたテーブルの上には、豪勢な夕食が並べられていた。
上座にはクライスが座り、フォリオは少し離れた横に座っていた。リナはクライスと一緒には食事はしたがらないので、ふたりだけの夕食だった。
「・・・はい?」
つい今し方父王に言われた言葉に、フォリオは耳を疑った。理解するのに時間をかけ、気がつけば息をのんで立ち上がっていた。
「・・・父上、今なんとおっしゃいましたか?」
「聞いてなかったのか。守護の島を破壊してこいと言ったんだ」
クラウスはワイングラスを傾けながら、まるでゲームをするように簡単に命じた。
思わずフォリオは机を叩いていた。食器が派手な音を立てる。
「どうしてですか!あそこは・・・あの場はどの国家も手を出してはいけない中立な場所のはずです。わたしたちが干渉していい場所ではありません!」
フォリオを襲った感情は分からなかった。
憤りであり、畏怖であり、父への軽蔑。どれもが入り混じったものだ。
「父上!」
「守護霊の石版は、すべて封印が解けたわけではないのだろう?各国が守護の力を得る前に、守護霊を始末する。石版を壊せば、死せずとも力は失うだろう」
このくそじじい、と刃が低い声で呟いた。声には嫌悪が満ちている。
クライスが笑みを絶やさないまま尋ねた。
「フォリオ、ティティンの封印は解かれていたか?」
「っ・・・知りません。そんなこと覚えていません!」
「そうか。ティティンの守護霊が石版のままならば尚好都合だがな」
「・・・」
フォリオは拳を痛いほど握りしめた。ぐっとくちびるをかみしめる。そんなフォリオの様子を、クライスは観察するように見つめた。
「やれるな?フォリオ」
「・・・わたしは、反対です」
「反対かどうかは聞いていない。おれはやれ、と言った」
「できません」
その直後、クライスが持っていたワイングラスをフォリオに投げつけた。
「!」
反射的にフォリオは顔をそむけたが、予想された衝撃は来なかった。グラスはフォリオに当たる前に砕け、床に落ちる。絨毯に赤い染みが広がっていく。
フォリオは顔をあげて刃を見た。刃はひらひらと手を振っている。どうやら彼の力らしい。
「生意気だな」とクライスは口を歪めて笑った。
「まぁいい。フォリオ、お前がやらないのなら俺の部隊を出すまでだ」
フォリオは愕然と父を凝視した。
「父上!」
「明日の昼までに決めておけよ。部隊を動かすにも相応の準備がいる。いいな」
非情に告げられた言葉に、フォリオは黙り込んでいた。
自室に戻るまでの間、主である少年は一言も口を聞かなかった。
部屋の扉を閉めれば、周りに使用人はいなくなる。刃はひょいとフォリオの顔を覗きこんだ。思ったとおり顔色が悪い。
「・・・あー、フォリオ。大丈夫か?」
「・・・」
だんまりか、と困り果てたとき、「刃」と名前を呼ぶ声がした。小さなかすれた声。
「どうすればいい?」
「フォリオ」
「だって、あの島には・・・」
フォリオは最後まで言わず、うつむいてしまったが、なんとなく言いたいことは分かった。
あの島には石版だけではない。村があり、人が住んでいる。
フォリオの友人だっている。
「・・・」
ゆっくりと歩いて、フォリオがベッドに倒れこむ。そのまま動かなくなった。
「フォリオ?」
「刃は・・・どうする?」
「俺?」と鸚鵡返しに問い返す。
「あそこには刃の仲間がいる」
「俺は・・・」
刃は渋面した。これがフォリオにとって重要な問いであることは分かってはいたが。
「俺は、フォリオが決めたことに従う。卑怯かもしれないけどな。守護霊っていうのはそういうもんだから」
「・・・そうか」
「大丈夫か?」
とても大丈夫には見えなかったが、あえてそう尋ねてみる。
彼からの返事はなかった。
彼が守護の島への出兵を志願したのは、その翌日のことだった。




