第一章
「では、今後の動向を確認しておく」
ティティンの大会議場の中。サガは中央に座ったふたりに目を向けた。
「エン、セイオン軍は動かせるか?」
「うん。正規部隊を貸してもらえるよう、王にはお願いしてあるよ。全部は無理だけど、二、三隊なら動かせるはず」
「そうか。では話は早いな」
サガは笑むと、地図の上を指でなぞった。
「エン、汐。おまえたちはセイオン軍を率いてワイズリーと合流だ。そのまま解放軍と共に行動し、クール王都に攻め入る」
「指揮はどうするの?」
「元々はセイオンの軍隊だ。エンが采配するのが一番だろうが、ここはワイズリーに従ってくれ。彼を頭にして勝たなければ意味がない」
「分かった。じゃあ詳しいことはワイズリーって人と相談して、勝手に決めさせてもらう。それでいい?」
「ああ。連絡を定期的に行うから、そこで常に報告してくれ」
「うん。分かった」
話の区切りを見計らって、カリルが口を開いた。
「他の奴らはどうすればいいんだよ?」
「無論、トランドを攻める」
その一言に、空気に緊張が走った。カリルは目を細めて、サガを見据える。
「クール解放軍が王都に攻め入れば、トランド軍があちらの加勢に入るだろう。おれたちはその隙にトランドを攻める。クールの鎮圧に兵を当てている以上、戦力は落ちているはずだ」
サガの説明は納得できるものの、カリルは素朴な疑問を抱いた。
「でもさ、トランド軍が加勢に来るかなんて分からないだろ?もし来なかったらどうするんだ?」
「来るさ。来なければクールを奪われると分かっているからな。奪われたら最後、ティティン、セイオン、クールからの挟み撃ちに遭うのは目に見えている」
クールはトランドに隣接しているので、かの国が陥落するのは確かにトランドにとって不利でしかないだろう。下手をすれば包囲されかねない状況になる。
「トランドを攻めるのは、ウィリアムさまを筆頭としたティティン軍だ。カリル、おまえもこちら側で文句はないな?」
サガの問いに目を丸くした後、カリルはにやりと笑みを浮かべた。
「・・・あったりまえだ。たまには気が利くじゃんか、サガ」
「おまえをクール側に回して暴れられるのはごめんだからな」
分かりきっていると言いたげにサガはため息をついている。失礼な奴だ。そりゃもちろん抗議はするだろうが、暴れるとは何だ、暴れるとは。
「では、決行は明後日。クール解放軍が進軍後、一日置いて我が軍もトランドに向けて進軍を開始する。各自、準備は怠らないように」
カリルはベッドに寝転がりながら、窓の外をぼんやりと見上げていた。
月が明るいのか、窓からは四角く切り取られた光が入ってきている。風の音と虫の声。遠くから人の声も聞こえる。
普段ならとっくに寝入っている時間だが、今日はなかなか寝付けなかった。昼間に聞いたサガの声をどうしても思い出してしまう。
トランドに攻め入る。その一言が耳の奥から離れない。さっさと休んで明日に備えたほうがいいのは分かっていたが、意識は妙に冴えていた。
「・・・」
考えごとをしているカリルの耳が、ふと小さな声を捉えた。
「・・・カリルさん?寝てらっしゃいますか?」
「響?」
もう聞き慣れた声に上半身を起こすと、響が窓をすり抜けて入ってきた。カリルを見るとはにかむ。
「ふふ、来ちゃいましたー」
「来ちゃいました、じゃねーだろ。こんなところにいていいのか?ウィルは?」
今現在響の主はカリルではなく、ウィリアムだ。ほいほい放っておいていいとは思えない。
「ウィリアムさんはサガさんと打ち合わせ中です。将軍さんたちもいらっしゃいましたし、安全ですよ」
「そういう問題じゃねーだろ・・・」
呆れたカリルに近づくと、響はベッドの端っこにちょこんと座った。
「今日だけですから。少し一緒にいさせてください」
カリルは嘆息すると「しょうがねーな」と頭をかいた。どうせ眠れなかったのだし、ひとりでいるよりふたりでいたほうが気が紛れる。
「ウィルとは上手くやってんのか?」
「はい。色々よくしてもらってます。ウィリアムさん、意外と優しいんですよ?」
「おれだって優しかっただろ?」
「カリルさんも優しいですよ。少し分かりづらいだけで」
真面目にそう答えられ、カリルは肩をすくめた。
「まぁ、上手くやってんならいいさ」
「妬いてくれないんですか?」
「はいはい妬いてる妬いてる」
「棒読みじゃないですか!」
くちびるを尖らせて抗議した響につい笑ってしまう。ちょっと前までは当たり前だったこの空気が、今は少し懐かしい。
「・・・いよいよですね」
ぽつんとつぶやかれた言葉はどことなく寂しげで、カリルはそちらを見た。響は膝に置いた両手を握りしめ、それに視線を落としている。
「なんて言うか、長かったような短かったような・・・不思議な感じなんです。カリルさんと会った時のこと、昨日のことみたいに思い出せます」
「おれも覚えてるぞ?会話がかみ合わない天然バカって、本当にいるんだなって思った」
「カリルさん、ひどい」
響は顔を上げると、まっすぐこちらを見つめてきた。笑顔だったが、どことなくいつもと違ってぎこちない。無理をしているのかもしれない。
「フォリオさんと会えたら・・・カリルさんは、その後どうするんですか?」
「どうするかな。あんまり何も考えてないんだけど」
「ここに残ればいいですよ。ウィリアムさんもサガさんもカリルさんなら了承してくれます。そうだ、カリルさん強いんだし、ウィリアムさんの専属騎士とかになっちゃえばいいじゃないですか」
「あー、それだけはないなー」
具体的な未来など何も考えていないが、おそらくここには残らないだろうと思う。ここは居心地はいいが、それでも自分の場所ではないのだ。
「・・・寂しいです」
聞き逃してしまうそうなほど小さな囁きに顔を上げる。響は感情をこらえるような顔をしていた。
「もうすぐカリルさんと会えなくなると思うと、寂しいです、ぼく」
「響」
響はうつむいたままだ。そこで、ようやくここを出れば、響ともお別れなのだと思い至った。今までが一緒にいすぎたせいか、どこに行っても彼が側にいるような気がしていた。
確かに、それは寂しいかもしれない。
カリルはそっと息をはきだした。
「おまえに会えてよかったよ」
「・・・カリルさん」
打たれたように顔を上げた響に、笑みを向ける。
「全くおまえときたらバカで阿呆で間抜けでうっとうしいくらいの泣き虫だけどさ。一応感謝してる。おまえに会わなかったら、おれは多分ここにはいなかった。ありがとな」
「・・・」
じっと凝視してくる大きな目から、涙がころりとこぼれ落ちた。何となく予想はしていたものの、やっぱり呆れてしまう。
「おまえ、泣きすぎ」
「カリルさんが泣かせてるんじゃないですか!!もう!!バカ!!」
「泣くか怒るかどっちかにしろ」
「うー」
響はごしごしと目元を乱暴にこすると、キッと顔を上げた。かと思うと、いきなり抱きついてくる。もちろん重さなんて感じないけど、これにはかなり驚いた。
「おい、響?」
「ぼくもカリルさんに会えて本当によかったです。カリルさんってば、口悪いし乱暴だし胸ないし無茶ばっかりして大変でしたけど、でも・・・すごくすごく楽しかった。ずっと続けばいいのにって思うくらい」
耳元で聞こえる響の声を、カリルはじっと聞いていた。震えている肩を叩いてやれれば良かったけど、触ることすらできない。
「響」
「ぼくのほうこそお礼を言わないと。カリルさんには色々教えてもらった気がします・・・」
首に回された腕がゆるんで、ゆっくりと身体が離れた。見上げた響は、穏やかに微笑んでいる。
「フォリオさんとちゃんと会えるよう、ぼくも祈ってます。どうかご武運を」
サガとの話を終えたウィリアムは、カリルの部屋に向かった。
打ち合わせ中、ずっとそわそわしていた響に「気になるなら会いに行け」と発破をかけたのは他でもない自分だ。響は迷っていたようだが、話が終わったら迎えに行く、と約束したら嬉しそうに出ていった。
響は何も言わなかったが、何を考えているかは一目瞭然だ。もうすぐトランドと本格的にぶつかることになる。そうなったら、心中穏やかではいられないだろう。響も、そしてカリルも。
部屋の前まで来たウィリアムは、小さくドアを叩いた。もう真夜中なので寝ているかもしれないと思ったが、すぐに返事が返ってくる。
「誰だ?」
「おれだ。響が来てないか?」
「なんだウィルか。入れよ」
ドアを開けたウィリアムは、その光景を見て言葉を失った。
カリルはベッドに腰掛けて剣の手入れをしていた。そこはいい。夜をどう過ごそうと本人の自由だ。
しかしその傍らに寄り添うようにして、ベッドで眠っている響を見たときには、妙な頭痛を覚えた。
しばらく絶句していたウィリアムがようやく言えた一言は「守護霊って、眠るのか・・・?」だった。
カリルはさぁ、と首をすくめた。
「眠らなくていいとは聞いたことあるな。実際こいつが寝てるの見るの初めてだし」
「・・・なんでそんなに冷静なんだ。そもそもこの状況はなんなんだ?」
「おれに聞くなよ」
ウィリアムはため息をつくと、ベッドに歩み寄った。響は何とも言えず幸せそうな顔をしている。
「響、行くぞ。起きろ」
「無駄だって、さっきからずっとその状態だから」
揺すろうにも触れることすらできない。このまま置いていこうかと本気で思った。しかし約束した手前があるし。
考え込んでいると、ふいにカリルが話しかけてきた。
「ウィル。サガとの話って、明後日のことか?」
「ああ」
カリルは剣を鞘に収めると、改まってウィリアムを見た。珍しく真剣な表情だった。
「ウィル。ひとつ頼みがある」
「・・・何だよ」
「トランド軍とぶつかったら、リオと話をさせてほしい」
ウィリアムは呆れてしまった。
「トランドは敵で、向こうからしたらおれたちだって敵だ。話なんて成り立つのか?」
「リオなら大丈夫だって」
その自信はどこから来るんだ、と反論したいのをこらえ、ウィリアムは代わりに大きなため息を返してやった。
「止めたって聞かないんだろ?勝手にしろ。そのかわり、おれもひとつ言っておく」
「何」
「おれはあいつらを許すつもりはないし、見逃すつもりもない。あいつらがしてきた事への償いはしてもらう」
カリルは目を細めてウィリアムを見た。
「それは、前言ってた復讐か?」
「復讐というよりはケジメだな。前に進むための」
答えながら、ウィリアムは自分の心境の変化に自嘲した。以前は確かに復讐だった。それを自覚さえしていたのに、いつからか考え方が変わってきている。
カリルは首を傾げた。
「なんでそんな話をおれにするわけ?」
「トランド皇子を殺したら、おまえに恨まれるのは分かってる。それでもおれは許すつもりはないんだ。それだけ言っておく」
「ウィル」
カリルは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
カリルはトランド皇子と戦えない。そう言ったのはさっきまで顔を合わせていたサガだ。ウィリアムも同感だった。
元々カリルはトランド皇子を殺さないと明言しているのだ。手を下すことは無理だろう。初めからカリルに任せるつもりはなかったので構わないが。
カリルに恨まれようと、響に泣かれようと、トランドに属する者を許すつもりはなかった。上が迷えば下を危険にさらすことになりかねない。
しばらくしてカリルがそっと息をついた。
「安心しろよ、ウィル。おれがあんたを恨むなんてことには、絶対ならないからさ」
怪訝そうな顔になったウィリアムに、カリルは笑みを浮かべた。
「言っただろ?リオを殺すって言うんなら、おれが止めてやるって」
「・・・・・・頼んでない」
「遠慮するな。万が一ティティンが負けて、ウィルがリオに殺されそうになってもちゃんと止めてやるからさ」
「・・・その時はおまえも殺される側だろ?」
「あ?そっか。まぁ、細かいこと気にするな」
カリルがあっけらかんと笑うと、それまで身動きひとつしなかった響が、いきなり吹き出した。笑いを必死でこらえている辺り、明らかに狸寝入りだったことが分かる。
ウィリアムは低い声で名前を呼んだ。
「響」
「・・・」
「狸寝入りはやめろ」
「・・・・・・すいません。なんか言い出しにくくなっちゃって」
ウィリアムはため息をつくと「行くぞ」と踵を返した。部屋のドアを開けようと手を伸ばしたところで、後ろから声がかかる。
「ウィル」
「・・・何だ」
「頑張れよ?」
振り返ると、カリルはにやにやと笑っている。ウィリアムは「おまえもな」と肩をすくめた。




