第六章
案の定、話を聞いたウィリアムは大激怒した。
声を荒げることはなかったが、見る見る間に機嫌が低下していくのが手に取るように分かった。周りの空気も氷点下に下がった気がする。
島にいたころは感情を爆発させて怒鳴ってきたのに、やっぱり変わったなこいつ、などとどうでもいいことに思考が向く。
「・・・なんだって?」
声が氷よりも冷たい。響はともかく、なんでこいつまでこういう態度なのだろうか。腑に落ちない。
「だからさ、響の守護をおまえにって話」
「・・・」
ウィリアムは読んでいた書類をそろえて机に置くと、向かい合わせの席に座っていたエンと汐に声をかけた。ふたりとも興味津々の様子で聞き耳を立てている。
「後は頼んでいいか。少し出てくる」
「ええ?ここで話せばいいじゃないか」
「・・・」
「・・・ごめんよ、冗談だから。行ってらっしゃーい」
汐がひきつった表情で手を振った。あわよくば仲介役を期待していたのだが、これは無理そうだ。
ウィリアムは立ち上がると「ちょっと来い」と腕をつかんで引っ張った。かなりご立腹らしく結構な痛さだ。
そのまま連れていかれたのは、王宮の奥にある庭園だった。休憩所として使われているので、朝は滅多に人は来ない。
ようやく腕を放すと、ウィリアムはぶっきらぼうに言った。
「納得できるよう説明しろ」
「また?おれ昨日響にさんざん説明したんだけど、また?」
「おれは聞いてない」
思い切りにらまれ、こんなことならふたりが揃っている時に言い出せばよかったと今更悔やんだ。
「おまえに死なれたら困るから。以上」
「そんな説明で納得すると思うのか?」
「これ以上分かりやすくは説明できないんだけど」
「分かりやすくなくていい。納得できるように説明しろ」
助けを求めるように響を見るが、ツンとそっぽを向いた挙げ句、さっさと離れていきやがった。あの野郎。
しかし一体どう説明すればいいのか。こいつは絶対響よりも頑固で融通が利かないっていうのに。
思案していると、傍らでウィリアムがため息をついた。
「誰にそそのかされた?サガか?それとも将軍たちか?」
「別にそそのかされたわけじゃない」
「じゃ、誰が言い出したんだ?」
「おれだけど」
目の前の相手から堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。あ、と思ったがもう遅い。
「ふざけるな!今更何なんだ。島にいた時は、響は譲らないと言っただろ!!」
いきなり怒鳴りつけられ、カリルは面食らった。誰だ、ちょっとは変わったとか言った奴は。追いつめると切れるのは相変わらずじゃないか。
「あの時はあの時だろ?確かにあの時はおまえに響は任せられないって思った。でも、今は違う」
以前のウィリアムは、響をただの道具としてしか見ていないようだった。それが気に入らなかったし、自分だけ隠れているのも勘にさわった。
でも今は違う。響の意志を尊重しようとするし、自ら戦おうともしている。
「これから戦うつもりなんだろ?それなら死ねないじゃないか、皇子さま」
「『皇子さま』はやめろ」
不愉快そうにウィリアムは眉をひそめると、まっすぐカリルを見返した。
「響を失えば、おまえのほうこそ死ぬかもしれないんだぞ?」
「あー、絶対死なないから大丈夫」
「おれは絶対なんて言葉は信用しない」
カリルはまばたきをした。なるほど、響とは違うらしい。
まじまじと見つめると、ウィリアムは躊躇うように小さくつぶやいた。
「・・・おまえが死んだら響が泣く」
「ウィルが死んでも響は泣くだろ。・・・違うか、おまえが死んだら国中が泣く」
そもそもウィリアムとは背負っているものの大きさからして違うのだ。彼が死ねば、直接会ったこともない民が嘆くのは目に見えている。
ウィリアムは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「・・・響だけじゃない」
「あ?」
「おまえが死んだら泣くのは響だけじゃない」
「ふーん?もしかしてウィル泣いてくれんの?」
「・・・・・・なんで、おれが」
「今のは冗談でも肯定するところだろーが」
呆れかえると、ウィリアムが目をそらしたままぼそりとつぶやいた。
「他にいるだろう。・・・トランド皇子とか」
「は?リオ?」
なぜここでリオが出てくると思ったが、ウィリアムは意外に真顔だ。リオか、とカリルは口の中でつぶやいた。どうだろうか。
「リオが泣くかはわかんねーけど・・・あいつにだけは泣いて欲しくないな」
「どうして」
カリルは肩をすくめただけで答えなかった。自分でもはっきりと分からないのだから仕方がない。ただ、想像したら無性に嫌だったのだ。
「だいたい死ぬつもりなんてないんだ。もしもの話なんて縁起が悪いだけだろ?」
「まぁな」
渋々同意したウィリアムに笑みを向ける。
「これで納得したか?」
「するわけないだろ」
ウィリアムからは憮然とした返事が返ってくる。この野郎、今までの会話を全部無駄にする気か?
内心うんざりしていたカリルは、何とかならないかと打開策を考えた。響が口添えしてくれるのは期待できそうもないし・・・。
ふとウィリアムを見やったカリルは、その腰に帯びている剣に目を留めた。護身用なので短めだが、立派な武器だ。ちなみにカリルの腰にも同じものがある。
にやりと笑みを浮かべると、ウィリアムが怪訝そうな顔をした。
「・・・何笑ってるんだ?」
「いい解決方法を思いついた。ほら」
カリルは下げていた剣を抜くと、片手で構えた。切っ先はウィリアムに向いている。
ますます相手は眉をひそめた。
「何のつもりだ?」
「おまえが簡単に納得しないのは分かった。これで勝負しようぜ。負けた方が弱い、イコール死ぬ可能性も高いんだから、ありがたく響の守護を受けるってことで」
「・・・」
ウィリアムはかなり嫌そうな顔をしたが「逃げるのか?」の一言にかちんときたらしい。いいだろう、と結局了承した。
「・・・それで負けちゃったんだねぇ」
話を聞いた汐は苦笑した。戻ってきた2人の様子を見れば結果は明らかだったが、さすがにウィリアムには同情を禁じ得ない。
「こっちはヤノに鍛えられてんだ。そう簡単に負けるかよ」
エンに手当をされながら、カリルは朗らかに笑った。
ウィリアムとの勝負は最初剣だったそうだが、気がついたらお互い殴り合いになっていたらしい。おかげでふたりとも痣をこしらえていた。
「その割には苦戦したみたいじゃない?」
「あー、なんかあいつ前よりは強くなったかもな。あんまり隙がなくてさ・・・ちょっとエン!痛え!!」
容赦なく打ち身に薬を塗り込まれ、カリルがわめく。
汐はまた失笑してしまった。王宮に戻ってからウィリアムが欠かさず鍛錬をしていることは知っていたが、まだまだカリルには勝てないらしい。
カリルに負けて響を諦めた挙げ句、鍛錬してもまた負けたのだから相当屈辱だっただろうなぁ、と思う。
当のウィリアムは機嫌が悪いのを隠そうともしないで部屋を出ていったきり、戻ってこない。
「カリル、ちゃんと後でフォローしておきなよ?」
「はぁ?なんでおれが・・・っ痛あッ!!」
突然現れたサガが、カリルの脳天に拳を落とした。見るからに手加減なしの一撃だ。
「ってぇな!!何すんだ、サガ!!」
「ウィリアムさまに聞いたぞ」
サガは冷ややかだが落ち着いた声だった。
「響をウィリアムさまに返すと。・・・本当か?」
「ああ」
「そうか」
サガはカリルの横の椅子を引くと、腰を下ろした。考えごとをするように頬杖をついている。
「・・・すまなかったな」
突然の謝罪にカリルはせき込み、エンと汐は目を見開いた。あのサガが謝るなんて。晴天の霹靂か。
「何だよ急に」
「響のことだ。・・・本音を言えば、安心した」
馬鹿正直な告白に、カリルは肩をすくめた。
「で?その恩人に対して暴力ってどういうこと?」
「それとこれとは別だ。おまえ、ウィリアムさまに怪我をさせただろう」
「おれもしてるだろーが!よく見ろよ!!」
「おまえと一緒にするな」
冷ややかにサガが言った。




