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プロスト  作者: ガル
第六部
43/65

第五章

 牢に踏み込んだフォリオが最初に聞いたものは、何かを打つ音だった。時々聞こえる弱々しいうめき声に、頭の中が真っ白になる。

 無我夢中で足を進めると、目を疑うような光景が飛び込んできた。大の男ふたりが少女をー兵士が皇女を公然となぶっている。

 片方の兵士が手を振りあげたのを見て、理性が焼き切れた。

「何してる!」

 怒鳴りつけ、レイアと兵士の間に割り込む。直後に肩に鈍い衝撃が走った。

「お、皇子・・・」

 動揺して後ずさる兵士たちを、射殺さんばかりににらみつける。

 冷ややかな声が口をついて出た。

「・・・何をしてた」

「は、あの・・・」

「何をしてたと言ってる!自分たちが何をしたかも分からないのか?」

 兵士たちはびくりと首をすくませると、互いに視線を交わしあった。

「は、しかし・・・その、王のご命令で」

「命令されれば何でもするのか、きみたちは」

「そ、それは・・・」

 フォリオは深く息を吐き出した。落ち着け。ここで兵士を責めてもどうにもならない。

「・・・行っていい。王にご報告しろ。おれが止めたと言えばいい」

「しかし」

「行け」

 にらみつけると、兵士たちは背筋を伸ばして礼をとり、慌てて出ていった。もう一度深く息を吐く。

 レイアを振り返り、フォリオは再び言葉を失った。

 彼女は満身創痍で横たわっていた。殴られたのか生々しい痣が顔に浮かび、手足からは血が出ている。

「・・・」

 言葉が出てこなかった。

 傍らに膝を突き、手を伸ばす。手が震えた。頬に触れると、レイアはびくっと肩を揺らした。

 姫、と呼んだつもりだがうまく声にならない。それでも聞こえたかのように、かすかにレイアの瞼が開いた。目の焦点が合うと、彼女はどこかほっとしたような表情になった。

 くちびるが動いたので慌てて耳を寄せる。

「・・・るの・・・お、そい」

 すみません。そう笑おうとして、失敗した。顔がゆがむ。

 すみません、遅くて。今度は何とか声になった。それを聞いたレイアは、少し満足げに瞼を閉じた。










 窓の外は夜の空気に包まれていた。どこからか虫の声が聞こえるのを、カリルは自室のベッドに寝転がって聞いていた。室内はランプがひとつあるだけで薄暗い。

 目を閉じると、昼間の光景が瞼の裏に浮かんだ。

 あの熱気。ウィリアムの声。響の誇らしげな表情。歓声。それらをまざまざと思い返す。

 ウィリアムはどこか変わったと、カリルは思う。島で初めて出会った時は、本当にただの反抗期の子供のようだった。建前と自尊心だけは立派な少年。言葉は悪いが間違ってはいないと思う。

 それがすこしずつ変わったと感じるようになったのは、いつからだっただろうか。思い返しても、そもそもカリルは王宮に来てすぐにワイズリーの救出に出てしまったし・・・そこまで考えて、ふと気づいた。

 その後、響と盛大な喧嘩をしたが、仲裁に入ったのはサガでも汐でもなく、ウィリアムだった。島にいたころの彼なら面倒な仲裁などせず、好機とばかりに響を取り戻していただろうに。

「・・・うーん」

 ひとりつぶやくと、思いの外返事があった。目を開けると響が目を丸くしてこちらをのぞきこんでいる。

「カリルさん、起きてらっしゃったんですか?」

「まぁな。つか近い離れろ」

「照れなくてもいいんですよ?ぼくとカリルさんの仲じゃないですか」

「・・・」

 相手するのも面倒になり、カリルはわざとらしく背を向けた。あからさまに無視された響がなにやら騒いでいたが無視だ。疲れる。

 響がベッドの端っこに座ったのが気配で分かった。

「・・・何か考えごとですか?」

 気遣うような声音に、カリルは身じろぎをした。

「んー・・・昼間のこと思い出してた」

「ああウィリアムさんの。すごかったですもんね」

 嬉しそうに響は笑った。

「もしかしてカリルさん、ちょっとときめいたりしちゃったんじゃないですか?」

「それは、ない」

「ええーないんですか?あんなに格好よかったのに。せめて見直したとかそういうのは」

「・・・」

 少しばかり見直したのは事実だが、言うとまた面倒くさそうなので黙っておく。こいつの思考回路は時々壊れるから大変なのだ。

 カリルは横になったまま、つぶやいた。

「・・・おまえさ」

「はい」

「ウィルをどう思う?」

「どうって・・・もちろん尊敬してます。少し難しいところもある方ですけど、次の王にふさわしい方だと・・・今日改めて思いました」

 響ははにかみながら、けれど昼間と同じように誇らしげに答えた。その顔を見たら、今までカリルの中で漠然としていた『何か』が急に形になったのが分かった。

 カリルはまばたきをして、飛び起きた。

「・・・そうか」

「カ、カリルさん?急にどうしたんですか?」

「響」

 カリルは響に向き直り、開きかけた口をまた閉じた。どう言えばいいのだろう、と少し途方に暮れる。言い方を間違えれば、また泣かせてしまうような気がした。

「あの、カリルさん?」

「・・・あーくそ、面倒くせーな」

 カリルは頭をがりがりかくと、まっすぐに響を見つめた。

「響、おまえウィルのこと好きか?」

「?はい、もちろん」

「本当だな?」

「はい・・・」

 カリルは目をそらさないまま囁くように告げた。

「だったら・・・だったら、おれじゃなくあいつを守ってやれ」

 その一言が自分でも驚くほどに重かった。

 響は見る見る間に顔を強ばらせていく。ああ、やっぱり言い方を間違えたか?

「・・・カリルさん。それはどういう意味、ですか?」

「だから、・・・くそ、どう言えっつーんだよ」

「ウィリアムさんを主にしろと・・・そういうことですか?」

 躊躇った末、カリルは「そうだよ」と投げやりにうなずいた。案の定響は泣き出しそうなほど顔をゆがめている。ああくそ。

「泣くな」

「・・・どうして今更そんなこと言うんですか。カリルさん」

 赤らんだ目を、それでもまっすぐに響は向けてきた。嘘は許さないとでも訴えるような視線。

「おまえ、ウィルのこと好きだって言ったよな?」

「言いました。でもそれとこれとは関係ないでしょう?」

 カリルはそっと息をついた。

「おれもウィルのことは嫌いじゃない。前は気に入らない奴だったけど、最近はそうでもなくなった。だから・・・死なれると後味が悪い」

 前線に出ると彼は言った。その決意は認めるに値するが、そうなるとどうしても他の問題が出てくる。

 ウィリアムは守護がない。エンや自分と違って、何か起きるかも分からないのだ。

「ぼくだって・・・ぼくだってウィリアムさんを死なせたくなんかありません。当然でしょう?でも、それとこれとは話が別じゃないですか!ぼくはウィリアムさんと同じようにカリルさんだって死なせたくないんです」

「おれは死ぬつもりなんてない」

「ウィリアムさんもそうおっしゃってました」

 拗ねたように響は目を伏せた。これはあれだ。怒っている。まぁ泣かれるよりははるかにマシだから良いが。

 響、と名前を呼ぶと、彼は渋々顔を上げた。その目をのぞき込む。

「ウィルはまだ死ぬわけにはいかないんだ。昼間のを見て、よく分かった。あいつが死んだらこの国はどうなる?広場に集まってたあいつらは?エンやサガ、汐は?響、おまえは?」

 ウィリアムに何かあったとき、響は死ぬほど後悔するだろう。そして自分も。そんなのはごめんだった。

「おれは後悔したくない。あいつが死んだらさすがに後味が悪すぎる」

「・・・ウィリアムさんが死ぬくらいなら自分が死んだほうがましだと?そんなこと言ったら、いくらカリルさんでも許しませんよ。命の重さなんて誰だって同じじゃないですか」

「命の重さは同じだよ。でもその命に対するしがらみの重さは違う。あいつのは、重いだろ」

 つぶやくと、響は目を見張った。

「ウィルは、そのしがらみと向き合おうとしてるように思う。逃げればいいのにさ」

 話しながら思う。しがらみとは王族に生まれついたが故の拘束だ。期待、責務、言葉にすれば単純だが、それらは重い。

 自分ならごめんだが、ウィリアムはそれを受け入れている。思い返せばリオもそうだった。苦しそうに本音を話してくれたが、彼も逃げはしなかった。王族とはそういうものなのかもしれない。

「だからさ、おまえが一緒に支えてやれよ。それで少しは楽になる」

 守護霊は主の心は救えないと言う。しかしそれは違うのではないかと、カリルは思い始めていた。

 逃げ出したくなるようなしがらみだらけの中、少しでも自分を理解してくれる誰かが側にいれば、それだけでずいぶん救われるんじゃないだろうか。そんな風に思ったのだ。

 響はじっとカリルの顔を見つめていた。また泣き出しそうな顔をしている。顔をしかめると、彼は潤んだ目を隠すようにそっぽを向いた。

「・・・ぼくは知りませんからね。ウィリアムさんがブチ切れても。絶対に怒るに決まってます」

「ああ」

「カリルさんが説得するんですからね?ぼくは嫌ですからね!」

「まぁ、仕方がないな」

 考えただけで面倒だが、仕方がないだろう。あっさり答えると、響が目元をゆがめてぶつぶつと文句を言った。

「何なんですかカリルさんは。なんでそんなに無駄に勇ましいんですか」

 それは誉めているのか、貶しているのか。頭の中で考えていると、不意に視界一杯に響の顔が広がった。

「約束してください、カリルさん。絶対に絶対に死なないって。じゃないと離れません」

「あー分かった分かった。死なないから」

「絶対ですか?」

 絶対なんてあり得ないと、カリルは知っている。おそらく響も知っているだろう。誰だって死ぬときは死ぬものだ。

 だけど何故かカリルはうなずいて「絶対に死なない」と約束していた。






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