第三章
ウィリアムが民衆の前に立つその日、次代の王の姿を一目拝謁しようと、王宮前には大勢の人々が集まっていた。
親に手を引かれた小さな子供から、白髪交じりの老年夫婦まで、様々な人々が今か今かと待ちかまえている。
ウィリアムが姿を現すのは、大広場に面したバルコニーだ。
地上からの乱入者は防げるが、弓や銃などにはどうしても無防備になる。もちろん攻撃の足場となりそうな場所には全て警備兵が配置されていた。
今回カリルは警備から外れ、集まった民に混じって演説を聞くことにした。例の堅物の将軍どもが明らかに邪魔するなという雰囲気だったので、それならば任せてしまおうと思ったのだ。
カリルは目立たないよう隅っこから、民の様子を確認した。何しろ生死不明だった皇子がようやく帰還し、言葉が下るのだ。熱狂とはいかないまでも、皆一様に興奮したようにざわついている。
「・・・」
カリルはそっと息をついた。
自分が住んでいた守護の島に王族がいなかったせいか、カリルは身分に固執しないし、それが悪いことだとも思っていない。
だが、世間一般は違うのだろう。その証拠があの将軍たちであり、今ここにいる民衆だ。彼らの目にはウィリアムがウィリアムである前に、おそらく皇子として見えているのだろう。もちろんそれも悪いことだとは言えないが・・・。
リオもおそらくウィリアムと同じなはずだ。初めて会った夜、彼が言っていた言葉を思い出した。
周りが見ているのは皇子としての自分で、『フォリオ』個人ではないのだと。その時はまだ漠然としてしか分からなかったが、今なら少しだけ分かる気がした。
「・・・王族って、面倒だよなぁ」
無意識に、言葉がこぼれた。隣で兵士の身体を借りていた響がぱちぱちとまばたきをした後、苦笑した。
「フォリオさんですか?」
なんで分かったのだろう。思わず見つめると、彼はおかしそうに微笑んだ。
「ふふ、当たりですか?」
「なんで分かった?」
「フォリオさんのことを考えてる時って、カリルさんぼーっとしてるんですよ。ぼく、何となく分かるようになってきました」
意味もなくムカついて、カリルは兵士の腹に軽くパンチを入れた。もっとも鎧を着込んでいるのでダメージはなさそうだ。
頬に手を当て、兵士が息をついた。中身は響でも身体は屈強な兵士なのだから、その仕草はやめろ。
「・・・フォリオさんって、アレですよねぇ」
「アレって何だよ?」
「罪な男っていうか・・・罪な男ですよ。ぼくこの間初めてお顔見ましたけど、何ですかイケメンじゃないですか許せません!」
カリルは眉を寄せた。時々こいつは訳の分からないことを言い出すな、と思いながら。
「イケメンってなんだ?」
「すなわち美形です」
美形?カリルは益々眉をひそめた。確かにあいつが守護の島に来たとき、やたら女衆が騒いでいたのを思い出す。言われればそうか、という認識でしかないが。
「はっ!誤解しないでくださいね!?もちろんウィリアムさんのほうがずっーとイケメンですからッッ!」
「ああー?そうかぁー?」
「カリルさんひどい!!ウィリアムさんカッコいいじゃないですか!」
「いや、格好悪いとは言わないけどさ。おまえのそれ、ただの私情だろ?また刃には負けられないとか何とかっていう」
「カリルさんひどすぎです!フォリオさんの肩を持つなんて、カリルさんこそ私情じゃないですか!!!」
「アホかおまえ・・・」
カリルは呆れかえると、はっきり断言した。
「おれの私情を入れたら、一番カッコいいのはおれになるに決まってるだろーが」
響は目から鱗が落ちたような顔をした。ぽかんと口を開けた後、我に返ったように手を叩く。
「そ、そうでした・・・!!カリルさんが一番イケメンです!!」
「だろ?」
「はい!!」
カリルの隣にいた汐が、疲れたように額を押さえていた。
「・・・議論は終わったのかい?」
「はい!あれ?汐さんどうかしたんですか?」
「いや何でも・・・ああほら、時間だ」
汐の言葉に、カリルは顔を上げた。集まった人々から歓声が上がる。
高いバルコニーに、ゆっくりと出てきたのはサガだった。彼が手をあげると、すぐに広場が静まり返る。
サガは辺りを見渡すと、後ろを振り返った。奥から出てきたのはウィリアムだ。軍服姿の彼は見慣れたはずなのだが、こうやって改めて目線を変えるとまた妙に新鮮に感じた。
ウィリアムは前に進み出ると、集まった民衆をゆっくりと見渡すと、すっと口を開いた。
高すぎず、また低すぎない声で、語られたのは長く国を空けたことに対する謝罪だった。
「この国が大事な時に、皆には余計な負担をかけたことをすまなく思う。わたしはこのとおり無事だ。皆の忍耐と努力に感謝する」
集まった民衆たちがざわついた。誰かが「新皇帝陛下、万歳!」と声をあげたのをきっかけに、先ほどまでの熱気がぶり返す。
カリルは思わず息をのんだ。平気な顔でそこに立つウィリアムを、初めて見直した気がした。それほどまっすぐに向けられる感情が多く、そして強いのだ。
素の彼を知っている以上、演技だとは分かっていても、彼が微笑むのを見るのは妙な感じだった。女たちが色めきたっていたので、さっき響の言ったことも当たっているのかもしれない。
「わたしが玉座につくのは、この戦争が終わってからになる。皆も知ってのとおり、今は戦乱の最中だ。今は何よりこの国を勝利に導くことが責務だと考えている」
そこでウィリアムは言葉を切り、脇に控えたサガに視線を向けた。強い目で一瞥すると、そのまま再び民衆たちに視線を戻した。
次に彼が言ったことに、カリルはもちろん響も驚愕した。
「我々の唯一無二の同盟国はセイオンだが、新たに絆を結ぶべき国ができた。皆も知っていると思う。北東の大国、クールだ」
大広場が一瞬で静まり返った。
何を言い出すんだ、あいつは。カリルはまじまじとウィリアムを見上げた。彼はいつも通り、何を考えているか分からない顔をしている。
「クールは現在内乱状態にある。だが、その戦ですべてが正しい方向へ修正されることを願っている。我が国ティティンと同盟国セイオンは、そのための協力を惜しむつもりはない」
大広場は静まり返ったままだ。
カリルはそっとサガの様子をうかがった。平静を装ってはいるが、明らかに動揺しているのが見て取れる。ちょっといい気味だと思った。
ウィリアムは抑えた口調で、しかしよく通る声音ではっきりと告げた。
「ティティンそしてセイオンの両国は、クール解放軍の指導者をかの国の次代の統率者と認め、支援していくことをここに表明する。皆は新たな未来が開けることを信じ、そして祈っていてほしい」
ウィリアムは微笑んでそう言った。直後、はちきれんばかりの歓声があがる。熱気が戻ってくる。
カリルは横にいた響を見やった。彼は誇らしげな表情で、次代の王を見上げていた。
カリルたちが会議場に入ると、すでにそこにはウィリアムの他にサガたちが集まっていた。
「なぜあんなことを明言なさったのですか!」
サガは珍しく焦った様子で自分の主を詰問する。椅子に座ったウィリアムは、表情を変えないままサガの顔を見上げた。
「あんなこととは?」
「ワイズリーを・・・クールの解放軍を支援するということです!」
「支援しているのは事実だ。それに表だって公言してしまえば、援助も楽になる。解放軍にティティンやセイオンの部隊をつけることだって可能だ」
「ウィリアムさま!」
サガは膝を折り、言葉を継いだ。
「お分かりですか?クールの内乱に手を貸せば、侵略行為と捉えられかねないのですよ?」
「おれはワイズリーを次代の統治者として認め、支援すると言った。彼がいる限り、侵略行為ではありえない」
「そんなのは屁理屈です。クールやトランドが黙っているはずがありません」
ウィリアムは息をついた。
「侵略かどうかなんて、すべて結果論でしかないだろ。おれたちが勝てばいい。違うか?」
「違いません。しかし」
ふふっと小さく笑ったのはエンだった。少し離れたところに座っている。
「諦めなよ、サガ。ウィリアム皇子が言うことにも一理ある」
「・・・おまえはそれでいいのか。支援すると表明したのはティティンだけでなく、セイオンもなんだぞ?」
「ぼく?ぼくの国なら大丈夫だよ。少し前にウィリアム皇子に打診されたから、ちゃんと王の許可は取ってあるもの。セイオン王はぼくたちの言動をご理解くださっている」
初耳だったらしく、サガはこめかみを押さえた。
「どうしてそう重要なことを黙っているんだ?」
「どうしてって、口止めされてたから」
「ウィリアムさま!」
矛先が再び戻ってきて、ウィリアムは肩をすくめた。
「・・・黙っていて悪かったとは思ってる。だけど言えば止めただろ?」
「当然です」
「でもおれはこれが最善だと思ってる。後悔はしていないし、負けるつもりもない。わかってくれ」
「しかし・・・」
まだ言い淀むサガに「往生際が悪いね」とエンが笑った。いつもの生意気な口調の奥に、妙な冷ややかさが残る声音で、彼は言った。
「そもそもあなたは軍師でしょう?本来なら王の英断を支えるのがあなたの役目。過保護も過ぎると皇子の・・・ひいては国のためにならないよ?」
あまりに核心をついた指摘に、サガは顔をしかめた。自覚はあるらしい。
しばらくして、いかにも渋々といった様子で、サガが折れた。
「・・・分かりました。言ってしまったものは仕方がありません」
「サガ、ついでもうひとつ言っておく」
「まだ何かあるのですか?」
サガは少し辟易した様子で問い返した。ウィリアムは小さく笑うと、あっさりと告げた。
「今後戦端が開かれたら、おれも前線に出る」
「・・・危険です」
「王の英断を支えてくれるんじゃないのか?」
「恐れながらまだウィリアムさまは王ではございません。時と場合によっては、進言も必要かと存じます」
とりつく島もないサガに、ウィリアムは息をついた。
「兵士だけでなく、他国の王族であるエン皇子も出る。なのに、おまえはおれに安全な場所でひとり隠れていろと?」
「そういうわけでは」
「兵士の後ろに隠れてなにが王だ。そんな勝利に意味はない。そんなことを続けていれば兵はもちろん、いずれ民心も離れていくとおれにだって分かる」
サガが返す言葉を失ったのを、カリルは初めて見た。
「心配するな。さっきも言ったが、負けるつもりも死ぬつもりもない」
ウィリアムはどこか穏やかにつぶやいた。




