第二章
ルベルト王の指示によって、捕らえられていた民が全員処刑されると知らされたのは、無情にも全てが終わった後だった。
刃とともにカリルの手がかりを探していたフォリオは、ある日クライスから突然呼び出された。それはいつものことだったが、いつもと違ったのはレイアと紅が同伴だったことだ。
怪訝に思いながらも呼び出しに応じたフォリオは、唐突に告げられた事実に絶句した。
たとえ暴動といえど、公正な審問にもかけず皆殺しにするなど、正気の沙汰ではなかった。
刃も愕然としていたが、時間が経つにつれて表情が変わっていった。世間話をするような態度でワインを嗜むクライスをにらみつける。
「・・・おまえが指示したのか?クライス」
「処刑の指示をしたのはルベルトだ」
「ごまかすな!ルベルトに命じたのはおまえだろうが!!」
「刃」
フォリオがかすれた声で制止した。すぐ横で呆然と立ち尽くすレイアを見やる。彼女はいつ倒れてもおかしくないような顔色だった。かすかに震えている。
レイアに寄り添った紅は、射殺しそうな目でクライスを凝視している。
クライスは肘掛けに肘を突いて頬杖すると、冷ややかな表情で息子を見据えた。
「フォリオ。今回の件、おまえはどう思う?」
「・・・処刑のことに関してでしたら、わたしには理解できません。そんなことをして何になります。民の反発を招くだけではありませんか」
「では、捕らえた者どもが反乱軍の一味だったと言ったら?」
フォリオは顔をしかめた。刃から話を聞いたとき、あまりに都合よく起きた暴動に、その可能性も考えないわけではなかったが。
「証拠はあるのですか?」
「捕まえた一人を拷問したら吐いたそうだぞ?もっとも、そいつもすでに殺されているがな」
「・・・それでも性急だと思います。反乱軍の手引きがあったのなら、それを明るみにした上で裁くべきだと・・・」
「なるほど、おまえはそう思うか」
クライスはふっと笑みを浮かべた。奇妙なほど優しい表情に、フォリオは眉を寄せる。
「では、助言にのっとってみよう。実はまだ疑わしき輩がいるのでな」
クライスはそう言うと、視線をレイアに向けた。表情と同じく、違和感を感じるほど優しい声で尋ねる。
「レイア、紅。処刑されるはずだった反乱軍の首謀者の逃亡を、おまえたちが幇助したという密告があるのだが?」
「!」
フォリオは驚愕した。刃も目を見開いている。逃亡幇助?
レイアはびくりと肩を揺らすと、大きく息をのみこんだ。顔は真っ青だったが、勇敢にも挑むような目線を返している。
「我々もあまり信じたくはない情報でな。何者かに陥れられるのは本意ではない。そこでそなたたちに真実を問おうと言うのだ。どうだ?」
「お待ちください、父上」
「なんだ?」
「どこからの密告なのです?」
「詳しくは分かっていない。封書が出回ったようだが、元がどこなのかは分からん。だが奇妙なことに、同じような封書がいくつも見つかっている」
笑みを絶やさずにクライスは言った。
「それで、どうなんだ?レイア、紅。黙っていては分からないが?」
優しげな口調とは裏腹に、フォリオは父王が激怒していることを悟った。その証拠に目だけは笑っておらず、冷ややかにレイアを見据えている。
レイアは答えない。紅もだ。
違うなら違うと否定してしまえばいい。どうして何も答えない。そこまで考えたフォリオは、突然すっと背筋が寒くなるのを感じた。
まさか、本当なのか。
本当だとすれば、重大な背信行為と捉えられかねない。たとえどんな理由があろうと、首謀者が逃げた事実は変わらないのだ。
「父上」
「なんだ、フォリオ」
「姫は・・・お加減がよくないご様子です。質疑はまた日を改めたほうがよろしいのではないでしょうか?」
ふむ、とつぶやくとクライスは息子をじっと見つめた。見透かすような目つきに、手にじわりと汗が滲む。
やけに長く感じられた時間の後、クライスは鷹揚に手を振った。
「・・・いいだろう。いつまでもそうしていられるのも目障りだ」
安堵するのも束の間、クライスは端に控えていた兵士に声をかけた。
「姫をお部屋にお連れしろ。くれぐれも外に出すな」
「父上!」
兵士は素早く動くと、左右からレイアを抱え込む。青ざめたままのレイアが、一度だけこちらを見た。目が合うが、彼女はそのまま連れて行かれてしまった。
フォリオは顔をしかめた。どうしようもない倦怠感が襲ってくる。
「・・・姫をどうなさるおつもりですか、父上」
「それはレイアの返答次第だな。密告が事実なら、それは完全な裏切り行為だ。理由など聞くつもりはない」
もっとも、とクライスは薄く笑った。
「あの態度では肯定しているも同然だがな」
「憶測での発言はお止めください」
「おまえもそう感じたはずだ。だから割って入ったのだろう?」
「父上、」
「フォリオ」
呼ばれ、伏せていた目を上げる。さっきまでの薄笑いは消えていた。
「密告が事実にしろ、違うにしろ、レイアとの婚約は解消だ。そのつもりでいるように」
「・・・どういうことです?」
「クールをトランドの一部として吸収する」
フォリオは父王の顔を凝視した。刃は険しい顔をしている。
「・・・父上、それは」
「ルベルトにはすでに承諾させた。そもそもこんな事態を招いたのは、クールの独立などを認めていたからだ。返す返す口惜しいな。四年前に手間を惜しまず、そうしておればよかったのだ」
「お待ちください、父上。そんなことクールの民が納得するはずありません」
「民の納得など必要ない。受け入れさえすればよい」
「受け入れるはずがありません!」
フォリオは声を上げた。
「クールの民と戦をするつもりですか。クールをトランドにするということは、クールの民は我々の民になるんですよ」
「反乱を企てる民は、民ではない。謀反人だ。庇護すべき対象には入らん」
「父上・・・」
フォリオは拳に力を入れた。
クライスは本気だ。本気で実行しようとしている。吸収と言えば聞こえはいいが、実際はクールという一つの国の滅亡でしかない。
「そういうわけでレイアとの婚約は解消だ。意味もなければ利益もないからな。おまえにはまた良い婚姻を探してやろう」
それまで黙っていた刃が、不意に舌打ちをした。組んでいた腕をほどくと、かつての主をにらみつける。
「いい加減にしろ、クライス」
「刃」
「あんたはどこまでこいつらを振り回せば気が済むんだ?フォリオの気持ちを考えたことあるのか。姫さんや紅がどうなるか、分かって言ってるのかよ?」
「・・・」
まばたきをしたクライスが、ふっとくちびるをゆがめて笑った。
「フォリオの気持ちなど考えたことはないが、レイアや紅がどうなるかは分かっているぞ?おまえと同じようにな」
「クライス!」
「刃、やめろ」
今にも飛びかかりそうな勢いの刃と父王の間に割って入ったフォリオは、刃の目をまっすぐに見た。
こんなところで言い合いをしている場合ではないのだ。早急に手を打たないと、あっと言う間に全てが終わってしまう。
その思いが伝わったのか、刃はゆがめた顔を背けると、小さく息を吐き出した。
クライスと別れたフォリオは、すぐさまレイアの自室に向かったが、入り口は兵士が完全に塞いでいた。王の勅令では退かすことも難しい。
刃が中に入って様子を見てきたが、首を横に振るだけだ。どうやら押し入ったとしても、会話できる状態ではないらしい。
「刃、聞いておきたいことがある」
自室に戻り人払いをしたフォリオは、椅子に腰を下ろしながら尋ねた。刃は難しい顔をしたまま、主の少年を振り返る。
「なんだ?」
「クールが吸収されたら、紅はどうなる?」
「・・・」
刃は頭を力任せにかくと、長いため息をついた。
「・・・フォリオ、おれたちには死ぬっていう概念はない」
「ああ」
「でも消滅はするんだ。いくつか条件があるが、封印が解けないまま石版を壊されたり、人間を害したりすれば存在ごと消える」
フォリオは眉をひそめた。石版の破壊なら、嫌と言うほど身にしみているが、もうひとつのほうは初耳だ。
「人間を害すって?」
「そのままだよ。おれたちは守護するための存在だ。その摂理からは外れることはできない。正当防衛だろうと事故だろうと、人間を害すればそれで終わりだ。・・・昔、それで消えた奴を知ってるから間違いない」
視線を落としたまま、刃は声を低めて告げた。
「一番重要なのは、おれたちは国がなければ存在できないってことだ。守護霊がいなくても国は回っていくが、その逆は有り得ない。国が滅べば守護霊も消える。クールがなくなれば・・・紅は消滅するだろうな」
「・・・そうか」
薄々感づいてはいたが、改めて確認するとどうしようもないやりきれなさを感じた。
その時、場違いなほど穏やかな声が割って入ってきた。
「面白そうな話をしておるの」
「紅・・・!」
部屋の扉を抜けて入ってきたのは紅だ。
「おまえ・・・聞いてたのか?」
「わたしが消える云々の話ならば聞いておったが?」
無意識のうちに感情が顔に出ていたのだろうか。紅は少し呆れたように首をすくめた。
「おぬしがそんな顔をする必要はない。わたしはな、四年前の戦で負けた時に、その覚悟をしておったのだから。思いの外長く生かされたが、今更泣きわめこうとは思わぬ」
「紅」
「むしろ、今わたしが案じているのはレイアのことじゃ」
紅は痛みをこらえるように眉をひそめている。フォリオはそっと声をかけた。
「紅。本当のことを教えてください。あの密告は事実なんですか?」
紅はじっとフォリオを見つめた後、小さくうなずいた。それが返事だった。
刃がたまらずに声を上げる。
「っ、おまえ、バカか?どうしてそんなことしたんだ!」
「決めたのはレイアじゃ」
「同じだろ。どうして止めなかった。どういう行為か分かってなかったとでも言うつもりか?」
反乱軍の首謀者を逃がすなど、完全な裏切り行為だ。クライスの耳に入ればどうなるか、紅だって分からないはずがない。
「無論、分かっておったとも」
「なら何で」
「話したところで貴様らには分かるまい。・・・わたしはあの選択をしたレイアを誇りに思う」
そうつぶやいた紅は、本当に誇らしげだった。刃が拳を握り込む。
しばらくして、紅がそっと息をついた。
「だが、それとこれとは話が別じゃ。皇子、レイアはどうなる?」
フォリオは目を伏せた。
クライスはすでに婚約解消を明言している。その上裏切り行為が明らかになれば、何の躊躇いもなく彼女を切り捨てるだろう。
クールがなくなればレイアはもはや皇女ではなく、フォリオの婚約者でもない。反乱軍の首謀者を逃がしたという罪しか残らなければ、どうなるかは火をみるより明らかだ。
ぞくりと背筋が粟だった。
夜半、フォリオは人目をかいくぐってレイアの部屋に向かった。
見張りの兵士たちの身体に刃と紅がすべりこむ。鍵を開けて扉を開けると、薄暗い室内の中、ランプで浮かび上がったベッドにレイアがいた。
今にも声を上げそうなレイアに静かにするよう言い、フォリオは扉の内側に入った。といっても時間が時間だ。室内には踏み込まず、扉を背にする。
ベッドの上のレイアは、あたふたと薄着を羽織っていた。
「・・・あ、あんた、どうやってここに?」
「刃と紅が協力してくれてます。でも時間はあまりありません。すぐに見回りがきます」
フォリオは声を抑えたまま、レイアを見据えた。
「反乱軍の首謀者の件は紅に聞きました。・・・どうしてそんなことをしたのか、教えてもらってもいいですか?」
「どうしてって・・・」
薄着の襟を胸元で押さえ、レイアは目をそらした。
「・・・あの人に死んで欲しくなかった。それだけよ」
「その行為がどういう意味を持つのかは・・・お分かりですか?」
「っ、分かってるわよ、そんなこと!」
声をあげてから、慌ててレイアは口をつぐんだ。声を低めて言い足す。
「でもわたしは後悔なんてしてないから」
フォリオはそっと息をついた。
「・・・姫、落ち着いて聞いてください。クールは近いうちにトランドに統一されます」
レイアはぽかんとフォリオを見返すと、我に返って言った。
「ちょ、ちょっと待って。そんなの聞いてない。婚約すればクールを対等な同盟国として扱ってくれるって言ったじゃない」
「姫、おれたちの婚約は解消されたんです」
レイアは今度こそ絶句すると、まじまじとフォリオを凝視した。その目はどこか傷ついたような色をしている。
「なんで・・・」
「・・・すみません」
「謝ってほしくなんかない!なんでそんなこと勝手に決めるの?」
決断したのは父王だが、その引き金を引いたのはレイアだ。もはやクライスは誰の意見も受け入れないだろう。
「姫はここから逃げたほうがいい」
「・・・え?」
「ここにいるのは危険です。どんな目に遭うか分からない。紅と一緒に逃げてください」
レイアは目を見開いたまま動かないでいたが、しばらくして眦をきつく吊り上げた。
「っ!バカにしないでよ!」
「姫?」
「逃げてどうするの。どこへ行けっていうのよ?どこにも行くところなんてない。ううん、例えあったとしたって逃げるつもりなんてないから!」
「姫」
「逃げたらあんたたちが正しいって認めたことになる。言ったでしょ、わたしは後悔なんてしてない。後ろめたいことなんてない」
「死んだら終わりです」
不意に口をついて出た言葉はどこか冷ややかで、自分でも驚いた。息を呑み込み、押さえた口調で言い足す。
「死んだら正しいも間違いもない。それで終わりなんです。生きてないと意味なんてないんですよ?」
「・・・それは、そうだけど」
レイアが言い淀むと、扉の外から兵士のーー正確には刃の声が聞こえた。
「フォリオ、見回りがくる」
どうやら時間らしい。
すぐに行く、と返事をして、フォリオはもう一度レイアを振り返った。彼女はどこか途方に暮れた子供のような顔をしていた。
「シルバに準備させます。・・・姫は、死なないでください」




