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プロスト  作者: ガル
第一部
4/65

第三章

 

 夢を見ている。

 そう思ったのは、夢の中の自分を冷静に見ている自分がいたからだ。

 敵艦に包囲された船。

 炎。

 怒鳴り声。

 火薬の臭い。

 爆音と。


 悲鳴。


 海の中に投げ出される、もうひとりの自分が。





「リオ」



 名前を呼ぶ声と、何かを叩く音でフォリオは目を覚ました。夢のせいか、嫌な汗をかいている。

 早い動悸を抑えながら、フォリオは目を動かした。部屋の中は暗い。横になっているうちに、いつの間にかうとうとしていたらしい。

 再度窓ガラスを叩く音がした。

 そちらに視線を向けると、窓ガラスの向こうからひょっこりと手がのぞいている。同時に「おーい、リオ。開けろー」という間延びした声。

 フォリオは小さく笑って窓により、ガラス戸を開けた。 冷たい空気。

 外にいたカリルは柵に手をかけると、器用に窓から入ってきた。ずいぶん身軽だ。

「おい、リオ。とっとと開けろよなー。風邪引くだろうが」

「いつからいたんだ?」

「5分くらいまえかな。目ぇ冴えて散歩してたんだ。それで」

「遊びに来た?」

 カリルは顔をしかめ、「ちげーよ」とぶっきらぼうに言った。

「リオ、うなされてただろ」

「俺が?」

「他に誰がいるんだよ」

「・・・」

 確かに嫌な夢を見ていた実感はある。

 気がついたら目をそらしていた。

「それで、起こしてくれたのか?」

「起こしたのは、ただ単におれが暇だったからだけど。やな夢見てるくらいなら、おれに付きあってくれよ」

 その言い方に思わず笑ってしまった。

「やっぱり遊びに来たんだな」

「そうとも言う」

 カリルはひょいとベッドに飛び込んだ。フォリオは部屋の端っこにあった椅子に腰かけながら、内心苦笑する。女の子なのに、これほど警戒心がなくていいものなのか。

 布団に顔を埋めていたカリルが低く唸った。

「毛布がカビ臭くない」

「え?」

「くそ、おれのはどれだけ言っても替えてくれねぇのに。不公平だ。不条理だ」

「そんなにひどいのか?」

「ひどい。無駄に小せぇし。リオ、替えてくれ」

「いいよ」

「んじゃあとで持ってくる」

 もそもそと毛布にくるまると、カリルはじっとこちらを見た。会ったときから感じていたが、カリルは時々まっすぐに目を向けてくる。

 嘘を見透かすような目。それを見ると、自然と顔をそらしてしまう。

「眠れねぇの?」

「カリルが起こしたんだよ」

「そういう意味じゃねぇよ。何か悩んでんの?」

「・・・」

 あまりにストレートに訊かれ、すぐに答えることができなかった。

「おれには難しいことは分かんないけどさ、リオは霊殿に用があってここに来たんだろ。なのになんか迷ってるよな」

「そう見えるか?」

「あれで見えないほうがどうかしてると思うけど」

 どうやら心配をかけてしまったらしい。こぼれそうになるため息をのみこむ。カリルはそんなフォリオを見やって、逆に大きなため息をついた。

「なぁ、リオ」

「うん?」

「霊殿って、何があるんだ?」

 予想外の質問に、フォリオは目を丸くした。

「知らないのか?」

「霊殿に何かがあるってことは知ってる。時々、偉そうな奴らがそこに行くためにこの島に来てることもな。でも何があるのか知らねーな。正直興味もなかったしさ」

「今は興味あるのか?」

「まぁ、それなりに」

 そうか、とフォリオは笑うと、視線を前に向けた。

「あそこには国の守護霊が眠っているんだ」

「は? 守護霊?」

 カリルは素っ頓狂な声で聞き返した。守護霊ってあれか。人間についてる幽霊みたいな。

「どう説明すればいいのかな。国の一つ一つに、それぞれ守護霊がいるんだ。その国を守るための守り神みたいなものが」

「幽霊じゃなくて、神様みたいなもんか」

「どちらかというとね」

 フォリオはうなずいた。

「おれはその守護霊の加護を受けに来たんだ」

「加護?」

「そう。国の守護霊はその国の王族に憑くんだよ。そうして守護霊がいる間は国には加護が与えられる。でも老いた身体で憑かせることはできないから、守護霊は一度主から離れて、あの霊殿に再び眠るんだ」

「で、また次の王族が迎えに行く?」

「そう。この島はどの国にも属さない中立地帯なんだ。守護の島と呼ばれている」

「そりゃ初耳」

 どうでもよさそうにカリルはベッドで背伸びをした。島にどういう呼び名があろうと、中で暮らしている人間には関係ないのだから、興味ないのだろう。

「守護霊ねぇ・・・あんなボロッちぃ遺跡にそんなもんがいんのか。じゃあリオも自分の国の守護霊を迎えに来たのか?」

「そうだよ」

「なんで?」

「は?」

「いや、漂流して来るほど必要なもんなのか?それ。実際今は、加護も何もない状態なんだろ?それでもやっていけてんのなら、それでいいじゃねぇか」

「・・・今は、ティティンと戦争中だから。守護の力が必要なんだ」

「じゃあなんで霊殿に行くの、迷ってんだ?」

「それは・・・」

 フォリオは逃げるように視線をそらすと、自分の手をじっと見下ろした。

「リオ」

 カリルが少し抑えた声で呼んだ。

「お前ほんとは嫌なんだろ。殺すとか殺されるとか。そーゆーの」

 少し驚いたようにフォリオは振り返った。

 真っ直ぐ向けられるカリルの目を見て目線を落とした。

「どうしてそう思う?」

「てゆーか、リオその手の性格だろ。戦うとか嫌で平和主義者で、自分の所為で誰かが不幸になったら悩んで胃に穴を開けるタイプだろ」

「胃に穴って」

「違うのかよ」

「いや・・・どうなんだろう。穴を開けたことはないよ」

「でもほぼ当たりだろ。つーかおれの言うことに間違いはねえ」

 フォリオは思わず失笑した。しばらくしてふと笑うのをやめ、そうかもしれない、と静かにつぶやいた。

「争うのは嫌だ。戦争なんて言うまでもない。どうして争うのか俺には分からないし、分かりたくもない」

 青白い月がぽかんと浮かんでいて。

 夢に見た真っ赤な光景が否応なく思い出される。

「・・・これ以上犠牲を出したくなくて、ここに来たはずだったんだ」

 カリルは珍しく黙って聞いている。

「戦いたくはない。話し合いで何とかしたいのは本音だよ。けれど・・・おれの立場とか、今までに死んだ者たちのことを考えるとそうもいかない。駄目なんだ」

 カリルの目を見ることができず、そらしたままつぶやく。

 カリルは頭をがりがりと掻いた。

「・・・おれは難しいこと分かんないけどさ。リオの人生はリオのもんだろ。何しよーと結果的に人に迷惑をかけなきゃいいんだろ?自分の行動に責任持てばいいんだろうが。違うのかよ」

 カリルが言葉を探しながら真摯に応えようとしているのが、痛いほどに伝わってきた。

「それに大事なのは今何ができるのかだろ。戦いたくねえならやめりゃいいし、本当に話し合いで何とかなるんなら、意地でもそれをやりゃいいさ。

 だけどよ、できねーから戦う。それも理由のひとつじゃねーのかよ。受身でいても犠牲が出んなら。死んだ奴等が望んでリオに託したものなら、なおさらさ。ってこれはおれがリオだったらの話だけどよ。あーもー何言ってんだ、おれ」

 枕を抱えて唸っているカリルに、自然と笑みがこぼれた。

 何笑ってんだよ、とカリルがふてくされた顔で言う。

「どーせ、変なこと言ってるとか思ってんだろ」

「いや、おかしかったわけじゃないんだ。ただ・・・」フォリオは一度息をのみこむと、ぽつりとつぶやいた「そうやって考えられることが羨ましい」

「リオ」

「そうやって気楽に呼んでくれる者が、おれにはいなかったんだ。民にとっておれは皇子で、父親にとってただの跡継ぎだったから」

「・・・」

「だから、・・・友達は君が初めてだ。カリル」

 にやりとカリルは口の両端を上げた。

「よかったな。ちょー光栄じゃん、それ」

「ああ、ちょー光栄だよ」

「リオ」

 カリルは枕をつかんでフォリオに思い切り投げつけた。

「そういう風に哀愁漂わせんのはやめろ。絵になってっから、すっげえムカつく。分かったな!」

 念を押してカリルは再び布団の中に潜り込んだ。

「カリル?」

「寝る」

「そ、そこで?」

「部屋戻んの、めんどい」

 おやすみー、と眠そうなくぐもった声。

 フォリオは首をすくめた。




 その日、村では朝っぱらから祖父の怒鳴り声が響き渡っていた。

 というのも祖父が廊下で毛布に包まって寝ているフォリオを発見し、さらにフォリオのために用意された部屋のベッドで、ひどい寝相で寝ているカリルを見つけたためだ。

「ばっかもーん!! お前というやつは!! 一体何を考えておる!!」

 カリルはというと、床に正座させられていた。怒鳴られているというのに、けろりとした顔で「腹減った・・」とおなかをさすっている。

「カリルっ!」

「はいはい」

「はいはいじゃない! 反省しておるのか!」

「反省も何もおれ悪いことしてねーよ。勝手にリオが廊下で寝たんだろ?おれが追い出したわけじゃないし」

「おーまーえーとーいーうーやーつーは!!」

 村長は真っ赤になってぶるぶる震えている。

「おじじー。頭の血管切れるぞー。ほら、落ち着けって。な?」

「誰のせいだと思っておる!」

「ろ、老師様」

 所在なさげにしていたフォリオが、戸惑いながらなだめにかかる。

「おれは別に気にしていませんから。その、寒くもなかったし」

「皇子、こやつなど庇わなくてもいいのです!」

「いえ、あの老師様」

 祖父はフォリオを勢いよく振り返ると、自らもカリルと並んで正座した。片手で無理やりカリルの頭を押さえつけると、自分も頭を下げる。

「いだだだだ! 痛い!おじじ!」

「本当に申し訳ありませんでした。皇子を廊下で寝かせるなど・・・」

「いえ、本当に大丈夫ですから。顔をあげてください」

 祖父は大きく深呼吸すると、隣のカリルを見据えた。

「今日は朝飯は抜きじゃ。しっかり反省せい」

 と低い声でいうと、ようやくカリルの頭を放した。カリルはというと、朝飯抜きという宣告に唖然とし、すぐに抗議したが当然聞き入れてはもらえなかった。





「くっそー、おじじめー」

 カリルは恨めしげに毒づいた。

 なんとか抜け出そうと身体をよじるが、きっちりと締められた縄はゆるみもしない。いくらなんでも木に縛りつけるか?と思う。動ければ勝手に食料調達するというのに。

「ああくそ、腹減った・・・。シロー、何か食べれるもん持ってきてよ」

 カリルの足元に寄り添うように丸まっていたシロは、ちょっと目を開けてぱたりと尻尾を振っただけで、すぐにまた寝てしまう。薄情者め。

 ぐったりと肩を落としているカリルを、誰かがそっと呼んだ。

「カリル?」

「・・・」

 頭を動かすのも面倒で、そのまま目だけを向ける。フォリオが包みを手に、近づいてくるのが見えた。

 ぐったりしているカリルを、のぞきこむようにして傍らにしゃがみこんだ。

「カリル、大丈夫か?」

「なわけねぇだろっ!!」

 思い切り足を伸ばして蹴飛ばしてやろうとしたが、ひょいと避けられてしまった。

「うわっ、むかつく! 蹴らせろ!」

「いいけど、食事落としても後悔しないか?」

「はーあー?」

 はい、とフォリオは持っていた包みを差し出した。サンドイッチだ。喉がごくりと鳴った。

「お手伝いさんが持たせてくれた。食べるだろ?」

「当たり前だ!」

 と、手を出そうにも縄でぐるぐる巻きにされている。

「食えねぇ!!」

 元気だな、と苦笑いしながらフォリオは縄をほどいた。

 早速カリルはサンドイッチにかぶりつく。手をべたべたにしながら、文句を並べる。

「大体なんでおれが怒られなきゃいけないんだよ? リオが勝手に廊下で寝たんだろうが!!」

「それは・・・まぁ、そうだな」

「やっぱリオが悪いんじゃねぇか!」

「老師様が怒ってらしたのは、ほかの理由もあると思うけど」

「は?何だよそれ」

 どう説明したものかとフォリオは考え込んでいる。

「・・・ひとつ、訊いていいか?」

「何だよ?」

「カリルはどうして・・・その、男の子みたいに振舞うんだ?」

「どうしてって・・・」

 カリルは露骨に嫌な顔をした。

「このほうが楽だからに決まってんだろ」

「・・・シンプルだな」

「だって村の女見てみろよ。髪伸ばして結ってスカートはいてんだぞ。にこにこして「わたし」とかいうおれ、想像できないだろ?」

「・・・できないことはない」

「まじか」

「ああ。似合うと思うよ」

 あっさりと肯定され、カリルはぽかんと相手を見返した。フォリオにからかうような様子はない。

「・・・おまえ、目ぇ腐ってんじゃねぇの?」

「カリル、もしかして照れてる?」

「照れてねぇ!!」

 フォリオを思い切り睨みつけると、カリルは残りのサンドイッチを口に詰め込んだ。

 フォリオは寝そべっているシロの頭を撫でている。気持ちいいのか、嬉しそうにシロは尻尾を振っていた。

「カリル」

「ああ?」

 サンドイッチを飲みこみ、カリルはちらりと目を向けた。

 フォリオはシロの頭に触れながら、世間話をするような気安さで言った。

「おれ、行くことにしたよ。霊殿へ」

「・・・へえ」

「昨夜、よく考えてみた。おれは、おれに課せられた責任を果たさなくちゃいけない。・・・死んだ者達の為にも」

「・・・」

 一瞬表情が翳ったような気がしたが、すぐにそれは消えうせた。

 カリルに視線を向けて、苦笑いを浮かべてみせる。

「けれどやっぱり戦うのは嫌いだから・・・できる範囲で足掻いて見せるけどな」

 ふーん、と興味なさそうにつぶやいた後、カリルはにやりと笑って見せた。






 フォリオは村を抜け、さらに奥に進んでいった。老師の言った通り一本道なので迷うことはなさそうだ。

 やがてフォリオは巨大な石柱で支えられた石造りの霊殿へと着いた。

 中に入るとやや空気が冷たく感じた。それに清涼感がある。

 何らかの浄化作用が働いているのかもしれない。

 フォリオは歩を進めた。

 やはり石造りの階段があり、それを登ると大きな丸い形のホールに出た。

 壁の上のほうに四角く切り取られた窓が並んでいて、そこから光が入ってくるが、やはり薄暗い。

「ここが・・・?」

 フォリオは小さく呟き辺りを見渡した。他に階段や道らしきものはない。ここで行き止まりだ。

「ここに守護霊がいるのか?」

 その時、あるものに気がついた。

 このホールの壁にぐるりと円を描くようにいくつもの四角い石版が埋められている。

 近づき目を凝らして見てみると、文字が彫られているのが分かる。古びて所々欠けているが、読むことぐらいならできそうだ。

「これは、国の名前か・・・」

 指で文字をなぞってみる。二行あって、一行目は現存する国の名前だと分かるが、その下の文字の意味がよく分からない。何かの名前だろうか?

 きっちりと並べられた石版の列には所々空きがある。

 つまり他の国の王族が来て、守護霊を連れて帰ったと考えるのが妥当だ。

 フォリオはそれらを一つ一つじっくり見ながら歩いた。

 世界に存在する国はすべて学んだつもりだったが、知らない名の国もある。

 いつか行ってみたいと思う。地理を学び、風習を学び、人々の生き方を学ぶ。

 ―――――そんなことはできないだろうけど。

 石版はまだ結構あった。守護霊の加護を受けていない国が多数あるという事だ。その国が平和という証拠かもしれない。

 知らず知らずのうちにほころんでいたフォリオは、ふと足を止めた。

 トランドの石版だ。

 向かい合うと、じっとそれを見つめた。

 トランドの国名と、その下にはやはり意味の分からない文字。

「・・・ジ、ン?」

 フォリオは声に出して呼んでみるが、やっぱり心当たりはない。

「・・・・・・ジンか」

 再度ぽつりとつぶやいた、そのとき。

『何か用か』

「!」

 不意にだるそうな声が耳に飛び込んだ。

 ぎょっとしつつ周りを見るが、もちろん誰もいない。

「・・・誰だ?」

『今、あんた俺のこと呼んだだろ』

「呼んだ? おれが?」

 そう言われても心当たりなんてない。・・・いや、もしかして。

「ジン?」

 まじまじとフォリオは石版を見た。

 声が頭に直接響いてくる。

『そう、刃。俺の名前だ』

 フォリオは息をのみ込んだ。

「もしかして・・・トランドの守護霊か?」

『何をいまさら。分かってて来たんだろ?』

 屈託ない笑い声とともに返事があった。

 では、二行目の文字はその国の守護霊の名前ということになる。

『それで? おれを呼んだってことは、あんたが次の主さんでいいんだよな?名前は?』

「フォリオだ。フォリオ・ルン・トランド」

『フォリオね。了解了解』

 声はずっと耳の奥から聞こえてくる。

 トランドの石版は残ったままだ。これで封印が解けたというわけではないのだろう。

「刃。封印をとくにはどうすればいい?」

『と、その前に。フォリオ、ひとつ訊いていいか?』

 口調を改めて、刃が尋ねてきた。

「何だ?」

『フォリオはどうしてここに来たんだ?』

 思いもかけない質問に、フォリオは言葉を失った。

「・・・なぜそんなことを?」

『正直、守護霊なんていなくても国は回っていくもんだ。多少不便だろうが、その国が平穏でさえあればな』

「・・・」

 平穏?

 トランドが平穏であるとは、とても言いがたい。

 刃は、勘付いているのだろう。刃が前の主――フォリオの父の守護から外れたとき、すでに戦乱は始まっていた。 そしてそれは今も続いていると。

 どう答えればいいのか。

 しばらく考えていたフォリオは、顔を上げ、石版を見つめた。

「おれのやりたいことに協力して欲しい」

『あんたのやりたいこと?』

「そうだ。おれはおれの責任を全うする。そのためにここに来たんだ。だから刃、君も君の役割を果たしてほしい」

 微笑んだフォリオに、刃は毒気を抜かれたような声を返してきた。

『・・・したたかだな、結構お前』

「そうでもないよ」

『いや、性格悪いとこあるぞ、絶対。自覚あるだろ』 

「どうだろう?」

『・・・それが性格悪いんだよ』

 ぶつぶつと刃がこぼしている。今、彼がどんな顔をしているのか見れないのが少し残念だった。

「それで、どうすれば封印が解けるんだ?」

『あー。血』

「血?」

『王族の証が血なんだ。偽者が来ても、それだけは偽れねぇならな。それが何よりの証になる。』

「なるほど、血か・・・」

『それを石版にちょっとつけてくれればいい』

「わかった」

 うなずいたものの、フォリオは剣もナイフも持っていなかった。仕方なく歯で指先を噛み、皮膚を千切る。

 つ、と血が指を伝わり、フォリオはその指で石版に触れた。

 その一瞬。

「!!」

 真っ白な光が石版から突き抜け、フォリオは思わず目を硬く閉じた。まぶた越しに感じる強い光はだんだんと収まっていく。ゆっくりと目を開けてみる。

 そこにあった石版はなくなっていた。

 代わりに目の前に、背の高い青年が立っている。

 鋭い印象を与える双眸。長く尖った耳。長い髪を一本に縛って。

 フォリオはまじまじとその青年を見つめた。

 薄い衣を重ねているのだろうか、珍しい格好をしている。何よりも気になったのは、その身体が宙に浮いていることだ。

 刃は腕を組んで、人好きのする笑顔を浮かべた。

「これからよろしくな、フォリオ」

「あ、ああ・・・」

「ん?どした?」

「驚いた。ちゃんとはっきりと見えるものなんだな」

 ああ、と刃は自分の腕を叩いてみせる。

「そりゃ、主に見えなくてどうするんだよ。でも俺も一応守護霊だからな。霊感が全くない奴には見えないだろうけど」

「触れるのか?」

「あ、それは無理。ほらこのとおり」

 と、突然刃は手を伸ばしてフォリオの頭に手を置いた。だか予想された感触はなく、刃の手は頭をすり抜けてしまう。

「霊体は霊体にしか触れねぇんだ。まぁ当たり前だけどな」

「そうなのか・・・」

 刃と話しながら、誰かに似ている、とフォリオは思った。すぐに誰なのか思い当たる。

 カリルだ。カリルとよく似た口調なのだ。

 何だかフォリオは嬉しかった。

「ああ、そうだ」

 思い出したように刃は振り返った。

「あいつ、元気?」

「あいつ?」

「俺の前の主。フォリオの親父さん」

 フォリオは曖昧に微笑んだ。

「・・・元気だよ、とても」

 その一言で何かが伝わったのか、刃は「そっか、相変わらずなんだな」とため息をついた。






 カリルはフォリオが連れ帰った刃を見て固まった。

 上から下まで何度も凝視したあと、すぐに胡散臭げな表情に変わる。

「・・・・・やっぱ浮いてんだ。こーゆーのって」

 それが長い沈黙の末のカリルの結論だった。

 ほ、とフォリオは安堵した。

「良かった、カリルにも見えるんだな」

「見えるから言ってるんだろうが。何当たり前のこと言ってんだ」

 空中を漂っていた刃がカリルに目を向けた。

「なんだなんだ? ずいぶん口の悪い坊主だなぁ」

「喧嘩売ってんのか、てめぇ」

 慌ててフォリオが小声でつぶやく。

「刃、カリルは女の子だよ」

「女の子・・・?」

 まじまじと刃はカリルを見下ろした。その目を思い切り睨み返してやる。刃が真顔でこそっと尋ねた。

「・・・フォリオの恋人とか?」

「な、ちがっ・・・」フォリオが慌てたように否定する。

「あ、違うんだ?」

「刃!」

「すまんすまん、冗談だって――うわっ!!」

 大きな石が、刃の頭をすごい勢いで通過していった。恐る恐る振り返ると、カリルが怒気をまとってこちらを睨みつけている。

「てめぇ、降りて来い!!ぶっ飛ばしてやる!!」

「おーこわ。女の子がぶっ飛ばしてやるとか言っちゃ駄目だって。ほら笑顔笑顔ー」

「リオ、こいつうぜぇんだけど!」

 刃を指差して、フォリオに怒鳴るが、間に挟まれたフォリオは困った顔で笑った。

「すまない、カリル。悪気はないんだ。刃もいい加減にしろ」

 刃はのんきに、「はいはい」と手を振っている。なんというか余裕しゃくしゃくの態度に、またむかついた。




 トランドからの探索部隊が島に着いたのは、その日の夕方だった。

 フォリオの乗った艦が音信不通になった後に、すぐに国から派遣されたらしい。

 村のいかだなんかとは比べ物にならない艦に、たくさんの兵士。それらに囲まれるフォリオを横目で眺めて初めて、彼が王族なのだと実感した。

 フォリオが改まった口調で、国に帰ると告げたのは、その日の夕食の席だった。




 夕食を終え、風呂で汗を流したカリルは、早々に自分の部屋を抜け出した。

 村を出て、森の入り口へ近づくと、指笛を鳴らす。しばらくして、白い巨狼が軽い足取りで寄ってきた。

「シロ」

 喉元を撫でると、シロは気持ち良さそうに目を閉じていたが、ふと急に顔をあげると低く唸った。

「シロ?」

 シロの見ているほうに視線を向ける。

 そこにいたのは、刃だ。カリルと目があって、片手を挙げる。

「よっ、カリル」

「ストーカーって言葉、知ってるか?」

「知らないなぁ」

「うぜぇ。帰れ」

「まぁ、そう言うなって。おれも暇なんだ。ちょっと話でもしようぜ」

 そう言うと、ひょいとシロの横に降りた。シロは最初こそ警戒した様子だったが、カリルが懐から干し肉を取り出すと、あっという間に意識がそれたようだった。夢中になって前足で肉を押さえ、しゃぶりついている。

「すげーでけぇ狼だな。名前は?」

「シロ」

「・・・分かりやすいな」

「分かりにくいよりいいだろ」

 ぶっきらぼうに答えると、カリルは木にもたれて座り込んだ。興味深そうにシロを見ている刃に話しかける。

「リオ、ほうっといていいのかよ?守護霊さん?」

「少しくらい離れても結界は働くから平気平気。なんかフォリオ打ち合わせで急がしそうでさー」

 確かに探索隊が合流してから、フォリオは何かと忙しそうに立ち回っている。カリルともあまり話をしていない。

「・・・出発は明日の朝だったな」

 低くつぶやく。刃はカリルを振り返ってまばたきをすると、苦笑いを浮かべた。

「そんな寂しそうな顔すんなって」

「はあ?目ん玉抉ってやろうか?」

「だからなんでそう毒舌で返すかなー。さびしいならさびしいって言やいいのに」

「喧嘩売ってんなら帰れ。うざい」

 にらみつけると、何がおかしいのか刃はくつくつと笑っている。実体があるのなら、本気で2、3発は殴っていると思う。

「まぁ、お互い様か。フォリオもフォリオだしな」

「あ?」

「なんでもない。なーシロ?」

 とごまかすと、刃は隣のシロに話しかけている。なんなんだ、一体。

 カリルは顔をしかめた。こんなやつに頼むのは癪だが、どう考えても適任はこいつしかいない。 仕方なく、口を開く。

「・・・なぁ」

「あ?」

「リオのこと、頼むぞ。ちゃんと見てろよな」

「・・・」

 刃はびっくりしたような顔で、こちらを見ていた。なんだ、そのアホ面は。

「人の話きいてんのか」

「・・・聞いてる。もちろん」

 刃は小さくうなずくと、「任せろ。それが俺の仕事だからな」といつもの笑顔を見せた。






 翌日の朝。

 村は慌ただしかった。フォリオが祖父たちと何か話しているのを、カリルは遠くからなんとなく眺めていた。

 話が終わったのか、輪から離れると、フォリオはまっすぐこちらに向かってきた。もちろん刃もついてくる。

「カリル」

「おう」

「その、・・・色々本当にありがとう。感謝してる」

「おう」

 カリルの淡白な返事に、刃は脱力している。

 フォリオは何かを迷っているかのように、目を伏せていた。カリルは首をかしげる。

「どうかしたか?」

「いや、その・・・シロによろしく」

「おう」

「・・・」

「まだあんのか?」

「だからその。・・・・・えっと」

 歯切れの悪いフォリオの態度に、横にいた刃が突然「あーもう!」と声を上げた。身を乗り出して、カリルに顔を近づける。

「カリル、あんた俺たちと一緒に来ないか?寂しいんだがなあ、誰かさんとしては」

「刃っっ!!」

 慌てたようにフォリオが怒鳴った。刃はというと、面白そうに笑っている。

 カリルはあっさりと答えた。

「行く気はねえ」

「・・・」

 フォリオはまばたきをして、それから少し寂しそうに笑った。

「そうか。なら、いいんだ」

「ここはおれの村だからな。出て行く気はねーよ。ただ・・・」

「?」

「フォリオが疲れたらここに帰ってこればいい。そういう事だろ?」

 フォリオは驚いた表情でカリルを見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。

「・・・ありがとう、カリル」

「別に礼言うようなことじゃねーだろ」

「でも・・・なんとなく言いたくなったんだ」

 嬉しそうに微笑んだまま、フォリオは言った。

「お言葉に甘えて、疲れたら帰ってくるよ」

「おう」

「カリル、俺も疲れたら帰ってくるからよろしく」

「てめーはくんな」

 ちょっと態度違いすぎないか?と刃がぼやき、それを見てフォリオもカリルも吹き出した。

 遠くからフォリオを呼ぶ声が聞こえてくる。出発の時間らしい。

 フォリオは穏やかにこちらを見た。

「・・・じゃあ、また。カリル」

「おう、またな」

 小さくうなずくと、フォリオはきびすを返した。ひらひらと刃も手を振って、その後に続く。

 

 そうして彼らは自国へと帰っていった。



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