第八章
小さなランプが響の身体を通り抜けて、後ろの壁にぶつかった。派手な音を立ててガラスが砕け散る。
「なんで邪魔した!!?」
カリルは怒りを隠そうともせずに怒鳴りつけた。カリルと向かい合う響は、ぎゅっと堪えるようにうつむいている。
カリルが意識を取り戻したのは、すでにワイズリーやロットと別れ、ティティンの王宮に戻った後だった。目が覚め、事態を把握するなり彼女は激高した。
「ふざけんな!おまえ、知ってるだろ!?おれが何のためにここまで来たのか。知っててなんで邪魔した!?答えろ!!」
響は黙ったまま答えなかった。その態度にも、カリルの苛立ちは募るばかりだ。
「カリル、やめるんだ。響はあんたを助けようとしただけだろう?あの子を責めるのは筋違いだよ」
横から仲裁に入った汐を、カリルはにらみつけた。
「汐は関係ないだろ。黙っててくれ」
「カリル!」
普段からカリルは短気だが、ここまで激高するのは初めてだ。とりつく島もない彼女の様子に、それまで成り行きを見守っていたサガがため息をついた。
「全く。バカだとは思っていたが、ここまでとはな」
「なんだと?」
「汐が言ったとおり、響はおまえを助けたんだ。あそこで捕まったら、もしかしたら殺されていたかもしれない。そんなことも分からないのか?」
「そう簡単に殺されるかよ」
カリルは自嘲気味に吐き捨てた。
「剣で切られても矢が刺さっても死ななかったんだ。捕まって拷問されたって死にゃしない。あんただって、それを分かってるからおれに行かせたんだろーが!!」
「カリル、落ち着きな。あんた自分が何言ってるか分かってるのかい?」
汐の叱責に、カリルはくちびるをかんだ。怒りを込めてサガをにらみつける。
彼は心底呆れたような口調で言った。
「響がいれば殺されることはないとでも思っているのか?ならおまえはバカを通り越して愚か者だな。捕まったおまえを響が助ければ、背後にあるティティンも関係を問われる。おまえはこの国まで巻き添えにするつもりか?」
「は、巻き添えも何も、当事者だろうが」
「奴らに正当性を与えるわけにはいかない。これは前に説明したことで、おまえも納得したはずだ。違うか?」
冷ややかな声以外、室内は静まり返っていた。
「それにもう一つ言っておくが、守護霊とて万能ではないぞ。護符を使えば、守護霊を引き剥がして宿主を殺すこともできる」
「・・・」
カリルは忌々しげに舌打ちして、顔を背けた。
「もういい。聞きたくない。出てってくれ」
「カリルさん」
「出てけ!」
悲鳴のような叫びに、響はびくっと身体を震わせた。
「あんたらの言いたいことは分かる。響のことだって分かってるさ。あいつが・・・悪くないことくらい」
カリルは顔を伏せたまま、小さくつぶやいた。
「でも、こっちの気持ちはどうなる。やっとあいつに会えたんだ。すぐ近くにいた。なのに・・・」
「カ、カリルさん。あの」
「・・・悪いけど、出てってくれ。ひとりにしてくれ」
懇願するようなその声に、響は凍り付いたように動けなくなってしまった。
夜遅くになっても、カリルは部屋から出てこなかった。
不思議なもので、彼女がいつもと違うだけで周りの雰囲気もどこかぎこちない。サガはあまり変わらないが、汐とエンは口数が少なくなっていた。響に至ってはカリルの部屋の前から離れようとしない有様だった。
ウィリアムは扉の横で膝を抱えている響を見やった。顔を伏せていたので表情は分からないが、相当落ち込んでいるように見える。
ウィリアムは息を一つついて、部屋の扉を叩いた。
「入るぞ」
予想はしていたが返事はない。構わずに取っ手に手をかけると、簡単に開いた。鍵はかかっていないらしい。
中は灯りが一つついているだけで、薄暗かった。カリルはベッドに寝転がって、壁側を向いている。
その背に話しかけた。
「起きてるんだろ?」
「・・・」
「おい」
「・・・寝てる」
「そうか」
明らかに拒絶の雰囲気があったが、あえて無視をした。いかにも使われていない様子の椅子に座る。
カリルの背中が、大きなため息をついた。
「部屋の主の許可なしで入ってくるのって、不法侵入って言うんだよな?」
「ここはティティンの王宮だからな。まだ王位にはついていないが、主ならおれになるはずだ」
「・・・あのさ、アンタの相手する気ないんだけど」
「そうか」
「出てけよ」
「その頼みをおれが聞く義理はないな」
あっさりと断ると、カリルが身じろぎをした。身体を起こすと、鋭い目でウィリアムをにらみつける。
「出てけって言ってんだろ」
「表に響がいる」
「・・・だから、何だよ?」
カリルはどうでもよさそうに答えたが、一瞬目元が歪んだのが分かった。
「こんな奴に負けたかと思うと、情けなくなるな」
腕を組んでつぶやくと、カリルの目がつり上がった。
「なんだと?」
「主を守るのが響の仕事だ。それをするなと止めるなら、響をいらないと言うのと同じだろう。それならおれに返せ」
「・・・そういうことはおれじゃなく、響に言ってくれ」
「言っていいんだな?」
「・・・・・・勝手にしろよ」
「なら勝手にするぞ」
響、と表にも聞こえるよう、ウィリアムは声を上げた。
「響、入ってこい」
おい、とカリルは顔をしかめた。ウィリアムはなかなか入ってくる様子のない響に、もう一度声をかける。
「響、聞こえてるだろう?中に入れ」
しばらくすると、思い詰めたような表情で響が扉を抜けてきた。
「・・・・・・あ、あの。ぼく・・・」
ウィリアムは立ち上がると、扉に向かった。すれ違いざま響に声をかける。
「それじゃおれは行くから」
「おい、ウィル・・・!何だよ、それ!」
「勝手にしろ、と言ったのはおまえだ。おまえらふたりが話をして、それでもこのままなら響は返してもらう」
本音を言えば、この状態で響を返してもらうつもりなど更々ないのだけど、それは黙っておいた。
ウィリアムは一方的にそれだけ告げると、さっさと部屋を後にした。
ウィリアムが出ていった後、部屋は長い間沈黙していた。
まったくあいつは何を考えているのか。余計なことばかりしやがって、と心の中で毒づいていると、おずおずと響が口を開いた。
「・・・カリルさん、すいませんでした」
その消え入りそうな声に、カリルは顔をしかめた。もう少しで、やめてくれと言いそうになった。
「でも、・・・でも、あの時したことを、ぼくは後悔してません。たとえカリルさんがどう思おうと・・・。ぼくは、カリルさんに生きていてほしいんです」
「・・・・・・」
真っ直ぐな言葉に、カリルは大きく息をついた。響がびくりと肩を震わせる。
カリルはそれまでずっと落としていた視線をゆっくりと上げた。響が握りしめた両手を見て、強ばったままの肩を見る。さらに上へ。
またため息が出た。
「・・・だからさ、泣くとか卑怯なんだよな、おまえ。泣きたいのはこっちなんだけど」
「す、すみませ・・・」
「それから殴れないのもかなり卑怯だよな。ムカついてもどうしようもできないし。おまえ、そこんところちゃんと分かってんの?」
響はごしごしと目をこすると、生真面目に言った。
「だ、誰かのお身体を、借りて来たほうがいいでしょうか?」
「サガにしてくれ。無理そうならウィルでもいい。殴らせろ」
「ちょっと待ってくださいね。サガさんは確か今打ち合わせ中で・・・」
ウィリアムさんなら追いかければ捕まるでしょうか、などと真剣に悩む姿を見たら、妙に気が抜けた。冗談だと言いおいて、もう一度ベッドに背中から倒れ込む。
「カリルさん」
「・・・何だよ」
「本当に、・・・すみませんでした」
カリルは天井を見据えたまま答えなかった。
長い長い沈黙の後、聞こえるかどうか分からないほどの小声で囁く。
「おれも・・・言い過ぎた。悪い」
「カリルさん・・・」
響が驚いているのが見なくても分かった。ああくそ。らしくないことをした。ぶっきらぼうに言い足しておく。
「二度とあんなことするな」
「はい。カリルさんも約束してくださるのなら、二度としないと誓います」
「はぁ?」
首を動かして響を見ようとすると、思いのほか彼は近くにいた。ベッドの脇からカリルを真剣な顔で見下ろしている。
「カリルさんも約束してください。絶対に無茶しないって。ご自分から危険なことをしないって」
「・・・それ、おれの方が不利だよな?」
「そんなことありません」
きっぱりと響は言ってのけた響に、カリルは苦笑してしまった。
「なんつーか、厄介だよなぁ・・・」
守護の島にいたころは立場なんて物はなかった。自分の好きなことをやることができた。
しかし今はそうもいかないらしい。カリルには立場らしき物ができ、響にも響の立場がある。
いや、立場より厄介なのは感情だ。自分はひとりじゃない。ひとりじゃないからこそ、感情を向けられるし、もちろんこちらだって向けている。
以前のように勝手に行動するには感情やら立場やらの拘束が多すぎる。
「カリルさん?」
不安そうな響の声に、カリルは目を閉じた。
「・・・できるだけ気をつける。これでいいか?」
「ではぼくも、できるだけカリルさんの意に反するようなことはしません。これでいいですか?」
「できるだけかよ?」
「カリルさんだってそうおっしゃったじゃないですか」
むくれた響に、思わず笑ってしまった。
正直に言えば、焦らない気持ちがないわけじゃない。それでもここを飛び出していかないのは、彼が自分を案じているのが分かるからかもしれない。そう思った。
窓枠に腰を下ろして、刃はぼんやりと眠り続ける主を見ていた。
クールの暴動はすぐにおさまったものの、結局逃げ出したワイズリーという男は見つからなかった。処刑は無期限の延期ということになっている。民衆への影響を考慮して、ワイズリーの逃亡は公には発表されていない。
クールでは色々と事後処理で慌ただしかったが、こうしてトランドに戻ってこれば考えずにはいられなかった。あの時見た姿のことを。
そもそもあれは本当にカリルだったのだろうか。確かに彼女の声で、彼女の姿だった。だったら何故逃げるように立ち去ったのか。何か事情があったのかもしれないが、それなら最初に呼んだりしなければいいだけの話だ。
考えれば考えるほど分からなくなる。
頭をガリガリとかき回した刃は、ふとベッドの上のフォリオが小さく呻いたのに気づいた。
「・・・フォリオ?」
急いで側に行くと、ずっと閉じられたままだった彼の瞼がゆっくりと開いた。
刃はほっと安堵の息をはいた。
「やっと起きたか・・・」
「刃・・・?」
フォリオはさまよわせていた視線を、ゆっくりと刃に向けた。驚いたように目を見はると、息を呑みこんでいる。その様子に、刃は眉を寄せた。
「フォリオ?気分悪いのか?」
尋ねると、フォリオはもう一度目を閉じた。長く息を吐き出すと、ぽつりと彼はつぶやいた。
「・・・夢を見てたんだ」
「夢?」
そういえば目を覚ます直前、うなされていたようだった。嫌な夢か、と尋ねると、彼はうなずいた。
「・・・カリルが出てきたんだ。辺りは戦場で、彼女を見つけるんだけど近づけない。そんな感じの夢だった」
「・・・フォリオ」
刃は顔をしかめた。似たような光景ならば、ついこの間自分も体感している。
「・・・それ、夢じゃないかもしれない」
「え?」
「フォリオ、落ち着いて聞いてくれよ?」
フォリオは訳が分からないながらもうなずいた。刃はベッドの横にあった椅子に腰を下ろす。
「おまえ、自分が倒れたのは分かってるか?」
「倒れた?おれが?」
フォリオは驚いたようにまばたきをしている。やはり覚えていないらしい。
「ああ、リナの葬儀が終わってすぐだったから、十五日間ぐらいか?ずっと意識がなかったんだ」
「十五日・・・!?」
フォリオは慌てて飛び起きたが、目眩を覚えたらしく頭を押さえていた。
「だから落ちつけって言っただろ?」
「でも・・・」
「ちゃんと説明するから」
前置いて刃は話し始めた。
フォリオが倒れた時のこと。代わりに刃がフォリオとしてクールに行ったこと。クールで暴動が起きたこと。できるだけ事細かに話した。
「そういうわけで、その首謀者だった男は逃げた。おれたちはその後の処理やら何やら片づけて、戻ってきたのは今日の夕方ごろだ」
フォリオを見ると、彼は何とも言えない難しい顔をしていた。
「信じられないか?」
「・・・正直、混乱はしてる。でも嘘じゃないんだろ?」
「ああ。・・・悪かったな。勝手に身体使って」
フォリオはため息をついた。
「父上の言い出したことなんだろう?刃が謝ることじゃない。でも、妙なことはしてないよな?」
「あ?あー、姫さんを口説いたくらい?」
「刃!」
「冗談だって」
「そういう冗談はやめてくれ」
フォリオは不機嫌も露わに言った。悪かったよ、と刃は苦笑する。
「・・・あのさフォリオ、もうひとつ言っておかないといけないことがある」
「何?」
「クールで、カリルに似た子を見た」
その言葉に、打たれたようにフォリオは顔を上げた。目を見開いて凝視してくる。
「・・・本当か?刃」
刃はうなずいた。
「城下で暴動が起きて、おれたちも出たのは話しただろ?その時にいたんだ。近寄ろうとしたけど、人が多すぎて近づけなかった」
「それって・・・」
フォリオも刃と同様、気づいたらしい。
「ああ、フォリオの夢と同じだ。ただの夢じゃなくて、記憶を反芻してたのかもしれない。意識はおれだったけど、身体はフォリオだったんだし、あり得ないことじゃないだろ?」
「・・・そうだな」
「もっとも、本当にカリルだったのかは分からないんだ。リオ、って呼ばれた気がしたし、顔もカリルだったんだけど・・・目が合った瞬間に行っちまったから。だからよく分からない」
耳を傾けていたフォリオが、不意にぽつりとつぶやいた。
「・・・多分、カリルだ」
「フォリオ」
「確証なんてないけど・・・あの夢が記憶を反芻していたのなら、おれも刃と同じもの見たはずだ。なら、あれはカリルだと思う」
そう言うと、フォリオは目を伏せた。何かを考え込んでいるような表情だった。
「フォリオ、」
声をかけると、フォリオはまばたきをして、刃を見上げた。
「刃。カリルは、クールにいるんだろうか?」
「さぁな。あのじゃじゃ馬の考えることはよく分からん」
島にいる時でさえ、突拍子もない言動に驚かされたのを覚えている。離れている今、彼女が何を考えているかなど分かるはずがなかった。
フォリオが真剣な眼差しで口を開いた。
「刃、頼みがある」
刃は耳を疑った。今、なんて言った?
「頼み?おれに?」
「カリルを探すのを、協力してほしい」
刃はまじまじと自分の主を凝視した。
「フォリオ、おまえ・・・」
「ごめん。こんなこと、人に頼むことじゃないって分かってるんだ。でも・・・」
何となく彼の言いたいことは分かった。皇子という立場であるフォリオが、簡単に国を離れて人探しなどできるはずがないのだ。
「・・・おれひとりより、刃もいてくれるほうがきっと早い。お願いだ。手伝ってくれないか?」
真摯な声。刃は頭をがりがりと掻いた。
「理由は?カリルを見つけてどうするつもりなんだ?」
「それは・・・」
フォリオは困惑したように目を伏せ「分からない」とつぶやいた。
「分からないって、フォリオ」
「自分でもよく分からないんだ。一体どうしたいのか。・・・でも、このままじゃ嫌だ。彼女がどうしているのか、ちゃんと知っておきたい」
思い詰めた様子で、フォリオはシーツを握る手に力をこめた。刃はため息をつく。
「フォリオ、気づいてるか?」
「何を?」
「おまえ、おれと会ってから初めて頼みごとしたって」
指摘すると、フォリオはかなり間抜けな顔をした。彼にしてはなかなか珍しい表情だ。
「・・・そうだった?」
「そうだって」
もちろん守護霊としての命令ならば何回かあるが、彼の個人的な頼みごとはこれが初めてだ。クライスなんかうっとうしいくらい色々言ってくるというのに、なんだこの差は、と思っていたくらいだ。
そう考えると、なんだか感慨深かった。どうやら柄にもなく自分は感動しているらしい。
「分かった、探してやるよ。おれだってこのままじゃ気になって仕方ないしな」
その言葉にフォリオはほっとしたように小さく笑った。




