第三章
ティティンからクールに渡るには、およそ丸一日を要した。
以前は定期的に船が出ていたそうだが、今は完全に海路は封鎖されているらしい。仕方なく一度ティティンを出て他国に渡り、まだクール行きの船が出ている港へ向かうこととなる。
まだ交流を続けている国からは船が出ているようだが、それでも以前と比べれば減ったらしい。船乗りが言うには、トランド以外の出入りは管理が厳しくなったのだそうだ。
何とか船に乗り込んで、クールにたどり着いたときは、すでに出発してから一日が経過しようとしていた。朝日が昇る前に出たにも関わらず、すでに辺りは闇に包まれている。
幸い、潜り込んでいるというティティンの密偵にはすぐに会えた。事前に聞いていたとおり三十を過ぎた頃の男だ。手形を見せれば、うなずいてついてくるように促した。
男に連れられて向かったのは、城下にある小さな宿だ。建物自体は古いが客はほどほどに多く、活気がある。
導かれるまま二階に上がり、部屋に入ると、そこには細身の青年がいた。サガより少し若そうに見える。
青年はカリルの姿を認めると、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。あなたがカリルさまですね?」
「あんたは?」
「わたしはロットと申します。ワイズリーさんと共に、解放軍に参加していた者です」
後ろにいた汐が微笑んで口を開いた。
「カリル、そいつはワイズリーの右腕だよ。解放軍の副官兼参謀役だ」
へぇ、とカリルがうなずくと、汐はロットに話しかけた。
「ロット、久しぶりだね。無事で何よりだ」
「汐さま。その節はありがとうございました。今回の件も何とお礼を申し上げたらいいか・・・」
「礼なんていらないよ。あたしらだってワイズリーがいなくなると困るからね」
ロットは汐が見えるらしい。やりとりから知り合いだと分かる。暴動を援助したと言っていたし、その関係なのだろう。
ロットの視線が、カリルの隣に向けられる。
「ところで、そちらの方は・・・」
「ああ、会うのは初めてか。響だよ。ティティンの守護霊さ」
「は、はじめまして!響です!」
「初めまして。お会いできて光栄です、響さま」
「響さま・・・響さまですって!カリルさん!!どうしましょう!!様づけされたのなんて久しぶりです!!」
「おいあんた、こいつに様なんてつける必要ねーから。呼び捨てで十分」
「カリルさんはどうしてそうやってぼくの感動を台無しにしちゃうんですかっ!?」
「そんなん面白くないからに決まってんだろ?」
「もしかしてヤキモチですかっ!?ぼく嬉しいです!」
「ふっざけんな!」
いつものように騒ぎはじめた二人を、汐は苦笑で、ロットはぽかんとした顔で見守っていた。
「処刑は明後日の正午。場所はここから西にある中央広場だそうです」
城下が詳細に記された地図を広げながら、ロットが説明した。ベッドに座った状態で頬杖をついていたカリルが、眉をひそめて聞き返す。
「中央広場?」
「はい」
「なんでわざわざそんなとこでやるんだ?」
処刑なら牢なり城内で済ませたほうが手間がかからないだろうに。疑問に思っていると、汐が肩をすくめて言った。
「カリル、これは見せしめなんだ。公の場で裁くことによって、民の反抗意識を削ごうって魂胆さ」
「反抗意識って、そんなことしても火に油じゃないのか?」
「その可能性はあるね。でもクール側からしたらやらないわけにはいかないんだと思うよ」
カリルは「面倒くさいんだな」と呆れたようにつぶやいた。響が横から地図をのぞき込む。
「でもそこまで詳しく分かっているのなら行動しやすいですよね?」
「そうだね。処刑が明後日なら、明日中になんとかするしかない。当日は警備兵も多いだろうしね」
「ああ」
異論はなかった。処刑当日より、準備でバタバタしている前日のほうが目的は果たしやすそうだ。
「牢の見張りとかもいるんだろ?」
「はい。一応時間は調べておきました。どうやら四交代制で二十四時間ようですね」
「つまりずっと見張りがいるってことか・・・どうするかな」
城の警備兵や、牢の見張りをどうにかしなければ、ワイズリーを救い出すこともできないだろう。戦ってもいいが、相手の人数にもよるし、下手をしたら騒ぎになってしまう。
汐がロットに尋ねた。
「ロット、牢の見張りは何人なんだい?」
「大抵はふたりのようですね。日によって三人の時もあるようですが、その場合時間は短いです」
「だってさ、カリル。それならあたしと響で何とかなるよ」
「は?」
カリルはびっくりして汐を見た。響も呆気にとられた顔で「ぼくですか?」と自分を指さしている。
「ああ」
「何とかって、どうするんだよ?」
「どうするも何もあたしらは守護霊だよ?相手が護符でも持ってない限り、大抵は取り憑ける。危険も少ないし、確実な方法だろう?」
あっさり示されたその方法は、まさに目から鱗だった。確かにそれなら戦うこともないし、騒ぎになることもない。どうして今まで気づかなかったのか。
「な、なるほどです!さすが汐さん、天才です!」
「・・・こいつ本当に守護霊でいいんだよな?自分のことなのに、なんで思いつかないんだ?」
「まぁ、そのほうが響らしいじゃないか。あたしは今までにも同じようなことやってきたから、場慣れしてるだけだよ」
「そ、そうですよ!汐さんナイスフォローです!」
「汐、こいつ甘やかさなくていいから」
カリルは呆れたように嘆息した。汐がいなければどうなっていたことか。
「でもさ。それならそもそもこんな仕事、汐だけでできたんじゃねーか?兵士に憑いて、ワイズリーを逃がすだけだろ?」
「それはどうだろうね。当然だけど、あたしはひとりにしか憑けないんだ。敵の人数が多けれな多いほど不利になる。結局騒ぎになるのがオチだね」
つまり兵士が集まってこれば、対処できなくなるということか。確かにそれでは難しそうだ。
「なるほどな」
「カリル。敵がふたりまでならあたしと響で何とかできる。でも大勢を相手にするときは、カリルが相手しなくちゃならなくなるんだ。気をつけるんだよ」
極力その事態は避けろということか。カリルは分かった、とうなずいた。
城内の警備兵の人数、配置、交代時間。牢に収容されてる人数。逃走経路など、ロットはかなり細かなところまで調べてあった。
ひととおり全て確認し終えた所で、ロットが椅子から立ち上がる。
「では、もう時間も遅いですし今日のところはこれで。明日またこちらに伺っても宜しいでしょうか?」
ロットの言葉に、三人は顔を見合わせた。汐がふっと失笑する。
「来るなって言っても来そうだね、あんたは」
「みなさんにお任せして、自分だけ何もしないわけにはいきません。どうかわたしにも協力させてください」
「だ、そうだよ。どうする、カリル?」
カリルは顔をしかめた。
「なんでおれに聞くんだよ」
「そりゃあんた、今回あたしらはカリルのお供で来てんだから」
汐の発言に、ロットがカリルに向き直った。懇願するようにまっすぐ向けられる視線に、思わず渋面する。
「・・・邪魔だったら置いてくからな?」
「はい」
「なら勝手にしろよ」
カリルがそう言うと、ロットは嬉しそうに顔を綻ばせ「よろしくお願いします」と頭を下げた。
フォリオの身体を借り受けた刃が、クールに入ったのは、処刑を二日後に控えた夕方だった。
「フォリオさま。レイア」
城についたふたりを出迎えたのはルベルトだった。
「わざわざ来ていただいて申し訳ありません。立ち会いは不要かとも思ったのですが・・・」
いえ、とフォリオは微笑んだ。
「今回の件ではおれも無関係ではありませんから。呼んでいただき、ありがとうございます」
「そう言っていただけると助かります」
安堵したように息をつくと、ルベルトはふたりを先導して歩き始めた。
「ところでフォリオさま、お身体はよろしいのですか?お加減がよくないと伺っていたのですが」
ほら来た。内心辟易しつつもフォリオはにこやかに答える。
「気にしないでください。少し疲れが出ただけで、もう大丈夫ですから。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「しかし・・・」
まだ何か言いたげな顔をしているルベルトに、後ろをついてきていたレイアが口を開いた。
「本人がそう言ってるんだから放っておけば大丈夫よ、義父さま」
「ほら、姫もこう言ってますし」
「ちょっと、話にのっからないでよ!」
「のっかってなんていませんよ?」
「・・・」
まじまじとふたりを見比べたルベルトが、ふと笑みを浮かべた。嬉しそうな表情。
「どうかしましたか?」
「いえ。わりと仲良くやっているようで、安心しました。ありがとうございます、フォリオさま」
ちゃっかり「これからもお願いします」などと言い足す義父に、レイアが真っ赤になって猛抗議する。
「なに言ってるのよ義父さま!!」
「うん。そうして並んでいるとなかなかお似合いだぞレイア。自信を持ちなさい」
「義父さまッッ!!」
レイアは必死で否定したが、ルベルトが聞く様子はない。フォリオはこっそりと息をついた。
刃はフォリオとレイアの結婚が反対なわけではない。むしろからかうと面白いし、別に結婚しちゃってもいいんじゃないかとさえ思う。
しかしそれはあくまで第三者からの話であって、今この状況で、フォリオの意志を無視して結婚話を進めるなど、冗談ではなかった。そんなことをしたら一体どうなるか、後が怖い。
「そういうわけで姫さん。今回おれは処刑の立ち会いしかしないから。結婚話を進めるつもりなら、ちゃんとフォリオ本人とやってくれな」
レイアに案内されて客室に入るなり、フォリオは言った。出ていこうとしていたレイアは足を止め、眉をひそめている。
「なによ急に。そんなこと言われなくても、あんたなんかと進めないわよ」
「本当か?後悔しないか?今のうちに外堀埋めといた方が楽だぞ?」
「っ、だからあんたは何がしたいのよっっ」
赤くなって怒るところがまた面白い。くつくつと肩を揺らして笑っていると、側にいた紅がにらみつけてきた。
「刃、それ以上レイアをからかうと承知せんぞ?」
「だって面白いし」
「ほう?シルバに言いつけるぞ」
「・・・それだけはやめてくれ」
フォリオは歯切れ悪くつぶやいた。
フォリオの側近シルバ。彼女はフォリオに完全な忠誠を誓っているためか、この状態をたいへんよく思っていないようだった。
フォリオの中に刃がいると知ったとき、彼女の反応は湯も凍らせるほどに冷たかったのを覚えている。
いわく「フォリオさまのお身体である以上、言動には細心の注意をするように。何かあったら全ての責任をあなたひとりで負ってもらいます。いいですね?」だ。この時は目が据わっていて、かなり怖かった。
フォリオはわざとらしくため息をついた。
「あーあ、おれひとり悪者かよ?」
「あきらめろ。おぬしはそういう役回りなのじゃ」
「冗談。勘弁してくれ」
うんざりとつぶやくと、今度は紅が愉快そうにくちびるをあげた。
「しかし最初は無謀だと思ったが、隠し通せるものだな。おぬしがちゃんとした敬語を使えるとは思わなんだ」
「あー紅には無理そうだよな」
「なんじゃと?」
「その特徴的な言葉遣いじゃすぐにバレるって」
「バカにするでない。それぐらい朝飯前じゃ!」
「ほーお?やってみろよ」
「何を、やってみろと?フォリオさま」
不意に背後から聞こえた冷えきった声に、フォリオはぎょっと振り返った。いつの間に来たのか、シルバが扉の所に立っている。その凍てつくような目に、大慌てて姿勢を正すがすでに遅い。
シルバは室内に入ってくると、小さく首を傾げた。
「フォリオさまのお言葉とは到底思えない、薄汚い言葉が聞こえた気がしたのですが?」
「えーと、気のせいじゃないのかな?」
「気のせいではないぞ、シルバ。こやつレイアとわたしに無礼な口ばかり聞くのじゃ」
「詳しく聞かせてもらえますか?」
ちらっとこちらを一瞥してシルバが言った。勝ち誇ったような顔をしている紅に、恨みがましく文句を言う。
「・・・紅、おまえ卑怯だぞ」
「今何かおっしゃいましたか?フォリオさま」
「・・・何でもないです」
シルバがこれ見よがしに大きなため息をついた。
「以前も言いましたが、自分の身が可愛ければ細心の注意を払うように」
「はいはい」
「はい、は一回です。そもそもフォリオさまならこういう時、はい、などと安直なことはおっしゃいません」
「・・・チッ」
「その舌打ちもやめるように」
これ以上説教されたらたまらないとばかりに、フォリオはひきつった笑顔で先を促した。
「それで、何か用があったんじゃないのかな?シルバ」
「そうでした。明後日の処刑ですが、急遽予定が変更したそうなのでお伝えに。明日の午前中だそうです」
三人は顔を見合わせた。ルベルトと会ったとき、彼は何も言ってなかったが・・・。
「また急だな。何かあった?」
「詳しくは分かりませんが・・・どうも反乱分子の残党を警戒しているようですね」
「残党?」
「ええ。かなり大規模な組織だったにも関わらず、残党狩りで捕らえられた人数が少なかったようですから」
つまり、残党の裏をかいてどこかに潜伏しているということか。それなら警戒するのもうなずける。
「一応念のため、予定を早めることに決定したようですね。明日、用意が出来次第お呼びしますので」
そう言って、シルバは部屋から出て行った。




