第七章
カリルたちがヤノたちの島に来て、約半月が経った。
静かに息を吸い込んで、吐き出す。神経を集中させる。
目に入るのは、手の中の石だけだ。他には何もない。
石めがけて、カリルは手をたたき落とした。
「!」
小さな音がして、石にヒビが入った。かざして見ると、中央くらいまでヒビは到達している。
カリルは顔をしかめて、傍らにいるヤノにその石をつきだした。受け取ったヤノは割れ目を検分して「まぁ、こんなものだろう」と笑った。
カリルは手刀として使った右手を押さえ、うなる。
「ああくそ。右手いってぇ」
「冷やしておけよ。この間みたいに熱を持つかもしれん」
はいはい、と返事をしたカリルは、ふと息をついた。恨めしげに両手首の枷を見つめる。
「・・・ただの石であの程度か。このうっとうしい枷を壊せるのもまだまだっぽいな」
「そう焦るな。手刀と簡単に言っても、使いこなせるようになるまでには時間がかかる。カリル、おまえは呑み込みが早い方だぞ?おれが保証してやる」
「そりゃーどーも」
ぶっきらぼうに言って、カリルは立てかけておいた木刀を肩に担いだ。木刀の扱いには大分慣れてきたが、肝心の枷はまだ壊せていない。焦っても仕方がないのは分かっているが・・・。
「・・・状況分かんねーから、尚更だよな」
ぽつりとつぶやいた言葉を耳ざとくヤノが聞き返した。
「状況がなんだって?」
「いや。外はどうなってんのかなってさ」
旅をしていれば、最低限の情報は知ることができる。どこの国が負けただとか、どこで戦端が開かれただとか。
しかしこの島はほとんど外部との交流がないらしく、外の情報は入ってこない。それがたまにもどかしくなるのだ。
「ここだってティティンの一部だ。国に一大事があれば伝わらないはずがない。何も分からないのは、状況が停滞しているからだろう」
「それはそうなんだろうけどさ」
ヤノは笑った。
「カリルが気になるのは、ティティンか?それともトランドなのか?」
「あ?そんなの両方に決まってんだろ」
カリルはあっさりと答えた。
「別にどこが勝とうが負けようが興味はないんだけどさ。これ以上こじれるとリオを殴るどころか、会うのも難しくなりそうだし」
それに、とカリルは言い足した。
「おれと違って、ティティンのことは無関心じゃいられないだろ。あのバカは」
「・・・カリル」
その時、キリの声が二人を呼んだ。どうやら昼食の時間らしい。
とりあえず休憩にして家の中に入る。中は昼食のいい匂いがしていた。カリルは慌ただしく駆け込んでいく。
「キリー、今日の飯なに?」
「今日はシチューですよ。手を洗ってきてくださいね」
「はいはい」
約半月一緒にいて分かったが、キリはいつも穏やかな態度を崩さないわりにマナーに厳しい。
寝坊したら朝ご飯は抜き。家事はきっちり分担で、さぼったりしてもご飯をぬかれる。ヤノなんか完全に尻にしかれているらしい。
手を洗って食器を取りに行ったカリルは、部屋のすみっこでちょこんとひとり座っている響を見つけた。
何か考えごとをしているのか、ぼけっとしていたが、カリルに気づくと目を大きくした。何か言いたげな視線に気づいていたが、カリルはそのまま無視をする。
「キリー、大盛りにしてくれ。大盛り」
「はいはい。ちょっと待ってくださいね」
遅れて部屋に入ってきたヤノは、てきぱきと食事の用意をするカリルと、そんなカリルをじっと見ている響を交互見て、複雑そうな顔をした。
カリルは皿を広げながら言った。
「響」
『えっ・・・は、はい!』
「辛気くさい顔するなら出てけよ。飯がまずくなる」
『・・・・・・す、すいません』
うつむいて消え入りそうな声でつぶやくと、響は壁を抜けて出ていった。
ヤノがこれみよがしに大きなため息をつく。
「おいカリル」
「なに」
「今の言い方はないんじゃないか?」
カリルはちらっとヤノを見、「だって事実だろ」と切り捨てた。キリがシチューを盛った皿を運んでくる。
「カリル、響の様子がおかしいのは気づいているんだろう?」
「あいつはいつもおかしいけど?」
「そうじゃない。はぐらかすな」
キリは口を挟まずに皿を配った。ヤノに見据えられ、カリルは嘆息する。
確かに響の様子はずっとおかしかった。初めてヤノの稽古を受けた日からだ。
あの日夜遅くに帰ってきた響は、どこか思い詰めたような表情をしていた。ずっと考えごとをしているかと思えば、何かをカリルに言いかけてはやめる。
その繰り返し。
ヤノとキリは心配で仕方ないらしいが、あいにくカリルはそこまで優しくはない。
「何か悩んでいるんじゃないのか?聞いてやらないのか?カリル」
「なんでおれが?心配ならあんたが聞いてやればいいだろ?」
「おれが聞いても響は話さんよ。おまえでないと」
ヤノの隣に並んで、キリもじっとカリルの言葉を待っている。どうやら彼女もヤノの味方らしい。
カリルは嘆息した。
「ほっときゃいいって」
「カリル!」
「あいつが何も言ってこないのに、こっちから聞くのもおかしいだろ。何悩んでんのか知らないけど、相談してこない以上はあいつの問題なんだ。首つっこむほうがおかしい」
「おまえという奴は・・・」
「さ、食おーぜ」
カリルは手を合わせると、早速シチューを平らげ始めた。ヤノとキリは顔を見合わせている。
響が何か悩んでいるなんてとっくに気づいている。だてに四六時中一緒にいたわけではないのだから。
ヤノに日課として命じられた素振りを黙々とこなしていたカリルは、ふと視線を感じて目を上げた。
森の入り口あたりにウィルの姿があった。隣にはダークもいる。
よぉ、と手を止めないまま声をかけると、ウィルは怪訝そうな顔をした。
「・・・何をしてるんだ?」
「あ?見りゃ分かんだろ?素振り」
答えながら頭の中で数を数えていく。197、198、199、200。
ひとまず木刀を降ろし、顎から落ちる汗を手の甲でぬぐう。まだウィルは同じ場所にいた。こっちをじっと見つめている。前から感じていたが、この少年は表情が乏しい。
「おまえこそ何やってんの?そんなとこで」
「別に、何も」
そっけない答えに、カリルはふーん、と相づちを打った。木刀を壁に立てかけると、置いてあった木箱に腰を降ろす。暑い。
しばらくしてウィルが話しかけてきた。
「今日は一人なのか?響は?」
「いねーけど。ってあれ?響のこと知ってんのか?」
「ああ。・・・おれと会ったこと、響から聞いてないのか?」
「ああ」
「・・・そうか」
ブーツを脱ぎながらうなずいたカリルは、ちらっとウィルを見た。
あれだけ会いたいと騒いでいたにも関わらず、響はウィルに会ったことを話していない。いちいち言う必要はないが、響の性格からして大喜びで報告してくるのは目に見えている。
ということは、言い出せない何かがあるということだ。もしかしたらこいつが、響の元気のない原因かもしれないな、とうっすら思う。
まぁ、どうでもいいんだけど。
カリルは両足のブーツを脱ぎ捨てた。暑くて仕方がなかったが、これだけでだいぶ違う。
「あのさ、ウィル家に帰んねーの?反抗期だかなんだか知らないけど、あんまふたりに心配かけんなよ」
ウィルはかすかにくちびるを上げた。
「今帰っても、どうせ寝るところなんてないだろう?」
「あー、まぁ確かにな」
ただでさえ部屋数の少ないヤノの家に、今は居候のカリルまでいるのだ。確かに戻っても、寝る場所なんて限られている。
「おれ別に野宿でも平気だし、出てけっつーんなら出てくけど?」
「いい。帰るつもりなんてない。あんなところ」
「あんなところって、おまえの家だろーが」
呆れたように言えば、かたくなな声で「違う」とウィルは否定した。自分の家まで否定するとは、彼の反抗期は相当なものらしい。
「ま、勝手にすれば?」
適当に言うと、カリルは立てて置いた木刀を手に取った。そろそろキリが帰ってくる時間だろう。買い出しの手伝いを頼まれている。
ブーツを抱え、裸足のまま立ち上がると、ウィルに向かって軽く手を上げた。
「んじゃ、おれ行くから」
「おまえの故郷はトランドに滅ぼされたんだろう?」
唐突にぶつけられた言葉。その鋭さにカリルは思わず足を止めた。表情を消してウィルを見る。
彼は相変わらず無表情だったが、目だけはどこか挑戦的な色をしていた。
カリルは声を低めた。
「・・・誰から聞いた?」
「響だ、と言ったら?」
は、とカリルは鼻で笑った。
「ありえねーな。嘘つくならもっとましな嘘つけよ。あいつはそんなことしない」
「・・・随分信頼してるんだな」
「やめろ気持ち悪ぃ。つかあいつの性格考えれば分かんだろーが」
顔をしかめたカリルに、ウィルが言った。
「本当はサガに聞いたんだ。あんたのこと」
「あーサガな。あいつなら言いそうだ」
別に隠してもいないので構わないが、いったいいつ聞いたのだろうか。そんなことを考えていたら、不意にウィルが思いもかけないことを口にした。
「あんたはトランドに復讐するつもりなのか?」
カリルはまばたきをして、胡散臭げにウィルを見つめた。
「はぁ?」
「誤魔化す気か?」
「いや、っていうかなんでそんな話になるんだよ?」
怪訝そうなカリルにつられたのか、ウィルも怪訝そうな顔になる。
「なんでって・・・なるだろう、普通」
「ならねぇよバカ。ったくどいつもこいつも何なんだ。やりたきゃ自分でやれっての」
サガといいこいつといい、すぐ復讐とか言い出すのだから付き合いきれない。その短絡的思考はいったいどこから来るのだろうか。
ウィルが目を細めた。声に剣呑さが増す。
「つまり、そのつもりはないということか?」
「ああ」
「どうして、」
カリルはため息をついた。
「しつこいな。なんでそんなこと聞くんだよ?あんたに関係ないだろ?」
「関係ある」
「なんで」
「・・・」
ウィルは少しだけ苛立たしげな顔をすると、ふいと視線を逸らした。
「・・・おれも、近しい人をあいつらに殺された」
「・・・」
カリルは木刀を地面に刺して体重を支えると、ふーん、と興味なさそうにつぶやいた。面倒くさげに頭をかく。
「で?今の話の流れからすると、あんたは復讐したいんだ?」
「仇をとるのは遺された者の務めだろう」
「アホらし。殺されたあんたの大事な人が、仇をとってくれって頼んだのかよ?」
ウィルが嫌悪も露わに、にらみつけてきた。
「突然殺された者の気持ちがおまえに分かるのか?」
「分かんねーよ。そんなのおまえだって分かんないだろうが。それを理由にすんなよ」
「なんだって?」
珍しく感情が表れているその顔を一瞥し、カリルはそっけなく言った。
「復讐したいっていうんなら勝手にしろよ。周りを巻き込まないっていうんならいいんじゃねーの?」
ウィルは黙っている。カリルは今度こそ、その場を後にした。




