第一章
「8、9、10、11・・・11匹かー。くそぜんっぜん足りねー」
浅瀬に面した砂浜。今まで釣った魚を放り込んだ大きな桶をのぞきこんで、カリルは動き回る魚の数を数えていた。
新鮮ないい魚を村人全員分獲ってこいと祖父に言われ、釣りを始めて二時間ほど。小さな村で、村人自体が少ないとはいえ、ノルマにはまだまだ遠そうだ。
「めちゃめちゃなんだよ、くそじじい」
カリルは文句を並べながら、釣り針に餌をつけ、海に垂らした。透き通った水面が針を飲み込む。
「・・・あー・・・」
青く晴れ渡った空。心地いい光を放つ太陽。
潮の香りが鼻を満たす。波音は子守唄代わりとなっていた。
じわじわと眠気が襲ってくる。
「・・・・・眠」
眠気を吹き飛ばす為に頭を振るが、吹き飛ばすどころか段々とまぶたが下がってきてしまった。
あくびをひとつ、かみ殺す。
針は動かない。
「・・・あーもーいーや。少し寝よ」
夕飯までまだ時間あるし、とひとりつぶやいて、カリルは早々に竿を投げ捨てた。
魚の桶にふたをして、温かな砂の上でそのまま寝ようとした。
その時だった。
――――――――ん?
視界の端に何かが引っかかった気がして、頭の中に大きく疑問符が浮かんだ。
・・・何か、今。海に浮かんでいたような。
カリルは眉をひそめ、それを確認しようかどうか躊躇った。
厄介事には関わりたくない。
しかしカリルは振り向いた。好奇心に負けたのだ。
「・・・」
カリルは、何度か瞬きをした。幻覚だろうか。
壮大な海の中に浮かぶちっぽけな板。その板の上に上半身を預け、ぐったりとしているのは自分と同年代くらいの少年のように見える。
カリルは強く目をこすり、再度そちらを見た。
幻覚ならば消えているはずだ。幻覚ならば。
けれどそれは消えなかった。
「っおいっっ!!」
反射的にカリルは駆け出していた。
薪を火にくべながら、カリルはくしゃみをひとつした。そんなに寒くはないが、びしょぬれになった服が気持ち悪い。
ちらりと隣を一瞥すると、そこにはもうひとり同じようにびしょぬれになった少年が横たわっていた。やはり自分とそう変わらない年頃の少年だ。
金色の髪に、やけにかっちりした堅苦しい服を着ていた。今は乾かすために剥いでしまったが。
赤くなってきた西の空を眺めながら、カリルは魚を串で刺し、焚き火で焼く。自分の取り分なのだから、先に食べてしまっても罰は当たらないだろう。
焚き木が火の中で弾けた。
魚が焼けてくる香ばしい匂い。
「・・・っ・・・」
少年の体が微かに動いた。カリルがそちらに目を向けると、ゆっくりと閉じていた目が開いた。
カリルはほっと息をついて声をかける。
「大丈夫か?」
「・・・」
2、3度目をしばたたかせて、少年は上半身を起こした。
状況が飲み込めないのか、周りをゆっくりと見渡している。
「・・・ここは?」
綺麗な声でそう言った。カリルは魚をひっくり返しながら答える。
「見りゃ分かんだろ。砂浜。あんた漂流してたんだよ」
「漂流・・・」
「まぁ無事そうで良かったよ。怪我してないか?」
少年はうなずくと、カリルを見て微笑んだ。
「大丈夫だ。君が助けてくれたのか?」
瞬間、ぶわっとカリルの腕に鳥肌が立った。カリルは悪寒に身体を震わせて、浮かんだ鳥肌をごしごしとこすった。少年は首をかしげている。
「キミとかゆーなっ、気持ちわりぃだろ!おれはカリルだ!それ以外はきかねえぞ」
「え、えっと・・・」
少年は戸惑いながら言い直した。
「・・・カリル。カリルが助けてくれたのか?」
「浮かんでたのを、たまたま拾っただけだけどな。ほら服乾いてる」
薄い布服一枚着ていただけの少年は、差し出されたコートを素直に受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして。で?」
「でって?」
「あんたの名前だよ、名前。おれはなんて呼べばいいわけ?」
コートに袖を通している少年に、魚の串を向けて尋ねると、少しだけ遅れて返事が戻ってきた。
「・・・フォリオ」
「・・・」
カリルはこめかみを指で抑えて考えこむと、再びフォリオに魚の串を向けた。
「リオ。リオな、お前。おれはそう呼ぶ」
「えっ」
「いいだろ別に。そのほうが呼びやすいし。もう決めた」
「・・・ああ」
フォリオははにかんだ。少し嬉しそうに。
「構わないよ。そう呼んでくれて」
「構わなくても呼ぶけどな」
フォリオはおかしそうに小さく笑うと、もう一度ゆっくりと周りを見渡した。
そんなにみても一面に広がる海と白い砂浜。それから森くらいしかないのだが。
「ん」
カリルは串で刺して焼いた魚をフォリオに突きつけた。
「食う?つーか食え」
「え?ああ、ありがとう。・・・えっと」
躊躇うような態度のあと、フォリオは少し戸惑いがちに言った。
「・・・あのさ」
「なんだよ」
「どうやって食べればいい?これ」
「・・・・・・・・・・・・・・・はあっ!?」
カリルは思いきり眉をひそめ、聞き返した。
「だから・・・フォークとか、そういうのは」
「頭おかしいのか、てめえ。かぶりつくんだよ!こーやって!!」
怒鳴りながら説明し、カリルは大口を開けて魚にかぶりついて見せた。フォリオはぽかんとしながら見ている。なんだその顔は。
「常識だろっ!ジョーシキ!!」
「ああそっか・・・かぶりつく、んだな」
やっぱこいつ頭おかしいわとか思ったカリルは魚一匹猛スピードで平らげて、訊いた。
「リオさ、なんであんな漂流してたわけ?」
「それは・・・」
黙々と食べていたフォリオはふと複雑そうな目をした。
沈黙が生まれる。訊いてはいけなかったかもしれない。
「・・・別にいーけどさあ!ただ事故って、んで頭のネジとか飛んだのかと思っただけでよ」
ネジって、と苦笑しているフォリオをよそに、カリルは二匹目の魚に手を伸ばす。
「あの、カリル」
「んん?」
「ここは・・・?島?」
ごくんと魚の肉を飲み込んでカリルは頷いた。
「見ての通りの小せえ島だ。無人島よかいいだろ。リオ、ついてるよな」
「・・・もしかして」
フォリオは躊躇いがちに口を開いた。
「神殿みたいな遺跡、ここにある?」
「シンデンみたいなイセキ・・・?」
繰り返しカリルはああ、と思い出した。
確かに島の中央、森の奥深くにはかなり古い遺跡がある。立ち入り禁止と厳しく言い渡されているので、近付く者はほとんどいないはずだが・・・。
「霊殿の事か?あー、あるな」
その瞬間、フォリオの表情がかすかに強張ったのが分かった。なんだ?とカリルは目の前の少年を見つめる。
「霊殿に用があったのか?」
「あ、ああ」
「なんだ。やっぱついてんじゃん、リオ」
「・・・そうとは言い難いよ」
フォリオはくちびるを歪めて微笑んだ。
木漏れ日が差し込み、影が揺れる森の中。
カリルとフォリオは二人で村に向かって歩いていた。
霊殿に入るには老師である祖父の許可が必要だし、どちらにしろもう日が暮れるので、とりあえず村に行こうとカリルが提案したのだ。
フォリオは森の何が珍しいのか、興味深そうに周りを見渡している。
落ち葉を踏みしめながらカリルは言った。
「そういや、ずっと前にも霊殿に用があるって奴等が来たな。もう、すっげー服着て従者はべらしてたのが。男もいたし女もいたような、・・・いないような」
「・・・」
返事はない。
横を見ると、フォリオは考え込むような顔をしていたが、視線に気づいて微笑んだ。
「覚えてないんだな?要するに」
「興味ねえし。あーゆー奴等嫌いだったからさ」
「あーゆー奴等、ね・・・」
フォリオは失笑した。理由は分からない。
「リオは大陸から来たんだろ?」
「ああ・・・わああっ」
リオの返事の最後は悲鳴へと変わっていた。
草が鳴り、影が飛ぶ。
草むらから飛び出したそれは、フォリオに思い切り飛びかかり、そのまま勢いで押し倒した。
大人の人間ほどある白い巨狼だった。
フォリオを押さえつけていた巨狼の首根っこをカリルは両手で掴み、引き剥がす。
「カ、カリル・・・」
呆気にとられているフォリオの手を引いて起こしながら、カリルはじろりと巨狼を睨んだ。
「シロ。こいつは餌じゃねーの!」
ぱた。
シロと呼ばれた巨狼がご機嫌そうに尻尾を振った。
「おれの友達なんだ。喰ったら殺すぞ。他の奴等にも言っとけ」
クゥンと鼻を鳴らしたシロの頭を撫でると、今度は優しい声で言った。
「はいはい。また今度干し肉やるよ」
嬉しそうにぺろりとシロはカリルの頬を舐めた。その瞬間、カリルの頭の中で何かが切れた。
「シロ・・・舐めるのだけはよせって、あれほど・・・。気持ち悪いんだよっ!ぶっ飛ばすぞ、コラァッ!!」
シロは、たちの悪いイタズラ小僧の様にフォリオの後ろに逃げると、ついでのようにフォリオの頬を舐めて走り去っていった。
ぽかんとした顔でそれを見送ったフォリオは、戸惑いながら尋ねた。
「狼だろ、今の」
「ああ」
「すごく大きくないか?」
「森の主だからな。それなりのナリはしてるだろうさ。あー気持ち悪い、悪寒走った」
カリルはごしごしと力任せに頬を擦っている。
フォリオは立ち上がって裾をはたき、それからふと何か言いたげにカリルを見つめた。
「何だよ?」
「さっきの・・・」
「さっきの?」
カリルは顔をしかめた。さっき、何かあっただろうか?
フォリオは小声でつぶやいた。
「・・・・・・友達なのか?俺たち」
カリルは脱力する。深刻な顔をするから何かと思えば。
呆れ半分に答えてやる。
「おれの場合、一緒に飯食ったら友達だけど?悪いか?」
「いや・・・」
フォリオは目を伏せた。言葉を探し、言う。
「何か嬉しい。・・・その、嬉しいんだと思う」
「・・・・」
カリルは唖然とした表情でフォリオを凝視すると、すぐに「あ゛ーー!!」と自分の髪の毛をかき回した。
「だーかーらーさーあ!そういうことを真顔で言うなっつの!! こっちが照れるだろーが!」
フォリオは「そうかな?」と笑っている。
やっぱこいつ変な奴だ、とカリルはそっぽを向いた。




