第一章
体が大きく揺れ、カリルは驚いて飛び起きた。
「なんだ?地震か?」
周りを見渡す。小さな部屋の中らしく、簡素なベッドと椅子、燭台くらいしかない。
ベッドの端にちょこんと座っていた響が、顔を輝かせた。
『カリルさん!気がつかれたんですね、よかったー!』
「んな暢気なこと言ってる場合か!揺れてんだろ!」
『へ?そうですか?』
不思議そうに響が首を傾げたとたん、また大きな揺れがきた。慌ててバランスをとる。
「やっぱり地震じゃねーか!」
『ああ、これのことですか?嫌だなカリルさん。違いますよ』
「じゃ何なんだよ」
苛苛しながら尋ねると、なぜか自慢げに響は答えた。
『今ぼくたちが乗ってるのは船なんです。だから波で揺れてるだけですよ、きっと』
「はぁ?」
カリルは眉をつり上げた。今、なんて言った?
「船?」
『はい』
「なんでそんなのに乗ってんだよ」
『それはその・・・カリルさん、サガさんに負けちゃったじゃないですか。そしたら兵士さんが来て、気絶したままのカリルさんを、ここに押し込めていったわけで・・・』
「はーあー!?なんだよそれ!ふざけてんのか・・・って」
座り直そうとしたカリルは、ふと違和感に気づいた。手が妙に重たい。そちらに視線をやって、ぎょっと目を見開いた。
カリルの両手首には、石製の枷がかっちりとはまっていた。枷同士をつなぐ細い鎖が音を立てる。
「なんだよ、これっ!?」
『あーそれもサガさんが。あはははは』
「あはははは、じゃねぇ!!おまえ止めろよ!」
『そんなの無理ですよぅ』
カリルは舌打ちした。この役たたずめ。
手首を持ち上げてみる。両手同士が固定されていないだけマシだが、やっぱり重い。
「くっそ、何考えてんだ、あいつ」
『そういえば、サガさんから伝言がありました』
「ああ?」
『「ざまあみろ」だ、そうです』
カリルは「あ゛ーーーーーっ!!」と大きな声を出して、ベッドに転がった。バタバタと暴れる。
「うっぜぇっ!!なんだそれムカつく!!あああ!!」
『まぁまぁ、落ち着いてください。仕方ないですよ、実際負けちゃったんですから』
「負けたとか言うな!」
『でも、事実ですから』
「・・・っ」
カリルは大きくため息をついた。寝転んだまま、髪の毛をぐしゃぐしゃにかきまぜる。
「・・・ああもう、なんだあいつ。あんな強いなんて反則だろ?」
『サガさんは小さい頃からいろんな武術を学ばれてましたから。サガさんのお師匠であるお父さんも、ティティンで指折りの剣士でしたし。そりゃーお強いですよ』
「おまえさ」
『はい』
「慰める気ないだろ」
ふてくされて言うと、響はびっくりしたように目を瞬かせた。
『・・・・・・・・どうしたんですか、カリルさん!?ちょっと可愛いじゃないですか!?分かりました、これから全力で慰めます!』
「いらねぇ、失せろ」
『なんなんですかもう!』と響が頬をふくらませた時、船室の扉が開いた。
入ってきたのは中年の兵士だ。パンと水を乗せた皿を持っている。
「お、なんだ。起きたのか坊主」
「坊主じゃねーよ」
「元気そうだな。ほら、これ食え。腹減ってるだろ?」
兵士は空いていた椅子の上に食べ物を置いた。確かに腹はかなり減っている。減ってはいるが。
カリルは兵士をにらみつけた。
「なぁ、この船どこに行くんだ?」
「どこって、島さ」
「島?どこの?」
「そりゃちょっと教えられないなぁ。ま、もうすぐ着くからおとなしくしてな」
「・・・」
カリルは嘆息して響を見やった。彼も首を傾げていたので、どこに行くのか見当はついていないらしい。
窮屈な船室に閉じこめられて一体どれだけ経ったのか。
着いたぞ、と兵士に言われ、ようやく外に出ることができたカリルは、太陽の下、強い既視感に目眩を覚えた。
白い砂浜と青い空。青く茂った木々。むきだしになった岩肌。
「ここ・・・」
『うわぁすごい!本当に島です!緑がいっぱいですね、カリルさん!』
ああ、と同意したきり、カリルは黙り込んだ。まじまじとその光景を眺める。
似てる、そう思った。
『ふふ、なんだか守護の島を思い出しますね。ここ』
「・・・あっちのほうが良いところだけどな」
まさしく自分が考えていたことと同じことを言われ、カリルはぶっきらぼうに返した。ムカつくことに響はにこにこと笑っている。
『あっ、カリルさんどこ行くんですか?』
「いつまでもこんなところでぼけっとしてられるか。無人島だったら洒落になんねー」
『あ、そっか、そうですよね。兵士さんも帰っちゃいましたし・・・』
あろうことかカリルを島に降ろすと、船はさっさと海路に戻ってしまったのだ。
もちろん食料も水もない。カリルの手にはまだ枷がはめられているので、もしここが無人島で猛獣がいたりしたら洒落にならないのだ。
万が一のことを想像したのか、響はぞくりと肩を震わせると、早速大声で叫び始めた。
『誰かーいませんかー?いたらー返事をーしてくださーい!!』
「響」
『はい』
「うるさいからやめろ」
『ひ、ひどいです。ぼくはカリルさんのためにやってるのに』
「つか、おまえの声を聞けるやつなんて、そうそういないだろーが」
『むっ。なんですか、その決めつけは。許せませんね』
「だって事実だろ」
『そんなことやってみなきゃ分からないじゃないですか!だーれかー!!いませんかぁぁーーー!!』
響はムキになってより一層大声を出したが、やはり返ってくる声はない。カリルはため息をついた。
「無駄なことはやめろ。疲れるだけ・・・」
その時、聞き覚えのない男の声がした。
「ティティンの船が来たから何事かと思えば・・・おまえか、響」
「!」
カリルと響はびっくりして振り返った。
木の陰から出てきた壮年の男が、こちらに歩み寄ってくる。白髪まじりだが、不思議と若い印象の男だ。
誰だろうか。今、響の名前を呼んだ気がしたが・・・。
カリルはほんの少し警戒しながら、響に視線を走らせた。響はというと、元々大きな目をこぼれんばかりに見開いている。
『えっ、えええ!?ヤノさん!!??』
「ああ。相変わらず騒がしいな、おまえは」
『うわあああ、ヤノさん!ヤノさんだぁっ!!お久しぶりです!!』
響は全身で喜びながら男の側に飛んでいった。どうやら知り合いらしい。
「おまえ、こんなところで何をしているんだ?というか、その姿はどうしたんだ」
『えっとですね、話すと長くなるんですが。とりあえずご紹介します!』
響はぐるんとこちらを振り返ると、満面の笑顔で言った。
『ぼくの主のカリルさんです!』
「主じゃねーだろ。仮だろ。ちゃんと一字一句正しく説明しろ」
『まったまたーカリルさんたら照れちゃって!』
「死ね」
『と、まぁごらんの通り口の悪い方ですが、実はとっても優しくて格好いい人なんですよ、ヤノさん!』
「ほう、そうかそうか」
「・・・」
マイペースなふたりのやりとりに、カリルはちょっと脱力した。
『カリルさん、カリルさん』
「・・・・・・・・・・・・・今度は何だよ?」
『あのですね、ヤノさんはティティンの前の軍師さんなんですよ!』
「ああそう。・・・って、はぁっ!!??」
さらりと言われた言葉を理解するのに時間がかかったカリルは、遅れて間抜けな声を上げた。
ヤノを凝視する。
「ティティンの前の軍師・・・?このおっさんが?」
『はい!』
「ってことは、つまりサガの」
『はい、お父さんです!』
「・・・うっわー」
カリルは頭を押さえて唸った。なんだそれは。
言われてみれば確かに・・・似ているような気もするが。それにしてもどんな偶然なのか。いや、そもそも偶然ではないのか。
ヤノはヤノで不思議そうにカリルを見ている。
「なんだ、息子と知り合いか?カリル」
「あ?あーまぁな」
ふむ、とつぶやくとヤノは空を仰いで提案した。
「なんだが込み入った事情がありそうだな。もうすぐ日も暮れ始める。おまえらがよければおれの家に来るか?」
『ええっ、いいんですか!?』
「ああ、狭い家だがな。そこでゆっくり話を聞こう」
『ですってカリルさん!』
行きましょう!と響は全身で訴えている。確かにこんな右も左も分からない場所で野宿するよりかは、マシかもしれない。
カリルはうなずいた。
ヤノの家は、少し内地に入ったところにあった。村というには住んでいる人間は少なく、どちらかというと小規模な集落に近い。
家は変わっていて、一つの長い家を部屋ごとに区切って住んでいるらしい。長屋というのだとヤノは教えてくれた。
彼が使っている部屋は、一番東側にあった。そこの横戸を開けると、入るように促した。
「狭いがな。適当に座ってくれ」
『はい。お邪魔します!』
響は興味津々にきょろきょろしながら中に入っていった。カリルも足を踏み入れる。
中は確かに狭いが、きちんと整理されていた。机や椅子はなく、代わりに麻で編んだ敷物がひいてあった。地べたに座って生活しているらしい。
とりあえず腰を下ろしたカリルに、向かい合うようにヤノも座った。
「吸うか?」
と差し出されたのは、太い巻き煙草だ。カリルは顔をしかめた。
「いらねぇ。まずいし」
「そうか?うまいのに」
ヤノは手際よく煙草に火をつけると、一口吸い込んだ。煙を吐く。
「くっせぇ」
「悪いな、我慢してくれ。・・・それで?どうしてこんな辺鄙な島に来たんだ?おまえら」
「知るかよ。あんたの息子に連れてこられたんだ。あいつに聞け」
ヤノはくつくつと笑うと、カリルの両手の枷に目を向ける。
「それも、サガの仕業か」
「・・・みたいだな」
「それで、何をした?枷をはめているとはいえ、罪人ではないだろう。サガがそんな者をここに連れてくるわけがないし、第一響が主に据えるはずもない」
「だから主じゃねーっての・・・」
『実はですね!』
響は横から身を乗り出すと、意気揚々と説明し始めた。カリルはというといちいち説明に参加するのも面倒くさいので、響に任せてほうっておく。
ここに置き去りにされるまでの経緯をかいつまんで話終えると、ヤノは最後の煙を吐き出し、煙草を皿に押しつけた。
「それはまた・・・苦労したな」
『そうなんです!』
「いや、おまえ特になにもしてないだろ・・・」
カリルのつぶやきも、響は無視をする。
『ところでヤノさん、ここはどこですか?船の兵士さんは教えてくれなかったんですけど』
「ここか?ここはティティンの最東にある小島だ。見ての通り、小さな集落しかない」
『ヤノさんはいつからここに?』
「サガに跡を継がせて引退した後だから、八年ほど前からだな。今は家族と一緒に住んでいる」
『家族、って』
「妻と、息子だ」
『へぇ、奥さんと息子さんですか。・・・って、え?』
にこにこと笑っていた響が、ふとまばたきをした。ヤノを穴が空くほど見つめた後、大声で叫ぶ。
『えええええ!!??ヤノさん再婚してらしたんですか!?しかも息子さんって!』
「なんだその驚きようは」
『そりゃ驚きますよ!それってサガさんの異母弟ってことですよね?』
「ああ、そうなるな」
『サガさんの弟さん・・・』
想像したらしく、響は目を輝かせている。これはあれだ。『弟さん、見てみたいです!』の顔だ。あほか。
その時、音を立てて部屋の扉が開いた。
入ってきたのは妙齢の女性だった。ふっくらしているせいか、柔らかな印象の人だった。
「ただいま戻りました。あら、珍しい、お客様ですか?」
女はカリルと響を交互に見ると、おっとりと目を細めた。響が見えているらしい。
「紹介しよう。妻のキリだ。キリ、こっちはカリル」
「初めまして」
キリは持っていた荷物を床に置くと、手を差し出してきた。カリルはそれを握り返し「よろしく」と答える。
「キリ、ウィルの様子はどうだった?」
「いつもどおりですよ。ご飯はちゃんと食べているようです」
どうやら奥が台所になっているらしく、キリはそこに荷物を運んでいた。
響が首を傾げる。
『ウィルってどなたですか?』
「ああ、さっき話した息子だ。一緒には暮らしてないんだがな」
『え?どうしてですか?』
「どうやら反抗期らしくてな。家から飛び出していったきり戻ってこん。困ったものだ」
『はぁ、そうですか。それは大変ですね。そうだ、カリルさんに意見を聞くといいですよ、ヤノさん』
「はぁ?なんでおれなんだよ?」
『だってカリルさん万年反抗期みたいなものじゃないですか』
カリルはヤノを振り返った。
「なぁ、ここら辺にどっか広い場所ねーか?」
「裏にあるが・・・どうかしたのか?」
「いや、これ割ると破片が散るだろ?さすがに家の中だとまずいかなってさ」
と、カリルは石版を示した。あああああああ、と響がカリルの膝にすがりつく。
『すいません冗談ですもう言いません!言いませんから!!カーリールーさーんー!』
「誰が万年反抗期だって?」
『うえっ!?カリ、じゃなくて・・・ぼくです!はい!』
「だよなぁ?」
カリルは実に悪い笑みを浮かべながら、石版をくるりと空中で回転させた。ひぃぃぃぃ、と響が情けない声を出す。
成り行きを見守っていたヤノが失笑した。
「なんというか・・・仲いいな。おまえら」
「おい。今のを見て、どうしたらそういう感想になるんだよ?」
「そんなこと言われてもな。キリだってそう思うだろう?」
台所から出てきたキリがくすくすと笑った。
「そうですね」
「納得できねー」
「仲良しなのはいいことですよ。ところで、夕飯はどうしましょうか?カリルさんはなにがお好きですか?」
「は?いや、おれは・・・」
カリルが言うより先に、ヤンが口を開いた。
「泊まればいい。どうせ寝る場所もないんだろう?」
「・・・いいのかよ。そんな、ついさっき会ったばっかの人間をいきなり泊めて」
「あいにく響とのつきあいは長いんでな。それに、にぎやかな方がキリが喜ぶ」
「意外と愛妻家なんだ?」
「意外と、は余計だ」
お互いににやりと笑いあうと、カリルは「悪い。助かる」と礼を言った。
キリはかなりの料理上手で、夕飯に出された物はどれも美味しかった。お腹が一杯なはずなのに、いくらでも入ってしまうから不思議だ。
食後の口直しに、丁寧に剥いてある林檎をかじりながら、カリルは気になっていたことを尋ねた。
「そういえばさ、キリもこいつのこと見えるんだよな?」
「ええ、見えますね」
「なんでびっくりしないんだ?明らかにおかしいだろ?この生き物」
『カリルさん、その言い方はあんまりです!!』
横で響がわめいたが「うるさい」と一蹴して黙らせる。キリが微笑んで言った。
「響さんと同じ守護霊の方を知っていましたから」
「それって」
カリルは目を丸くしてキリを見つめた。響もびっくりしたような顔をしている。
普通の霊ならともかく、響と同じ守護霊というのは稀少だ。国にひとりしかいないのだから当然だが。
ヤノが咳払いをした。
「・・・カリル、いちいち隠すようなことでもないから話すが。キリは以前、トランドの王宮で働いていたんだ」
「はっ!?」
カリルは素っ頓狂な声を出して、ヤノを振り返った。
「王宮?」
「はい」
「トランドの?」
「はい」
「・・・あーちょっと待ってくれ。頭が追いつかない」
カリルは頭を抱えた。さっきから驚くことが多すぎて、わけが分からなくなってきている。響も同じらしく、難しい顔をして唸っていた。
ふたりの反応にヤノは苦笑した。
「響の話を聞いたときには、おれも驚いたがな。これも縁というやつだろう」
「縁ねぇ・・・」
あまり信心深くないカリルは、納得できないような表情を浮かべる。
「ってことは響と同じ守護霊ってのは、刃のことか?」
「はい。よくクライスさまと一緒だったのをお見かけしました」
「クライス?」
誰だっけ、と首を傾げると、ヤノが呆れたように説明した。
「クライス・ルン・トランドだ。トランドの現国王を知らんか?」
「国王・・・ってことはリオの父親か」
時期的に見ても、刃がリオの父親とやらを守護していたあたりだろう。漠然と考えていたカリルは、そこで根本的なことに気づいた。
目の前のヤノとキリを見つめる。
「あのさ、あんたらって敵国同士なんじゃねーの?」
『はっ!そうですよ!』
「あほ。おれが引退した時にはまだ戦争は始まってなかったし、そもそもキリとはこの島で会ったんだ。彼女もとっくに仕事を辞めた後にな」
なるほど、とカリルはつぶやいた。確かにそれなら有り得る話だろう。
カリルはキリに目を向けた。
「王宮でどんなことしてたんだ?」
「普通の下働きですよ。わたしは厨房で料理をしてました」
だから料理が美味いのかと納得する。
「厨房って、城にいる人間全員分作んのか?」
「そうですね」
「ってことは、リオのもそうってことだよな。なぁ、キリ。城の飯って魚の丸焼きださねーの?」
「丸焼き、ですか?ムニエルとかなら」
「そういうんじゃなくて、普通に串刺して焼いただけのやつ」
「それは、ありませんね」
「だよなぁ・・・だからあいつ食べ方知らなかったんだな」
しみじみつぶやくカリルに、響が首を傾げている。
『カリルさん?魚の丸焼きがどうかしたんですか?』
「あ?いや、こっちの話」
カリルは手を振ると、キリに視線を戻した。
「な、じゃあリオのことも知ってんだよな?」
キリは微笑んだ。
「もちろん存じ上げておりますよ。といってもまだフォリオさまがお小さいころのことですが」
小さい頃のフォリオを想像してみたが、いまいちぴんとこない。カリルの様子に、キリは笑みを深くする。
「フォリオさまは昔から大変優しい方で、城内の皆から慕われておりました。わたしたち使用人にもよく声をかけてくださったんですよ」
「・・・何か今とあんまり変わらなさそうだな、あいつ」
カリルは苦笑してつぶやいた。どうやらあの性格は小さい頃にはすでに形成されていたらしい。