第十章
ティティンの王宮は、カリルの想像の範囲を遙かにこえた場所だった。
天井が高い吹き抜けの廊下。シンプルだが洗練された調度品。むき出しになっている柱には、ひとつひとつ細かな文様が彫刻されている。何もかもが豪華だ。
響きは喜びに目を輝かせ、宙を飛び回っている。
『うわぁー!懐かしいです!!ぜんぜん変わってないですねぇっ!これとか、あ、あれも!!』
「バカがうるせぇ・・・」
うんざりと毒づいたカリルに、汐が笑う。
「しょうがないさ。久しぶりに自分の家に帰ってきたんだから。・・・と、悪い」
カリルの故郷のことを思い出したのか、バツが悪そうに謝った汐に、カリルは呆れた。
「そこで謝んなよ。何かおれがかわいそうみたいだろーが」
「・・・そうか、そうだね」
「そうだよ」
あっさりと言うと、少し離れて歩いていたエンが目だけで見た。
「・・・あなたってさ」
「あ?おれか?」
「そう。変わってるよね」
短い感想に、カリルは渋面した。
「それは誉めてんのか、貶してんのか?」
「ん。両方、かな」
首をやや傾げて答えたエンは、カリルが肩から下げている石版に視線を移す。
「あなたが響の主だと思うと、なんだか不思議な感じがする」
「主じゃねーから。仮だから!」
『カリルさん、そこで照れなくてもいいんですよ?』
「照れてねーよ!ちゃんと見て言え!!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐふたりに「なんだかんだ仲いいみたいだしね」とつぶやくと、エンは廊下の分かれ目で足を止めた。
「そこが応接室。サガは今会議中だから、終わるまで中で待ってて。それじゃ」
手を挙げて行こうとするエンに、慌ててカリルは声をかけた。
「おまえもその会議とかいうのに出るのかよ?」
「なぜ?」
「なぜって」
「ぼくはこれからお昼寝の時間」
「・・・・・・ああそう」
あきれかえったカリルの視線から逃れるように、汐がそそくさと促す。
「さ、行こうか。エンちゃん」
「うん」
『おやすみなさい!いい夢を!』
ぶんぶんと両手を振る響の横で、カリルは腕を組んだ。
「なぁ、守護霊の加護を受けられるのって、若い間だけだったよな?」
『そうですよ。だいたい十代後半から二十代後半までが限度ですね。どうしてですか?』
カリルはちょうど角を曲がっていくエンの背中を指さした。
「あれ、いくつだ?加護を受けるには若すぎねーか?」
『そうですか?確かに小柄ですけど、それは個人差もありますし。・・・それにすごく大人びてて賢そうな方じゃありませんか』
「ああいうのは賢いんじゃなくて生意気だって言うんだよ。何が昼寝だ」
『またそんなこと言って・・・でもカリルさんとそう変わらない年だと思いますよ?』
「んなバカな」
カリルは顔をしかめながら、応接室の扉開けた。中は廊下に負けず劣らず豪勢で、思わず足を止めてしまう。
「・・・なんだあれ」
『ああ、あれはシャンデリアです。ランプみたいなものかなぁ』
カリルの視線を追って、響が説明する。
「ならランプでいいだろ。チカチカして目に悪ぃ」
「仕方ないですよー。王宮ですから」
「ほんっと無駄なもん多いよな、ここ・・・」
カリルは部屋の中央まで歩くと、ぐるりと室内を見回した。無駄に広すぎて逆に落ち着かなくなる。
『カリルさん、ちょっと休みましょう』
響の提案に、ああ、とうなずき、カリルは大掛けのソファに腰を下ろした。響もその隣にちょこんと座ると、『えへへ』とはにかんだ。
「うざい。寄るな」
『もう!ひどいですカリルさん!』
「おれはいつも自分に正直なだけだ」
カリルは背もたれに沈み込んで目を閉じた。
広すぎるせいか音がない。それもなんだか妙な感じだった。静寂が耳に痛い。まるで自分たちしかいないような錯覚に囚われる。
「・・・王宮って、みんなこんな感じなのか?」
『え?どうでしょう?どこもこんな感じだとは思いますけど』
「ふーん。じゃアイツんちもこんなんなんだな、きっと」
カリルの言ったアイツ、というのが誰か響はすぐに分かったらしい。
『フォリオさんのことですか?』
「ん?んー」
『そうですね。きっと同じような感じだと思いますよ?ティティンの方が素晴らしいとは思いますが。ええ、刃さんには負けません!』
「あっそ」とどうでもよさそうに答えたカリルを、響は横からおずおずとのぞき込んだ。
『・・・あの、カリルさん、ぼくひとつ気になっていることがあるんですが』
「そうか大変だな」
『そうなんです。って、そこは聞いてくださいよ!!』
「分かった。分かったから耳元でわめくな!」
耳を押さえつつ、カリルは仕方なく聞いてやることにする。
「で、なんだよ?」
『フォリオさんのことなんですが』
「リオ?」
意外な名前に、カリルはゆっくりと目を開けた。響の真面目な顔が、すぐ近くにある。
『はい。カリルさんはフォリオさんに会ったら一発殴るっておっしゃってましたよね?』
「ああ」
『その後は?』
「は?」
『殴ったその後はどうするつもりなんですか?』
カリルは顔をしかめると、視線を天井に向けた。
「知るかよ。そんなのはその時考える。気が済まなかったら蹴りいれるかもしれねーし」
『いえ、そうではなく・・・』
「何が言いてーんだ、おまえは」
じろりと横目でにらみつけると、響は萎縮したように首を引っ込めた。もじもじと指を組み合わせている。
『・・・もしもの話ですよ?怒らないでくださいね。この戦争でティティンが勝ったら・・・その、・・・・・・フォリオさんの処刑だってありうるというか』
カリルは響を凝視した。言いづらそうに響は目を伏せている。
『さらに言ったら、軍に入る以上はカリルさんが・・・ってこともあります、よね』
「おれがリオを殺すってことか?」
響がわざと避けた言葉を、カリルは容赦なく言い捨てた。響は顔をゆがめると、小さくうなずく。
考えるように再び目を閉じたカリルは、わりとあっさりと答えを出した。
「ありえねーな」
『でも・・・』
「殴った後のことなんて正直何も考えてねーよ。でも、おれはリオは殺さないと思う」
『・・・カリルさん』
目を閉じたまま、カリルは島のことを思い出していた。おじじ。シロ。親しくしていた村人たち。彼らなら何と言うだろうか。
復讐しろと願うだろうか。
でも、そんなのはごめんだ。
「死んでどうなる。それで何もかもなかったことになるのか?虫が良すぎるだろうが、そんなの。おれはあいつを楽にしてなんかやらない。生きてるの見て、ざまあみろって笑ってやる」
『カリルさん・・・』
虚をつかれたような顔で、響はカリルの顔を見つめた。何か言いかけた彼を遮るように、応接室の扉が開く。
入ってきたのは、軍服姿のサガだった。話を聞いていたらしく、冷めた目をカリルに向ける。
「ずいぶん甘い考えだな」
『サガさん』
サガは室内に入ると、ゆっくりと歩み寄ってきた。向かいのソファに腰を降ろし、軍服の一番上の留め具を緩める。
視線は外れないままだ。
「軍に入れば、上からの命令は絶対だ。そこに私情のはいる余地はない。それが理解できないのなら、軍に入ることなど諦めるんだな」
冷ややかな声に、響が慌てて反論した。
『でもっ・・・カリルさんの言ってることだって正しいと思います!死んだらそれで終わりなんです。生きてないと贖罪もできないんですよ?』
「世の中には世の中のルールがある。それは変えられない。響も分かっているはずだが?」
『でも・・・』
「もういい。黙っとけ、響」
カリルが息をついて制止した。
『でも、カリルさん・・・!』
「おれのことなんだから、おまえがムキになる必要なんてねーよ。・・・あんたも、」
カリルは目の前の男をにらみつけた。
「物には順序ってもんがあんだろーが。立ち聞きしたあげく、いきなり入ってきて、ぐだぐだぐだぐだと。順番おかしいんじゃねーの」
「・・・」
サガはじっとカリルを見つめると、少しだけ口元をゆるめた。前かがみになって両膝に肘をつく。
改めた口調でサガが言った。
「エンと汐から報告は受けている。エンはあれで、人を見る目はあるからな。その点は信じてもいい」
「そりゃどーも。すっげムカつくけどな」
ふんぞりかえってカリルが返す。
微妙な空気の中、おずおずと響が切り出した。
『あの、サガさん・・・』
「何だ?」
『王はお元気ですか?それに王妃も・・・ぼくが離れたときに妊娠されていましたよね。世継ぎはお生まれに?』
「・・・」
響の質問に、サガは眉をよせて黙り込んだ。堅い雰囲気に響が戸惑う。
『・・・あの、ぼくなにか変なこと言いましたか?』
「いや」
短い否定の後、サガは大きくため息をついた。
「・・・黙っていても仕方がないな。国の誰もが知っていることだ」
『サガさん・・・?』
サガはまっすぐに響を見つめた。
「響、落ち着いて聞いてくれ。王と王妃はすでにお亡くなりになったんだ」
『えっ・・・』
唐突な言葉に、響は目をしばたたかせた。カリルはふんぞり返ったまま、目を細める。
『う、嘘ですよね?だってお別れしたとき、おふたりともあんなにお元気で・・・ぼく、またお会いできると』
「残念ながら、事実だ」
『そんな・・・』
響はぎゅっとくちびるをかみしめた。その顔は青ざめている。それを見やってから、カリルは口を開いた。
「なんで死んだんだ?病気か?」
「いや。・・・暗殺だ」
暗殺。
その重い一言に、響はもちろんカリルも言葉を失った。
『なっ・・・暗殺って、殺されたってことですか!?誰に!?』
「トランド国王だ。正確にはあいつの刺客にだがな」
今までに何度も聞いた国名に、カリルは顔をしかめた。トランド国王、ということはリオの父親か。
「おふたりが亡くなったのが、二年前。この戦争はそれを皮切りに始まっている」
『そんな・・・』
響は手のひらを強く握りしめると、うつむいてしまった。
「・・・ってことは、こいつの本当のご主人様とやらになれる奴って、もういないのか?」
カリルの問いに、サガは躊躇った末、いや、とつぶやいた。
「響が前王の加護から離れてすぐ、皇子がひとりお生まれになった。おふたりの忘れ形見だな」
響が打たれたように顔を上げた。
『皇子・・・?本当ですか?』
「ああ。今、この王宮にはいらっしゃらないがな。身の安全のため、離れたところに隠れていただいている」
『そう、ですか・・・』
響は少しの安堵をにじませて息をはいた。かつての主の死がどれほど守護霊にとって衝撃なのか、カリルには分かるはずもないが・・・。
サガは表情を改めると、カリルに向き直った。
「おまえに聞きたことがある」
「何だよ?急に」
「トランド皇子はどういう人間だ?」
予想もしていなかった質問に、はぁ?とカリルは大げさに聞き返した。
「おまえは皇子の友人なのだろう?」
「そうだけど。なんでそんなこと知りたいわけ?」
怪訝に尋ね返すと、サガは面白くなさそうに説明する。
「この間、南方にある国がトランドの傘下に下った。武力でねじ伏せた強引なやり方だったがな。その時に軍の指揮をしていたのがフォリオ・ルン・トランドだ」
「リオが?」
サガはうなずくと、ため息混じりに続ける。
「嫌気がさすほど鮮やかな手口だったそうだぞ。王は自決を余儀なくされた。敗戦後の恭順も滞りなく行われている」
「恭順?」
「簡単に言えば同化だな。トランドとして吸収するんだ」
ふーん、とカリルはつぶやいた。
「現王のクライスは数に任せた正攻法を好むが、どうやら息子はやり方が違うらしいな。効率重視で、最も被害が少ない方法をとる。賛否両論あるが、正直こちらとしては厄介でしかならない」
「・・・・」
サガの話を聞いていたカリルが、ふっと口の端をあげた。くつくつと笑いだした少女に、サガが眉をひそめる。
「なにがおかしい?」
「いや、あいつ無理してんなーってさ」
皮肉まじりの笑い声でカリルは答えた。
「無理?」
「ああ」
ひとしきり肩を揺らした後、カリルははっきりとした声でつぶやいた。
「おれが知ってるリオは、常識からズレてて、甘ったるい平和主義者で、どうでもいいことで悩むような、そんな奴だよ。自分から望んで戦いなんてしない」
「しかしそれは皇子の一面にすぎない。実際彼は前線で手腕を発揮している」
「だからそれを無理してるって言うんだよ」
カリルは再び意地悪げな笑みを浮かべた。
「刃とかも苦労してそーだな。うっわ、ざまぁみろだ」
『カリルさん・・・』
「・・・おまえは本当に皇子の友人なのか?」
「ここで庇わないと友達じゃないっていうんなら、おれは違うんだろうな」
にやにやと笑いながら言い返したカリルを見つめ、サガはふっと笑んだ。
「なるほどな。確かに変わり者だ」
「なんだよそれ」
カリルの目の前でサガは立ち上がった。目で追うと、彼は「ついてこい」と部屋の外へ促した。
サガに連れられて着いた先は、広い庭園の中に設けられた広場だった。本来は休憩するための場所なのか、小さなベンチや噴水が備えてある。
カリルは色とりどりの花に目をやった。
「こんなところに連れてきて、どうすんだよ?」
「あいにく訓練場は兵士で埋まっていてな。ここならいいだろう」
と、サガは腰から下げていた剣を、鞘ごと捨てた。無機質な音を立てて、それは芝生の上に落ちる。
カリルは渋面した。
「何のつもりだ?」
「手合わせしないか」
「手合わせって、おれが?あんたと?」
「そうだ。おれを負かしたら、軍入りを考えてもいい」
へぇ、とカリルは不敵に笑った。
「意外と話が分かるじゃねーか。そうこなくっちゃな」
「先に言っておくが、おまえにはおれの直属部下になってもらうぞ。おまえのような協調性の欠片もない奴を軍になど入れられんし、そもそも響がいるからな」
それから、とサガはカリルをまっすぐ見据えた。
「おれの部下になれば、おれはおまえがトランド皇子の友人だということを利用するし、おまえが嫌がる命令だって下すことになる。時と場合によっては皇子を殺せと言うかもしれない。その覚悟はあるんだろうな?」
「・・・」
響がおろおろと心配そうにカリルを見つめた。カリルははっと鼻で笑う。
「もしもの話なんてするだけ無駄だろ。利用したけりゃすればいい。勘違いすんなよ。おれの中でおまえに従いたくない気持ちより、リオを殴りたい気持ちの方が勝ってるだけだ」
でも、とカリルは語尾を強めた。
「リオは殺さない。やりたきゃ自分でやれ。つってもそうなったらおれが止めるけどな。あんたこそ、それでいいのかよ?」
どこまでも挑戦的なカリルに、サガは「上等だ」と笑みを浮かべた。
カリルは腰に下げていた愛用のナイフを、サガと同じように鞘ごと捨てた。
「いいのか?」
「てめーこそ丸腰だろうが。おれはどっちかっていうと殴る専門なんだ」
サガが薄く笑った。
「それは奇遇だな。おれもだ」
サガの拳がまともにカリルの鳩尾に入るのを見て、響は思わず両手で顔を覆った。
主であるカリルは身軽で、喧嘩も強いことは知っているが、やはりサガに勝てるはずもない。相手は長い間訓練を積んだ軍人なのだ。
手出しするなと釘を刺されたとはいえ、一方的な攻防を見ているだけしかできない自分がもどかしかった。
早く終わってほしい。混乱した頭でそう考えていた響の耳に、何かが倒れる音がした。
はっとそちらを見ると、カリルが倒れている。
『カ、カリルさんっっ!!!』
響は慌ててカリルの側に寄った。気を失っているらしく、ぐったりしている。抱き起こそうとしても触れることもできない。
響はサガをにらんだ。
『サガさん!カリルさんは女の子なんですよ!?ここまでしなくても・・・!』
「これのどこが女だ。とんだ跳ねっ返りだぞ?そもそも手加減すると怒るタイプだろう、こいつは」
『それは、そうですがっ』
「第一、手加減する必要もなかったしな」
ぽつりと付け加えられた一言に、響は目を丸くした。
サガは足を踏み出すと、響の横に並んだ。意識のないカリルを見下ろす。
「さて、どうするかな」とため息をついた。