第九章
遠くから、必死に自分を呼ぶ声が聞こえた。
『カリルさん、カリルさん!』
うるせーな、と意識の隅で返事をする。耳元で大声出さなくてもちゃんと聞こえている。
『カリルさん起きてください!冗談ですよね?殺しても絶対死なないゴキブリみたいな生命力が、カリルさんの長所なんですから!!』
カリルはぱっちりと目を開けて、目の前にあった響の顔面に拳をつきだした。が、むなしく通過してしまう。
「ちっ・・・」
『カリルさん!大丈夫ですか!?どこか悪くないですか!!?』
「おまえのせいで気分が悪い」
喜びを全身で表してまとわりついてくる響を手で払い、カリルは身体を起こした。少しの間意識を失っていたらしい。
カリルはふと自分の腕に視線を落とした。拍子ぬけしたようにまばたきする。怪我していない。結構出血したはずなのに、どこにも傷口はなかった。
『びっくりしたんですからね!もう!戻ってきたらカリルさん倒れてて、てっきり死んじゃったのかと・・・!!』
「あ?そういやおまえどこ行ってたんだ?」
『ぼくは急いで出口を探してました。そうだ、カリルさん!出口探してたら、ぼく会ったんですよ!!』
「会話は相手に伝わるようにしろ」
『ですから、いらっしゃったんです!出口に!!』
「だから誰が・・・」
うんざりと聞き返したカリルに答えたのは、響ではなかった。
「あたしらだよ、カリル」
聞き覚えのある落ち着いた声。視線を向け、カリルは目を見開いた。
そこにいたのは汐と、初めて見る少年だった。少年は手にランプを持っている。
「汐?」
「久しぶりだね、カリル。といっても昨日会ったけど」
「なんであんたがここに・・・」
「なんでってひどいね。一応迎えに来たのにさ。ねぇ、エンちゃん?」
汐は隣にいた少年に話を振った。カリルもそちらに目を移す。赤い髪、浅黒い肌をした小柄な少年だ。自分よりも年下だろう。
「えーと、それ誰?」
「この子はエンちゃん。あたしの主だよ」
「汐の?」
驚いてカリルはエンを凝視した。エンはさっきから無表情のまま、カリルを見つめている。
「ってことは王族か?」
「そう。セイオンっていう国のれっきとした皇子さまだよ」
『はっ!そうですカリルさん思い出しました!汐さんはセイオンの守護霊です!!』
「それ今聞いたから。おまえは黙ってろ」
ばっさりと切り捨てると、響が視界の端っこで拗ねた。とりあえず放っておく。
「ふーん、このちっさいのがね・・・」
カリルはまじまじとエンを観察した。確かに堅苦しい服装をしていたが、まだ小さいせいか着られている感が否めない。
それまで黙っていたエンが「ねぇ」と口を開いた。声変わりしていない高い声だ。
「あ?何だよ?」
「なにが見えた?」
「なにがって何だよ」
「じゃあ言い方を変える。さっきまで何と戦ってたの?」
「・・・」
カリルは目を細めてエンを見据えた。露骨に警戒心をむき出しにした態度に、汐が苦笑する。
「実はね、あたしらはサガに頼まれてここに来たのさ。響が周辺をかぎ回ってる。おそらく来るならここからだろうって」
「で?待ち伏せかよ?」
「人聞きの悪い。サガはね、カリルがどういう人間なのかが知りたいんだよ。もちろんあたしらもだけど」
「おれがどういう人間かって・・・そんなもん見りゃわかんだろ」
渋面したカリルに、汐は諭すように微笑んだ。
「あいにく人間ってのは多面性が多いものでね。見た目で判断できない場合の方が多いのさ。でも、カリルは違うかな」
『そうですよ!カリルさんは正真正銘馬鹿正直ですから』
「ふざけんな。それはおまえだろ!」
響は『ひどいです!』と抗議したがそんなものは無視だ。無視。カリルはエンと汐に向き直ると、不快感も露わににらみつけた。
「それで、あんたらはおれがどんな人間か試すために来たてことか?」
「まぁ、そういうことになるね」
「・・・あの幻みたいなのも、おまえ等の仕業か?」
低い声で尋ねる。汐は困ったように笑っただけだ。「そうだよ」と答えたのはエンだった。
エンは片手で懐から何かを取り出した。小さな壷だ。見せるようにすっと差し出してくる。
「それは?」
「ぼくの国で使われている香草。途中で甘い匂いがしなかった?」
「そういえば・・・したな」
確かに入ってすぐ、甘ったるい匂いがした気がする。そういえばシロが現れたのはそのすぐ後だ。
「それはこの香草を炊いた匂いだよ。普段は瞑想とかに使うんだけど、量を加減すると幻覚が見えるんだ。吸い続けると中毒症状がでる」
「おい・・・」
「大丈夫だよ。そんなに炊いてないもの」
「そういう問題か?つか、なんでそんなことする必要があんだよ?」
エンはゆっくりとまばたきをしてカリルを見つめた。
「見えるのは、<悔いている相手>だから」
「は・・・?」
「要はあなたが後悔を覚えている相手、負い目を感じている相手ってこと。そういうのと対峙したときって、わりと人の本性が見えるんだよ」
「・・・へーぇ?じゃあなんだ、こっちが苦労してる間、てめーらはおれの反応見て高みの見物ってか?」
「うん」
「で、合格?」
「まぁ、いいんじゃないかな」
「ほーお」
カリルはよっこらせと立ち上がると、エンの前に歩いていった。自分の肩の位置から見あげてくる少年の頭の上に、おもむろに手を伸ばす。
きょとんとした表情を浮かべているその頭に、思い切り拳骨を落とした。
いい音がした。
「いたっ!」
「ガキだから一発で負けといてやる。今度ふざけた真似しやがったら、その鼻っ面へし折ってやるからな」
「鼻っ面・・・?」
両手で頭を押さえたエンは、顔をしかめて汐を振り返った。
「やっぱりやめようよ、汐。この人暴力的すぎる」
「まぁまぁ、エンちゃん。あたしらのやり方も問題がなかったとは言えないしさ。喧嘩両成敗ってことで」
「えー・・・」
不満そうなエンを汐がなだめている。一見母と子のようにも見えるふたりだ。
カリルは腕を組んで憮然と尋ねた。
「だいたい、なんであんたらはここにいるんだよ?ここはティティンだろ?」
エンと汐は顔を見合わせた。エンがああ、とうなずく。
「響は知らないんだね。セイオンとティティンは同盟を組んでるんだ。有事の時は協力することになってる」
「んじゃ戦争するために来たのか?」
「うん。ぼくはこの戦争が終わらないと国には帰れない。だから、さっさと片づけてくれないと困るんだよね」
「さっさと片づけられる戦争ならとっくに終わってんだろ・・・」
「・・・やっぱり、そうかな」
「そうだろ」
カリルは呆れて言った。やっぱりガキだと思った。