第八章
長い軍議を終えたフォリオは、束の間空いた時間に父王の元に向かった。
「父上、失礼します」
扉を開けた先で、クライスは家老と何か話をしているようだった。クライスはフォリオを見やると、家老を下がらせる。
フォリオはすれ違う家老に会釈を交わし、クライスの元へ近づいた。
「すいません、お話中でしたか」
「構わん。大した話ではなかったからな」
フォリオの後ろに控えている刃が「おまえはどんな重要なことでも大したことないで片づけるだろうが」とボヤいていた。
椅子の背もたれに体重を預け、クライスが薄く笑った。
「どうした?おまえから来るなんて珍しいな」
「・・・父上に、お聞きしたいことがあります」
「レイアのことか?襲われたそうだな、色男め」
「・・・」
どうやらお見通しらしい。フォリオは嘆息した。
「・・・父上、わたしが姫と結婚するという話を聞いたのですが」
「さて、どこから漏れたのやら。おれは側近とリナにしか言ってないのだがな」
「いや、それだけ言や広がるだろ普通・・・」
刃が呆れたように突っ込んだが、クライスは意地の悪い笑みを絶やさない。
フォリオは頭痛を覚えた。ひしひしと嫌な予感を感じる。
「・・・それは、本当なのですか。父上」
「本当だが?」
「なぜわたしに何もおっしゃってくださらないのです?」
「言ったら、絶対に断るだろうおまえは」
「当たり前です」
フォリオは苦々しくつぶやいた。
「先日も言いましたが、今はそんなことをしている状況ではありません。父上もお分かりのはずです」
「分からんな。おれは、今だからやれと言っている」
「・・・どういうことですか」
意味深な言い方に、フォリオは声をひそめて尋ね返す。クライスが不愉快そうに鼻をならした。
「知っての通り、我が国とクールは同盟関係にある。だが、実際はどうだ。表面上は大人しいものの、水面下では我らに刃向かう動きもある」
「それは・・・仕方のないことではありませんか。関係の修復には時間がかかる。そうおっしゃったのは父上です」
「だがそう暢気なことも言ってられなくなった。ティティンとやり合う以上、背後から攻撃されてはたまらん。分かるな?」
フォリオは目を見はった。それはつまり、クールが裏切る可能性を示唆している。
「・・・つまりレイア姫との結婚は、反勢力へと牽制ということですか?」
「それも理由のうちだな」
「それでは・・・姫は人質のようなものではありませんか」
「悪い方に考えるのはおまえの悪い癖だな、フォリオ。おまえらふたりの結婚が、国の結びつきを強固にする、というのも立派な理由だと思うが?」
「ですが・・・」
フォリオの脳裏に、復讐だと言ったレイアの顔が浮かんだ。そこにあったのは純粋な憎しみだけだったように思う。
黙り込んだフォリオに、クライスは言った。
「フォリオが嫌だというのなら仕方ない。クールをトランドの一部として吸収し、恭順させるか?そのほうが圧力も反乱分子の制圧も遠慮なくできて良いのだが」
「そんなこと・・・今更クールが認めるはずがありません」
「認めさせるさ。今のあやつらに逆らうほどの力はない」
「父上・・・!」
声を荒げたフォリオを遮るように、クライスは立ち上がると、退室を促した。話は終わりだと言わんばかりの態度だ。
きびすを返したフォリオに、声を投げる。
「レイアとの結婚は決定事項だ。おまえは「是」と答えればいい。分かったな?フォリオ」
クライスの部屋から退室したフォリオは、その足でレイアが隔離されている部屋に向かった。
「フォリオ、会ってどうするつもりなんだ?」
「どうもしない。でも・・・話さないと駄目な気がする」
「おまえってほんと真面目だよなー」
苦笑した刃が、肩をすくめながらもついてくる。
レイアがいる部屋は、城の最上階で、元は客室の一つだった。眺めはいいが、いささか不便な場所でもある。
その部屋の前には見張りの兵がいた。
「フォリオ様」
「姫の様子はどう?」
「さきほどまで何やら暴れていたようですが・・・今は静かになりました」
そうか、とフォリオは相づちを打った。確かに部屋からは何の物音もしない。
「姫は少しの間おれが見てるよ。きみは交代の人間を連れてきてくれ」
「しかし・・・」
「お願いだ。姫とふたりで話がしたい」
「・・・分かりました。では、失礼いたします」
律儀に敬礼をして下がっていく兵を見送ると、フォリオは小さく息をついた。
外鍵を外そうと手を伸ばす。
そのとき、中から押し殺したような嗚咽が聞こえてきた。それから、それをなだめるような声も。
それを聞いた途端、身体が動かなくなってしまった。
「・・・」
「フォリオ?どうした?」
不思議そうにしていた刃も、すぐ泣き声に気づいたようだった。バツが悪そうに頭をかく。
「あー・・・泣いてんのか?」
「・・・みたいだな」
つぶやいて、フォリオは扉に背中をつけた。ずるずると座り込む。顔を伏せたフォリオに、刃は慌てた。
「おいフォリオ、頼むからおまえまで落ち込むなよ?」
「刃」
「なんだ」
「なんか・・・疲れた」
思ったままをぽつりとつぶやくと、刃が何ともいえない表情を浮かべた。強いていうなら苦笑半分、困惑半分といったところか。ああ、困らせたかな。そんなことを思う。「ごめん・・・」
「なんで謝る」
答えられなかった。刃は大きなため息をついた。
レイアの部屋の鍵が外されたのは、廊下での一件からちょうど一週間後だった。
事実上の軟禁状態に近かったレイアを解放したのは、シルバという女性だった。どこかで見たことがあると思えば、レイアを部屋に閉じこめた張本人ではないか。
しれっとした顔で「今日から自由に出歩いてかまいません」と告げたシルバを、レイアはにらみつけた。
シルバは全く気にしていないかのように、涼しい顔をしている。
「では、わたしはこれで失礼します」
「・・・ちょっと」
「まだ何か?」
部屋を出ていこうとしたシルバを呼び止め、レイアは渋々尋ねた。
「・・・わたしの処分はどうなったのよ?」
「処分?なんのことでしょうか?」
「とぼけないでよ!あんたんとこの大切な皇子様とやらを、わたしは殺そうとしたのよ?それを・・・」
「姫さま」
シルバは抑えた声で、でも強い口調で制した。
「そういうことは大きな声でおっしゃらないほうが御身の為ですよ」
「っ・・・」
「一週間前、フォリオさまの身には何も起きなかった。姫さまはこの部屋の中にいらっしゃった。そういうことになったのです。よろしいですね?」
シルバが囁くように告げた。レイアは穴があくほど相手の顔を凝視する。
「・・・本気で言ってるの?」
「もちろんです」
「どういうつもり?そんなことしてあなたたちに良いことなんてないじゃない」
「それはわたしも同感ですが。どういうつもりか気になるのでしたら、直接フォリオさまにお聞きください」
「・・・どういうこと?」
「姫さまの釈放をクライスさまに嘆願されたのは、フォリオさまですから」
今度こそ本気でレイアは自分の耳を疑った。
「嘘でしょ・・・?」
「わたしは事実を申し上げているだけです。もう失礼してもよろしいでしょうか?」
言葉が出ないのを了承と受け取り、シルバは部屋を出ていった。無防備に開けられたままの扉を見つめたまま、レイアはしばらく動けなかった。
「フォリオさま」
歩きながら書類に目を通してたフォリオは、不意に呼び止められた。振り返るとシルバが早足で近づいてくる。
「シルバ」
「姫さまのことは仰せの通りにしておきました。戸惑っていらっしゃるようでしたが」
「そりゃーびっくりするだろうな」
刃が隣で肩を揺らして笑う。フォリオも苦笑した。
「それから出していた書簡が戻ってきておりました」
フォリオは表情を改め「どうだった?」と訊いた。
「片方は条件を呑んだ上での同盟を受けいれましたが、隣国は戦う意志があるようです。守護霊を得ているようですので、ティティンと組む前に手を打った方がいいかもしれません」
「そうか・・・」
真剣な面もちの二人に、刃が口を挟む。
「何の話だ?会議でもしてきたのか?」
「書簡を送ったんだ。本格的に戦争になる前に、どうにかできるかもしれないと思って」
刃はぽかんと口を開けた。
「・・・いつの間にそんなことしてたんだ?」
「あなたが会議をさぼって遊んでいる間にですが?」
シルバの冷えきった声に、刃は頬をかいた。
「あー悪かったよ」
「心がこもっていません」
「はいはい、すいませんね。つーか、そのことクライスは知ってんのか?」
「父上には言ってない。でも、勘づいてはいるかもな」
「あー、あいつそういうことだけは抜け目ないからなぁ」
ぐぐっと背伸びをした刃は、ふと廊下の先に視線を向けて、ぎょっとした。
「げっ、紅・・・」
「げっ、とは何じゃ。相変わらず失礼なやつじゃな!」
声につられてフォリオがそちらに目を向けると、レイアと紅がこちらに向かって来るところだった。
すれ違うのかと思いきや、レイアはまっすぐこちらに突き進んでくる。目の前で立ち止まった。
「姫・・・?」
「・・・」
何かつぶやいた気がしたが、小声すぎて聞き取れない。
「すいません。今何かおっしゃましたか?」
「・・・どういうつもり、って言ったの!」
うつむいたまま、レイアが怒鳴った。フォリオはシルバに目配せをする。戸惑うというより、これはかなり怒っている気がする。
「黙ってないで、何とか言いなさいよ」
「姫、落ち着いてください。何の話ですか?」
「とぼけるつもり?なんでわたしを釈放したのよ?」
ああ、そういうことか。フォリオは苦笑した。
「とぼけるも何も・・・実際おれは怪我をしてません。それが理由ではいけませんか?」
「いけないわよ」
「はぁ」
「はぁ、じゃないわよ。わたしを自由にしたら、またあんたを狙うわよ。それでいいわけ?」
わざわざ律儀に確認してくるあたり、本当は優しい人なんだな、とフォリオはぼんやりと考えた。
「いいですよ」
「はぁっ?」
「姫がそうしたいのなら、それで構いません」
レイアは顔を上げると、口をぱくぱくさせた。怒りからか、顔が赤い。
「あんたっ・・・バッカじゃないの!?殺されたいわけ?」
「まさか。殺されたくはありませんよ。とりあえずその時は刃ががんばってくれると思いますから。な、刃?」
「・・・フォリオ、そこでおれに振るのやめろよ・・・」
刃はうんざりした表情をしている。フォリオは苦笑すると、レイアに視線を戻した。
「そういうわけです。ここはクールと比べて居心地が悪いかもしれませんが、もう少しだけ待ってもらえますか?」
「は・・・?」
「婚約のこと、もう一度父上と話してみます。姫が国に帰れるように。ですから少しだけ我慢してもらえると」
「なによそれ。同情のつもり?」
苛だった声に、フォリオは違いますよ、と穏やかに返した。
「じゃあ何よ?」
「おれが姫の立場でも・・・やっぱり嫌だと思ったから」
「は?」
「おれたちのような立場だと、望む相手と結婚できないのは仕方のないことです。でも、殺したいほど憎い相手との結婚を強要されるのはおれだって抵抗があります」
レイアは乾いた笑みを浮かべた。
「わたしの気持ちが分かるほど、あんたに殺したいほど憎い相手がいるとは思わないけど?」
「それは、そうですね」
苦笑するフォリオを、シルバが控えめに促した。どうやら時間らしい。
「すいません。用事があるので、おれはこれで。刃、行こう」
声をかけると、待ってましたと言わんばかりに刃が横に並んだ。フォリオは軽く会釈をすると背を向けて歩きだした。