第六章
遠くで誰かが自分を呼んでいる。
『カリルさんカリルさん、朝ですよっ!』
カリルは薄く目を開けた。まぶしい。というかまだ眠い。布団の中に潜っていく。
『カーリールーさーん!』
「あー、もう少し・・・」
『お目覚めのキスが必要ですか?仕方ないですねー』
その瞬間、空気の音がするほどの勢いで、響の頭を拳が通過していった。悲鳴を上げて響が後ずさる。
『な、な、なにするんですかー!!?』
「それはこっちの台詞だっつの・・・!!」
カリルは舌打ちをしながら上半身を起こした。最悪の目覚めだ。頭をがりがりとかいて欠伸をする。
「眠ぃ」
『寝ちゃだめですよ。出発しましょう?ほらほら顔洗ってください』
カリルは仕方なく起きあがると、ベッドの下に置いてあったブーツに足をつっこんだ。
「王宮に行くんだろ?簡単に入れてくれるものなのかよ?昨日のこともあるし」
『ふっふっふっふ。任せてください。こんなこともあろうと、ちゃんと抜け道を調べてきました!』
「抜け道?」
はい、と響は朗らかに笑う。
『地下道があるみたいなんですよね。といっても昔使われていた下水道なんですけど、そこから王宮に入れるらしいんです』
「・・・それ、誰から聞いたんだ?」
『この辺りの霊ですよ?ほとんど顔見知りなので』
あえて何もつっこまないでおこう、とカリルは思った。
『警備兵はいないらしいんですが・・・でも、代わりに厄介なものがいるらしいんですよ』
「厄介なものって?」
さも恐ろしそうに響は手を合わせた。
『幽霊が出るんですって!』
「・・・・・・おまえも幽霊だろ」
あきれかえって言うと、響は違います!と声を上げた。
『ひどいですよ、カリルさん!一緒にしないでください!地下道にいるのは地縛霊ですよ、多分!怨霊とか悪霊の類なんですからね、多分!』
「多分を連呼するか、そこで」
『だって見たことないから分かんないんですもん。でもみんなそう言うので、多分そうですよ』
「適当に言いやがって・・・まぁいい。行ってみれば分かんだろ」
カリルは息をついて、ブーツの紐を締めた。自分にとっては守護霊も幽霊も似たようなものなので、別に怖くもない。
大通りをひたすら歩いて王宮に向かう。道中響が思いついたように手を打った。
『そうだ、カリルさん。お札とか買っておきませんか?』
「はぁ?何に使うんだよ?」
『何にって魔除けですよ。もしくは幽霊退治に』
「ふーん。響も退治しておくか、ついでに」
『カリルさんっっ!』
冗談だろ、とからかいながら、カリルはふと視線を感じて周りを見渡した。すれ違う人がちらちらとこちらを見ている。・・・気のせいか?
『カリルさん、剣とか使えますか?』
「いや、どっちかってーと拳派。殴るほうが楽だし」
『ああ、体術ですか。そうですね、いかにもそんな感じがします。でも拳じゃ怨霊は殴れませんしね・・・』
「それは剣だって同じだろ?」
『聖剣とか、そういうものなら抜群に効きますよ。ものっすごい高いですけど』
「そんな金あるかよ」
『でもどちらにしろ武器は必要ですよ?』
「おれはこれでいい」
カリルは腰から下げている大振りのナイフに触れた。下手な物を買うより、使いなれた物の方がはるかにいい。
『でも・・・』
「あーもーうっせーな。おまえ守護霊なんだろ?相手ただの怨霊だろ?なにぐだぐだ怖がってんだよ?」
『こ、怖がってなんか・・・』
「ああ?」
にらみつけると、響は声を詰まらせた。
『だ、だって・・・ぼくの封印はまだ完全に解けてないですし、守護だって完全とはいえません。もしカリルさんに何かあったら・・・』
「ああ、そういや霊体同士は触れるんだっけ?おれが死んだらおまえタコ殴りだからな。覚悟しとけ」
『そ、そんなぁ』
「それが嫌ならぐだぐだ考えてねーでちゃんと働け。いいな」
『・・・はい』
響はこくんとうなずくと、離れかけていた距離を縮めた。
それを確認してから、カリルは再度周囲に目を走らせた。やっぱり視線を感じる。
「・・・なぁ、なんか見られてないか?」
『そうですか?カリルさんがかっこいいからじゃないですか?』
「それはそうだけどさ。そうじゃなくて・・・」
響はきょろきょろと周りを見渡した。確かに視線が集まっているのを確認して、『ああ!』と手をたたいた。
『そういえば言うの忘れてました。カリルさん、ぼくのことは見えない人の方がずっと多いですから、人前では気をつけた方がいいですよ?』
「・・・それは、あれか。おれが誰もいないところに話しかけているように見えるってことか」
『ええまぁ。ぶっちゃけると』
「・・・」
カリルはくちびるをひくつかせると、おもむろに肩から下げていた石版を取り出した。
ぽいっと放り出してそのまま歩き出す。
『うえええええええええっっ!!??カリルさん!?』
「おまえとはここまでだ。じゃあな」
『ああああああああああすいません置いていかないでくださいぃぃぃぃ今度からもっと早く言いますから!!』
響の絶叫が響きわたった。
泣き喚きながら響がついてくるので渋々石版を回収し、カリルは件の地下水路の入り口にきていた。
錆び付いた入り口を強引にこじ開けて中を見ると、鬱蒼とした闇色が広がっている。
「じゃ、行くか」
『えええっ、もうですか?早くないですか?ぼくちょっと心の準備が』
「勝手にしてろ。じゃあな」
『ああっ、カリルさん!待ってください!』
無視をして梯子を降りていくカリルに、おっかなびっくり響もついてくる。
足を地面につけると、妙な重さが身体にまとわりついた。息苦しい。
「うわ、なんだこれ」
『あああああ・・・います、いますよここ』
「ああいるな。ほらここ」
と、カリルはすぐ横の壁を指さした。人の苦悶する顔のようなものが見える。
『あああああああああああ!!』
響は叫ぶなり、ふたりの周囲に結界を張り巡らせた。身体が少し軽くなる。
カリルは耳に指をつっこんだ。
「うるせーな。いちいち騒ぐなよ。よく見りゃ愛嬌ある顔してんじゃねーか」
『何言ってるんですかカリルさん!愛嬌も何も、この人顔流血してるじゃないですか!こわいです!!』
「んじゃ、こいつとか」
『いやいや、首から上がありませんから!!』
「わがままだな。一応こいつらだっておまえの仲間みたいなもんだろ?」
呆れたカリルを、響は信じられないものを見るような目で見つめた。
『カリルさんに、怖いとかいう感情はないんですか?』
「んなもんあるかよ」
『ううっ、とても女の子とは思えない・・・』
「なんか言ったか?」
にらみつけると、『なんでもありません』と響は慌てて手を振った。
カリルは周囲を見渡してみた。手元ぐらいまでならかろうじて見えるが、足下はすでに闇と同化している。
「道が見えねーな。暗すぎる」
『強烈な怨念のせいですね。気をつけないとあの世にひきずりこまれちゃいますよ』
「何も見えねーのに、どう気をつけるんだよ?」
『ええっと・・・そこは根性でなんとかしてください』
「ふざけんな」
言い合っていても道が明るくなるわけもなく、カリルは仕方なく壁に手を当てて進み始めた。
さっきからペタペタと結界に触れてくる無数の手を遠ざけるように、響は身体を寄せてきていた。
『ひいっ・・・!』
「寄るな。うざい」
『だ、だって!気持ち悪いです!』
「気持ち悪いって思うから気持ち悪いんだろ」
『そんなこと言われてもー・・・あれ?』
急にきょろきょろしだした響を怪訝そうに見る。
「今度は何だよ?」
『今、汐さんが・・・』
「汐?」
カリルは顔をしかめて暗闇を注視した。しかし何も見えない。
「汐がいたのか?」
『いえ・・・汐さんの気配のようなものを感じたんですけど。・・・気のせいだったみたいですね』
「ふーん」
壁に当てていた手が、曲がり角を教えてくれる。慎重に進みながら、カリルはふとつぶやいた。
「そういや、ここはティティンなんだよな」
『はい?なんですか今更』
「ティティンの守護霊って本当におまえでいいんだよな?おまえの思いこみとか、勘違いとか、単なる刷り込みじゃなくて」
『カリルさん』
「なんだよ」
『傷つきました』
「そうか。で?」
『当たり前ですよ!今更何を言い出すんですか!ひどいです』
「あー、悪かったよ」
適当に謝ると『心がこもってません!』と響が猛抗議した。それを更に適当にあしらうと、カリルは疑問を口にする。
「でもそうなると、汐はどこの守護霊なんだ?」
『え?』
「響がティティンの守護霊なら、汐の国は他にあることになるだろ?なのに当たり前のように汐はここにいるしさ。サガともつるんでるみたいだったし」
『言われてみれば・・・うーん。そうですね』
「おまえが汐の国をちゃんと覚えてさえいれば、解決する話だけどな」
『す、すいません・・・』
しゅんとする響に、まぁいいけど、とカリルは言った。どうせ会いに行くのだから、そのときに聞けばいい。
右も左も分からない暗闇をひたすら勘で歩き(響はこっちで合ってると言うが、正直信用できない)進んでいくうちに、カリルは何かの匂いに気づいた。
脳が痺れるような甘ったるい匂いだ。カリルは眉をひそめた。
「・・・なんだ、この匂い・・・?」
『カリルさん、気をつけてください。なんだか妙です』
響が周りを気にしながら警告した。
カリルも周囲に神経を尖らせる。匂いはどんどん強くなっていくようだ。
そして。
「!!」
暗闇の中から浮き出るように現れた<それ>に、カリルは絶句した。
「お、まえ・・・」
『カリルさん?』
カリルはそれを穴が開くほど見つめた。
それは少し離れたところでしゃがんでこちらを見ている。他は真っ暗で何も見えないのに、なぜかその姿だけが浮かび上がって見えた。
白い大きな身体。柔らかそうな毛並み。知性のある瞳。
それは、あまりにもカリルがよく知っているものだった。
カリルは愕然とつぶやいた。
「シ、ロ・・・?」