第五章
「フォリオ、離れろ!」
その少女の殺気に気づき、叫んだ途端、刃は後ろから羽交い締めにされた。
視線を落とすと、自分を拘束する腕が見える。拘束?そんなバカな。自分に触れることのできるものなんて限られている。
考えている暇はなかった。刃は自分の身体に回されている腕を容赦なくひねり上げた。相手が怯んだ隙に、鳩尾に肘を叩き込む。
最後に身体が離れたのを見計らって、回し蹴りを食らわせた。
「っ、フォリオ」
主の少年のほうを見ると、同じように片が付くところだった。フォリオは冷静にナイフを避けると、手首を強く叩いてそれを落とした。
小さな悲鳴をあげて手首を押さえた少女のナイフを、素早く取り上げる。
「フォリオ、大丈夫か?」
「ああ」
「そりゃ何より。ったく、なんなんだこいつは」
刃のつぶやきに、少女は顔を上げた。射抜くような目でにらみつけてくる。
フォリオはまばたきをした。
「・・・・・・もしかして、姫ですか?」
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声を出した刃に、フォリオが説明する。
「刃は同盟のこと知らないんだったな。トランドの同盟国、クールの姫だ。名前は確か、フレア・・・」
「違うわよ!レイア!」
否定の声をあげた後、レイアはしまった、という顔をした。フォリオが微笑む。
「そうだ、レイア姫だよ」
「クール・・・?」
刃は口元に手を当てると、視線をさまよわせた。まさか。
「刃?どうかしたか?」
「ああいや・・・クールだろ?うん」
「何を言ってるんだ?」
「いやだから、クールだろ?クールのお姫さんだろ?ってことは王族で、ってことはさっき俺を押さえつけた奴って・・・」
刃はさまよわせていた視線を、そっと隅に向けた。そこには自分と同じ格好をした女がうずくまっている。
視線を追ったフォリオが目を丸くした。
「あれは・・・守護霊?」
フォリオのつぶやきと同時に、ふらりとそれは立ち上がった。明らかに怒り狂った様子でこちらに突き進んでくる。
「刃ッッ!!!」
「・・・やっぱあんただったんだ、紅・・・」
手のひらで壁を作って後ずさった刃に、紅が鬼のような剣幕で詰め寄る。
「貴様何のつもりじゃ!おなごに回し蹴りをするなどと、言語道断ぞ!!」
「いや、あんた男女差別すると怒るじゃんか」
「それとこれとは話が別じゃ!このたわけが、手加減くらいせんか!」
「だって馬鹿力だったし、男かと・・・つーか、そんなこと考えてる余裕なかったし」
「だから貴様はたわけなのじゃ!この大たわけが!!」
おさまるどころか段々とエスカレートしていく喧嘩に仲裁に入ったのはフォリオだった。
「ふ、ふたりとも落ち着いて。騒ぐと人が来る」
「・・・」
紅は舌打ちをすると、レイアを守るように側に控えた。レイアはさっきからだんまりを決め込んだまま、こちらをにらんでいる。
フォリオはふたりに声をかけた。
「いきなりのことだったとはいえ、乱暴をしてすいませんでした。姫、紅」
「ちょっと待て。こいつらが先に仕掛けてきたんだぞ?」
「うん。だから」
フォリオは微笑んで尋ねた。
「いったい何のつもりですか?姫」
笑っているのに妙な迫力があった。おとなしい人間を怒らせると怖いというのは本当らしい。
長い長い沈黙のあと、先に折れたのはレイアのほうだった。
「復讐よ」とぽつりとつぶやいた。
「・・・姫」
レイアは激しい憎悪のこもった目を向けてきた。吐き捨てる。
「許せないのよ、あんたたちが!あんたたちトランドの人間が!」
「・・・」
どういうことだ?刃はフォリオを見やった。彼は苦い表情を浮かべている。
「・・・落ち着いてください。トランドとクールの同盟関係は、現在良好のはずです」
「良好?同盟関係?笑わせないでよ!あんなのは同盟じゃない!ただの侵略じゃない!」
悲痛な叫びに、刃は眉をひそめた。侵略とはまた穏やかじゃない。
「姫、」
「・・・これは何事ですか」
何か言いかけたフォリオを遮るようにして現れたのはシルバだった。どこかに向かう途中だったのか、兵を二人連れている。
シルバは取り乱した様子のレイアと、フォリオが持っていた女物のナイフを目咎めると、冷静に兵たちに命令した。
「姫さまをお部屋へお連れしなさい。外へお出ししないように」
「シルバ!なにもそこまでしなくても」
「フォリオ様。牢にと言わないだけ、わたしは配慮したつもりです」
「それは・・・」
返ってきた正論に、フォリオは言葉を詰まらせた。
レイアの腕を左右から取ろうとした兵たちに、レイアが一喝した。
「気安く触らないで!今更逃げたりしないわ」
レイアはフォリオと刃を最後ににらみつけると、背を向け、颯爽とした足取りで歩いていった。紅と、兵たちもついていく。
三人だけになり、刃は長いため息をついた。
「いつのまにクールと同盟なんか組んだんだ?」
「ああ、刃はいなかったから知らないんだな。・・・確か4、5年前だよ」
「まぁいいけどさ・・・苦手なんだよ、あの女。男嫌いで高飛車でさ。相手すると疲れるし、無視するとうるせーし」
「紅のことか?」
「そうだよ。姫さんのほうは初めて会った」
そうか、とつぶやくとフォリオは自嘲気味に小さく笑った。尋ねるのは気が引けたが、聞かないわけにはいかない。
「・・・復讐ってどういうことだ?」
黙ったままのフォリオの代わりに、シルバが口を開いた。
「姫は復讐とおっしゃったのですか?」
「まぁな」
「それは逆恨みとしか言えませんね」とシルバは容赦なく切り捨てた。
「どういうことだ?」
「4年前の戦争で、クールは我が国に敗北しています。本来ならばトランドに統一されるべき国を残し、同盟を組んだのです。復讐されるべきいわれはありません」
「・・・だけどあの戦争で王は・・・レイア姫の父親は殺されている」
静かにフォリオが言った。
「新しい王はトランドの人間だ。残された王妃に再婚を強要した。違うか?」
「違いません。それが何か?」
「それなら姫が復讐といったのも納得できる」
シルバは理解できないように眉を寄せた。
「なぜですか?それが理由ならばただの私怨です。なおさら納得などできませんよ」
聞き役に徹していた刃が間に入った。
「要は復讐ってのはクールの総意じゃなく、姫さんの個人的な感情ってことだろ?」
「そういうことになりますね」
フォリオは疲れたように息をついた。
「シルバ」
「はい」
「なぜ姫がこの城にいるんだ?」
「それは・・・」
シルバはここにきてようやく戸惑ったような表情を浮かべた。
「・・・ご存じないのですか?」
「なにを?」
「・・・・・・」
黙り込んだシルバを見て、ふと刃は少し前の話題について思い出した。
異国の姫。どこかで聞いたようなフレーズだ。まさかとは思うが。
「・・・あれがフォリオの婚約者だったりして」
ぼそりとつぶやくと、フォリオはびっくりしたように目を見開いた。シルバは目を伏せたまま沈黙を保っている。
「・・・冗談はやめてくれ。刃」
「いや、冗談じゃねーけど。どうなんだ?シルバ」
ふたりの視線を受け、シルバは観念したように嘆息した。
「・・・本来ならわたしから申し上げることではありませんが・・・クライス様がそのように公言しているのは事実です」
「な・・・」
フォリオは愕然とした表情で絶句した。半ば予想が当たった刃は苦笑する。
「公言って・・・フォリオ本人すら知らされてねーのに?」
「もちろん全員ではありませんが・・・申し訳ありません。フォリオ様はご存じなのだと・・・フォリオ様?」
「フォリオ?」
見ると、フォリオはどっと疲れたように壁にもたれ掛かっていた。