第四章
「ォリオ、・・・おい、フォリオ?」
間近で聞こえた声に、フォリオははっと我に返った。目を上げると、刃が横から顔をのぞき込んでいる。
「刃」
「大丈夫か?ぼーっとして」
ああ、と答え、フォリオは目の前に並べられている食事に目を向けた。そうだ、食事の途中だった。
上座に座っていたクライスが笑った。
「珍しいな、おまえがぼんやりするなど」
「てめーが働かせすぎなんだよ。ちょっとは遠慮しろ」
「これでもしているほうだがな」
「どこがだよ」
刃のぼやきに、クライスは愉快そうに肩を揺らした。
「ふたりとも、先の戦はご苦労だったな。これで南方への足がかりができた。王が自決したのは面倒だが・・・まぁいい。どうにでもなろう」
「責任者として何人か置いてきましたが、彼らは軍人ですから、すぐに代わりの者を向かわせます。こちらから何人か連れていってもよろしいですか?」
「かまわん。おまえの好きにするといい」
「では決まり次第、またお知らせします」
フォリオは堅い口調で告げると、仕事の一環のように食事に向き直った。刃はというと部屋の窓枠に腰を下ろして頬杖をついている。いらいらしているのが見て取れた。
フォリオ、と名を呼ばれ父王に視線を戻す。
「はい」
「ティティンに入っていた者の報告によると、どうやら守護霊がいる様子はないそうだ。消滅したか、ただ隠れているだけか分からんが、そろそろ本腰を入れる頃合いかもしれんな」
「・・・分かりました。準備をしておきます」
「それからもう一つ」
「はい」
「嫁を貰う気はないか」
あまりに唐突な言葉に、フォリオはすぐに返事ができなかった。目を丸くしてクライスを見つめる。
「あの、今なんとおっしゃいましたか?」
「嫁を貰う気はないかと言った」
「・・・」
フォリオは眉をひそめた。
気のせいか、頭痛がした。
「・・・なぜ、いきなりそんなことを?」
「おれが今のおまえの年の頃には、女には十分興味があったんだがな。なぁ、刃?」
「あーそういや屋敷中の女に手ぇ出してたよな、あんた・・・」
「それがおまえときたら全くそんな素振りも見せない。そんなことで大丈夫なんだろうな」
フォリオはそっと心の中でため息をついた。
「今は忙しくてそれどころではありません。冗談はやめてください」
「おまえは優秀な息子だが、妙なところで堅物すぎるのはいただけんな。誰に似たのやら」
「おまえじゃなけりゃリナだろうが」
「やはりそうか」
納得したようにクライスはうなずいている。
いつものことながら、この父親が何を考えているのかさっぱり分からなかった。あまり、分かりたくもないのだけど。
ほんの少し、手が空いた時間に母のいる離れに向かう。
いつもどおり部屋の前にいる使用人に断って中に入ると、ベッドの中にいたリナが身体を起こした。
「フォリオ」
「母上、お加減がよくないのですか?」
ベッドに近づいて、フォリオは用意してあった椅子に座った。リナは体が弱く、寝込むことが多い。
薬が効いているのか、ぼんやりした表情でリナはうなずいた。
「・・・少しだけ。でも、大丈夫」
「おれのことは気にせず、眠ってください」
「でも、せっかくフォリオがいるのに」
「では何か話をしましょうか。母上が眠るまで側にいますから」
フォリオは安心させるように微笑んで、リナの肩をそっと押した。布団を肩まで引き上げてやる。
しばらく他愛のない会話をしていたが、やがて眠くなってきたのかうとうとと微睡み始める。
「フォリオ・・・」
「はい」
「結婚するって本当・・・?」
フォリオは目をしばたたかせた。刃は横で吹き出している。
「しませんよ。誰からそんなことを?」
「クライス様が・・・フォリオはどこかのお姫様と結婚するって」
「それは・・・父上のご冗談でしょう」
どこかのお姫様、というやけに具体的な話に、嫌な予感を覚えつつも、一応否定しておく。
「本当・・・?」
「はい。ですから、気にせず眠ってください」
優しく髪を撫でると、誘われるようにリナは目を閉じた。しばらくすると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「どういうつもりなんだ?父上は」
「さぁ?あいつの考えてることは昔からよく分かんねーからな」
リナを起こさないよう細心の注意を払って退室したフォリオは、廊下を歩きながら顔をしかめた。
横をついてくる刃は、くつくつと面白げに笑っている。
「案外本気で結婚させようとしてたりしてな」
「・・・笑えない冗談だな」
「なんでだ?おれは逆にありだと思うけどな。確かに早すぎるけど、おまえひとりにしておくと何か危なっかしいし」
フォリオは思わず相手を見返していた。
「刃まで何言い出すんだ。やめてくれ」
「わかんねーな。なんでそんなに嫌がるんだか・・・」
不意に刃がにやりとくちびるをつり上げた。
「ははぁ。さては好きな子がいるとか?」
「刃!」
「冗談だって。わりぃ」
「全く・・・」
フォリオは大きく息をついた。
そうでなくても今は何かと頭の痛い問題が山積しているのだ。これ以上訳の分からない問題を引き出すのはやめてほしい。
こちらの心中を察してくれたのか、刃がふと話題を変えた。妙に改まった口調で、なぁ、と口火を切る。
「フォリオ、そろそろティティンを攻めるのか?」
「・・・そうなるだろうな。ただ、あそこの地形はおれたちには不利なんだ。相応の作戦を立てていかないと・・・」
「ふーん」
刃は何かを考え込むように目を伏せている。階段を下りていたフォリオは、足を止めて振り返った。
「刃?どうしたんだ?」
「いや、あいつどうなったのかなって」
「あいつって?」
「ティティンの守護霊。名前なんつったかな・・・すごい変わった奴なんだけど」
「顔見知りなのか?」
「まぁ同胞だしな。つっても会ったことは二回くらいか」
そうか、とフォリオはつぶやいた。 ティティンにいる密偵の報告だと、守護霊はいないという話だった。どこかに身を潜めているのか、それとも守護の島にいたのか・・・。
そこまで考えると、自然と友人の顔が思い浮かんだ。最後に見た、怒った顔しか思い出せなかったけど。
「・・・」
「フォリオ?」
「・・・なんでもない。行こう」
首を振ってフォリオは促した。階段を下りきって、離れから本城へ入る。
普段人気のない廊下に出た時、不意にフォリオは誰かにぶつかった。
「!」
「っ、すいません」
フォリオは慌てて手を伸ばした。
ぶつかったのはドレス姿の女の子で、ヒールが災いしたらしい。バランスを崩して尻餅をついた少女に手を差し出す。
「大丈夫ですか?」
「・・・」
少女は差し出された手を見つめ、それからフォリオの顔を凝視した。最初は驚いたような顔をしていたが、だんだんと表情が抜け落ちていく。
「あの?」
「フォリオ・・・皇子?」
「そうですが・・」
答えながらフォリオは首を傾げた。そもそもこの子は誰なんだろうか。服装からして城の使用人には見えないし、誰かの客なのかもしれない。
いや、でもこの顔はどこかで見たような。
「あの、どこかで・・・」
「・・・」
少女は何かをつぶやいたが、小さすぎて聞き取れなかった。聞き返しても答えはない。
後ろにいた刃が不意に声を上げた。
「フォリオ、離れろ!」
素早い動きで、少女は懐から何かを取り出した。光を反射するそれは、ナイフだった。