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赤い口

作者: K_季本

異形のモノが異様なまでに執着するコトとは? 「私」に起きた出来事に、その答えが隠されていた。「私」は、今、その全てを語っている。

「では次の方、お願いします」 柔らかく、それでいて抗い難い声音に思わずふらふらっと吊り出されてしまったが、僕はそのまま躊躇うことなく、中央に置かれた椅子へと向かった。周囲から注がれる20本の視線は、疑い深げに詮索する、言ってみれば、心を刺し貫く刺々しさの様なものを毛ほども含んでおらず、唯々、優しさと暖かさとに満ち満ちているだけであった。普段、2,3人を相手にしての会話ですら耐え難い責め苦のように思い、相づちだけで凌ごうとする僕なのだが、10人もの人間を前にしているこの場所に重苦しさはまるで感じなかった。席に着くと間を置くことなく、自分でも予期していなかった特級品の滑らかさで、声が口から溢れ出てきた。


私が皆さんにお話しますことは、つい先日の出来事です。

 その日も、ラッシュアワーの雑踏を避けるべく、会社で所在ないままに時間を潰し、やや遅い時刻になってから自宅近くの駅に到着しました。駅前にある大通りの人混みは、いつも通りに少なくなっていまして、目論見通りであることにホッとしつつ、行きつけのコンビニに足を向けました。

 店内に入る寸前、不意に背後に、何とも言えない嫌な感覚を覚えました。思わず周囲を見回したのですが、見慣れた光景が目に入ってくるだけです。おかしな様子は何も見て取れません。そのため、まあ気にすることないか、と軽く流してしまいました。

 習慣でしょうか、入るとすぐに雑誌を物色しました。生憎、めぼしい収穫はありませんでしたので、そそくさと雑誌コーナーから離れ、買い物かごにビールとつまみを何品か放り込んでからレジに向かったのですが、レジの前には運悪く、お客さんが列を作っていました。3人程でしたが、先頭の人の会計処理にトラブっているようで、時間がかかりそうな気配がありました。帰宅したところで何をする訳でも無し、というパッとしない生活ですので、それではもう少し店内を物色しようかと考えましたところ、吸い込まれるようにデザートコーナーに目が向きました。給料日前で財布に余り余裕がありませんでしたから、敢えてデザートコーナーは意識的に避けていた筈なのですが、先刻背後に感じた悪魔的なモノに魅入られていたかのように、何とも言えない強い力が私の心を一瞬支配してしまった、そんな態でした。

 皆さんもきっと同じ様な経験をお持ちでしょうけど、コンビニのデザートコーナーって奴は、男性でも買い易い様な位置に置かれていますし、何しろ、思わず手を伸ばしたくなるような展示方法で商品を陳列してますよね。開封されている訳でもないのに、何となく、食欲というか、食指を誘う芳香を執拗に放っている感じです。その時も、イチゴのソースを使ったプリンタイプのカップケーキが、よだれが出てしまいそうな雰囲気をプンプンと漂わせていました。その魔力には抵抗し難いものがありましたが、何しろ、節約を余儀なくされていた時期です。ちょっとの間、1,2分位でしょうか、逡巡しましたものの、ビールとつまみ優先と決めてカゴに入れることを諦め、列が解消されたレジへと戻りました。

 コンビニでは、店員さんに買い物かごを差し出せば、苦手とする会話をやりとりすることなく、中の商品を手際よく処理してくれます。レジの周りにお客さんらしき人影はありませんでしたから、かごを差し出した後、私は何とはなしに視線を外してぼんやりとしていました。ところが、商品を読み上げながら処理していく店員さんの声の中に、件のカップケーキの名前が含まれているのです。しかも、個数は2個です。私は思わず、自分の耳を疑いました。でも、見ると間違いなく、店員さんの手の中に存在しているのです。全くもって、狐につままれたような不可解さです。予期せぬ事態に目を瞬かせている間に、店員さんの手は容赦なくバーコードリーダー部に移動してしまい、あっという間にカウントしてしまいました。そう言う状態まで行き着いてしまうと、あっ、その商品はちょっと、とか、或いは、2個じゃなくて、と言える様な度胸は、私でなくとも無いでしょう。

 幸い、合計金額は、財布にそれなりの余裕を残せる程度でしたし、食べてみたいと思って凝視してしまったカップケーキでしたから、何となく納得してしまってコンビニを後にしました。1個余計でしたが、そこまでけちな了見でもありませんし。

 もう大通りから人の気配は消えていて、どちらかと言えばコートが恋しくなるような夜風が静かに吹き抜けていくだけでした。ぽつんと一人だけ取り残された様で、寒さの他に少々寂しい感じも覚えながら、足早に家路をたどりました。

 自宅には、先ほどのコンビニから20分ほどで帰り着けます。ただ、途中に一カ所、たった一カ所だけなのですが、どうにも好ましくない雰囲気を醸し出している所がありました。小さな祠があるだけなのですが、その周辺だけ家並みや街灯が途切れていて、祠の古びた佇まいと相まって、一種異様な形容し難い空気を生み出しているのです。私は見た目でおわかりのような性格ですから、毎日の事とは申しましても、そこを苦手にしていました。実を言えば、度々、肝を冷やす様な出来事にも出くわしていたからです。

 その日も、祠に差し掛かる直前、コンビニの際と同じく、嫌な感覚を覚えました。もしかしてまた? そんな事が頭の中に浮かびはしましたが、通らない訳にはいきません。やむを得ず、歩速を一段と早めて通り過ぎようとしましたところ、案の定、出くわしてしまったのです。

 祠側の手にコンビニの包みを下げていたのですが、生暖かい空気にガサッという音を交えて、包みを私の手から引きはがそうとでもするかの様な、得たいの知れない力を感じてしまったのです。うわっ。ある程度予見していたとは言いましても、こういう性格の人間はやはり駄目です。つい、腰が引けてしまいました。

 でも、その日はいつもと違って、少しだけですが、勇気を出せるような気がしたのです。何でかはわかりませんでしたが。それで、兎にも角にも、思い切って包みを引き寄せました。それと同時に、これ以上は無理と思えるような脱兎の如き勢いで祠の前を駆け抜けることが出来たのです。こんなことは、多分、私の人生の中で初めてだったかもしれません。ただ、後ろを振り返ることは出来ませんでした。何かを見てしまったら。それが怖かったのです。そこは、いつもの小心ものの自分に戻ってしまっていました。


 自宅に辿り着いた私は、人心地が着いたせいか、注意力がやや散漫になっていたようです。いつもなら、自分の部屋に鍵をかけてから風呂に入るのですが、その日はうっかり、鍵をかけ忘れていました。祠の前を駆け抜けられたことへの高揚感の所為だったかもしれません。

 風呂上がりのビールより、先ずはあのカップケーキを食べるかな。そんな、ささやかな期待に浮かれながら浴室を出て自室に戻った私を、しかし、衝撃の光景が待ち受けていました。

 鍵が開いていることの違和感にすら全く気づかず、愚かにもスッと部屋に足を踏み入れた私は、あまりの事に、言葉だけでなく、魂を失ったのだと思います。自分で言うのは何ですか、結構小綺麗に整えてある部屋の奥には、自分専用の冷蔵庫を置いているのですが、その前に、異様としか表現の仕様がない塊がへばりついていたのです。あろうことかソイツは、私の気配に気づいた様で、ゆっくり振り返ろうとしました。一瞬だと思うのですが、立ち尽くしつつも、確かに魂を失っていた記憶があります。

 漸く意識を取り戻した私の目に映ったソイツは、赤々と染め上げられた口を悠々と整えています。それでも口許からは、何かが垂れようとしています。形容すべき言葉を浮かべることの出来ない、愛らしさのかけらもない姿でした。目を凝らしてみますと、ソイツの傍には、余程に強い力で押しつぶしたと思われるポーションの残骸が散らばっているのがわかりました。その上、完全に空のプラスチック製のカップまでもが無造作に転がされていました。ポーションは、明らかに、鮮血のような色合いを輝かせていたイチゴソースの容器です。

 私は事態の顛末を悟り、「お、お、」と、喚くと言うより、呻きとでも言うべきでしょうか、言葉にならない言葉を発しようとしました。けれどもその努力は、勝ち誇っているかの様なそぶりのソイツに阻止されました。ソイツは、赤いイチゴソースの名残をだらしなく垂らしながら、「タ~カ~ヒ~ロ~ッ」、そう、吠えたのです。私の名前です。

 ソイツは、どこからか取り出してきたティッシュペーパーで口許を奇麗に拭いながら、それでもまだ赤く染まっている口で続けました。

「何でコンビニで会った時、避けたのよぉ!」 確かに、店の入り口の前で気配を感じ、振り向いて存在を視認はしました。でも、コイツに一々応じてやる必要はないのです。

「おまけに、みっともないったら。デザートコーナーの前で、何十分考え込んでんのよ、ほんっとに恥ずかしい。さっさと買えばいいのよ、買えば。ほんと、買う度胸すら無いワケね。あんまりにも可哀想だったから、よそ見している時にレジに追加してあげたわよ、感謝してよねぇ」 1,2分です、逡巡していたのは。それにやっぱりコイツだった訳です、カップケーキをレジに持ち込んでいたのは。だから1個じゃなくて、2個、だったんですよ。

「しかも、祠んとこで、何で私を捨て置いて逃げたのよ!こんなカワイイ娘を一人取り残して、何かあったらどうすんのさ。タカヒロより先に持ち帰って味見しておいてあげようと思って待っててあげたのにさ」 可憐さや愛くるしさを微塵も感じさせないコイツは、やっぱり、私の性格を利用して、コンビニの袋を奪い取ろうとしていたのです。暗がりの中からいきなり腕が出てくるという事態が、私の様な人間にとってどれ程衝撃的なことなのか、コイツには一生理解できないのでしょう。生きている間に一度は、同じ恐ろしさを経験させてやりたい。切実にそう願いましたし、今は余計にそう思います。

 こんな勝手な都合を遠慮なく赤い口から流し続けていたコイツは、漸く、捨て台詞なのでしょう、こう言ったあと、悠々と私の部屋から出て行きました。

「祠のトコで、素直に渡してくれれば1個はあげたんだけどね。自業自得よ。2個ともご馳走様でした! ヤッパリ、タカヒロに買わせたデザートは、とっても美味しかったです!。あ、そうだ。このつまみ、お口直しに頂いていくからさ、お兄ちゃん、あと宜しく!」

 一人、荒らされた部屋の中に取り残された私は、唯々、出て行ったモノの恐ろしさに打ち震えていました。何で一緒に住まわせてやったんだろう。いくら両親から頼まれたとは言え、独り暮らしさせれば良かった。これで何度目だろう、いつもこういう目に遭わされてしまう。

 ここで皆さんに話している今も、あんな奴の、「女子大生の独り暮らしは怖いから、お兄さんとなら安心!」という、妖しく、誘い込むような言葉に屈した自分の愚かさを悔いています。

 これで私の話は終わりです。おかげで、ちょっと気が晴れたような気がします。


「どうも有難うございました。ここに居る皆さんは私を含めて全員、同じ様なつらい経験をなさっていますから、そのお気持ちは良くわかります。妹という生き物は、本当に怖いですね」 そんな風に、理解力のあるコメントで僕の話を引き取ってくれた、<妹によるDV被害者の会>主宰の声と、話し終えた直後に同情と共感に満ちた視線を投げかけてくれた10名の参加者に、僕は少しだけ、救われた思いがした。

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