一人目7
小野は真面目に働き貯金もしていた。
結婚するには少し少ないが、30歳の男にしてはあるほうだった。
正美の方からそれとなく結婚話しが出る樣にもなっていた。
そろそろ、その時期が迫っている事をみんなが感じていた。
オーナーマスター自身も最初は近くに住んでもらい、ゆくゆくは同居してくれればと考えていた。
何の疑いもなく、ただ自然な流れを楽しんでいた。
ところが、ある日常連客との会話がオーナーマスターの心に陰り現れた。
「正美ちゃんもそろそろやな、マスターも一安心ってとこかな?しかし一人娘を取られ、ゆくゆくは店も取られる。何となく寂しいな」
客からすれば軽い言葉だったし、オーナーマスターにしても笑って流せる言葉のはずだった。
『取られる!』
この言葉がやたらとオーナーマスターの頭に残った。
小野が来て、店は以前にも増して活気づいていた。
料理の仕込みから調理まで、大半を小野が担当し、客の対応も笑顔で熟し評判もよかった。
それは喜ばしい事なのだが、何故だかひっかかる。
26歳で開業し、30年歯を食いしばって店を守ってきた。
娘も手塩にかけて育て、お茶やお花を習わせ、大学までだした。
オーナーマスターにとってはその二つが人生で誇れる物だった。
『取られる!』
その二つが一度に無くなる。
それはいつしか恐怖にも似た感情になっていた。