死後の世界が、死神によってリークされました。
死神が、死後の世界についてリークして、地球から自殺者がいなくなったらしい。
白い病室で老人が泣き、会社員が無断欠勤し、聖職者が聖書を捨て、子は産みの親を詰り、親は子を抱いて謝り、赤子はひたすらに泣いている。
「俺、医者辞めることにした」
「なんでさ」
「わかってんだろ。これから死ぬ人の様子なんて、見てられたもんじゃねぇ」
「そんなに酷いの?」
私は彼にそう尋ねた。
生気のない顔で表情筋を動かしていて、ため息を吐くことすら辛そうだ。
「半狂乱になって壁を掻きむしるし、失禁してベッドシーツがだめになるし、看護師を襲おうとするし」
「余命幾ばくもない奴って、そんなに元気なわけ?」
「余命宣告した段階では、まだ元気な人もいんだよ。だから、ウチの病院では余命宣告が禁止になった。余命が無ぇ人に対してわざと誤診してる同僚もいたっけな」
「誤診で護身してるわけだね」
「なんでお前はそんなに脳天気でいられんのか、俺は全くわかんねぇよ」
彼は不快げに顔を歪めて、頭を掻きむしった。
そして、ポケットからタバコを一箱取り出して包装を破り、とんとんと叩く。
しかし、一気に飛び出た中身が地面に散らばって、彼は箱を思い切り叩きつけた。
それから、少し冷えた頭を地面に近づけて、一本一本拾い出す。
「タバコ、やめたんじゃなかったっけ?」
「うっせーな」
「寿命縮んじゃうよ?」
「長生きするためにジクジクジクジク健康管理やって、つまんねぇ長寿でいるより、好きなことやって生きねぇと、もうダメだろ」
「そのとおりだね。自殺なんてダメ! 精一杯生きなきゃ」
「…なんかお前の言葉、ズレてる気がするわ」
燃え尽きたように、全身に暗い暗い影を落とした彼は、タバコに火を灯し、酸っぱがるような、眩しがるような表情で吸った。
吐いた紫煙が地面を這って消えたとき、「そういやさ」とほんの少しだけ毒の抜けた雰囲気で話題を振ってくる。
「知ってるか? 最近、人の男性器を切り落として、女性器にナイフを突っ込むセックスキラーってのが、いるらしい」
「なにそれ、童貞処女をこじらせたヤツの仕業?」
「今の世界、そういう奴は強姦しようとするだろ。俺の考えじゃ、そいつがやってるのは、救済だろうよ」
「救済?」
「未来の子どもが生まれちまう前に、殺すんだ。苦しみの種を潰すんだ」
「確かに、男性器は種を持っているもんね」
彼は黙って煙を吐いた。
私の発言にいちいち取り合うつもりは無いらしい。
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私は夜道を歩いていた。
時折、人間が目一杯狂ったように叫ぶ声が聞こえたりすると、頑張って生きていて偉いな、と思える。
夜中は人気がなくて、静謐で、寂しげだからあまり好きではなかったのだが、最近は賑やかで好きだ。
「元気に生きなきゃ。自分で死んじゃあ、だめだよ」
叫声に震える夜風を身にまとい、歌うように私は呟いた。
生き生きとしている。
風が、夜が、人が、世界が。
「よう」
夜道にぽつねんと立つ街灯が、黒い歩道を円形にくっきりと白く染めている。
そこに一人の男が脚を踏み入れた。
「ん? あ、こんばんは。お昼ぶりだね」
火の点いていないタバコをガムみたいに何度も噛みながら、ゆらゆらと身体を揺らしているのは医者をやめたばかりの彼だった。
昼間とほとんど変わらない格好で、強いて言えば、服装の所々に液体でも掛かったような汚れがあるくらいだ。
あの時はあまり好調には見えなかったから、自殺していなくてよかった、と私は安心する。
「よう、救済しにきたぜ、未来の子」
「ん?」
彼はぶら下げていた右手をおもむろに持ち上げて、私の方に差し向けた。
よく見ると、右手にナイフを握っている。
「あれ、君がセックスキラーだったの?」
「いーや、ちげぇ。お前にセックスキラーのこと話してて、良いなと思ってよぉ。俺も手伝うことにした」
「私の女性器を、それで撹拌する気?」
「そういうことになる。悪く思うなよ。俺のモンだって、もう切り落としてんだ」
服の汚れはその時についたものか、と私は納得した。
その間に、彼が走り出した。
ナイフの軌道は最初、私の首を狙っていて、少し困惑しながら首元に自分の手を運ぶ。
すると、ナイフが一瞬止まり、軌道が直角に私の股間へと向かった。
首はフェイントだったらしい。
私の股間から鈍い音がした。
「悪ぃな……、あ?」
彼が私の股間からナイフを引き抜いた。
ナイフには少量の血液が付着していたが、固まっているから私のではなく、彼が自分のを落としたときの血だ。
「な……んで、ナイフが刺さんねぇんだ……?」
よく見ると、ナイフの先端は少し曲がっている。
「私に女性器はないよ? 女性っぽい格好してるだけ。あ、男でもないよ」
「は、……なに……? だからって、刺さんねぇって……」
「切っちゃった男性器の治療した? 傷口の感染症リスクは君なら、よく分かってるでしょ? 自傷行為で死んだらダメだよ」
私は夜道の散歩を再開した。
地面に響いた金属音と、彼の発狂を背中で聴いて、賑やかだと感じる。
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空色と橙色のグラデーションで、日が昇ってきたのがわかった。
しかし、建物が高いから、朝日が直接拝めず、少し悲しい。
また、夜中はあれほど騒がしさに溢れていたのに、朝方はむしろ静かで嬉しくない。
恐らく、夜中に暴れすぎてエネルギー切れを起こしてしまったのだろう。
「はぁ」
一人嘆息していると、人の気配がして私は慌てて周囲を見回した。
しかし、誰もいない。
一回、首を傾げたところでピンと来た。
私は上を見る。
少女の顔が在った。
その顔はだんだんと近づいてくる。
落下しているのだ、彼女は。
彼女は泣いていて、絶望と恐怖と苛立ちが上手い割合で混ざった表情だった。
「うわわっ」
私は腰を低く構え、手を前方に伸ばした状態で少女に「安心して」と声を飛ばす。
少女が私の両手に衝突した。
しかし、少女は全くの無傷で、私の両手も怪我どころか、前に出したときから少しも位置が変わっていない。
「大丈夫?」
少女は感謝も謝罪も暴言もうめき声すらも上げられず、ただただ目を開いて驚いていた。
「もしかして、投身自殺しようとしたの? ダメだよ? 生きられる時間に自分で見切りつけちゃ」
「なでっ……なん、なんで……! 邪魔するんですか……! 折角、人がいない時間を選んだのに……!」
「君が死にそうだったからさ」
「うぅ……!」
少女は赤く泣き腫らした目元を震わせるが、涙はとっくに枯れている。
「なんで自殺なんてしたの?」
「……ぅぅ……だって、お父さんはお酒飲んで痛いことするし、お母さんはずっと薬ばっかり飲んでるんですよ……っ。妹も、もうダメ。死後の世界がどんなところでも、もうこの世界に居たくないんです……!」
ぼさぼさの長髪を振り乱して、私の腕の上で藻掻く。
割れんばかりに歯を食いしばっている。
「でも、自殺したらダメだよ」
「何でですか……!」
「死後の世界のこと、聞いてるでしょ?」
「だからっ! それでも良いって言ってるんです!」
「うそ……。そんな人もいるんだ……。そうだったか……」
私はうんうんと頭を前に振り、考えをまとめようと目を強く瞑った。
それから目を開け、「でもね」と前置きする。
「人間はね、生物はね、子孫を残すために、生きるために生きているんだよ。自分で死ぬなんて、人間は認められないんだよ。認めちゃいけないんだよ」
「……こんな、世界で……生きるしかないの……?」
「生きていていいんだよ」
「なんで……、」
彼女は地面に両手を衝いて、涙を零した。
私はその涙が、喜びの涙であるに違いないと、そうに違いないと、信じている。




