留学から帰ってきた婚約者は、ゴリラのように笑う
少しでも笑っていだだけたら嬉しいです。
俺は、侯爵家の嫡男、エリック・レイフォード。
俺には婚約者がいる。彼女の名前は、カリナ・モンスワード。俺たちがまだ幼い頃、親同士が勝手に決めた婚約だった。
え? 不満なのかって?
まあ、最初はそう思っていたさ。
自分の結婚相手を、自分で選べない。
それがどれほど辛いことなのか──幼いなりに、俺にはよく分かっていた。
自分の人生なのに、どうして親に決められなきゃいけないんだ!!
何度も、そう思ったさ。
けれど、成長するにつれて、それが仕方のないことだと理解するようになった。
俺たちの婚約は、政治的な意味を持つ、両家の同盟。
レイフォード侯爵家。
モンスワード伯爵家。
両家がこれからも末永く繁栄していくための婚約。
ならば、侯爵家の嫡男として、その役目を果たそう。俺が我慢すればいいだけの話だ。それで両家が安泰し、領民たちも幸せに暮らせるのなら──。
その犠牲を甘んじて受け入れよう。
それが侯爵家嫡男としての使命なのだから。
……というのは、建前だ。
俺はカリナに心底惚れている。
いや、もう「惚れている」なんて言葉では足りない。
大好きだ。
めっちゃLOVE!
だって、可憐で可愛くて、優しくて、何でもできるんだぞ?
刺繍も上手い。
勉強もできる。
礼儀作法も完璧。
料理だってできる。
しかも、人に対する気遣いまで完璧ときた。
本当に、マジで、誠に可愛い。
笑い方だって、「ウフフ……」とか「オホホ……」とか。いかにもおしとやかな令嬢という感じで、これがまた最高なんだ。
そんな彼女は多くの貴族たちから憧れの的になっている。男性からだけではない。女性からもだ。
当然だろう。
あんなに可愛くて、頭も良くて、性格まで良いんだから。
……俺の婚約者、最高じゃないか?
そんなカリナは、三年前、留学のためにこの国を離れた。他国の進んだ制度や文化を学び、将来、俺が侯爵家を継いだときに支えてくれるためだ。
もちろん、俺も応援した。
「頑張ってこい。三年なんて、あっという間だ」
なんて、カッコつけて送り出した。
本当は、死ぬほど寂しかった。
でも、いいんだ。
カリナなら、三年後には今よりもっと素敵な女性になって帰ってくる。
そう思って、俺は耐えた。
三年間、一度も会えなくても耐えた。
カリナから手紙が届くたび、それを何度も読み返した。そして読み終えた手紙は、枕の中に入れた。
捨てるなんて、とんでもない。
むしろ食べたい……あ、嘘、嘘。
三年間で届いた手紙は、約二百通。
その結果、俺の枕は少しずつ固くなっていった。
最初はふかふかだったのに、今ではもう、枕というより書類の束に近い。枕としての機能を完全に失っているかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
これは、カリナが俺にくれた愛情の証なのだから。そう思えば、枕が多少ゴツゴツしていたところで、なんてことはない。
まあ、寝返りを打つと手紙の角が頭に刺さるけどな。
でも、そのおかげで、俺は、三年間耐え抜けた。
そして、いよいよカリナが帰ってくる。
三年間、ずっと待ち続けた俺の婚約者が、もうすぐ帰ってくるのだ。
◇
その日、モンスワード伯爵邸では、カリナの帰国を祝うパーティーが開かれていた。
俺は、妙に緊張しながら伯爵邸へと向かう。
「お義父様! カリナは……カリナはどこに!?」
屋敷に着くなり、俺はモンスワード伯爵のもとへ駆け寄った。
「ああ、あそこにいるよ」
伯爵が指差した先に、カリナがいた。
「カ、カ、カ、カリナ……、久しぶりだね……」
平静を装いながら、俺は彼女の背後から声をかける。金色の髪を揺らし、カリナが振り向いた。
か、かわいい~!!!
そこにいたのは、三年前と変わらないカリナだった。
透き通るような白い肌。
美しい青い瞳。
抱きしめれば、そのまま折れてしまいそうなほど華奢な身体。
俺が毎晩夢に見ていたカリナそのものだ。
そして彼女は、俺の姿を認めると──
ガシッ!
「……え?」
いきなり俺に抱きついてきた。
な、なんて……情熱的なんだ!!
三年だもんな。三年間、一度も会えなかったんだ。そりゃ、積もり積もった想いもあるだろう。俺だって、今すぐ抱きしめ返したい。
だが──
「……ん?」
ギュウウウウッ!
抱きしめる力が、どんどん強くなっていく。
あれ? ちょっと待って。
「カ、カリナ……?」
ギュウウウウウッ!
「い、痛い! 痛い痛い痛い! カリナ、ちょっと……!」
ギュウウウウウウッ!
「い、痛、いだだだだだぁぁぁぁぁ!!」
骨が軋み身体が押し潰されそうだった。
愛情というより、もはや拷問。
「ぎ、ぎぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
俺が悲鳴を上げると、周囲からも悲鳴が上がった。
「カリナ! 離しなさい!」
伯爵が慌てて駆け寄り、カリナを俺から引き離す。
「はぁ……はぁ……」
俺はその場に崩れ落ち、必死に酸素を取り込んだ。
危なかった。
もう少し遅かったら、俺は三年ぶりの再会を果たしたその日に、この世を去っていた。
「エリック様、お久しぶりですわね」
カリナが俺に微笑みかける。
そして──
「ウホッ、ウホッ」
「…………」
ん? ……今、何て言った?
聞き間違いか?
き、きっとそうだ。
俺は三年ぶりの再会で緊張している。
そして、たった今、死にかけた。
だから、何か別の言葉を聞き間違えたに違いない。
「どうかされましたか、エリック様? ウホウホッ」
カリナが微笑んでいる。 聞き間違いではなかったようだ……。
そ、そうだ!
以前のように「ウフフ……」とか「オホホ……」と笑おうとしたのだろう。三年も他国にいたのだから、久しぶりに母国語を話して、ちょっと発音を間違えてしまったのだろう。
カリナは青い瞳で、じっと俺を見つめている。
「…………」
「ウホ?」
「…………」
「ウホホッ」
やっぱり、ウホって言っている……。
「た、他国の言語を使っていたから、母国語を少し忘れてしまっているのだろう……」
見かねた伯爵が、慌ててフォローを入れる。
「そ、そうですよね、お義父様!」
俺はすかさず同意。
よ、良かった~、安心した~。
カリナがゴリラになったのかと思ったぜ!
エリックってば勘違い、テヘペロ。
「カ、カリナは長旅で疲れているようなので、今夜はこの辺で……」
伯爵が俺に告げる。
そして、カリナのほうへ向き直った。
「さあ、カリナ。皆さんへの挨拶も済んだし、部屋に戻りなさい」
「はい、お父様」
カリナは素直に頷いた。
そして──
「ウホ、ウホウホッ」
そう言い残すと、優雅に……いや、妙に力強い足取りで部屋へと戻っていった。
◇
翌週。
俺はカリナに会う。
「ウホッ」
「…………」
な、なんか、前よりごつくなってないか?
首が太く、肩幅が広い気がする……。いや、そんなはずはない! きっと気のせいだ。
その翌週。
「ウホウホッ」
「…………」
もみあげが太くなっていた。
さらに翌週。
「ウホッ」
「…………」
腕毛が濃くなっていた。
おかしい。絶対におかしい。
俺の知っているカリナは、もっと華奢で綺麗な白い肌だったはずだ。
そして極めつけ。
俺がカリナと一緒に歩いていると──
ドンドンドンドンドンッ!
「ウホォォォォォッ!」
カリナが突然、胸を叩き始めた。
「…………」
俺は確信した。
やっぱり、こいつ……ゴリラだ。
◇
俺は伯爵のもとへ駆け込んだ。
「お義父様! 説明してください!」
「…………」
「カリナは一体、どうなっているんですか!?」
伯爵はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。
「……エリック殿。すまない」
「え?」
「実は……カリナは、他国の王子と婚約した」
「…………え?」
頭が真っ白になった。
「君の父上も、その王子から十分な慰謝料を受け取り、すでに納得している」
「……俺だけ、知らなかった?」
伯爵が目を逸らす。
「なかなか君には言い出せなくてね……。それで、ゴリラに魔法をかけて、カリナに見せかけていたんだ……」
伯爵は、観念したように告げた。
「じゃ、じゃあ……あれは?」
「ゴリラだ」
「ウホウホ言ってたのも?」
「ゴリラだからな」
「ドラミングも?」
「ゴリラだからな」
「最近、どんどん毛深くなったのも?」
「魔法が弱まってきたんだろう」
「…………」
俺は天を仰いだ。三年間、俺が待ち続けた婚約者──カリナは……ゴリラだった。
いや、待てよ……。
「あの手紙は……カリナからの手紙は?」
「……私が書いていたんだ」
伯爵がうつむきながら答える。
もう、何も言葉が出てこなかった。
するとそこへ、カリナ──否、ゴリラが現れる。もう、ほぼゴリラ。金髪のカツラを被り、ドレスを着ているゴリラだ。
「ウホッ」
ゴリラは俺の前までやってくると、つぶらな瞳で俺を見つめた。
潤んだ瞳、優しい微笑み。
ドキン!
か……かわいい……かもしれない。
いや! 何を考えているんだ、俺は!!
相手はゴリラだぞ!?
かわいいと思うなんて、どうかしている!
でも、こいつも被害者なんだよな……。
勝手に魔法をかけられて。
勝手にカリナの姿にされて。
勝手に俺の婚約者にされて。
それでも、俺にウホウホと笑いかけ続けてくれた。
俺はゴリラの頭に、そっと手を置く。
「お前も……大変だったんだな」
「ウホ……」
ゴリラが、嬉しそうに目を細めた。
その瞬間、ゴリラと過ごした日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
俺は、ゴリラの手を握った。
「お義父様……俺……」
俺は静かに、伯爵へ告げた。
「この子と結婚します」
「へっ?」
伯爵が変な声を上げる。
「ウホッ!?」
ゴリラも驚いたように目を見開く。
俺はゴリラを見つめた。
「こいつは何も悪くない。だったら俺が責任を取る」
「ウホ……」
ゴリラの目から、一筋の涙がこぼれた。
俺はその涙を指で拭う。
「これからも、よろしくな」
「ウホォ……」
こうして俺は、ゴリラと結婚した。
◇
数年後。
「ウホッウホッ、ウホー!」
「今から行くよ!」
「ウホウホ!」
あの日、俺が待ち続けた婚約者は帰ってこなかった。だけど──
「ウホッ」
「ははは。お前、本当に可愛いな」
俺は今、愛する者と森の中で幸せに暮らしている。
ちなみに、ドラミングで大きな音が出せるのは、大人のゴリラのオスだけらしいです。
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