第二章 初任務の影(喫茶店での接触)
翌日。
帝都・丸の内。
雨上がりの街路を人々が忙しなく行き交い、
新聞売りの声が響いていた。
藤堂は、外務省近くの小さな喫茶店に入った。
古びた洋館の一角、
窓際の席に若槻智久が一人、新聞を広げて座っている。
約束をしたわけではない。
だが、昨日の視線と沈黙が、この再会を予感させていた。
若槻は顔を上げ、軽く会釈した。
「桜機関の方が、こういう場所に来るとは思いませんでした」
「調査の一環です」
藤堂は無表情のまま答え、席につく。
カップが運ばれ、
店内に静かな音楽が流れた。
しばし沈黙ののち、若槻が言った。
「――あなた方の調査、あの通信が目的ですね」
藤堂は視線を上げた。
若槻の声は、もはや恐れではなく確信を帯びていた。
「どうしてそう思う」
「昨夜、通信室の記録が消されました。
あの程度の“処理”は、外務省ではできません。
軍、あるいは……あなた方の誰かです」
藤堂は言葉を探した。
若槻は小さく笑う。
「安心してください。責めるつもりはありません。
ただ、あなたも“知ってしまった”ようですね」
「何を、ですか」
若槻はカップを手に取り、
蒸気越しに藤堂を見つめた。
「この国では、情報はすべて“上に吸い上げられる”。
どんなに正しい報告も、都合の悪い部分は削られる。
それが、戦争の準備という名の“整理”です」
藤堂の背筋がわずかに強張った。
若槻は声を潜める。
「先月、私はドイツから届いた機密報告を見ました。
軍が密かに、外務省の外交電文を転送している。
――桜機関の暗号を通して」
藤堂は息を飲んだ。
まるで、彼の胸の奥を直接見透かされたようだった。
若槻は続けた。
「あなたたちの機関が“外務省の裏口”を握っている。
その通信経路を利用して、
軍は外交情報を改ざんしているんです」
藤堂は返答できなかった。
高峰が言っていた“内部端末”の符号――
あれは外務省の通信に直接介入していた証拠だった。
若槻は静かに言葉を結んだ。
「私はそれを止めたかった。
だから、外国の友人に知らせた。
戦争を止めるために、ね」
沈黙が落ちた。
藤堂はゆっくりとカップを置いた。
「……あなたのしたことは、理想です。
だが、国家は理想では動かない」
若槻の口元が寂しげに歪む。
「ええ、分かっています。
でも、理想を語らなくなった国は、
もう国ではないでしょう?」
店の外で、汽笛が鳴った。
昼下がりの光が、窓の縁を白く照らす。
藤堂は無言で立ち上がった。
伝票を取り、机に硬貨を置く。
「これ以上、会うことはありません」
若槻は小さく笑った。
「ええ、そうでしょうね。
――次に会う時は、どちらかが報告書の中です」
その言葉を背に、藤堂は外に出た。
街の風が冷たく、灰色の空が広がっている。
彼は歩きながら、
上着の内ポケットに入った封筒を確かめた。
高峰から預かった番号の紙片。
“13号端末”。
外務省の通信、若槻の行動、そして桜機関の印。
その三つの線が、一本に重なりつつある。
藤堂は小さく呟いた。
「……真実を掴んでも、報告できない国か」
その声は、雨上がりの風に消えた。
「国家の秘密とは、国が恥をかかないための仕組みだ。」
― 外務省情報課・若槻智久




