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第二章 初任務の影(若槻との初会話)

昼過ぎ。

外務省の中庭に面した廊下は、雨の匂いに満ちていた。

木の床板が湿り気を帯び、外では傘の列が揺れている。


藤堂は帳簿を抱えたまま、角を曲がった。

その先で、若槻智久が待っていた。

上着のボタンを外し、窓の外を眺めている。


「少尉、少しお時間をいただけますか」

柔らかい声だった。敵意は感じない。


藤堂は短く頷き、廊下の脇の応接室に入った。

中には小さな丸テーブルと灰皿、

そして窓際に置かれた鉢植えの桜草がひとつ。


若槻はコートのポケットから煙草を取り出し、

一本を藤堂のほうに差し出した。


「失礼します」

藤堂は受け取らず、静かに立ったまま答えた。


「勤務中ですので」


若槻は苦笑した。

「真面目ですね。……経理出身の方だと聞きました」


「ええ。数字を扱う部署でした」


「数字は正直ですよ。

 ただ、人がそれをどう使うかで、まるで別の顔になる」


藤堂は黙っていた。

若槻は煙草に火をつけ、

しばらく煙を見つめてから、静かに言った。


「“情報”も同じです。

 真実を求めて集められるが、使う側の都合で意味が変わる。

 私はそれを何度も見てきました」


藤堂は目を細めた。

「つまり、あなたは外へ情報を流したと?」


若槻は煙を吐きながら、首を横に振った。

「流した? いいえ、“共有した”んです。

 外国と、同じ資料を基に交渉すれば、

 誤解も減り、戦争の芽も摘める。

 それが私の考えでした」


藤堂の胸の奥で、何かが小さく動いた。

彼の言葉には、計算よりも信念があった。

だが、それは桜機関の視点から見れば“危険思想”に等しい。


「あなたの行為は、国家の機密を損ねる恐れがあります」


「機密とは誰のものですか?」

若槻の声が少しだけ強くなった。

「国民の知らない真実が、国を守ると本気で思われますか?」


藤堂は言葉を失った。

応接室の時計が、静かに一分を刻む。

その音がやけに大きく響いた。


若槻は微笑んだ。

「あなたはきっと、優しい人なんでしょう。

 ……でも、優しさはここでは通じませんね」


「私は任務を遂行するだけです」

「その言葉を、私は何度も聞きました。

 皆、そう言って責任を回避した。

 だが、“遂行”の先で何が起きたかは、誰も語らない」


若槻の眼差しはまっすぐだった。

藤堂は目を逸らさなかったが、

視線の奥に揺れるものを掴めずにいた。


扉の外で、柊の靴音が近づく。

彼女が小さくノックし、顔を出した。


「少尉、時間です」


藤堂は頷いた。

若槻が立ち上がり、丁寧に一礼する。

「ご苦労さまでした。

 どうか、真実を記録に残してください」


その言葉を背に、藤堂は部屋を出た。

柊が問う。

「どうでした?」


「……わからない。

 あの人は“敵”の顔をしていない」


「敵はいつも笑っているものですよ」

柊の声は冷たかった。


廊下を歩きながら、藤堂は思った。

“真実を共有する”――

その考えは危険だが、どこかで正しい気もした。


だが、明日には報告をまとめねばならない。

そこに書くのは、

「若槻智久、外務省職員、非協力的。通信不備あり」――

それだけの文になる。


その文が、

誰かの人生を決めるというのに。


「真実を求める者と、真実を使う者は、

 いつも別の机に座っている。」

― 外務省職員・若槻智久

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