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第一章 影の門をくぐる(夜の帝都と藤堂の決意)

夜の霞ヶ関は、昼の喧噪をすっかり失っていた。

官庁街を走る車もまばらで、舗道の上には霧がうっすらと降りている。

電灯の光がにじみ、石畳の上に長い影を作った。


桜機関の建物を出た藤堂は、上着の襟を立てたまま歩き出した。

風が冷たい。

だが、その冷たさが妙に心を落ち着かせた。


胸ポケットには、昼間高峰から渡された紙片が入っている。

そこに記された数字――「13号端末」。

短い列のその符号が、頭の中で何度も反芻された。


外務省の通信、桜機関内部の端末、

そして明日会うことになる若槻智久。


どれもが細い糸で繋がっている。

その糸の先に、何があるのかはまだわからない。


市電のレールが遠くで軋み、

新聞売りの少年が号外を抱えて駆けていく。


「外務省職員、情報漏洩の疑い――関係者事情聴取へ」


その見出しが、風にあおられて夜気に踊った。

紙面の下に印刷された顔写真。

そこに写っていたのは、書類で見た若槻の顔と同じだった。


藤堂は足を止めた。

街灯の下で、紙片の活字が白く光っている。

この一枚の紙が、明日自分の行動を決める。


そして、自分の報告が、誰かの運命を決める。


ふと、頭の奥で結城の言葉がよみがえる。


「我々の仕事は真実を暴くことではない。

 ――秩序を保つことだ。」


真実より秩序。

それがこの国の理屈だ。

だが、秩序の裏でどれだけの“声”が消えるのか――藤堂には想像もつかなかった。


通りを渡ると、夜食屋の暖簾が風に揺れている。

湯気の向こうで笑う人々の姿。

その温かさを横目に、藤堂は歩みを止めなかった。


懐中時計を見る。

時刻は二十二時四十五分。

ちょうど、昨夜通信が発信された時刻と同じだ。


街角の電話線を見上げる。

風に揺れた線が、月明かりの下で銀色に光った。

まるで、目に見えぬ情報の流れが、そこを通っているようだった。


藤堂は息を吐き、コートのボタンを留め直した。


「……調べよう。

 たとえ、それが誰のためであっても。」


声に出すと、街の音がわずかに遠のいた。

自分の声が、この広い帝都で唯一の現実のように感じた。


歩き出す足音が、石畳に乾いた音を立てる。

その音が、やがて遠ざかって消える。


夜空の向こうで汽笛が鳴った。

それは明日の合図のようでもあり、

警告のようでもあった。


「命令を遂行する者は、選択を失う。

 それが、軍人の最初の代償だ。」

― 桜機関勤務記録・藤堂真

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