第五章 死者の暗号(死者の記録)
十二月初旬。
雪まじりの雨が、帝都の街を濡らしていた。
冷たい風が霞ヶ関の並木を鳴らす中、
藤堂は外務省庁舎の裏口から静かに入った。
目的は一つ――
若槻智久の“死”を記録した書類を確認すること。
外務省地下記録庫。
照明は薄暗く、埃の匂いと古い紙の湿気が漂う。
ここに眠るのは、国家が書いた“過去”の束。
それが、真実かどうかは誰も確かめない。
藤堂は懐中電灯を灯し、
資料棚を一つずつ確認していく。
“情報課人事関係”“通信事故報告”“死亡届控え”――
その中に、一枚の薄いファイルがあった。
《外務省職員 若槻智久 死亡報告書》
封印を破る。
そこに挟まっていたのは、検視報告書と署名済みの死亡届。
死因:自決(拳銃によるこめかみ貫通)。
場所:自宅。
確認者:陸軍省連絡官。
だが、そこに不審な点があった。
――死亡日時が、外務省公表の“前日”になっている。
「……どういうことだ」
声が低く漏れた。
背後で音がした。
振り向くと、高峰慶が立っていた。
白衣の上に外套を羽織り、手に懐中電灯を持っている。
「やはり、ここに来たか」
「あなたが?」
「君が調べていると思った。
私も同じ疑問を持っていた。
――若槻の“死”の報告、どうにも合わない」
高峰は机に報告書を広げた。
「見ろ。検視医の署名があるだろう?」
「ええ」
「この署名の医師、二ヶ月前に死んでいる」
藤堂は息を呑んだ。
「つまり、この報告書そのものが……」
「作られた記録だ。
彼は“死んだことにされた”」
高峰の声は低かった。
「それを誰が?」
「恐らく、陸軍。
協定の発効前に“邪魔な存在”を消した――
いや、“生かしたまま死なせた”のかもしれん。」
藤堂は机の上の報告書を見下ろした。
インクがにじんだ署名の下に、薄く書き込まれた符号がある。
“W・T/13/α7”
若槻が送った暗号と同じ。
まるで、死の記録そのものに刻み込まれたようだった。
「……これが、彼の最後のメッセージか」
高峰は苦い笑みを浮かべた。
「死者は喋らない。
だが、書類は嘘を吐く。
その嘘の中に真実を残す奴もいるんだよ。」
藤堂は報告書を折り畳み、
懐にしまった。
「これを外に出します」
「無謀だ。
君が動けば、桜機関が――」
「わかっています。
でも、これを知らなかったことにはできない。」
高峰はため息をついた。
「君のような人間は、戦場じゃ真っ先に死ぬ。」
藤堂は小さく笑った。
「……ここも、戦場でしょう?」
高峰はそれ以上何も言わず、
背を向けて歩き去った。
地下記録庫の奥。
淡い照明の下で、藤堂は封筒を握りしめた。
その紙の冷たさの奥に、確かに“誰かの意志”があった。
――死者は記録を遺した。
それを読むのは、生きている者の責務だ。
「死んだはずの名が、記録に生きている。
その瞬間、国家の嘘は証拠になる。」
― 外務省記録課員の手記




