第三章 沈黙の符号（暗号通信の再傍受）
夜。
桜機関通信分析室。
壁の時計が二十三時を回るころ、
高峰慶は、無線機の前で波形をにらみつけていた。
受信紙がゆっくりと送り出され、
かすれた符号音がヘッドホン越しに鳴る。
小さな光が機器のランプを点滅させていた。
「……来たぞ」
彼が呟いた。
モールスの音が一定の間隔で響く。
周波数、波形、符号――
どれを取っても、若槻が使っていた通信回線と一致していた。
「時刻は……二十三時十二分。発信地点は――帝都内」
高峰は解析盤に紙を差し込み、
印字される符号列を指で追った。
T・13／W.T／CROSS／α7…
手が止まる。
“W.T”。
若槻智久の個人符号。
だが、報告上では――彼はもう“存在しない”。
「……死者の符号だ」
隣で控えていた通信兵が、息を呑んだ。
高峰は黙って受信紙をちぎり、
机の上の封筒に挟み込む。
そこには、先日の報告記録がすでに綴じられていた。
扉が開く。
藤堂が入ってくる。
「高峰、例の通信が――」
「終わったところだ」
高峰は受信紙を差し出した。
藤堂は目を通し、眉をひそめる。
「これ……若槻の符号と同じです」
「そうだ。しかも、この波形は桜機関の十三号端末のものだ」
藤堂は息を詰めた。
「内部発信、ということですか」
「この建物のどこかからだ。
――死者の符号を使って」
無線機のランプが一度だけ点滅した。
室内の空気が静まり返る。
藤堂は受信紙を見つめたまま、呟く。
「彼は……まだ生きているのか」
高峰は首を横に振る。
「死者は喋らない。だが、死者の“名前”を使う者がいる。
それが、いちばん厄介なんだ」
紙の端に印字された符号がにじんで見えた。
W.T――若槻智久。
十三号端末――桜機関。
二つの線が、一本の暗号として重なっている。
高峰は報告書の用紙を取り出し、
インクをつけた万年筆を止めたまま言った。
「これを上に報告するか？」
藤堂は短く考え、
「……結城中佐に直接。ほかの誰にも見せないでください」
「危険だぞ」
「わかっています。でも、黙っていればもっと危険です」
高峰は小さく笑った。
「君、もう完全にこの仕事に向いてないな」
「そうかもしれません」
藤堂の声は静かだった。
受信紙の上で、インクが乾ききらずに光を反射していた。
それは、まるで誰かの“最後の言葉”が、
紙の上にまだ留まっているようだった。
「沈黙を破るのは言葉ではなく、符号だ。」
― 桜機関通信分析課記録
