第三章 沈黙の符号(外務省での騒動)
午前九時、桜機関の通信室に警報灯が点った。
無線傍受ではなく、連絡報告による“人の消失”だった。
「外務省情報課・若槻智久、出勤せず。昨夜から所在不明」
報告書を読み上げた三輪大尉の声は、
淡々としていたが、室内の空気は一瞬にして硬くなった。
藤堂は椅子から立ち上がり、
高峰が無言で差し出した資料を受け取った。
「外務省の内部報告では、
“健康上の理由による私用外出”と処理されている」
「健康上の理由……?」
藤堂の口調には疑いが混じった。
高峰は首を振る。
「だが、実際には当局が彼の自宅を封鎖している。
家族にも接触禁止だ。
そして昨夜、外務省通信課の鍵が一つ紛失している」
三輪が腕を組んだ。
「つまり、失踪じゃなく“始末”か」
結城中佐が部屋に入ってきた。
背後で扉が閉まり、空気が一段冷える。
「現時点での判断は早い」
彼は静かに言った。
「若槻の件は、我々の管轄ではない。
陸軍省が処理する」
「……しかし、あの通信の件は?」と藤堂。
「関係ない」
結城の答えは早すぎた。
その無表情な一言に、誰も反論できなかった。
高峰が口を開く。
「昨夜、再び暗号通信が傍受されました。
周波数帯は若槻の使用した回線と一致」
結城は振り返り、短く言った。
「解析しろ。結果は私に直接報告だ」
それだけ告げると、結城は部屋を出た。
扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
三輪が煙草に火をつけた。
「……死人が喋ったな」
藤堂はその言葉を聞き流せなかった。
若槻は本当に“消された”のか。
それとも、まだどこかで生きていて、何かを伝えようとしているのか。
その時、柊が静かに言った。
「少尉。外務省が“失踪”を公表するのは今日中です。
――我々も動くべきです」
「命令が下りていません」
「命令を待つ人間に、真実は掴めませんよ」
柊の声には、微かな苛立ちが混ざっていた。
彼女の瞳は冷たいが、その奥にわずかな焦燥があった。
藤堂は息を整えた。
「……行こう。外務省の通信課を確認する」
「了解」
二人は立ち上がり、雨上がりの外へ出た。
街の空気は湿っていたが、
帝都の空はどこまでも鈍い灰色をしていた。
「真実は、記録から消される前に“行方不明”になる。」
― 桜機関通信記録班覚書




