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1 透明人間




 流行りの恋愛小説のように、決め台詞ぐらいは言ってくれるものだと思っていた。


『お前とはやっていけない! この君の妹リーゼと真実の愛を見つけたんだ。婚約破棄を申し込む!』


 といった感じに、婚約者のレオナルトはそのぐらいの事をしてくれる程度には、まだラウラの存在をきちんと認識してくれているものだと思っていたのだ。


 しかし現実は驚くべきことに、ラウラの事などまるで存在しないかのように、いつもの仕事同様にサインが必要な書類束の一つにラウラとレオナルトの婚約破棄の書類が紛れ込んでいただけだった。


 それを見てラウラは埃っぽい屋根裏部屋で独り言のようにつぶやいた。


「私、本当に透明人間になってしまったみたい」


 言葉にしてみるとその言葉はなんだかとってもしっくり来ている。


 透明人間というのは、この地に伝わる魔獣の討伐神話に登場する姿隠しの魔法が不慮の事故で解けなくなってしまった男が、今でもこの世を彷徨っているという伝説からくる恐ろしいモンスターの事だ。


 彼は透明になってから、誰にも認識されずに、帰る場所もなくなり、自分が存在していた意味すら思いだせなくなった哀れな化け物だ。


 しかしそんな彼とラウラは違う所がいくつかある。


 ラウラは彼らと違って、このディースブルク伯爵家の仕事をきちんとしている。


 しかし誰にお礼を言われるでもなく、ただ仕事を置いておくといつの間にやら仕事が終わって戻ってくるという程度の扱いしかされていないし、それでラウラの事を認めてくれているかと言われたら疑惑の判定になるだろう。


 それにディースブルク伯爵家は、いつもこの領地で開かれる討伐祭という祭りの準備に年中大忙しなのだ。

 

 父は教会との調整に常に気を使っていて屋敷に滅多に帰ってこないし、母は屋敷の事から領民と祭りのすり合わせで忙しい、爵位継承権者である姉も言わずもがな。


 妹のリーゼについてはラウラが仕事を肩代わり……というか押し付けられているので多少の暇はあると思うが、その程度だろう。


 だから彼らはラウラのことなど知らんかをして、この書類もラウラにサインをさせて、それから妹のリーゼをレオナルトと婚約させようと考えたに違いない。

 

 ラウラの気持ちなど一切考えずに。


『まったくじゃな。お主がこの屋敷でどれだけ真面目に務めてきたかも鑑みずに、成人間近の歳に婚約破棄じゃと? これではラウラに何か問題があったようではないか!』

「そうよね。これでは結婚相手なんて見つからなくなってしまう」

『そうじゃ、ひたむきに尽くしている少女にこんな扱いなど、いくら両親が了承したとしても許せるものではないぞ!』


 婚約破棄の書類を見つめて固まっていたラウラに、イマジナリーフレンドのニコラが話しかけてきた。


 彼女はツイッとその羽を動かして羽ばたき、机に着地する。それから書類を足蹴にしてダムダムと踏みつけた。


 もちろんラウラだけに見えている幻覚なので書類に何か影響があるわけではない。


「……レオナルトは、私のどこが気に入らなかったのかしら」

『ハッ、何を思い悩んでおる! ああいう男はな、お主の妹のような見目の美しい女にばかり価値を感じる、お主のような勤勉さも謙虚さも勘定に入れることのできぬ間抜けなのじゃ』

「ニコラはなんでも知ってるのね。私、婚約者なのに彼の気持ち全然わからなかった」

『だから、それでどうしてお主が落ち込むのじゃ。このたわけ。もちろん、こうなったからには一泡吹かせてやるのだろう?』


 ニコラは含みのある笑みを浮かべて、くるくるとした可愛らしい金髪をはためかせて宙に浮く。


 そうは言われても、ラウラはいったいどうしたらいいのかわからない。ラウラはずっとこうして存在をないものとして扱われてきた。


 その点についてもはや文句を言うつもりはない。けれども、もうずいぶん話をしていない婚約者レオナルトについて思うところはあった。


 愛していたかと問われると、答えはわからないというのが正直なところだ。


 しかし恋ぐらいはしていたと思う。婚約者として親にあてがわれた、子爵家の跡取り息子。


 彼は婚約してしばらくは、ラウラの事を尊重してくれていた。


 けれども次第に文句を言わないラウラの事を家族のように無視するようになっていき、いつの間にか妹のリーゼと良い仲になっていた。


 それでも何も言えないのがラウラという人間であり、その方法すら思い浮かばない。


 認めてほしくてやれることをやる毎日は、いつの間にかただの都合のいい無視しても尊重しなくてもいい人というイメージを強くしていくだけだった。


「私には……力もないしできることだって、こうして書類仕事をすることとか他には空想物語を書いたりすることぐらいしか出来ない。だから、受け入れるしかないのかなって思うの」

『な、なんと間抜けな! お主、リーゼから仕事を押し付けられておるじゃろ! それに、リーゼが抱えている厄介事にも気が付いているじゃろ!』

「でも……知っていたって私、何もできないよ。だからこんな扱いなんだし」

『それはお主が一切の主張をしないからだ。お主の事をおもんばからなくとも良い人間じゃとお主が示し続けたからじゃろ! 今動かなくてどうする、婚約者を取られて泣き寝入りするのか?』


 ニコラはラウラに向かって真剣に訴えた。


 真剣に訴えるあまり、ラウラの顔面に寄りすぎてあまりの近さにラウラはより目になってニコラを見つめた。


 彼女は珍しく怒っている様子で、大きく頬を膨らませて羽をぱたぱたと動かしている。


 そんな彼女をラウラは両手で包み込むように手に乗せた。

 

 それから、一呼吸おいて、自分の為に怒ってくれているラウラに申し訳なくなりながらも何とか笑みを浮かべた。


「取られたって言っても、別に好きでもなんでもなかったし。今思えばリーゼはすごくかわいいんだから、私に会いに来ているこの屋敷で彼女に惚れるのなんて当然だって思える」

『じゃから! そうだとしてもお主をないがしろにしていい理由には……』

「いいの! ないがしろにされても。レオナルトだって私みたいな透明人間、好きになれないのは当然だったんだよ。こんな何も特徴もなくて地味で取り柄のない私なんて」

『……ラウラ』

「だってそうじゃなかったら、悲しすぎるよ。……っ、せめて、教えてほしかった。せめて、リーゼにだって恋敵だって思って欲しかった。せめて、嫌味の一つぐらい言われて婚約破棄だって苦労するはずだって思って欲しかったっ」


 言葉にしていくとどんどんと苦しくなっていってしまい、ラウラは喉が引きつって苦しくなりながらも涙をこぼした。


 ラウラは確かに無視されて当然の存在だ。


 人には見えないものが見える気がして話をしてしまうし、地味だし、魔法も持っていないし、空想ばかり追いかけていて現実ではぼんやりしているし。


 昔は体も弱くて社交界にもまともに参加できなかった。


 だからこそこの仕事が多く忙しいディースブルク伯爵家の少しでも役に立ちたくて仕事を頑張っていたら、結局それにつけこまれて妹に婚約者を取られる始末だ。


 けれどラウラはラウラの価値を認めてほしかった。


 これでも人並みに愛されたい気持ちというのがある。


 家族からも、兄妹からも、婚約者からも、適切な距離とラウラを尊重するだけの価値を感じて、ほんの少しでいいから愛情を向けてほしかった。


 しかしその気持ちは完全に打ち砕かれたのだ。


 愛情というのは自分にとって価値のあるとおもえる存在にしか向けることはできない、ラウラは一生その対象にはなれない。


 そう考えるとつらくて悲しくて前が見えないほどに涙がにじんできて、ぽたぽたと書類に涙をこぼしてしまう。


『……そうか。お主は、お主には何もないのだとそう思っているのじゃな。たしかにこの場所で輝ける才能はお主にはないじゃろう……不憫じゃな』

「ぅ……っ、ふ、っ」

『じゃが、だからこそ。お主は自由になるべきじゃ。


 この場所にお主を縛っているのは、お主がこの場所に生きている人々に価値を感じてほしいと執着しているからじゃ。


 その執着、断ち切るべきだとわしは思う。しかし、そうはいっても気持ちの整理がつかぬじゃろうから、今はただ寄り添ってやろう。わしの愛し子』


 ニコラはラウラの手の上からツイッと飛び立って笑みを浮かべて肩にのり、優しい風が頬を撫でた。


 ニコラには実態がない。肩に乗せても重みは感じないし、涙をぬぐってくれたとしても頬を伝う涙は変わらない。


 しかし稀に、彼女といると優しい風が吹くのだ。


 今もそう。


 窓も開けていない室内で慰める様な優しい風がさらりと吹いてラウラの涙が枯れるまで、そばに寄り添い続けたのだった。




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