四
尼寺では常に、穏やかな時が流れている。特に春は、心を和やかにさせてくれる。きっと、庭に咲いている桜が美しい所為でもあるのだろう。
「あの子も桜が好きだった……」
桜を眺めて目を細めていたお葉を思い出して、庵主は目尻に涙を浮かべる。
部屋の中に嗚咽が響き渡った。庵主のものではない。庵主の正面に座す、半次のものだった。
「俺がお葉を殺した……」
自分が役人に告げ口さえしなければ、こんなことにはならなかった。半次は今までにも数え切れないほどの後悔があるが、お葉の結末を決定づけてしまったこの後悔だけは、死ぬまで消えることはないのだろう。
庵主はそっと、半次の前にある文を差し出した。
「これは……」
「あの子が書いた文です。どうぞ、お手にとってご覧なさい」
お葉の名残を求めるように、半次は文を読んだ。
『庵主様へ。留守を任されていたのに、いなくなってごめんなさい。何も言わずに飛び出した薄情な私を、許してください。千種さんが私に会いに来てくれました。千種さんと別れたのには行き違いがあるようで、きちんと話し合いました。私は千種さんと逃げることにします。千種さんの罪は、私のためであり、彼に罪はありません。遠くへ行って、もう一度やり直すことにします。庵主様のことは忘れません。私には他に、心残りがあります。半次さんに、助けてもらったお礼を言えませんでした。私は彼に恥ずかしい姿を見られて、とても嫌だったのです。叶うなら、昔のように話したかったです。また会えてうれしかったと、半次さんに伝えてください』
言うべき言葉は、幸せになれ、たったその一言だったのに……
「時折、こちらにいらして、あの子に拝んであげてくださいな。あの子もきっと、喜びますよ」
お葉の位牌には、千種の妻と書かれていて、庵主の心づくしが伝わるものだった。
半次は庵主の元を後にして外に出ると、見事な桜に目を奪われる。寺に訪れたときにも見えていたはずなのに、そのときは目に入らなかったようだ。
神田明神の桜を思い出した。お葉と出会ったときの記憶が蘇る。
「半次さん」
お葉の声がした。
視線の先には、お葉がいる。神田明神で逢瀬を重ねていたときのような笑顔で、佇んでいた。
「お葉……!」
彼女の名前を呼べば、桜吹雪が舞う。
風が止むと、お葉の幻は消えていた。
桜が咲く度に、彼女の幻を見る。いつまでも、幻を追いかけるのだ。