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花幻  作者: 夏野
三章
11/11

 尼寺では常に、穏やかな時が流れている。特に春は、心を和やかにさせてくれる。きっと、庭に咲いている桜が美しい所為(せい)でもあるのだろう。

「あの子も桜が好きだった……」

 桜を眺めて目を細めていたお葉を思い出して、庵主は目尻に涙を浮かべる。

 部屋の中に嗚咽(おえつ)が響き渡った。庵主のものではない。庵主の正面に座す、半次のものだった。

「俺がお葉を殺した……」

 自分が役人に告げ口さえしなければ、こんなことにはならなかった。半次は今までにも数え切れないほどの後悔があるが、お葉の結末を決定づけてしまったこの後悔だけは、死ぬまで消えることはないのだろう。

 庵主はそっと、半次の前にある文を差し出した。

「これは……」

「あの子が書いた文です。どうぞ、お手にとってご覧なさい」

 お葉の名残を求めるように、半次は文を読んだ。


『庵主様へ。留守を任されていたのに、いなくなってごめんなさい。何も言わずに飛び出した薄情な私を、許してください。千種さんが私に会いに来てくれました。千種さんと別れたのには行き違いがあるようで、きちんと話し合いました。私は千種さんと逃げることにします。千種さんの罪は、私のためであり、彼に罪はありません。遠くへ行って、もう一度やり直すことにします。庵主様のことは忘れません。私には他に、心残りがあります。半次さんに、助けてもらったお礼を言えませんでした。私は彼に恥ずかしい姿を見られて、とても嫌だったのです。叶うなら、昔のように話したかったです。また会えてうれしかったと、半次さんに伝えてください』


 言うべき言葉は、幸せになれ、たったその一言だったのに……

「時折、こちらにいらして、あの子に拝んであげてくださいな。あの子もきっと、喜びますよ」

 お葉の位牌には、千種の妻と書かれていて、庵主の心づくしが伝わるものだった。

 半次は庵主の元を後にして外に出ると、見事な桜に目を奪われる。寺に訪れたときにも見えていたはずなのに、そのときは目に入らなかったようだ。

 神田明神の桜を思い出した。お葉と出会ったときの記憶が(よみがえ)る。

「半次さん」

 お葉の声がした。

 視線の先には、お葉がいる。神田明神で逢瀬(おうせ)を重ねていたときのような笑顔で、(たたず)んでいた。

「お葉……!」

 彼女の名前を呼べば、桜吹雪が舞う。

 風が止むと、お葉の幻は消えていた。

 桜が咲く度に、彼女の幻を見る。いつまでも、幻を追いかけるのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 誰もが切ないことになってしまいましたね。 もし最初の火事がなかったら、お葉さんの人生は大きく変わっていたのかもしれませんね。
2024/06/01 11:34 退会済み
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