第七話
かつてひとには個性があった。指紋、唇紋、掌紋、歯形、DNAといった身体的な個性から、くせや好き嫌いや話す言葉や出身地など社会的な個性まで。誰が誰で誰が誰じゃないか一目でわかった。だから街で誰かとすれ違えば、ひょっとしてあなたはもや、と話しかけたらしい。いまの社会において街ですれ違った人間を誰や誰と判別するのは、ちょっとした困難が存在しテクニックがいる。
むかしは他人との差によって自分の特徴を理解し自分が誰であるのか、なに者であるのか判断していたと聞いた。ぼくたちが街頭でもちいるテクニックを日常的に使っていたのだ、と。いや今に比べたら案外、難しくはなかったと思う。なぜって、みんな、なにかしら個性を持っていたのだから。あの痩せている男の子は○○だ、あの太ったおばさんは××だ、みたいな感じで。
いまやサイマティックセラピーが個性を消して人間が『個人』ではなく『人間』としての道を選んだ結果、誰もが最適解を選択し効用最大化が実現したおかげで、みんながみんな人間としての最適な個性に落ち着いてしまった。まるで量産化された精密工業製品が同じであるように。
道を歩く男性の身長……だいたい一七九センチメートル、体重六七キログラム。体の動かし方、歩き方、みんな同じ、といった様子でね。だって、もっとも効率がいいのだからしかたがないよねって。だからアイデンティティという言葉は、かつて自分を認識する言語だったのに、いまでは自分を認識する部分が抜け落ちて遺伝子情報や生体データや血液型といったつまらない意味しか残っていない。
なぜって自分が自分だと認識する必要がなくなったから。もとい周囲の人間との同調が自分を保証する手段になってしまったせいで極限に自分と他人を区別する『個人的』な情報しかあらわす必要がなくなったのだ。人間群として生きる意味が自分でいる意味になってしまったからである。
だから、ぼくら精神衛生監察官は目立つのだ。どうしようもなく社会からはみ出しまくった存在だから異常に目を引く。歩くにしても走るにしても普通ではないのだから。したがって精神衛生監察官は潜入する前に普通になる準備をする。
おおまかなネガティブセラピーは変更せずに運動に係る脳みその分野に限って解除措置を実施するのだ。大脳皮質運動野、基底核といったモジュールに対して注射針を打ち込んで薬を投与し自分の意識から切り離すことで、まるで別人の脳みそになったかのごとくにさせるのだ。自分のなかに、もう一人の自分がいるみたいな感じ。もしもサイコシンドロームが発生した場合には架空の自分を介してホンモノの自分を守れるっていう原理らしい。
ゆえに別人になった箇所に別人としてサイマティックセラピーを実施すれば運動分野のみ一般人と変わらないみてくれになるって寸法だ。まさしく超法規的措置でアンダーカバーって話しである。とっても便利こそすれ六時間ごとの薬剤投与が必要だから普段使いはできないのだけれども。
したがって、ぼくの体に注射針が刺さっていく。ぼくの血管に薬が滲んでいく。薬漬けになる脳みそと心たち。ぼくのなかで新しい自分が生まれ今の自分が対面する。まるで気心が置けない友人と再会したみたいな気分がする。
ぼくは毎回、そうだ。アレックスは弟ができた感覚だといっていた。たぶん人それぞれなのだと思う。けれども似通っているのは、みな自分と同じ人間が自分のなかに、もう一人いたらこそばゆくて落ち着かないって感覚になるところだ。自分の考えごとが二重になるし。
ぼくのなかに、ぼくがいて、ぼくとして考えている。同じ考えを、と。まるでトートロジーにもならないが不思議な日常を味わえるものだから、ぼくは意外とキライになれない。
フィラデルフィアへは車で入った。イブや、ほかの面々は先着し対象の家から五ブロック離れたアパートで即応の体制を取っている。ところで潜入捜査を開始する前にイブと落ち合った。フィラデルフィア、もといペンシルベニア州とニュージャージー州の境にあるデラウェア河の近く、自由の鐘のふもとで待ち合わせたのは間違いだったと思う。
なぜってアメリカの歴史がはじまった場所は観光客であふれていて、ぼくを探すのに苦労した、と文句をいいはじめたからだ。仕方がないじゃないか。秘匿捜査官として、ぼくは完全に一般人と同化してしまっているのだから、といい返せば、いい訳は無用、と肩をすくめる。だから呆れるほかなかった。
ところが事実、自由の鐘の麓には観光客でいっぱいで、まるで、もう一度アメリカの自由を聞かせてほしいと決意したみたいなものだった。ゆえにイブが見失ったのも、あながち間違いじゃない。
対象は、どんな様子だい? とたずねれば、「午前中はペンシルベニア大学へいって通常講義。午後からは自分のクリニックで治療。夜は日本語学校でボランティア」とスケジュールを持ち出してきて極めて事務的な回答がくる。
まず自分で確かめろってことかい? と呆れていたらイブはいたずら娘の顔になって、
「あなたは引っ越してきた世界銀行のエージェント。研究資金を融資しているからペンシルベニア大学にも彼のクリニックにも入りやすい。そして近隣の日本語学校にボランティアとして教師をつとめる善き市民。対象はお医者さんをしながら同じ日本語学校のボランティアをやっているから気が合うかも」
とジョークを飛ばす。だが設定としては正しい。ぼくは、とある世界銀行のエリートサラリーマンで日本語を話す珍しい人間って訳だ。どうやらイブは部下の統率に飽きている。
「気が合う必要があるからね。かみ合わない人間を送り込んでも良い成果は得られない」
「だから私みたいな人間は外された?」
そうイブはわらえない冗談を真顔でいうものだから、「よしてくれ。そんな意味でいったんじゃない」と苦い表情で返すほかなかった。まあ前座は以上、本題に入るつもりらしい。
「彼は至って普通の人間の様相を呈している。まるで自分が殺人事件を扇動していると思えないくらいにね。どうやっているのかな。自分で自分に暗示しているのかセラピーをしているのか」
「ひとつめの関門だね。出会って数時間でマジックの種が割れたら、ぼくもつまらない」
「もうひとつはFBIのエージェントは非協力的って話し。あのひとたちは、ちゃっかり情報は持ちかえるのに、あちらが持っている情報は渡してくれない。なにか裏があるみたいにね。なんだか気になるでしょ?」
そんな風になるとはじめから思っていたから不思議じゃなかった。ぼくが持つ現場指揮官の権限でFBIを出禁にしたいところだけれども、『可能』と『やっても良い』の間には大きなクレバスがあるものだから自重するほかない。
「なるべく機密情報は保全して。でも、どうでもいい情報はわたしてやればいいさ。意味のない情報の精査に数か月を無駄にしてもらう。ぼくたちへの対価としては正当だと思う」
「悪趣味ね」とくつくついっていた。
「情報機関を相手にするなら悪趣味にもなるよ。ぼくは彼らや彼女らがキライだからね」
そういえば、「私も」とイブは肩をすくめてみせる。スパイは敵、警察官の共通認識だ。
「むかしFBIといえば世界最高の捜査機関だったのに、すでに自分たちの利益にしか興味のない組織に変わってしまった。今だってCIAの下っ走りみたいな様子だし。時代は変わったよ」
「アメリカだって今じゃ一地方政府にしかならない。パックス・アメリカーナは終わった」
とアメリカ独立の原点である自由の鐘の真下で問題的な発言をするイブをみてぎょっとする。あと半世紀早かったらネオリベラリストの一派や共和党主義者からタコ殴りにされていたかもしれない。
けれどもアメリカ内では再びアメリカを巨大にといった論調が燃焼しているので本当のところはわからないが。セラピーで最善の選択を取るといっても世界規模になれば効用最大化の範囲は自分身近な範囲に限定される傾向があって地方分権の時代が再来する可能性も時間の問題かもしれなかった。
「そろそろいくよ。午後からエリオットとミーティングがあるんだ。新しい融資の件でね」
「さすが経済学部出。もう銀行の融資担当にみえる。じゃ私は後方で監視しているからヤバいときに会いましょう。がんばって」
ぼくはイブの言葉に頷いて人ごみに消えた。今からは一人、どうあっても一人だった。