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存在領域  作者: 未定
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第四話

 

 ところで、ぼくたちの間で今回の事件に対する所見が徐々に醸成されはじめていると思う。というのも、とにかく不可解な謎が多い、そんな感情が、みんなのなかで作られている様相を呈しはじめているからだ。いや本当は、ぼく自身も実際に取り調べを初めてみるまで懐疑的だったのだが、実際の様子をみたら、ぼくも同じ意見を抱かずにいられなかったのだ。なぜって現時点で今回の事件は、なに一つ想像のつく事柄がなかったからである。

「あなたは昨日の昼まで社会に対して貢献されていた。しかしながら夜には大切社会的リソースである人間を傷つけた。なぜですか?」

 ぼくが担当する事件の取り調べ官は、いつもデイビットだった。彼なら冷静に相手の状態を肌で感じながら真実を聞き出せると考えているからだ。ただ今回に限って、そんな配慮はいらなかった。

「わからないのです。ただ、そうしなければいけないと思った。誰かを傷つけなければ自分が生きていけないと思ったのです。そんな感情が私の胸のなかや頭のなかにあふれてきて、どうしようもなくなって……」

 だから人を殺した、というリン・ウェインは怯えていた。なにかに対して。ゆえに、ぼくは直感する、直感できた。いや眼前の風景をみて直感しなければ精神衛生監察官としてはモグリだ。

「サイマティックセラピーだ。意識レベルにまで影響が出る高次同調処理が行われている」

 ぼくの言葉にアレックスが頷く。デイビットが、どうしたらいい、といった表情でいるのがわかる。どうしようもない、と思わずにいられない。

「考えられる原因は二つ。なに者かによってセラピーの記録が抹消されたか、または痕跡や記録に残らない方法でセラピーが行われたか。実行できる人間は限られるが、ぼくは後者だと思う」

「私も同じ考えです。記録が抹消されたのみなら本人の脳波に多少は痕跡が残りますから」

 アレックスの同意に、ぼくは確信を得る。しかし検証するにも仮説が立たないものだから検証のしようがないのだが。ただ、そんなところへ、

「進展は?」とドアをひらいて入ってきたのはイブだった。

「どうもこうも。本部にいる首席には怒られるし事件は難しいし。なんとも。そっちは?」

「エリザベス・スワンとリン・ウェインの関係性について調べてきた。けれども、どこにも接点がない。住んでいる地域も属している職場も遺伝子的関係性にも。完全に通り魔事件と思ってもらってよいと思う」

 ぼくはイブの報告を聞いてため息が出る気分だった。

「怨恨なら彼が確信犯説で間違いないが。ぼくらの神様は試練を与えるから嫌われるんだ」

「その通り。いつもみたいに私たちの神様は簡単に事件解決させてくれるほど甘くはない」

 ぼくの隣でアレックスが咳払いをしている。ジョークが過ぎます、といったところなのかもしれない。

「ただパメラとクーパから面白い伝言がある。彼、リン・ウェインには交友関係のあるアメリカ国籍の精神分析医がいるみたい。入国管理局に問い合わせているところだから、とりあえず報告しておきます、といわれた」

「外国人の精神分析医?」とぼくの反応にイブは首肯する。「いつから?」との質問には、

「だいたい三か月前。メタサービスのフリーチャットで知り合って交流を持ちはじめたって。十日前にシンガポールに入国してる」

「姓名と性別、年齢は?」ぼくの問いに、「エリオット・ゴーン、男性、四十二歳」とくる。

「私が報告を受けているのはココまで。あとは、あなたのかわいいユニットたちに聞いて」

 ぼくが次の句を継ごうとすればイブは両手をあげて降参する。自分で情報くらいあつめなさいって感じだ。ただ、ぼくとして必要なことは聞けたので取り調べ室へ入ることに決めた。

「デイビット、少し代わってくれ」と背中を叩けば、「了解」とイスを引いて後ろに立った。

 ぼくは硬く冷たいスチール製のデスクを挟んでリン・ウェインと対峙する。ぼくは取り調べ室の方々にカメラや生体データを収集するセンサー類が埋め込まれていることを知っているので、どうにも一方的に注目される感があってココに座るのは苦手なのだが仕事だから、そうもいっていられない。

「ぼくは上級監察官のイサカ、あなたの事件の担当をしています」

 ぼくの言葉にリン・ウェインは頷く。彼としては見知らぬ人物が突然あらわれて困惑している、といったところだと思った。デイビットが後ろで慎重に見守っているのがわかる。

「あなたに、いくつか質問があります。しかし答えるのも答えないのも、あなたの自由です。あなたには黙秘権があるので私の質問に答えなくても、すぐに不利益を被ることはありません」

 ぼくはお決まりの説明をしてから本題に取りかかった。

「あなたには外国人の知り合いがいますね。アメリカ国籍の精神分析医……エリオット・ゴーンというドクターです。その彼と面識があることは、あなたにとって事実ですか?」

 はじめリン・ウェインはエリオット・ゴーンの名前を聞かされて驚いていたがが、ややあって首肯した。

「はい。彼とは三か月にソーシャルサービスを通じて知り合いました。それは事実です」

「ところで彼は十日前にシンガポールへ入国しています。あなたと面会はしましたか?」

「彼が仕事でシンガポールへくる予定があったので食事をしました。ただ、それ以外で彼と会うことはありませんでした」

 さいわいにもデイビットのときとは違って彼の口からよどみなく言葉があふれていた。

「質問を変えます。あなたがエリオット・ゴーン氏と面識を持つことになった背景についてお訊きすることはできますか? プライベートなことや話にくいことであれば話さなくてもけっこうですが」

「定期的に出席しているウェブセミナーへ彼がオンラインセッション講師として招待されたことがきっかけです。彼と面識を持つようになったのは私が特別にセッションをひらいてもらうように依頼したからです。当時、私は原因不明の精神同調律低下症に悩まされており相談すべく依頼したのです」

 大変でしたね、といったのは彼が本当に疲れているような視線になったからだ。おそらく相当に悩まされていたのだろう。知らぬ間に精神同調律が変化するということは自分自身が世界から外れていくといったことだ。自分が世界から外れるといったことは逆にいえば世界から見放されたということにもなる。であるからして、なんとしても、もといた世界に戻るべく努力をしていたのかもしれない。

「彼から、なにか治療のようなことはされませんでしたか。または自分の精神同調律を変動させる処置等はありませんでしたか。些細なことで構いません。思い出してください」

 ぼくの質問にリン・ウェインは首を横にふった。思い出すというよりも身に覚えがないという感じで。

「そういったことはありませんでした。むしろ一過性のものであるから時間が経てば、もとのように戻るとのことでしたから、なにかの処置や治療という行為はありませんでした」

 ぼくは、ありませんでした、といった言葉に落胆する。サイマティックセラピーを行ったとすれば最良のシチュエーションだったのだが、なかったとすれば、どうすれば精神同調律を変化させるのか検討しなければいけない。

「私は地獄に落ちますか?」

 ただ、ぼくが次の質問を考えている間にリン・ウェインが意外なことを口にしはじめる。

「私はひとを殺しました。私の意思で殺したのだと思います。でも私は必要に駆られて殺したのです。殺さなければいけないと思ってころしたのです。自分で殺そうと思った訳ではないのです。そんな私でも罰を受けるために地獄に落ちなければいけないのでしょうか?」

 ぼくは、ようやく気が付いた。彼の供述は事実を述べているのではなく許しを乞うているのではないか、と。目の前にいる男は、ぼくがココに座っているからではなくて自分がやらかしたことに対する贖罪として、ぼくに話しているのだ、ということに気が付きはじめていた。

「ぼくはキリスト圏内の人間ではないので地獄うんぬんにまつわることはいえないですよ」

「ブッタやマホメットを信じていても地獄は知っているでしょう。たぶん地獄はあるんですよ。体のなかに。私が胸を刺した感触や腹を引き裂いた感覚が、いまだに消えないのです。彼女が、もがいている姿をみていた光景が目の前から消えないのです。指や手や皮ふや視界に地獄はあるのです。地獄は、どこにでもあるのですよ」

 リン・ウェインは自分がいる場所こそ地獄だという風に話している。まるで内なる地獄と対面したように。ぼくの背後でデイビットが眉をひそめているのがわかったが無視した。

「普通、サイマティックセラピーによって行った行為は自明の行為ですから意識として認識されません。したがって罪や快楽といった感覚を抱くことはないのですが、あなたは現在感じているのですか?」

「感じている? 冗談じゃない。そこにあるのです。感じているのではなくて浸食されているのです。ひどい罪の意識によって私自身が犯されているのです。なぜ、ですか? どうして? そんなことはわかりません」

 限界だった。リン・ウェインの心はもろく壊れかけている。自分という存在に対して疑問を抱きつつある。まるで普遍性から外れてしまった人間が突然、自我を抱きに苦しみ始める、といった具合に。

 まるで昔みた映画だった。ロボットが感情を持ってしまったゆえに人間社会で生きる自らの異常性に苦しめられるといった映画だ。きっと基本仕様から外れてしまえばコンピュータも人間もおかしくなるのだ。

 だからサイマティックセラピーがあり精神同調律が設定されている。たぶん今後、彼を待っているのは重度のカウンセリングと最高レベルでのサイマティックセラピー。記憶の一部すらなくしてしまうセラピーで、ふたたび社会の歯車としていかされる。ぼくからすれば地獄よりもたちが悪いと思わずにいられない。

「質問は以上です。ご協力に感謝します」とぼくは謝辞を述べる。交代すべく席につきかけたデイビットに対して肩を叩いて、「疲労がみえる。休憩にしないか」と提案してから取り調べ室を退出した。

 ぼくが戻ればパメラとクーパも合流していた。ぼくは部屋中にあるセンサー類の計測結果からヒントが得られないか期待していたが、監視していたイブも難しい表情をしているのがみえて断念する。ぼくは最悪の状況を想定し頭を抱えていたが、そんな重苦しいテンションのなかでパメラが口をひらいた。

「裏が取れました。たしかにエリオット・ゴーンはシンガポールに入国しています。さらにリン・ウェインとエリオット・ゴーンが会食している様子を写した映像も入手しました」

「本当か?」とパメラがもたらした報告に一瞬、心が躍った。ただパメラが共有した情報も一種の検証でしかないことに気が付いてげんなりした。

「ただ昨日の十八時の便でアメリカに帰国ね。彼は仕事でシンガポールへきて、友人と食事をして帰った。はたからみれば普通すぎる人間。もっと顕著な特徴がほしいくらい無個性。直後に友人が殺人を犯したのに」

「どうして彼を直接、調べないのですか? 今回の事件も彼の住居もココの管轄内なのに」

 イブの皮肉にクーパが口にする。ぼくとイブは新人くんのフレッシュな意見に目を丸くしたが、二人とも肩をすくめるほかない。

「住所は西海岸、事件はシンガポールで起きた。両方ともわれわれの管轄として処理できるが、お友達がひとを殺したので出頭してください、ではあまりにもお粗末過ぎる。だから悩んでいるんだ」

 そうアレックスがクーパをたしなめているのをみれば、ぼくにも、そんな時期があったと思わずにいられなかった。かわいらしいじゃない、とイブが、ぼくに視線をよせてくる。

「ぼくたちに彼を引っぱってくる力はないよ。できる限り証拠を集めて写真を保存して調書に起こして今回の事件を送検するほかない。万が一、彼の裁判になった場合に役に立つようにね」

 ぼくらに与えられているのは目先の事件を処理する力のみ。仮にも精神主義国家たる国際連邦が、ぼくらイレギュラーズである精神衛生監察官に特別な権限を付与すれば国家基盤が崩壊する。砂で作られた王宮みたいにサイコロジカル・コントロール、いわゆる精神統制が崩れることは避けなければいけないので、ぼくらは、ぼくらに与えられた権限の範囲内できることしかできないのである。

「万が一の裁判って……われわれにできることって多そうにみえて意外に少ないのですね」

 そんな風にクーパが自分自身の無力感と対峙しはじめたところでリン・ウェインを拘置所へ連れだったデイビットが戻ってくる。

 だが、ぼくが担当した事件において、何度も事件に出動し何度も取り調べを担当したデイビットでも掴みどころがないらしい。だから職業柄、ぼくはデイビットに対し理由を訊ねたくなった。

「調べ官としての意見を聞きたいな。率直なものでいいから感じたことをいってほしい」

「彼は自分を見失っているようにみえました。まるで永遠の夢から覚めた眠れる美女みたいに。また直感で確証はないのですが、彼は犯行の直後からアイデンティを喪失しているみたいに思えます」

 とデイビットは精一杯の観察眼をもって知覚から言語を総動員しているように思えた。

「また罪の意識から示唆できたことは、サイマティックセラピーによる行為と人間の本能的素質が衝突して生まれた意識……第三の意識が、今までサイマティックセラピーによって抱いていた自我同一性が第三の意識に取って代わられた、ということです。正確なことは論文を書かなければわかりませんが」

 まるで陰イオンと陽イオンが結合して別の化合物を生成するみたいな感じ、というように。もしかすれば、それこそが意識であって自分が自分たる感覚なのかもしれないけれども、ぼくらが失って久しいホンモノのアイデンティティといったものは、いつしか社会から外れて、はじめて獲得できるものになったらしい。

「普通のひとは行動を考えるなんてないからね。あるがままに、そうすることがはじめからわかっているものだから今回みたいなイレギュラーじゃなければ意識なんて生まれない」

 ぼくたちはわかっているはずなのにイブからいわれた言葉は、ぼくらの心に重くのしかかってくる。

「意識の源についての議論は面白いけれども、ぼくらがしなきゃいけないのは事件解決だ」

 だから、ぼくは咳払いをして肩をすくめるほかなかった。精神衛生局にいる誰もが自らのやらなければならないことをわかっていながら、自らがやることを口にできないのは眼前にある巨大かつ不気味な存在に気が引けているからだ。

「ところで、なにをすればいいのですか?」

 だから、まるで不安がった子犬みたいな様子でクーパが口にする。アレックスもパメラもデイビットも言及しないことからしびれを切らしたらしい。今後のてん末が想像できない者の特権だ。

「なにか出るまでエリオット・ゴーンを調べるほかない。彼が生まれてから現在までの全てを。話した言葉や出会った人間、ホルモンバランスから白血球の数に至るまで全ての記録だ。デイビットとアレックス以外のメンバーで当たってくれ。両名は本件の送検準備だ」

 ぼくの指示にイブがババをひいた面持ちになる。

「どうしたんすか? おれ、なんかマズいことを」と引き金となったクーパにパメラが恨みがましい視線でいる。しかたない、と納得しているのはアレックスとデイビットの二人だった。

 マズくない。ぼくらは貧乏くじを引いたってことだ。とんでもない一大貧乏くじを、である。だから頭をかくほかなかった。ぼくたちに与えられた使命が、それで、ぼくらの生き方が、そんなことなのだから、どちらにしても、みんな不器用な生き方について慣れているのを承知していたからだ。

 ぼくら以外のひとたちは器用に、そして不自由に暮らしている。ぼくらも不自由に暮らす自由があったのだが、ぼくたちは、そんな不自由な暮らしを手放して不器用で自由な世界を選んだ。精神衛生監察官という仕事を選んだことから、ぼくらには彼らの暮らしを守る責務があるのだけれども、そんな責務とは別に自分が生きる世界を守らなければいけない、という共通の意識があった。

 だからイブや部下たちは、ぼくの指示に文句をいわずにしたがって行動をはじめる。ゆえに、いざ仕事に取り掛かれば使命感と責任感をもってやり遂げる自信があった。いいかえれば、ぼくたちは自分たちでもわからない衝動によって事件解決へ突き動かされているのだった。



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