◎ 支えあっていこう
とある村に、エリアナという名の女性がいました。彼女の母であるセレナは、もう長い間原因不明の病に侵されています。
エリアナは母の苦しみを和らげようと、懸命に看病を続けていました。
「今日こそ、お母さんの病気に効く薬がみつかるといいけど……」
エリアナは治癒師が村にくる日には、必ず母を連れていきました。また、良薬があると聞けば、苦労してもそれを手に入れました。
しかしセレナの病気は、なかなかよくなってくれません。
「ご先祖様、どうか母をお救いください……」
セレナの家には、先祖たちの肖像画が飾られていました。エリアナがそれに向かって祈っていると、セレナの兄のエドモンドが帰ってきました。
「エリアナ! いま帰ったぞ!」
「エドモンド叔父さんおかえりなさい。治癒魔法は見つかりましたか?」
エドモンドはセレナのために国中を旅し、治癒魔法を探してくれているのです。
「あぁ! 今回はかなり遠出して、南の大きな街まで行ってきたからな! そこで治癒魔法の魔導書を買ってきたぞ。今度こそ大丈夫だ!」
エドモンドはそう言うと、魔導書が詰まった重そうな皮のバッグを、ドスンと机の上に置きました。
バッグのなかからはなんと、二十冊もの魔導書が出てきました。彼がいままでに買ってきた魔導書では、セレナの病気が治る治癒魔法が発動したことはありません。
それでもエリアナは、期待を込めてその魔導書を手に取り、パラパラとページを開いてみました。難しい呪文がたくさん書かれています。
「この二十冊の魔導書を全て読み、材料をそろえて手順通りに儀式を行うんだ。
そうすると、患者の枕元に白い魔法陣が現れる。その中心に立ち、ここに書かれた長い呪文を唱えると、だいたいの病気が治るらしい」
エドモンドが新たに探してきた治癒魔法は、少し説明を聞いただけでも、本当にたいへんそうな魔法でした。
まずは魔導書の内容を理解し、儀式のための道具や材料をいろいろと準備する必要があります。魔法を発動するまでに、最低でも二カ月はかかるということでした。
それでもエドモンドはやる気に満ちた顔をしています。母のためにいつも頑張ってくれる彼に、エリアナは感謝してもしきれませんでした。
「すごいです! エドモンド叔父さん。この魔法ならお母さんを治療できるかもしれませんね!」
「あぁ。今回はきっとだ。俺もすごく期待している。この魔導書は、二百万レンもしたからな。足元を見られた気もするが、セレナのためだ」
「すごく高価な魔導書なんですね。私もダリアンに相談して、できるだけお金を用意します」
「いいんだ。エリアナはいつも看病を頑張ってくれているからな。俺にとってもセレナは可愛い妹だ。金のことは俺に任せておけ」
「で、でも……。本当にいいんでしょうか?」
「あぁ。それより、エリアナも疲れているだろう? 今日は俺が看病を引き受けるから、家に帰ってダリアンたちに会っておいで」
「エドモンド叔父さん……! ありがとうございます!」
「いいんだよ、エリアナ。これからもお互いに、協力して頑張っていこう」
「はい!」
△
優しいエドモンドに母を任せ、エリアナは久しぶりに、早めに自宅へ戻ることができました。彼女は夫のダリアンと、十歳になる娘のアリアの三人暮らしです。
彼女の家は緑豊かな森に囲まれた小さな村にありました。木と石で造られた赤い屋根の可愛らしい家です。
家のそばには大きなオークの木があり、強い日差しを遮ってくれます。その周りには、いい香りの花やハーブが色とりどりに育てられていました。
そこはエリアナの自慢の家です。母の病気は心配ですが、エリアナは家に入ると、とてもホッとした気持ちになりました。
眠ってしまったアリアに毛布をかけていると、仕事を終えたダリアンが帰宅しました。
「ただいまエリアナ。アリアはもう寝てしまったかな?」
「あなた、お帰りなさい。アリアは寝てしまいましたよ。パパに会いたいと言って、さっきまで待っていたんですけど」
「そうかい。それを聞けただけでもうれしいよ」
ダリアンは屈強な男で、村では英雄のように慕われています。彼は魔物討伐隊の隊長をしており、毎日村を守るために戦っていました。
戦闘の指揮はもちろんのこと、防御障壁の構築や村の巡回、討伐作戦の立案に若者たちの訓練など、彼の仕事はたくさんあります。
ダリアンは重い責任を背負っているせいか、最近は眉間のしわが濃くなってきていました。自分たちを守るため、いつも頑張ってくれるダリアンに、エリアナは感謝の気持ちが絶えません。
エリアナは夫の苦労を労い、支えになりたいと願っていました。しかし、セレナの看病でなかなか家に帰れず、アリアナ自身も疲れがたまっています。
彼女は自分が、十分に夫を支えることができていないと感じていました。
「たいへんなお仕事なのに、なにもお手伝いできなくてごめんなさい、お夕飯もこんなに簡単になってしまって……」
「いいんだよ、エリアナ。きみとアリアを思えば、私はどんな苦労も厭わないからね」
「うーん……。パパ……むにゃ」
そのとき娘のアリアがベッドのうえでむにゃむにゃと寝言を言いました。健やかに眠る娘の髪を、ダリアンは愛おしそうに撫でています。
でもその表情を見れば、彼がなにか悩みを抱えているということが、エリアナにはすぐにわかりました。
「無理をなさっていませんか? とてもお疲れに見えますよ」
「あぁ。やっぱりきみにはわかってしまうようだね。実は、すごく悩んでいることがあるんだ……」
エリアナが心配そうにダリアンを見詰めると、ダリアンは話しはじめました。エリアナは看病で疲れた頭を懸命に動かし、その話をじっくり聞きます。
ダリアンの悩みは、討伐隊の若者たちが村を離れることになり、戦力不足が問題になっているということでした。
若者たちと長老たちとの意見の相違、若い戦士と経験豊富な戦士の対立など。聞けば聞くほど難しい問題がたくさんあることがわかりました。
エリアナはダリアンと一緒に頭を悩ませましたが、解決策などわかるはずもありません。
「ごめんなさい、なにもいい案が思いつかないわ」
「かまわないよ、聞いてくれただけで心が軽くなったからね」
「ほんとう? それじゃぁ、私の話も少し聞いてもらっていいかしら?」
エリアナがそう言うと、ダリアンはエリアナを見詰めて頷きました。そして、彼女の腰を軽く抱き寄せます。
エリアナは夫のぬくもりを感じながら、母の病気の話をしました。
ダリアンは優しく相槌を打って、エリアナを励ましてくれました。
だけど彼も、疲れているのはあきらかです。エリアナはダリアンを気遣って、できるだけ短く話を切りあげます。
それでも夫が話を聞いてくれたということが、彼女の心を癒しました。
「ダリアン、聞いてくれてありがとう」
「あぁ。エリアナ、私たちはこれからも支えあっていこう」
「はい!」
△
「病気が治るかもしれないというのに、どうしてそんなに嫌がるんだ!」
「嫌よ、そんな魔法! きっと今回も失敗に決まってるわ」
「俺がどんな思いでこの魔導書を探して買ってきたか、おまえにはわからないのか!?」
「いつもいつも、変な魔法を私にかけて、治らないどころかよけいに疲れるのよ」
「なんだと!?」
翌日、エリアナがセレナの家に行くと、エドモンドがセレナの枕元で怒鳴っていました。セレナはベッドのうえで怯えた顔をしています。
エドモンドは、普段はとても優しい人なのです。ですがその顔には長旅による疲れが、一晩経ったいまも色濃く浮かびあがっていました。
「効果がないだけじゃなくて、おかしなことになったらどうしてくれるの? もう私のことはほっておいてください」
「俺がおまえのために、苦労して手に入れた魔法だぞ? 安全性はしっかり確認してある。
確かに疲れは出るかもしれないし、効果は出ないこともあるかもしれない。だけど、試す価値は絶対にあるものだ」
「いやよ。いやだったら」
エドモンドは声を荒げ、セレナを説得しようとしていましたが、セレナは頑なに嫌がっています。エドモンドは大きなため息をつき、首を横に振りました。
そのとき、エリアナの娘のアリアが、ガチャリと扉を開けてセレナの寝室に入ってきました。
その日は学校が休みだったため、祖母を見舞うために、エリアナに付いてきていたのです。
「おばあちゃん! ご病気だいじょうぶ?」
「おや? アリアじゃないかい」
取乱していたセレナですが、アリアの顔を見ると、とたんに笑顔になりました。
「どうしてエドモンドさんの治癒魔法を嫌がってるの?」
「だってね、こんな大掛かりな魔法は初めてだもの。こわいじゃない」
「だけどおばあちゃん、百歳まで生きるって前にアリアと約束したよ?」
「そういえば、そうだったわね……」
「そうだよ、おばあちゃん。勇気を出して頑張ろう? アリアが一緒だよ」
アリアの言葉に、セレナはこくんと頷きました。エドモンドはそれを見て、日焼けした顔に、白い歯を光らせて笑います。
エリアナは簡単にセレナを説得してしまったアリアに感心しました。自分ではきっと、エドモンドと同じように、声を荒げてしまったかもしれません。
エリアナはアリアに感謝し、翌日からエドモンドと一緒に、治癒魔法の準備をはじめました。
△
治癒魔法の準備は本当にたいへんでした。森にたくさん実っているミナンの実から、金色の種を二十個集めなくてはいけないのです。
千個の実の中に一粒だけ入っているという金色の種を探すため、エリアナは毎日ミナンの実を大量に摘んでは皮を剥き、種を取り出す作業をしていました。
種を取り出したミナンの実は、乾燥させれば高く売ることができます。ですが、看病の合間にするその作業は、エリアナを疲れさせました。
――看病しながら魔法の準備をするのが、こんなにたいへんだったなんて。
――前にダリアンが悩んでいた問題はもう解決したかしら。最近ほとんど会えてないから、アリアもきっと寂しがっているわ。
エリアナはまだ幼い娘を思い出し、少しぼんやりして食器を落としてしまいました。陶器の割れる大きな音が響きます。
その音を聞いてエドモンドが顔をあげると、エリアナの顔は青白くなってしまっていました。
「エリアナ。無理はいけないよ。今日はもう帰ってゆっくり休むといい」
「エドモンド叔父さん、ありがとう」
「そうだ、この魔導書をエリアナにあげよう」
「これはなんの魔法ですか?」
「ふふふ。発動してのお楽しみだよ」
エリアナは首を傾げながらも魔導書を受け取って帰りました。毎日朝早くから木に登って木の実を摘んでいたので、体中が痛くなっていました。
頑張り切れない自分に悔しさを感じます。
こうしている間にも、セレナは病気に苦しんでいるのです。早く治癒魔法を試してあげたい、だけどもう、エリアナの体力は限界でした。
――心も体も、いますぐに回復させたいわ。まだアリアも学校に行ってる時間だし、とにかく寝よう。
エリアナはエドモンドに渡された魔導書をテーブルに置いて、ベッドに横になりました。だけどいろいろなことが気になって、なかなか眠りにつくことができません。
そんなとき、さっきエドモンドに渡された魔導書が目につきました。
――瞑想の森へ……?
分厚い革の表紙をめくると、そこには美しい魔法陣と、森の小川の絵が描かれてありました。
ページをめくると、魔導書から光が溢れだします。その光は真っ白に、エリアナの体を包み込みました。
気が付くと目の前にさっき見た本の絵と同じ、美しい小川が流れていました。小さな精霊たちが飛び交い、木にはおいしそうな木の実がなっています。
エリアナは木陰に座り、サラサラと流れる水の音を聞いていました。心地いい風が吹いてきて、エリアナの汗ばんだ体を冷やします。
そこは本当にステキで、心が落ち着く場所でした。
――ここが瞑想の森? 川の流れる音が耳に心地いいわ。だけど私、本当に疲れているのね。こうやって静かにしていると、身体中の不調が自己主張してくるみたい。
エリアナは木の下でゴロゴロしながら、自分の疲れている場所を確認しました。
治癒魔法を理解するために、毎日魔導書を一生懸命読んだので、目や頭がすごく疲れています。
毎日ミナンの木に登ったり降りたりしたので、足や手も疲れています。
ミナンの実を毎日剥いていたので、手や顔が痒くなっています。
いままでは忙しすぎて、気にする暇もなかったのです。
エリアナはまた、自分のなかに願望があることにも気が付きました。
セレナが病気になる前、エリアナはステキな愛の物語を毎日楽しみに読んでいたのです。
母が重い病気にかかったいま、そんなことはすっかり忘れていました。
だけどもし、あの治癒魔法が成功したら、エリアナにはやりたいことがたくさんありました。
――私ってこんな状態だったのね。
エリアナが自分の状態を確認すると、周囲を飛び交っていた精霊達が、エリアナの周りに集まってきました。精霊達は不思議な歌を歌っています。その歌には、なにか神秘的な力が込められているようでした。
彼らはその半透明の体をキラキラと輝かせ、エリアナの疲れや痛みを取り除いていきます。
その心地よい感覚に身を任せていると、エリアナの手に愛の物語の本が現れました。
――不思議。私いま、眠ってしまっているのかしら?
エリアナは愛の物語の続きを読みます。危機に陥ったヒロインのもとに、ヒーローは颯爽と現れました。
『これからも僕たちは力をあわせ、お互いに支えあっていこう』
ヒーローのセリフとダリアンの声が重なって、エリアナの耳に届きました。
△
目が覚めると、エリアナはベッドに寝ていました。となりではエリアナにぴったりくっつくように、アリアが寝息を立てています。
「やっぱり、寝てしまっただけだったのね」
そう思って起きあがってみると、身体中の痛みや疲れが、すっかり取れているように感じました。
重かった目もスッキリして、はっきりと周りが見えるようです。手や顔のかゆみもすっかり消えてしまいました。
「すごいわ……!」
エリアナが呟くと、アリアがキュッと抱き着いてきました。エリアナは娘が愛しくなって、アリアの髪を優しくなでます。
――寂しい思いをさせてしまってごめんね、アリア。
△
起きあがったエリアナは、とても元気になっていました。外で綺麗な花を摘み、寂しかったテーブルの上に華やかに飾りつけます。
彼女は陽気な歌を歌いながら、楽し気に料理をはじめました。
――今日はダリアンとアリアのために、美味しいご飯を作ってあげなきゃ!
エリアナがはりきりはじめると、次々に御馳走ができあがりました。テーブルのうえが温かい料理でいっぱいになったころ、ちょうどダリアンが、討伐隊の仕事から帰ってきました。
「お帰りなさい、パパ!」
「お帰りなさい!」
「ただいま。今日はすごいごちそうだな」
「うふふ。少し作りすぎちゃいました」
三人は仲良くテーブルについて、久しぶりに家族で食事を楽しみました。
今日はダリアンもとても顔色がいいようです。エリアナが頑張っている間に、ダリアンも一生懸命、仕事の問題解決に取り組んでいたようでした。
アリアは最近学校で起きた面白い出来事を、すべてエリアナに報告しようとしているようです。
外では寡黙なダリアンも、いつも元気なアリアも本当によくしゃべります。
エリアナは二人の話を楽しく聞いてから、自分の体験した不思議な出来事を、二人に話して聞かせるのでした。
△
元気を取り戻したエリアナは、エドモンドとともに、治癒魔法を完成させました。
エドモンドが呪文を唱えると、白く輝く魔法陣から、たくさんの精霊達が現れました。
精霊達はあの神秘的な歌を歌いながら、セレナの病を取り去ったのでした。