◎ スランプ絵描きの冒険
かつて遠い遠い国の森の奥に、リタという名の絵描きがいました。
リタは絵を描くことが大好きでしたが、上手く描けずに悩むことが増えていました。
「だめだわ。少しも筆がのらないの。私、才能がないのかな? もう、絵なんてやめてしまおうかしら」
そんなとき、リタの母のセレナが突然病いに倒れました。
セレナは、かつて王国を守る偉大な魔法使いでしたが、身体中に痛みが走り、なにもできなくなってしまったのです。
「お母様、もう大丈夫ですよ。私がついていますからね」
それからというもの、リタの毎日は一変しました。彼女はセレナの世話で忙しくなり、絵を描く時間もなくなりました。
季節の移り変わりや星の位置など、様々な要因でセレナの体調は変化します。
ある日は一日中ベッドのうえから起きあがることができず、痛みに呻き声をあげ続けました。
またある日は、嘘のように立ちあがったかと思うと、知らぬ間に森の中へ消えてしまうこともありました。
そんなとき、リタが必死に探し回ると、セレナは草の上に倒れていたりするのでした。
リタはそんなセレナが心配で、彼女の回復を心の底から願っていました。
二人の住む森には、セレナの痛みを強める白い霧が広がることがありました。
そんな日は、セレナが「痛い痛い」と声をあげます。
「今日は霧がひどいわ……」
「リタ、霧が家に近づかないように、家の周りに結界を張っておくれ」
「わかりました、お母様」
リタは絵描きなので、結界なんて張ったことがありませんでした。それでも彼女は、セレナの教えを受けながら、一生懸命結界の張り方を学びました。
結界を張るには、美しい模様の魔法陣を描く必要がありました。
ーー才能のない私に、上手く描けるかしら? でもお母様のためだもの。頑張らないと。
リタは一筆一筆丁寧に筆を進め、魔法陣を描きあげることができました。
「森の精霊たちよ、私の願いを聞き届けてください。森の息吹が私たちを守る力となって、この地に宿りますように。
霧を払い、痛みを和らげ、私の大切なお母様をお守りください。私の心の叫びに応え、この筆の導きにしたがって、この魔法を解き放ってください」
リタが呪文を唱えると、魔法陣は眩く輝いて、家を守る結界が完成しました。リタは自分に魔法が使えることに驚きました。
魔法使いの娘だというのに、今までずっと絵に夢中で、魔法を使ってみたことがなかったのです。
また別のある日、森に住む魔物の放つ魔力によって、セレナは「痛い痛い」と苦しみました。
「リタ、お願いだよ。魔物たちがこの家に近づかないよう話をつけてきてくれないかい」
「わかりました、お母様」
セレナがくれたアミュレットのおかげで、魔物たちはリタに手を出しませんでした。
ーーこのアミュレットには、私を守りたいという、お母様の願いが込められているんだわ。これがあれば、きっと大丈夫ね。
だけど魔物はとても危険です。リタは魔物に隙を見せないよう、堂々とした態度で、礼儀正しく魔物と話し合いました。
魔物たちが家に寄ってくるのは、彼らの好きな木の実が、この家の周辺に実っているからです。
リタは木の実をたくさん集めて、魔物たちにプレゼントしました。
「魔物さんたち。私は争いを望んでいません。これで私のお願いを聞いてもらえませんか?」
「人間の娘よ。我々は同じ森に暮らすもの。わかりあうことは不可能ではない」
魔物たちはリタのプレゼントに喜んで、素直に移動してくれました。
また別の日、セレナは「痛い痛い」とうめきながら、リタにお願いしてきました。
「リタ、痛み止めの湧き水を探してきておくれ。この森の湧き水は日によって違う場所からわいてくるのさ」
「わかりました、お母様」
二人の住む不思議な森には、痛みを取る薬の材料になる、魔法の水が湧いていました。
だけど家の近くの湧き水だけでは、日によって足りないことがありました。
湧き水が足りないと、リタは薬が作れずセレナは痛みに苦しみます。
リタはセレナのため、森のなかを西へ東ヘ、湧き水を探して歩き回りました。
森の中はとても危険でしたが、リタはアミュレットをつけ、ときには魔物たちと交渉しながら、森のなかを歩きました。
それはリタにとって、本当に大変で、そして楽しい冒険でした。
「偉大な魔法使いのお母様の血は、私のなかにも流れているのね」
ある日リタは、森の奥で精霊たちに出会いました。半透明に輝く体をもつ美しい精霊たちでした。
精霊たちは魔物に困っていましたが、リタが交渉すると、魔物はまた移動してくれました。
精霊たちは喜んで、リタに力を貸すと言ってくれました。
精霊たちが魔法を使うと、リタの家の近くに、新しい魔法の水が湧き出しました。
おかげで、セレナの病気はみるみる治り、しだいに魔力も回復して、自ら動けるようになりました。
「リタ、これまでありがとう。もうお前の世話になる必要もないよ」
「わかりました、お母様」
「リタもやりたいことがあっただろうに、世話をかけてすまなかったね」
「大丈夫ですよ。魔法を使えたことも、魔物と話せたことも、聖霊に出会ったことも、とても楽しい経験でしたから。それになにより、お母様が元気になってくれて嬉しいです」
時間ができたリタは、久しぶりに筆を取りました。
筆は魔法のようにキャンバスを滑り、美しい絵を描きあげていきます。
「うまく描けなくて悩んでいたのが嘘みたいだわ。私の出会ったたくさんの冒険が、筆の先から溢れ出てくるみたいね!」
母の回復を願い描きあげた魔法陣の美しい模様。
恐ろしくてもわかり合えた魔物たち。
冒険で見た珍しい景色や、キラキラ光る精霊たちの姿……。
そしてなによりも、元気になったセレナの笑顔。
その全てがリタの心を動かし、彼女の絵は魔法に満ち溢れたものになったのでした。