まだ仕舞わないで、そのコート。
シーズンが過ぎてクリーニング代が安くなるまでしばし仮眠してもらおうと、コートをクローゼットに仕舞いかけていたときだった。帰宅した天花が、ダイニングルームに入って早々ストップをかけたのは。手を止め、「なんで?」と間髪入れず問い返したのは当然だろう。
今週は月曜から洗濯日和だった。うらうらとした日ざしと、適度に吹く生温かな風。花粉が少しの懸念だったけど、桜と合わせて春真っただ中と言って過言ではない三月末の陽気さに、よく乾くと洗い物をせっせと片付けた人は多いだろう。
「あさって、雪だから」
ジャブジャブキッチンの流しで手を洗いながら天花は答える。水のほうはまだ少し冷たいというのに、平気な様子で容赦なく手を濡らすのを信じられない気持ちで見つめた。
天花は今、こちらを顧みもせず何を言ったのだろう。あさってが、雪?
最後に寒さがぶり返したのはだいぶ前だし、卒業式も引っ越しもピークを終えた春まっしぐらな時期に突拍子もないこの発言。今日のラジオパーソナリティーだって「最近コートを着ると汗ばむ」とこぼしていた。それとも、スウェーデン人の彼女の温度感覚なんて、温帯に住む我々の信用には値しないのだろうか。
と、ここまでが普通の人間の感性。天花に慣れ親しんだ人類代表は、「あ、そう」と二秒で納得した。理屈はない。でもそれで、損はしない。
天花の天気予想はよく命中する。「予報」と言わないのは、なんとなく彼女の願望を感じるからだ。「大安に買った宝くじだから今度こそ当たる」のような、大胆で、根拠のない類の。実際、「明日晴れたらなぁ」とか、「雨で中止になればいいのに」といった取るに足らない願い事がしょっちゅう叶うのを隣で見続けてきた。偶然の連続だと頭では分かっているけど、それで片付けるのは若干もったいないのも本心。
かくして、お気に入りのコートの寿命が二日延びた。すぐに取り出せるよう元のラックへと戻す。
相手が風変わりなその言い分を受け入れないとはつゆとも思っていないらしい。自分で言い出したくせに、天花はコートの命運を見届けもせず今度は冷蔵庫を漁っている。こちとら、アサッテユキがリフレインして、ちょっとそわそわしてるのに。
「ねー、ネギ買いに行こう、ネギ」
そう言えば、この冬最後の鍋は盛大にしようと意気込んでいたような。まさか、ね。
さくらの日、でも雪の予報がありました。
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