花香る約束
舞い上がる花びらの中、幼い少年が少女の耳元に囁く。
「君が好きだよ」
「私も大好き」
屈託なく返す少女に、少年は、はにかむように微笑んだ。
「ずっと一緒にいたいな」
うんうんと頷いた少女は彼の手を取り、花咲くように笑う。
「ずっと一緒にいようね」
学園の卒業パーティーで、壇上に上がった王子は、傍らの女生徒に溶けるような笑みを向ける。
そんな彼は、ゆっくりと生徒達を見回し、一変する様に表情を消した。
「レイチェル・キングスリー公爵令嬢」
名を呼ばれ、歩み出た令嬢は王子へと顔を持ち上げた。
淑女の微笑みを貼り付けた彼女に、幼い頃の屈託なさは欠片も見当たらない。
「お前との婚約を破棄する」
王子の宣言による衝撃を、レイチェルは扇をきつく握り締める事でやり過ごした。震えそうになるのを必死に抑えつけ、凛とした声で答える。
「婚約破棄をお受けします」
動揺を見せないレイチェルに、王子は気に入らないと眉を顰める。
「そして、罪の無い令嬢を虐め、挙句、殺害しようとした罰として、国外追放を命ずる」
冤罪での国外追放。
想像もつかなかった展開に、レイチェルの背に汗が滲み、心臓が早鐘を打つ。
扇の下、落ち着くために息を吸い、吐いた。
「その様な罪は犯しておりませんが、今の様な事態になる程に、殿下を不快にさせてしまっていた事は事実なのでしょう。国外追放を了承しました。私は速やかに御前を去らせていただきます」
深く礼をしたレイチェルは、宣言通り即座に会場を後にした。
公爵家へ帰る事なく、街へと馬車を走らせる。
ドレスを売ったレイチェルは、そのお金で、乗馬の出来る服装に着替え、コートを買った。
店を渡り歩き、旅支度を整えた彼女は馬車を国境へと向かわせる。
国境へ着くなり馬車を降り、馬へ跨ると、躊躇する事なく国を出た。
遮るもののない道が、延々と続く。
しばらくすると、彼女の目から涙がこぼれた。泣くのが久しぶりすぎて、止め方がわからない。
ふと、いくら泣いたとしても、自分を嘲笑う者も、苦言を呈する者もここにはいない事に彼女は気付いた。
もう、耐える必要は無いんだ。
夕日の中、涙を散らしながら、思うがままに馬を走らせた。
地図を頼りに、たどり着いたのは花屋だった。店の手前で馬を降りる。
店先に飾られた花々は可愛らしくて、何故だかまた泣きそうになった。緩んでしまった涙腺に困惑する。
まずは気を鎮めようと、深呼吸をするが、時間が経つほどに緊張が高まり、脈拍が酷くなっていく。
落ち着く事を諦めたレイチェルは、思い切って店内に入った。
エプロンを付けた青年が、花に触れている。「いらっしゃい」と言う彼の声は、記憶よりもはるかに低い。
「ケネス……?」
レイチェルの震える呼びかけに青年はふり返り、目を見開いた。
ああ、彼だ。やっと会えた。
彼女が何度も反芻し、心の拠り所にしていた思い出の少年は、青年となった今も、面影を濃く残していた。
走り寄りそうになる体を必死に押し留める。
「ケネス、好き。ずっと好きだった。私と結婚してください」
唐突過ぎる言葉が溢れ出てしまい、羞恥と動揺で頬が熱くなる。
ケネスは、瞠目したまま、ごくりと唾を飲んだ。
「レイ、なのか? でも、婚約……王子様は?」
やっぱり、婚約してたの知ってるんだ。
自分の意思じゃ無かったとは言え、罪悪感に吐き気がする。
「婚約破棄してもらえたの」
「破棄?」
「殿下は、他の女と結婚したいんだって。その恋人を私が害したっていう濡れ衣を着せられて、婚約破棄と国外追放になったの」
「なんて、酷い」
怒りを露わにするケネスに、レイチェルは慌てる。
「私はここに帰りたかったから、婚約破棄も追放もすっごく嬉しいの」
彼は複雑そうな表情をしながらも頷いた。
「わかった。けど、公爵様は?」
「私の事は見限ってくれたと思う。他に養子を取るかもしれないけど、まずは、公爵の面目を潰した王子への制裁が先かな?」
王子の恋人が、とある侯爵が男爵家に養子に入れさせた、捨て駒のハニートラップ嬢だという裏は、既に取れていた。
公爵が穏便に解決してしまう前に、事を起こしてくれた王子には、本当に感謝だ。
彼に婚約破棄された時は歓喜で叫びそうになった。その上、まさかの国外追放。
感極まって台無しにしてはいけないと、平静を保つのが大変だった。
侯爵が、レイチェルを引きずり落ろすという目的を達成した今、恋人は王子の前から姿を消した可能性が高い。ショックを受けている王子の最有力妃候補とされるのは、元凶の娘である侯爵令嬢だ。
同時に、侯爵の一人勝ちを邪魔する者達も動き出すだろう。
敵と味方が入り混じる混乱で、この機会にどう有利に動こうかと戦略を練る公爵には、レイチェルに構う暇なんて無いはずだ。
黙り込んでいるケネスに、レイチェルは表情を曇らせた。
見ない様にしていた不安が膨らみ、息が苦しくなる。
「……もう、遅かった?」
わかってる。
遅いどころの話じゃ無い。
十年前、いきなり現れた父親だと名乗る公爵に、レイチェルは隣国へ連れて行かれた。
ケネスにとってのレイチェルは、幼い頃の大切な約束を破り、唐突に国を出て行った幼馴染だ。
連絡の無いままに数年経てば、王子と婚約したという噂まで聞こえてくる始末。
そんな自分を忘れずにいて欲しいなんて、厚顔無恥にも程がある。
けど、だけど。
レイチェルは、胸の前で手を握り締める。
この十年、彼との未来を夢見る事だけが、レイチェルの支えだった。
ケネスとの思い出にしがみつきながらも、恋心がバレて、彼に危害が加えられる事を恐れ、連絡しない事を選んだのは自分自身だ。
すでに好きな人がいたとしても、それどころか結婚していたとしても、レイチェルに彼を責める資格はない。
望まない人間に、気持ちを押し付ける事は出来ない。人の想いがままならない事は、嫌というほど知っているのだから。
沈み込むレイチェルに、ケネスが歩み寄る。彼の身長の高さにときめいてしまう反面、離れていた月日を切なく感じていると、左手を取られた。
彼の動きを眺めていたレイチェルは、はっと息を飲んだ。震える手をゆっくりと掲げる。
薬指の指輪から目が離せない。
「成人して、金貯めて買ったんだ」
はにかむ様に笑うケネスに、耐えきれない涙がレイチェルの頬を伝う。
「渡せるなんて思ってなかったのに、毎日毎日、馬鹿みたいにポケットに入れてた」
大きな手が両頬を包み、涙を拭われる。
「君が好きだよ」
優しく抱きしめられて、痺れる様な幸福がレイチェルを包み込んだ。
「ずっと、俺のそばにいて」
震える腕も声も、彼が顔を埋めた肩が濡れていく冷たさも、愛しくて、切なすぎて胸が苦しい。
彼から香る花の香りが、花畑での記憶を連れてくる。
「そばにいる……っ、いさせて」
レイチェルの言葉に、ケネスの腕の力が強まる。それに負けじと、広い背中を抱きしめた。
ごめんね、ケネス。ありがとう、愛してる。
今度こそ、この約束を守りきってみせる。
ずっと、ずっと、死が二人を別つまで。
婚約破棄と初恋を貫く二人を題材にしたお話しでした。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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ありがとうございました。