過去とこれからと 5
薄く目を開ければ、ひどく心配げな顔で私を見つめるアルヴィン様と視線が絡む。
その瞬間、自分でも驚くくらい嬉しくなって、思わず笑みが溢れたのが分かった。
「……ニナは本当にずるいね。ここに来るまで怒ろうと思っていたのに、全部どうでもよくなった」
アルヴィン様は眉尻を下げて微笑むと、今もはしゃぎ続けるラーラやテオに向き直った。
「それで? どういうことだ、これは」
「あらあ、アルヴィン王子様ったら遅かったわね」
「会議が長引いたんだ。ニナがお前達と酒を飲んでいると聞いて、他の仕事を全て無視してここに来た」
どうやら、かなり心配をかけてしまったようだった。申し訳ないと思いながらも、瞼が重くて目を閉じる。
「別に同じ建物の中で酒を飲むくらい良いじゃない。それにアルヴィンのことだって、ちゃんと誘ったわ」
「ニナがいると知っていたら参加した」
「まあ、最低! 相手を選んで断るなんて!」
ラーラの大げさに悲しむ声と、アルヴィン様の大きな溜め息が聞こえてくる。
「次はオーウェンも誘って、六人で飲もうな! エリカが帰ってきたら、七人でさ」
「ああ、誘ってくれ」
「えっ……アルヴィンが素直だとなんか怖いな」
「…………」
そんなやりとりの後、コツコツと足音が近づいてきたかと思うと、ふわりと身体が浮いた。
優しい体温と良い香りに包まれ、目を閉じたままでもアルヴィン様に抱きかかえられたのだと気付く。
「俺はニナを部屋まで送ってくる」
「はあ〜い、そのまま送り狼にはならないようにね──なんて思ったけど、なった方が面白いわね」
「シェリル」
ラーラの声を無視して私を抱えたまま、アルヴィン様は歩き出す。ディルクの側にいたシェリルは可愛らしい鳴き声で返事をすると、こちらへ来て私の手を舐めた。
シェリルは以前からディルクにやけに懐いていて、アルヴィン様が「俺の方が一緒に過ごしているのに」と拗ねていたことを思い出す。
私はなんとか「おやすみ」と「今日はありがとう」と二人に告げ、ラーラの部屋を後にした。
薄暗くて静かな長い廊下を、アルヴィン様はまるで宝物のように私を抱きかかえながら歩いていく。
「ニナ、具合は悪くない?」
「はい」
「良かった。このまま部屋まで歩いていくね」
廊下は少しだけ肌寒くて、心地良い。お蔭でだんだんと酔いが冷めていく感覚がする。
「……アルヴィン様、ありがとうございます」
「それは何に対するお礼?」
「迎えにきてくれて、うれしかったです」
「本当に? 迷惑じゃなかった?」
素直な気持ちを告げると、アルヴィン様は不安げな顔をした。以前ラーラに「恋人でもないのに面倒で重い」と散々言われたのを気にしているのかもしれない。
けれど私は、アルヴィン様が迎えに来てくれるのをずっと期待していたんだと思う。
だからこそ、テオに「そろそろ部屋まで送るか?」と何度か尋ねられても、もう少しいると答えていたのだ。
──そして、気付いてしまう。私はとっくに、アルヴィン様には甘えていたのだと。
「アルヴィン様がきてくれるの、まってたんです」
「……そんなことを言うと、俺はつけ上がってもっと面倒な男になるよ。毎日どこにでも迎えに行く」
「ふふ」
アルヴィン様らしい言葉に、思わず笑ってしまった。
照れたように笑い「すごく嬉しい」「遅くなってごめんね」と言ってくれるアルヴィン様が愛しいと思う。
こんなにも私を好きになってくれる人は、この先の人生でもアルヴィン様以外、現れないという確信がある。
いつからかアルヴィン様のまっすぐな愛情は、私にこれ以上ないくらいの安心感を与えてくれていた。
「……アルヴィン様って、すごくきれいです」
抱きかかえられているため、すぐ目の前に月明かりに照らされたアルヴィン様の顔があり、見入ってしまう。
普段なら照れるはずなのに、酔っているせいか整いすぎた顔をじっと眺めることができている。
本当に作りものみたいに何もかもが完璧で綺麗で、頬にそっと触れると「ニナ」と静かに名前を呼ばれた。
「ニナに触れられるのは嬉しいけど、流石にこの距離で見つめられると、何もせずにいる自信がない」
「……何もしてくれないんですか?」
少しの後にそう答えると、アルヴィン様のすみれ色の目が驚いたように見開かれる。
そして次の瞬間、私達の身体は浮遊感や光に包まれ、景色は廊下から私の部屋へと変わっていて。気が付けば私は、ベッドの上に押し倒されていた。
至近距離で見下ろされ、心臓が跳ねる。
「お願いだから、もう二度と酒は飲まないで」
「どうしてですか」
「ニナが酒に酔った勢いで、そんなことを他の男に言っては困るから」
その言葉に、少しだけ苛立ってしまう。
「……こんなこと、アルヴィン様にしか言いません」
もっと近付きたいと思ったのは、本当だった。
アルヴィン様はいつだって私の気持ちを優先して、大切にしてくれている。けれど最近では時折、それがもどかしく感じることもあった。
「ねえ、酔ってる?」
「少しだけです」
「酒の勢いならやめてほしい。俺はニナの前だと馬鹿な男になって、すべて本気にするから」
きっと今の私は、まだ酔っている。けれど、酔った勢いでこんなことを言っているわけではない。
お酒のお蔭で、自分に素直になれているだけ。
──私は本当はもっと前から、自分の気持ちに気付いていたんだと思う。けれど、認めるのが怖かった。
心を預けた相手が離れていくのが、怖かったのだ。
『俺は本当にニナが何よりも大切で、好きなんだ。ニナのためなら、どんなことだってできる』
けれど今は、アルヴィン様はずっと私だけを好きでいてくれるという確信がある。
そしてそれはアルヴィン様が私をまっすぐに好いてくれていて、私に対して誠実で、いつだって行動や態度に表してくれているからだった。
「お酒の勢いなんかじゃ、ありません」
「……本気にしていいの?」
「はい」
まっすぐに見つめ返して頷くと、アルヴィン様の瞳が揺れた。今にも泣き出しそうな表情すらも愛おしくて、自分の気持ちを改めて実感する。
私はアルヴィン様のことが、好きなのだと。
「ニナ、好きだよ。本当に好きだ」
やがてそんな言葉とともにアルヴィン様の顔が近づいてきて、私は静かに目を閉じた。




