世界の終わりは君と 2
『っ私じゃなくて、あいつを殺しなさいよ……!』
──夢を見た。何度忘れようとしても絶対に忘れられなかった、あの日の夢を。
◇◇◇
『お前なんて、産みたくなかったのに。腹の中で死んでくれたら、どんなに良かったことか』
それが、母の口癖だった。
俺の母は敗戦国の王女で人質として嫁がされ、国王である父と、その血を分けた俺のことを嫌悪していた。
それでも母国のため、自らのために父の前や他の人間の前では、良き妻として王妃として振る舞い続ける。
『アルヴィンは素晴らしい王になると思いますわ』
『そうか。それは良かった』
だが、俺と二人きりになると母はいつだって、心ない言葉をぶつけてきた。
『お前さえいなければ、私はこんな国で一人、骨を埋めることになどならなかったのに……!』
隠れて子ができにくくなる薬を飲んでおり、いつか役立たずと自国へ帰されることを夢見ていたのだという。
だが、男児である俺が生まれたことで王妃としての地位は確立し、その夢は二度と叶わないものとなった。
──そもそも俺が生まれなかったところで、母が自国へ帰れる可能性など限りなく低いというのに。
もしかすると、母も心のどこかではそのことを分かっていたのかもしれない。
それでも認められなくて、認めたくなくて、その鬱憤を全て俺にぶつけていたのだろう。
母は哀れで愚かで、どうしようもない人だった。
『ああ、本当にあの男に似てきたこと。憎らしい』
こうして俺に辛く当たっていることは、絶対に口外するなときつく言われていた。もしも誰かに言ったなら、お前を殺して私も死んでやると。
このことを誰かに上手く伝える方法など、いくらでもあった。それでもそうしなかったのは、心のどこかで母に愛されたいと思っていたからかもしれない。
俺もまた、哀れで愚かな子供だった。
『いい? お前の評価は、私の評価に関わるのよ。死に物狂いで努力なさい』
『……はい。分かっています』
次期国王として朝から晩まで厳しい教育を受け、多忙だった父と会うことも少なく、その際には必ず母が同席するため、親子らしい会話はほとんどない。
辛くなかったと言えば、嘘になる。だが、第一王子に生まれてきた以上、仕方ないのだと言い聞かせていた。
俺が関わる人間は全て母が管理する中、唯一、乳母のアンナだけは俺に優しかった。
『アルヴィン様、大丈夫ですよ。王妃様も、いつかアルヴィン様の頑張りを分かってくださいますから』
『うん。そうだといいな』
『私はアルヴィン様を、息子のように思っています』
『……ありがとう。すごく、すごく嬉しい』
アンナの存在は、俺にとって一番の支えだった。
そして俺が頑張り続けていれば、母様もいつかきっと分かってくれる。そう信じて、俺は努力を重ねた。
俺が10歳の秋、王家主催の狩猟大会が行われた。
毎年行われる催しのため、今年もつつがなく進行し、もうすぐ閉会式を迎えるという時だった。
『お逃げください! 魔物の群れが──ぐあっ!』
母や乳母達と待機していた場所に、高ランクの魔物の群れが襲ってきたのだ。その夥しい数に、言葉を失ってしまう。
護衛の騎士達だけでは倒しきれず、やがて人間と狼を混ぜたような魔物がこちらへ向かってくる。鋭利な歯が並ぶ口元からは、だらだらと涎が垂れていた。
恐怖で竦む足を叩き、必死に自分を奮い立たせる。そして俺は、急ぎ母の元へと駆け寄った。
『っ母様! こちらへ──』
騎士達は魔物に抵抗するだけで精一杯で、母達は魔法を使える俺が守らなければ、という想いがあったのだ。
もちろん倒せるとは思っていない。それでも、少しでも時間を稼いで二人を逃がそうと思っていた、のに。
そして魔物と母の間に庇うように立った瞬間、母は魔物に向かって俺を突き飛ばした。
『……かあ、さま?』
スローモーションで、景色が傾いていく。やがて俺の身体は地面に転がり、泥水が全身に染み渡った。
呆然とする中、母は俺に背を向けて逃げていく。
──愛されているなんて、勘違いしたことはない。
それでも、自らが逃げるために魔物の餌にされるほど憎まれているなんて、思っていなかった。
『ど、して……』
どうしようもなく悲しくて怖くて、首を絞められているかのように喉が詰まって、声が出なくなる。
顔や腕が泥にまみれながらも、遠ざかっていく母の背中に必死に手を伸ばす。その隣には乳母の姿もあった。
『っアンナ……! 待っ……』
あんなに優しかった、信じていた乳母も俺から目を背けて、母の腕を引いていく。その瞬間、この世界に俺の味方などいないのだと思い知らされた。
魔物の影で、視界が暗くなる。目と鼻の先で鋭利な銀色の長い爪が光った。爪先からは血が滴り落ちている。
『……え?』
このまま一人で死ぬのだと絶望し、きつく目を閉じたたものの、なかなか痛みは来ない。
恐る恐る目を開ければ、何故か魔物は目の前に転がる俺の側を通り過ぎ、母や乳母のもとへと向かっていた。
『いや、いやよ! なっ、何で、わた──いやああ!』
──知能の高い魔物は、食べる部分が少なく魔力が安定しない子供は避けるという話を聞いたことがある。
魔力のない大人の女性こそ、馳走にあたるのだと。
だからこそ、魔物はご丁寧に目の前に差し出された俺を無視し、母の元へ向かったのだろう。
『私じゃ、なくて、あいつを……殺しなさいよ! いやああ、痛い、いたい! っ助けて、たすけ──……』
ぽたぽたと、辺り一帯に血の雨が降る。生ぬるいそれが母のものだと理解するのに、少しの時間を要した。
ゴキ、べちゃ、という人間が壊れる音がする。
俺はもうその場から動けず、ただ俺を殺せ、食えと叫びながら死んでいく母を見つめていた。
やがて二人だったものが食い散らかされ跡形も無くなったところで、魔物は俺へと再び視線を向ける。
だが、ふいと興味なさげに視線を逸らすと、再び別の人間の元へと向かって行った。
『……っはは』
その場に一人残された俺の口からは、乾いた笑いが溢れる。もう、何もかもが滑稽で仕方なかった。
あんな風に死んでいった母達も、あんな人間を守ろうとし、愛されたいと願っていた自分も。
『アルヴィン殿下! ご無事で──』
やがて騒ぎを聞きつけた騎士達がやってきた。血塗れの俺と人間だったものの残骸を見て、彼らは息を呑む。
ドレスの切れ端や血の海の中で輝く宝石から、それが誰だったのか分かったのだろう。王妃が殺されたという事の重大さに、誰もが言葉を失っていた。
そんな中、俺は立ち上がると、笑みを向ける。
『ああ、何も問題ないよ』
『で、ですが……』
母にとっての俺は最後まで必要のない、魔物の餌以下の存在だったのだ。そんな人間が死んだところで悲しむ必要などないし、溜飲が下がるくらいだった。
だから目から涙が溢れてくるのも、何かの間違いだ。
『…………っ』
──こんな思いをするくらいなら、もう二度と誰も信用しない、誰にも期待しないと、誓った。
◇◇◇
「……う、っ…………」
意識が浮上するのと同時に、全身に刺すような鋭い痛みが走った。特に腹部は燃えるように熱い。
転移魔法で飛ばされた先で魔物と戦い倒したものの、呪いを受けた記憶がある。間違いなく死んだと思っていたのに、どうやらまだ生きているらしい。
まともに働かない頭で何故だろうと考えていると、ぽたぽたと雫が降ってくることに気が付いた。
身体は鉛のように重く動かず視線だけを動かせば、そこにはニナというあの聖女がいた。
彼女の栗色の瞳からはとめどなく涙が溢れており、この温かい雫は彼女のものだったらしい。
「……なぜ、泣いて、いるんだ」
掠れ、上手く声が出ない。そもそもこんな問いを彼女に投げかけること自体、自分らしくなかった。
やがて感覚がほとんどない手のひらが、彼女としっかりと繋がれていることにも、気が付いた。
「っごめん、なさい……勝手に、見てしまって……」
その言葉の意味が分からず、苛立ちが募る。繋がれたままの手のひらも不快で、振り払おうとした時だった。
「今はだめです! 離したら、死んでしまいます!」
「……どういう、ことだ」
必死にそう訴える聖女はきつく俺の手を握りしめ、その様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。
地面に描かれている魔法陣と、やけに憔悴している彼女の様子、全身に流れる温かい見知らぬ魔力の感覚。
そして俺自身がまだ生きているという事実から、何が起きているのか、ようやく悟った。
「──俺に、魔力供給を、しているのか」




