まだ知らないこの感情の名は
「エリカに魔法を教えるお礼としてテオにもらったもので、深い意味はないというか……」
「ニナは軽い気持ちで男を探してたんだ」
「本当に待ってください」
気を抜くと、悪い方向に話が進みすぎる。
それから必死に説明を続けたことで、なんとかアルヴィン様も納得してくれたらしく、心底安堵した。
「それならもう、このリストは必要ないよね?」
「あっ、は──」
はい、と返事をするよりも早く、アルヴィン様の手にあった紙は一瞬にして激しく燃え上がり、灰になる。
「ニナの分もあるんだよね、俺が処分しておくよ」
「い、いえ、自分で必ず処分します」
「そう? それならいいんだけど」
大至急処分しなければ、あのリストの男性達の身に危険が及びそうで、後ほどしっかり捨てようと思う。
とにかく誤解が解けてほっとした私は、アルヴィン様に背を向けてお茶の支度を再開する。
お湯も冷めてしまい沸かし直していると、いつの間にか側まで来ていたアルヴィン様に、不意に後ろからぎゅっと抱きしめられた。
お腹に腕を回され、肩に顎を乗せられる。突然のことに心臓が色々なドキドキで跳ね、ティーカップを床に落とさなかったのが奇跡だろう。
「本当のニナの好みが知りたいな」
「と、特にないです」
「少しくらいない? 顔とか性格とか、寄せるから」
「アルヴィン様は本当に本当にそのままで十分です」
性格はともかく、顔を寄せるとは一体。何よりアルヴィン様は完璧なのだ。過激な発言はあるけれど、誰よりも綺麗で優しくて、素敵な人だと思う。
「それなら、どうしたら俺を好きになってくれる?」
「えっ?」
「もう一度会えるだけでいいと思っていたのに、ニナといたらどんどん我儘になる」
その声はとても切実なもので、私の身体に回る腕に力がこもるのが分かった。
「何をすればいい? 君以外好きになったことがないから、これ以上どうすればいいのか分からないんだ」
「…………」
恋愛初心者以下の私に聞かれても、答えなど分かるはずもない。そもそも私は、アルヴィン様をどう思っているのだろう。彼とどうしていきたいんだろう。
そんなことを考えながら、ふと過去の彼を思い出す。
『聖女になど興味はない。勝手にしてくれ』
『俺にあまり関わらないでくれないか』
『それで命を落とすなら、それまでの存在なんだろう』
あらためて考えてみると、ものすごい態度の差だ。あの塩対応と今では、別人にも程がある。
あの頃の私、そしてアルヴィン様に今の姿を見せたら、二人とも空いた口が塞がらなくなるに違いない。
思わずくすりと笑ってしまうと、アルヴィン様は「どうして笑うの」と拗ねたような声を出した。
「ごめんなさい、あまりにも昔と変わったなって」
「あの頃の俺は本当におかしかったんだ。お願いだからもう思い出さないでほしい。嫌われそうで怖くなる」
「嫌いになんてなりませんよ」
アルヴィン様は本気で焦っているようだけれど、ラーラ達だって最初はこんな感じだったのだ。全く気にしていない。
「でも、この世界に戻って来ることができて良かったです。もう一度みんなにも会えて、アルヴィン様とも以前より親しくなれましたから」
「……ありがとう」
そう告げると、何故かアルヴィン様は困ったような、少しだけ泣きそうな表情を浮かべた。
私は戸惑いながらも「あ」と再び口を開く。
「そういえばあの日、二人で話がしたいって」
「……ああ」
「何の話だったんですか?」
私の言葉に、アルヴィン様は懐かしげに目を細める。
『今夜、時間をくれないだろうか。ニナと二人きりで話がしたいんだ』
私があの男に殺され元の世界に戻った日、そう言われていたのだ。アルヴィン様の抱きしめる腕が緩み、そっと抜け出した私は彼と向き直る形になる。
「あの日は、ニナに告白しようと思っていたんだ」
「えっ?」
「もう一度やり直してもいい?」
まさか告白だなんて、過去も今も思ってもみなかった。もちろん断ることなどできず、小さく頷く私に「ありがとう」と言うと、アルヴィン様は私の手を取った。
そんな仕草ひとつひとつが、王子様のようで見惚れてしまう。彼の場合、本当に王子様なのだけれど。
「ニナ、好きだよ。君のまっすぐで優しい所、可愛い所、強い所も弱い所も、全てが好きなんだ」
「…………っ」
「俺は一生、ニナだけを好きでいる」
掬い取られた右手の甲に柔らかな唇が触れ、心臓が跳ねる。こんなもの、プロポーズと変わらない。
「絶対に全員が無事のまま、何もかもを終わらせるよ。ニナを取り巻く危険も不安も、全て取り払ってみせる」
「アルヴィン、様……」
「愛してる」
この人にここまで言われて、こんなにも特別扱いをされ、心が動かない女性がいるのだろうか。
悲しくもないのに、少しだけ泣きたくなってしまう。
思わず俯き無言になった私の名前を、やがてアルヴィン様は不安げに呼んだ。
「ニナ? 俺は何か気に触ることを言った?」
「違うんです。その、嬉しくて、ドキドキして」
「え」
顔を上げれば、その反応は想像すらしていなかったという顔をしたアルヴィン様と、至近距離で視線が絡む。
「ニナ、顔が真っ赤だ」
「アルヴィン様のせいです」
「俺の言葉でニナがそんな反応をしてくれるなんて、すごく嬉しい。かわいい、大好きだよ」
いい加減にしてほしいと言いたくなるくらい、アルヴィン様の何もかもが甘すぎて、逃げ出したくなった。
そっと顔を両手で包まれ、上を向かされる。溶け出しそうなくらいに熱を帯びた瞳から、目が逸らせない。
「そんなかわいい顔をされたら、我慢が効かなくなる」
「え──」
アルヴィン様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。鈍感だと言われる私でも、この先何が起こるかは分かった。
「嫌なら突き飛ばして」
「…………っ」
囁くようにそう言われたけれど、身体が動かない。そうして、鼻先が触れ合う距離まで近づいた時だった。
「ニナ! 悪い、俺やばいことしちゃったかも!」
「テオ、女性の部屋に入る時にはノックを──」
「ねえニナ、ディルクと三人で──」
突然ノックもなしにドアがバンと開き、なだれ込むようにして四人が部屋へと入ってくる。
驚いた私は、呆然と立ち尽くすことしかできない。
「あれ、なんかお前ら近くない? 何してんの?」
「……テオ、短い人生でしたね」
「えっ? 何がだよ」
「…………」
「あらま、ディルクは失恋確定かしら」
きょとんとするテオと、色々察したらしく気まずそうな顔をするオーウェン、顔を伏せるディルクと、その背中を可笑しそうに笑いながらばしばしと叩くラーラ。
そして、明らかに不機嫌な目の前のアルヴィン様。一瞬にして甘い雰囲気はどこへやら、カオスな空気になってしまっている。
「ひとまず、テオとは後でゆっくり話をしたいな」
「なに? もしかして俺死ぬ?」
「死ぬより辛い目に遭わせるよ」
笑顔のアルヴィン様から、テオは慌てて距離を取ろうとする。結局収拾がつかなくなり、オーウェンの勧めで場所を変えた上で通信用の魔道具でエリカも交え、全員でお茶でも飲もうということになった。
オーウェンに連れられ、三人は私の部屋を出ていく。再び室内にアルヴィン様と二人きりになると、彼は困ったように微笑んだ。
「邪魔が入っちゃったね」
「は、はい」
「残念だったな。ニナもしたかった?」
慌てて否定すると、アルヴィン様はくすりと笑う。
「ごめんね、ニナはそんなはずないか」
「…………」
思わず頷いたけれど、少しだけ、本当にほんの少しだけ、寂しく感じてしまったのはきっと気のせいだろう。
そう自分に言い聞かせ、私は差し出されたアルヴィン様の手を取ると、みんなの元へと向かったのだった。




